衒わず、卑屈にならず──ヤマトパンクス(PK shampoo)が循環のなかで定めた道理
「日記をつけるように、歌詞を書いてきた」──PK shampooのフロントマンであるヤマトパンクスはこう語る。だから今回リリースされた、メジャー・ファースト・アルバム『再定義 E.P』のリード曲“死がふたりを分かつまで”も「Diary No.23」という歌詞からはじまっているのだ。しかしこの「23」は無意識に浮かんだ数字でありながら、ヤマトパンクスにとって偶然にも意味のあるものだったという。彼の音楽人生を感じる今作の制作話の前に、まずは11月18日(土)に初主催した新宿歌舞伎町のサーキット・イベント〈PSYCHIC FES〉の振り返りからはじめよう。
PK shampoo、メジャー・ファースト・EPリリース!
INTERVIEW : ヤマトパンクス(PK shampoo)
PK shampooが、メジャー第1弾EP『再定義 E.P』をリリースした。リード・トラック"死がふたりを分かつまで"は、ヴォーカルでフロントマンのヤマトパンクスが人生ではじめて作った"君の秘密になりたい"(『PK shampoo.wav』収録)のセルフ・オマージュ作。それに加え、49秒のファスト・チューン曲"あきらめのすべて"、ヤマトのソロ楽曲をバンドでリアレンジした"第三種接近遭遇"、再録曲"神崎川"と、PK shampooらしい捻くれつつもロマンティシズムに溢れた4曲が収録されている。PK shampooを再定義したという本作についてヤマトに話を訊いた。
インタヴュー&文 : 西澤裕郎
写真:るなこさかい
ライフ・ステージが変わる度、日記のように歌詞を書いてきた
──まずは、11月18日に新宿歌舞伎町で初主催したサーキット・イベント〈PSYCHIC FES〉の話から訊かせてください。直前取材で、「いい意味でも悪い意味でも嫌われるようなライヴをしたい」と話してくれましたが、実際どんなライヴになりましたか?
イベント当日の朝4~5時までMV撮影をしていて、僕は朝9時半くらいに会場入りしたんです。本当に寝不足というか、憔悴しきった感じで挑んだ形になったんですけど、それが逆に変に衒ってなくてよかったというか。疲れたり締め切りに追われたりすると、逆にコアな部分だったり真っ直ぐな部分が出てきて、結果的にいいなと思ったんです。今回のEPも、曲の締め切りギリギリまで作っていたことで、逆にストレートな音像になったというか(笑)。そういう意味で、〈PSYCHIC FES〉でも変に衒わずまっすぐライヴができました。
──やり終えて、フェスをまた主催したい欲みたいなものは出てきましたか?
次は大阪でやることを発表したんですけど、自分で旗を振ってみると、それはそれで感動的なものやおもしろさがあるなと思って。6歩くらい引いて「やれ、やれ!」と言っているだけじゃ、本当のめちゃくちゃは訪れないんやなって。真ん中に立って「なんでもやっていいよ!」ってスタンスでいることが、実はいちばんめちゃくちゃにもなるというか。軽いお神輿でもいいから、自分で担ぐことの意味みたいなものを感じましたね。
──初開催ながら新宿歌舞伎町4会場を使用した大規模なフェスということで、課題なども見つかったんじゃないですか?
もっとできるなとは思いました。例えば、リストバンドの交換窓口が少なすぎて、めちゃめちゃ列ができてしまい、ひとバンド目を見れないって人も多くて。そういうオペレーションに関して学ぶことも多かったし、もっとこうした方がいいなと、おぼろげながら見えてきました。それを大阪で活かしてやってみて、また東京でもできたらと思いますね。
──大トリとして出演したPK shampooのライヴ、お客さんの熱狂がすごかったですね。
昼からやっていたイベントだったのもあり、お客さんもみんなヘトヘトやったんですよね。うちらのライヴのときは会場ぎりぎりまで人が入っていたこともあり、その場に立ってるのも無理やからダイブするみたいな、本当の意味でダイブとモッシュが自然発生して。トリのバンドやからと言っても、最後まで残ってくれて、必死にこの瞬間を目に焼き付けてくれようとしてくれていることに対する感慨は大きかったです。
──客席のお客さんたちが波打つように熱狂を生み出していましたよね。
撮影もオッケーって言ってたんですけど、中盤ぐらいからバンドを撮影する人もいなくなってきて。本来のライヴを楽しもうぜ! みたいになっていくのが逆におもしろかったですね。僕もフェス中、2階から観てみたり、フロアや袖から観てみたりしたんですけど、本当にちゃんとやっていると、どこかでチャラチャラしなくなっていく感じを強く実感して。
──そんな熱狂を経て、今回メジャー・ファースト・EPがリリースされました。1曲目"死がふたりを分かつまで"の先行配信がはじまるやいなや、"君の秘密になりたい"のセルフ・オマージュであることがファンの間で話題となっていましたね。作品名が『再定義 E.P』というところで、どういう意図から楽曲制作をスタートさせていったんでしょう?
僕は基本、曲をコードとメロディから作っていくんですけど、冒頭の部分はギターかキーボードを弾きながら鼻歌を歌っていて。そのとき「23」って言葉が浮かんできたんです(※歌い出しの歌詞が「Diary No.23」からはじまる)。なんの意味もなく言った言葉やったんですけど、ちょっと引っかかったので数えてみたら、バンドで発表してきた曲の23曲目やったんですよ。僕は、世界を変えようみたいな大言壮語を吐くというより、自分の人生のライフ・ステージが変わる度、日記のように歌詞を書いてきたし、CDを出してきたので、日記の23ページ目みたいな意味合いで曲を書こうというところからなんとなくはじまっていきました。
──"君の秘密になりたい"とどのように関連していくんでしょう?
生まれてはじめて書いた曲が"君の秘密になりたい"って曲なんですけど、メジャー・ファーストのタイミングということもあり、セルフ・オマージュだったり、サンプリング、引用をしてみたらおもしろいんじゃないかという発想から組み立てていって。23ページ目だから、最新のページの日記なわけで、当然最近のことを書かないとおかしいだろうと。関西から出てきて、2年ぐらい経つんですけど、どう思ってきたかみたいなところを書こうと歌詞の組み立て方をちょっとずつしていきました。
──"君の秘密になりたい"の引用としては、歌詞の一部、コード進行とメロディ?
キーは違うんですけど、基本的にできるだけ寄せる形で作っていて。BPMも全然違うし、雰囲気は全然違うんですけど、聴いてくれたら一発で分かる感じですね。歌詞まで寄せているから。
──続編みたいな感覚もあるんですか?
「2」とか「3」というより、『シン・ゴジラ』みたいなイメージです(笑)。同じ世界観を共有しているけど、全然別の作品みたいなイメージですかね。
──たしかに『シン・エヴァンゲリオン』も、本編と一緒の部分もありますしね。
更新するところは更新しつつ、変えるところは変えながらという感じです。"君の秘密になりたい"は、8年前、はじめてハードコア・バンドをやろうとバンドを組んでめちゃめちゃ挫折して、歌モノっぽいパンクになっていったときにはじめて書いた曲で。歌詞的にも、学校の校舎がどうこうとか、放課後の郷愁みたいな感じがあった。当時まだ21歳やったので、ギリ高校時代の思い出あるし、自分でも歌詞とか見たら青臭くて赤面してしまうぐらいのロマンティシズムに行き過ぎている感じだったんです。そこを捨て切るのもちょっと違うので、共有しながら価値観をがらっと変えたいなと思って。“君の秘密になりたい”に「街はコンビニのレジ袋みたいなうるささで」って歌詞の一節があるんですけど、要はガシャガシャして嫌やっていうイメージで歌詞を書いてたんです。いまは、逆に騒がしい方がいいんやって言い切るというか。人間の成長というのか、逆に感受性が鈍ったのかは分からないですけど、そういう時間経過による侘びみたいな部分。新品でピカピカじゃなくなってきてるかもしれんけど、逆にそれは侘びた良さがあるみたいな茶器的な考え方で書いています。
──ちなみに、PKの他の楽曲からのオマージュも入っているんですか?
自分の曲で言うと、単純に転調していく感じとか、コード進行が似てる曲が多いから、被っているのかオマージュなのか自分でも分からへん部分はあるんですけど。
──"死がふたりを分かつまで"のアウトロの部分とか"天王寺減衰曲線"(『PK shampoo.wav』収録)っぽさがありますよね。
終わり方は近いですね。自分がやってきたことをちょっとずつ引っ張ってきて、気づいたらあれの一節が似てるとかはよくありました。わざとやらんくても引っかかってくるというか。タイトルの"死がふたりを分かつまで"も、そういう作品もあれば、聖書からの引用でもあるし、教会で宣誓するときの挨拶やなとか。そこのハイコンテクストな感じとかは、自分で言うのも違うと思いますけど、あるかもしれないですね。