日本のMIKA? ウィットに富んだポップ・チューンを鳴らすシンガー、ビッケブランカ、配信限定シングル『追うBOY』でデビュー
これは事件である。そのウィットに富んだ独自の世界観、純度の高いポップ・チューン、それを歌い上げることのできる中性的なファルセット・ヴォイス。天性の素質をもった一人のアーティストが、ひっそりと音源デビューを果たした。その事実に、まだほとんどの人が気づいていない。彼の名前は、ビッケブランカ。山池純矢という本名で活動していた愛知県出身の一人の男性が、ギターを捨てピアノを武器にすることによって生まれ変わったペルソナ。ステマだと思うのなら「追うBOY」を聴いてみればいい。こんなに純然たるきらめくポップ・チューンが他にあるか? これは、2014年のボーイズ&ガールズのアンセムである。彼に惚れ込んだOTOTOYは、ビッケブランカの誕生を祝し、ロング・インタヴューで本人に迫った。繰り返して言うが、これは事件だ。
配信限定のデビュー・デジタル・シングル
ビッケブランカ / 追うBOY
【配信形態】
ALAC、FLAC、WAV、mp3
【価格】
単曲 258円 / まとめ購入 618円
【Track List】
1. 追うBOY
2. Alright!
3. All By Myself
INTERVIEW : ビッケブランカ
ビッケブランカのデビュー曲「追うBOY」は、女の子をくどくために高い酒をおごったのにもかかわらず、その後その子から冷たくあしらわれるという、男女のかけひきを歌ったものである。そこに、しみったれた男性視点だったり、ぬるい言葉はない。「ファック」だったり「ビッチ」という言葉を使って、ウィットな方法で歌ってみせる。その歌声とサウンドは、十分な説得力を持つほどきらびやかだ。ここ数年、これほど痛快に男と女のすれ違いを歌う若きシンガーがいただろうか。
その楽曲やヴォーカルは、同じくファルセットで純度の高いポップ・ミュージックを紡ぐMIKAを思い起こさせる。しかし、その2者のバックグラウンドは似ているようで似ていない。愛知県のど田舎で過ごし、海外留学の経験すらないというシンガー・ソングライター、山池純矢が作り出したペルソナ、それこそがビッケブランカなのである。そして、その大元にあるのは、小学生のころの輝かしい時代、そして母親の存在であった。新世代のポップスター、堂々の誕生だ。
インタヴュー&文 : 西澤裕郎
写真 : 雨宮透貴
自分のために頑張るエンジンは完全に使いきっちゃった
ーーまず、ビッケブランカってアーティスト名がいいですよね。国籍不明だし、男か女かもわからないし、素性のわからない感じが想像力をかきたてられるというか。
ビッケブランカ(以下、ビッケ) : そういってもらえると嬉しいです(笑)。前にいた事務所でソロ・アーティストでもコードネームというか、別名をつ けるしきたりみたいなものがあって。ビッケっていうのはポルトガル語で「海賊の下っ端」、ブランカっていうのはポルトガル語とスペイン語で「白」って意味で、「海賊っていう粗暴な現場で一生懸命雑用をやっているやつが、後々船長になったらいいよね」って願いを込めて、ビッケブランカになったんです。
ーー山池純矢という本名の活動から名前を変えるという行為は、別人格になるってことでもありますよね。ビッケブランカになるには時間はかかりませんでしたか?
ビッケ : 3日あれば十分でした(笑)。誰がみてもわかりやすいように、ライヴの最中に名前を変えたんですよ。山池純矢でサカエスプリングに出て、始めの3曲が終わったときに「名前変えますわ」って感じで「ビッケブランカになる!」って言って。そのときに完全に山池純矢は消えて、ビッケブランカになっていきました。
ーー生まれ変わった感じですか?
ビッケ : そうですね。生まれ変わった感はありましたね。
ーー山池純矢からビッケブランカになることで、なにが一番変わったと思いますか?
ビッケ : … うまく伝えられるかわからないんですけど、山池純矢っていうと自分なんですよね。有名になりたいとか、スポットライトを浴びたいとか、自分に向けた欲望っていうか、そういうものが一番の糧になっていたと思うんです。それが、ビッケブランカになることによって、自分じゃなくなったんですよね。自分のために頑張るのは限界があるというか、そのエンジンは完全に使いきっちゃった。そのタイミングでビッケブランカになれたことで、誰かの役に立ちたいっていうガソリンが入って、また違った方向に進み出したのかなと。
ーーなるほど。そんなビッケさんの生い立ちをさかのぼっていきたいと思うのですが、本格的に音楽をはじめたのはいつくらいのことですか?
ビッケ : 本気で音楽をやっていこうと思いはじめたのは、中学2年生のころですね。そのころ反抗期で、いろんな理由が重なって、かあちゃんが家出をしたんですよ。1年間くらい実家の岐阜に帰っちゃっていて。6月がかあちゃんの誕生日だったから、中学校3年にあがった4月くらいから自分で買った小さい4トラックの宅録機材で、ごめんって意味を込めて1曲作ったんですよ。ストレートに「マザー」って曲を(照笑)。かあちゃんは4月に帰ってきたんですけど、ギクシャクした2ヶ月間を経て、「おかん、これ作ったわ」って一緒に居間で聞いたんです。最初は「へえ、いいじゃん、すごいじゃん、こんなの作れるようになったんだ」って感じだったんですけど、曲終わりあたりで号泣し出して。「ありがとう」って面と向かって言われて。僕もこんなプレゼントをあげたのは初めてだし、なんかこう、恥ずかしくて。そんなに人間って気持ちを伝えられないじゃないですか。
ーーしかも思春期だった中学生のころには特にそうですよね。
ビッケ : だから、音楽は口実でもあったんですよ。「ついでに作ったわ、かあちゃん」みたいな。でも、そこには大きい想いがあったりして。歌によって俺の気持ちが伝えられて、かあちゃんもその想いを受け止めて感動して泣いてくれた。俺が人と会話したり、ちゃんと想いを伝えられる方法って、音楽にのせることなんじゃないかって。まして、それが自分にはできる人間なんじゃないかって自信を持ったりもしたし、これで人と会話しながらやっていけるんだと思うようになって。
俺はこんなものも作れるんだっていう気持ちもすごくあった
ーーそれで、中学を卒業してからは曲作りにも熱が入っていったと?
ビッケ : そうですね。高校は男子校だったんですけど、曲ばっかり作っていて。自分じゃないヤツの声も入れたくなった時期もあって、学校に機材を持っていったりするわけですよ。そうすると周りのヤツから「なにそれ? 音楽作んの?」って言われるから「そうだよ、俺有名になるんだよ」って返すと、大笑いされて。「そんなのありえない」「バカじゃねえの」「恥ずかしい」って笑われて、バカにされながらきた感じですね。
ーーへえ。応援してくれたり、一緒にバンドをやるわけじゃなかったんですね。
ビッケ : 周りの目は冷ややかでしたね。
ーービッケさんには憧れのアーティストっていましたか。
ビッケ : 初めての初期衝動はマイケル・ジャクソンですかね。マイケルを観て、ダンスのマネをする小学1年生でした。かあちゃんが洋楽好き、父ちゃんがフォーク好きだったので、車のなかで「青春の影」が流れていたり、チューリップとかアリスとかそのあたりのフォーク・ソングと、ベイ・シティ・ローラーズとかリッキー・マーティンとか、ごっちゃになったカセットをずっと聴いていました。日本の歌謡と海外のポップ・ソングを混ぜて聴いていたんです。
ーーそれだけいろいろ聴いているなかで、自分の作る音楽はどういうものにしようとしたんですか。
ビッケ : 僕が作っていたのは、無秩序でした。そのときいいと思うリズム、メロディ、コーラス・ワーク。東京に出てきてからも、「俺が作る音楽はこれだ!」っていうのを持たずにやってきたと思います。自分の信念みたいなものはなかったですね。
ーーそれが自分のあり方だと。
ビッケ : そうですね。やっぱり自分のためにやっていたっていうのもあるし、人にバカにされながら来たっていうのもあるので、俺はこんなものも作れるんだっていう気持ちもすごくあったと思います。
「俺がやりたいのはあんなんじゃないぞ」と思って
ーーピアノはいつからはじめたんでしょう。
ビッケ : 東京にきて、なにも知らずに曲だけ作っていたんですけど、デモ・テープを送ったり、ライヴで目つけられて有名になっていくんだよって話を聞いて、18歳のときに、はじめて六本木でライヴをしたんです。そのときはギターを弾いていたんですけど、他のヴォーカルが全員ギターを弾いて歌っているのを観て「俺ってあんなふうにみえるのかな?」「俺がやりたいのはあんなんじゃないぞ」と思って。帰っているときも、ギターを背負って歩く金髪のやつとかが東京ってたくさんいるんですよね。田舎だと、ギターを弾いて歌うのがいかにすごいことかっていうのがあって、おもしろい、珍しい存在だったんですけど、東京にきたらみんなやっている。みんなと同じことをやっていちゃだめっていうのは感覚でわかったから、なにか目立たなきゃと思ってギターをやめたんですよ。それでヴォーカルだけにして、ちょこっとの間やったあとにバンドを解散して、新しいスタイルをみつけなきゃっていうときに初めてピアノをはじめて。そこから1年間ピアノを練習して、人前でできるところまでもっていったんです。
ーーてっきり、幼少期から音楽の英才教育を受けていたものとばかり思っていました。ピアノはどんな練習をしたんですか。
ビッケ : コピーばっかですね。最初にコピーしたのは、マイケル・ジャクソンの「アース・ソング」のイントロとか、ハンソンとか。ちょっとレベルあがって、ベン・フォールズをコピーして。そんな感じで、ひたすら1年間練習していました。
ーー練習していたのは、どれも広い意味でのポップスなんですね。それらの曲を選んだ理由ってどこにあるんですか。
ビッケ : それは全部かあちゃんの影響なんですよ。かあちゃんがハンソンも好きで。ウエストライフっていうイギリスのアイドルの曲もコピーしたりしたし。かあちゃんの教えてくれた曲で、実家からCDを持ってきたなかから選んでコピーしてました。
ーーお母さんの影響が本当に大きいんですね。
ビッケ : でかいと思います。かあちゃんがいなかったら、父ちゃんの影響でフォーク・シンガーになっていたと思う(笑)。
ーーピアノをはじめたことで、無秩序だった曲に秩序が生まれたんでしょうか。
ビッケ : そこは変わりなかったですね。ただ、音楽性はそこで少し固まったのかもしれないです。ピアノがあって、リズムがあって、メロディを歌う。で、サビがある。楽器の入れ方とかサウンドの個性みたいなものはまとまり始めたんですけど、そこのなかで伝えている言葉は無秩序。全部の曲に人格がなかったんですよね。かつ耳障りのいい言葉を選んじゃうから、意味よりも感覚を優先して作っちゃったりとか。
ーーじゃあ、そこに秩序が生まれたのはいつなんでしょう。
ビッケ : それが、ビッケブランカになった瞬間ですね。誰かに聴かれるものを作るんだってなったときに、ただの音遊びの無秩序のなかで、この人すごいんだと言われても仕方ないってことに気づいたんです。そこで、かあちゃんに歌を送って伝わったっていう一つの自信に立ち返って、俺の中でも、なにか伝えたいものがあるはずだっていう自分探しがはじまって、歌詞がまとまっていきはじめました。それが23歳のころ。
ーービッケブランカが本当に誕生した瞬間ですね。そこから、今作のリリースまで、約3年の時間があったわけですが、この期間というのは、どういう時期だったんでしょう。
ビッケ : ビッケブランカになった前事務所時代の1年間は、言葉を成長させる年でした。国民的にトップになっている人たちが周りにいっぱいいて、いろいろ勉強させてもらって、それぞれのアーティストの中に、言葉が生まれるルーツになる出来事みたいなものが絶対にあるんだってことを感じて。次の1年間は最初のバンドでメンバーだった佐藤幸太朗と2人でライヴをブッキングして、ライヴをたくさんやる年でした。マネジメント探しを彼が無償で手伝ってくれたんですよ。彼は、別の事務所で働いていたんですけど、俺がやめたタイミングで一緒にやめたんですよ。2人でやろうって。それで、いろんな会社を呼び込んでライヴをやって、最終的にいまのA&Rの佐々木さんとやることを決めたんです。自分はどういうふうに観られているのか、どこがダメなのか、ライヴだったり人間性だったりを、客観的に佐藤にみてもらって、いろいろと挑戦した1年でした。
ーーこの期間はビッケブランカになるために必要な時間だったのかもしれないですね。
ビッケ : そうですね。必要な2年間でした。じっくりやれたのかなって。
ぬるい言葉じゃなく、「ファック」って言ってみようとかそれだけなんです
ーーそして、待望のデビュー・シングルについて伺っていきたいと思うんですけど、リード曲「追うBOY」は、目をつけた女の子にパーティかなにかでお酒をおごってあげたのに、お軽くあしらわれることに対して「ファック」とか「ビッチ」とかって表現を使って表現をしています。しみったれた感じがしなくて、嫌味にも感じない。この曲ができた背景にはどういうものがあるんでしょう。
ビッケ : そうですね。… う~ん、どう伝えたらいいのかな。「追うBOY」は、追うBOYがいるんですよね。自分が経験したかは覚えてないんですけど…。
ーーいや、経験したかどうかはどうでもいいと思わせるような懐の広い曲だと思います。ビッケブランカというペルソナにおいて、すごくハマっている曲だなって。
ビッケ : ああ、うん。ペルソナとして作ったものですね。
ーーこのセリフを言って、説得力出せる人ってなかなかいないですよ。童貞臭がしないというか、すごく気持ちいい。どういうふうに作った曲なんですか。
ビッケ : 僕、作っていた曲に恋愛の歌が多くて、しかも別れの歌ばっか作っていたんです。「あなたが好きです」って歌も作れなかったんですよね。かといって、劇的な別れを経験してきたわけじゃなくて。そのとき自分が聞いてきた言葉とか、自分のなかに培われた誰かのエピソードが、ただ引き出しから出てきてるだけなんだろうと思ったんですね。だから自分の頭の表面上で出し入れしているだけだと思って。自分の言葉に自分の気持ちが乗らないんじゃないのはそれが原因じゃないかと考えたんです。人の人格ができていくのって、中学校とか小学校とか、そのあたりじゃないですか。いまだに小学生にとらわれているところがあって。そこが自分のピークだったんですよ、人生のなかで。
ーー早くないですか(笑)?
ビッケ : 正直、頭もよくて、運動もできて、人気者で、学級委員でみたいなピークがそこにあって。音楽でこじらせてしまったがために、みんなに嫌われて馬鹿にされる人生になっていくわけです。
ーー音楽に出会ってしまったばかりに。
ビッケ : 小学校のときに好きだった女の子がいたんですけど、その子が全然僕のことを好きになってくれないんですよ。かといって、それはすれ違いとかではない。一方的に一人でわめいているというか。向こうははなからそんなつもりじゃないけど、こっちが一人で家に帰って考えているだけ。その自分の経験があるから、こういう歌詞を書いてみようと思って。ただ「別れはさみしい」「さようなら」ってことをぬるい言葉じゃなく、「ファック」って言ってみようとか、きっかけはただそれだけなんですよ。強烈な言葉を言ってみようっていう。
ーーでも、そういう自分の経験に深くもぐっていったことによって、表層的にはまったく違う形として歌詞に出てきているわけでしょ。
ビッケ : そうです。そこでぬるい言葉を使うのをやめて、お灸を据える意味でわかりやすく「ファック」って言ってみよう、「ビッチ」って言ってみよう。で、自分のなかの振り回されて「もー、好きなのに!」っていうのが、「大切にしたい」とかじゃなくて「馬鹿野郎、振り向け!!」って言葉と偶然つながったんです。それでポンポンぽんと出てきて、この歌詞が生まれました。
ーーいまだに小学生のことが強く残っているんですね。
ビッケ : 本当に小学校のやつらに会いたいし、小学校のやつらにテレビで観て「山池だ」っていってもらいたいんですよね。
ーー小学生ってのが珍しいですね。
ビッケ : 本当に人を好きだったときって、小学校だったと思うんですよ。いわゆる年をとってくると、男女のしがらみがあるじゃないですか。でも小学生って、好きか嫌いか、一緒に帰りたいかどうか、給食を隣で食べたいかどうかとか、そんなものじゃないですか。それが本当に強いと思うんですよ。あのとき人を好きだった気持ちが、感情としては強いんですよね。混じりっけがなくて強い気持ち。
ーー2曲目の「Alright!」は、どういうときに作った曲ですか。
ビッケ : これは、それこそ佐々木さんと一緒にやるって決める直前の歌詞なんです。佐藤が一生懸命やってくれたおかげで、何社か一緒にやりたいっていってくれるところがあって、気なったところへ話にいくんですけど、わかんないんですよね。誰が本当に俺のこといいと思って一生懸命やってくれるのかを選べない状態になって。そのときのどうしようっていう自分に向けて言ったんでしょうね。そこで、迷いをかかえている人っていうのは、もしかしたらたくさんいるんじゃないかと思って、それを外に向けてもいいんじゃないかって願いを込めて作った歌です。最終的に思うのはどっちでもいいんじゃないか、っていう慰めソング。
ーービッケブランカから山池さんへのメッセージでもあるわけですね。3曲目「All By Myself」は、エリック・カルメンのカヴァー曲です。この曲を選んだ理由は?
ビッケ : ピアノマンとして、しっかり腰をすえてやっていこうと思ったときに、はじめてピアノの歴史を掘り下げていったんです。ベン・フォールズがいて、最近だったらジェーミー・カラムがいるみたいな感じで、ピアノのルーツにどっぷりはまっていきました。さかぼぼると、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、ギルバート・オスリバン、初期のアレサ・フランクリンとかたくさんいて、そのルーツ上にエリック・カルメンもいる。そのなかでも特に好きだったんですよね。アルバムも全部聞いて、その世界観にはまっていって。あと、かあちゃんが一番好きな曲なんです。
ーーお母さんの影響は本当に強いですね。
ビッケ : かあちゃんは俺に対して発信してくる人だったから。これ聞いたら? これ観なさい! みたいな。強制するわけじゃないんですけど、音楽をいろいろ紹介してくれた人なので。
ーー今作は本当に名刺代わりの作品になりますが、ビッケブランカはこれからどんな存在になっていきたいですか。
ビッケ : 僕は、自分が曲を作って歌うことが、どんな形でもこの世の役に立てばいいと思っています。もうひとつ本当の本心を言うのであれば、かあちゃんに喜んでほしい。親孝行じゃないんですけど… かあちゃんが病気になってしまって。手術はうまくいって、いま療養しているんですけど、いまから放射線治療、ホルモン治療が待っているんです。本当はこんなに急いでリリースもしようとしていたわけじゃないんですよ。もっといい曲を作れるんじゃないか? もっと成長できるんじゃないか? って考えていたんですけど、そのタイミングで病気になっちゃって。… それから家族みんなでかあちゃんを支えているわけですよね。でも俺はなにもできない。だから、俺ができることって、頑張っている姿をみせることなんじゃないかと思って。かあちゃんが元気になることだけやろうっていうのが、正直なところ今年のテーマなんです。
ーーその気持ちが個人的な曲ではなく、ビッケブランカとしての普遍的な大きな曲につながっていっているのが、ビッケさんのすごく大きな才能なんだと思っています。
ビッケ : かあちゃんが元気になって、いい波長がでるようなことを俺はただやり続ければいいのかなって。それが結果的に、もっと多くの人を救ったらいいなと思っています。
待望の1stミニ・アルバムのリリースが10月に決定!!
ビッケブランカ『ツベルクリン」
リリース日 : 2014年10月15日(水)
品番 : NBDL-0024
金額 : ¥2000(税抜)
レーベル : No Big Deal Records
収録曲
1. 追うBOY / 2. 秋の香り / 3. Bad Boy Love / 4. never ever
5. ソロー*ソロー / 6. Alright! / 7. girl
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PROFILE
ビッケブランカ
1987年生、愛知県出身。 鍵盤と美麗なファルセット・ヴォイスを武器に、良質なポップ・ソングを奏でる孤高のピアノマン。 2012年、各地のサーキット・フェスに出演。 MINAMI WHEEL 2012では FM802企画の楽曲人気投票で 「Wake up sweetheart」が第1位になる。