Especiaの5年間、マネージャー清水大充と振り返るーーラスト・ライヴは3月26日(日)、新宿BLAZEにて
2012年4月より大阪・堀江を拠点に活動をはじめたEspeciaが、2017年3月26日(日)、新宿BLAZEのワンマン・ライヴをもって解散する。サウンド・プロデューサーSchtein & Longerこと横山佑輝の作る、80年代後半のバブル期をテーマにしたディスコやブラコン、シティ・ポップは高い評価を得た。船上ライヴやNegiccoとのコラボレーションNegipecia、メジャー・デビューなどを経験し、メンバーが卒業。冨永悠香、森絵莉加は東京に拠点を移し、Mia Nascimentoを加え3人体制で活動を行い最後まで走り抜ける。そんな彼女たちの歴史の一部を切り取り網羅したベスト・アルバム『Wizard』をリリースし、その活動に幕を下ろすEspeciaの歴史をマネージャーの清水大充とともに振り返る。
ファイナル・ベスト・アルバムを配信スタート
Especia / Wizard
【配信形態】
WAV / ALAC / FLAC / AAC
【価格】
単曲 200円(税込) アルバム 2,400円(税込)
【収録曲】
1. ナイトライダー
2. 海辺のサティ
3. アバンチュールは銀色に
4. FOOLISH
5. No1 Sweeper
6. Boogie Aroma
7. Savior
8. Nothing
9. Danger
10. John’s Rod
11. Call me Back
12. Just Go
13. Ternary
14. Savior(Remix)
15. Nothing(Remix)
活動の集大成、Especiaのファイナル・ライヴ
Especia SPICE Tour -Viva Final-*バンドセット
2017年3月26日(日)@新宿BLAZE
時間 : OPEN 16:00 / START 17:00
料金 : スタンディング 4,500円
※共に入場時1ドリンク別途
プレイガイド ローソンチケット/e+/チケットぴあ
INTERVIEW : 清水大充
Especiaは、2012年4月に大阪・堀江からスタートし、2017年3月に東京・新宿でその幕を閉じる。当初と比較すれば、その印象が大きく変わったことは一目瞭然だ。アイドル・グループからアーティストへ。その変化への挑戦過程での歪みがなかったといえば嘘になるだろう。現体制の3人になってから、メンバーのTwitterアカウントとブログはなくなり、メンバーの発言機会は少なくなった。そうしたフラストレーションや秘めた想いは、billboard JAPANに掲載された冨永悠香、森絵莉加、ミア・ナシメントの解散インタヴュー(http://www.billboard-japan.com/special/detail/1840)で語られている。
同時に発言機会が少なくなってしまった人物がいる。Especiaを生み出した男、清水大充だ。あるときから彼は頑なに表に出ることをしなくなった。そこにはメディアで語る必要のないことや語れないこともあるのだろう。しかし、Especiaというグループを解散するにあたって、最後まで彼の発言がないということは考えられない。Twitterから流れてきた〈Especia SPICE Tour〉の大阪公演後のメンバーたちとの屈託のない笑顔。そこには、Especiaというグループを地球上の誰よりも愛している男が映っていた。
取材&文 : 西澤裕郎
Especia インディ期(2012年〜2014年)
ーーEspeciaは、清水さんがつばさプラス大阪支社にいた時代に始めたプロジェクトです。実際、いつぐらいから動きはじめたんですか?
清水大充(以下、清水) : 2012年4月です。もともとジャンカラさんと共同でやったオーディション「ソクデビ」で準グランプリをとった冨永悠香を中心にしたガールズ・グループをやろうってことを会社に提案したんです。ジャズやおしゃれな感じの曲を中心にやっていこうってことだけ決めてはじめました。
ーー準優勝の悠香さんを中心にしたのはなんでなんでしょう。
清水 : 準グランプリの特典がうちのスクールの1年間無償受講だったんですよ。それで高校3年生の1年間まるっと受講して、ヴォイトレ期間が終わるタイミングで動き出したんです。そのときのスクールの同期に三ノ宮ちかがいて、ちかと悠香がオーディションに誘って受かったのが、三瀬ちひろと脇田もなりだったんです。
ーー最初は10人でスタートしたEspeciaですが、2ヶ月後には7人での活動になり、11月28日にはタワレコ新宿店で1st EP『DULCE』をリリースしました。楽曲は、最初から横山さんがサウンド・プロデュースを務めていますね。
清水 : グループをやろうと思った瞬間、横山に電話をしたんです。プー・ルイがリリースした「エレガントの怪物」の「pink ver」と「white ver」を聴いたとき、アレンジが超かっこいい!! と思ったのを覚えていて。「BiS周りで使わなかった曲まわしてくれない?」って話をしたら、「まわすとかじゃなくて、がっつりやりましょう」って言ってくれたので、改めてコンセプトを全部組み直したんです。
ーーそれからしばらく、Especiaは大阪を中心に活動をしていました。東京にも名前が広まったきっかけはなんだったんでしょう。
清水 : あの日ですよ。最初のOTOTOYインタヴューの日。11月4日に西麻布elevenでやった〈POP SONG 2 U〉に出演してからです。それまでアイドル・イベントに出てもお客さん3人だったこともあったし、学校があるメンバーがリハに間に合わず客席にいることとかもあったんですけど、少しずつ状況が変わっていきましたね。
ーータワレコ新宿店限定で1st EP『DULCE』をリリースのは理由があったんですか?
清水 : まだ名前も知られていないし、売れると思っていなかったから、最初は手売りで売っていたんですよ。そしたら当時タワレコ新宿店のスタッフだった古木さんから「かっこいいです!」って言ってもらって、新宿店限定で流通してみましょうって決めたんです。
ーー砂漠や横浜の野外など変わった場所で歌って踊った動画を上げていたのも印象的でした。
清水 : なぜか鳥取でのライヴが決まったので、せっかくだから鳥取砂丘で動画を撮ってアップしてみようってだけでやったんです。おもしろいからって(笑)。
ーー(笑)。2013年3月には、クラウドファンディングで131万円が集まり、『Taste of Spice』のアナログ盤を作っています。その頃には、手応えはあったんですか?
清水 : 曲への反応がいいなってことは思っていました。その前に、サウンドクラウドに楽曲をアップロードして、Twitterでシェアしたらダウンロードできるって施策をやったんですけど、結構ダウンロードされたんですよ。
ーーEspeciaの音楽は当時から洗練された楽曲でしたけど、あくまでアイドル的なアプローチは崩さなかったですよね。
清水 : 大阪の市場を調べていたら、ローカル止まりで満足しているアイドルが多いなと当時思ったんです。せっかく知名度があっても大阪だけで成り立つって背景があったからなんでしょうけど、大阪でアイドルのトップをとるぞって気持ちでやっていました。
ーー当時、お客さんがどういうふうに楽しんでいいか戸惑っていた部分も少なからずあったと思うんですよ。そんな中、メンバーが客席に降りていくパフォーマンスが、一つ架け橋みたいになっていきました。
清水 : その辺ができるようになったのが、OTOTOYで無料配信した「Good Times」ですね。
ーーそもそもEspeciaの子たちは礼儀正しくて、一見おとなしい印象があるんですけど、清水さんはどういう教育方針をとっていたんでしょう?
清水 : あまり歌が下手だとかダンスが揃っていないってことは言っていなくて。もちろん細かいところでアドバイスはするんですけど、それよりもリハ前にちゃんと準備をするとか、挨拶をするとか、リリース時、必ず関係者全員にお礼を送れってことは言っていました。リリースできることが当たり前じゃないよってことは徹底して言っていました。
ーーマネージャーによって教育方針もバラバラだと思うんですけど、そうした清水さんの考え方はどこで培われたものなんですか?
清水 : 僕自身がそうなんですけど、1人じゃ何もできないっていうのが大きいです。僕は曲を作れるわけでもないし、最先端なものに対する敏感さがあるわけでもない。周りの人たちがいて初めて成り立つってことがよくわかっていたから、一緒にガッツリやってくれる人たちを巻き込み続けないとという考えがありました。
ーー実際、2014年にはNegiccoとのコラボ・ユニットNegipeciaを結成しました。
清水 : 当時、Negiccoと一緒のイベントに出ることが多かったのもあるんですけど、NegiccoとLyrical schoolとEspeciaの3マンが話題になったんです。Negiccoの方が知名度があったし、おしゃれな楽曲をやっているグループだったんですけど、彼女たちも新潟出身でローカルというところで一緒に組んでやりましょうってことになったんです。
Especia メジャー期(2015年〜2016年)
ーー2014年12月にはO-EASTで行われた全国ツアー・ファイナルで、メジャー・デビュー発表をしました。
清水 : 当時僕が大阪支社にいたから、東京でガッツリ動くこともできないし、タイアップとかキャンペーンを折り込むとか、細かいメディアにも全く出れてなかったのでプロモーションの限界を感じていたんです。もちろんつばさのスタッフが頑張ってくれてはいたんですけど、自分が動けないのがもどかしかったので、メジャー・デビューすることで、より多くの人たちに届けられるって期待はありました。
ーーメジャー・デビュー・ミニ・アルバム『Primera』1曲目の「We are Especia~泣きながらダンシング~」では、メジャー・デビューに対する不安を切り取った歌詞が入っていたり、それまでの路線と違う楽曲に違和感を覚えた記憶があります。
清水 : あの曲は、いわゆるディスコ・チューンなんですよ。だから違和感があったとしたら、曲の方向性じゃなくて詞の内容だったと思うんです。Especiaって、そこまで個性が前に出るグループじゃないかったかもしれないですけど、僕的には悠香も絵莉加もちかもちひろももなりも、辞めていった暁音にもしっかりしたキャラクターがあって、それを少しずつ前に出していってあげたいと思ってはいました。そこで若旦那さんとのコラボさせていただいたりして。若旦那さんはすごく情熱を持っている方なので、そこでの融合はおもしろかったと思っています。
ーー個性というところでいうと、ちかさんとちひろさんはダンスの中心になっていましたね。ライヴでもそれぞれ見せ場があったり。
清水 : 歌唱の部分で悠香ともなりが前に出てきて、絵莉加の力もだんだんついてきたんですけど、ちか、ちひろが歌の部分で劣っちゃっていたので、彼女たちの役割をダンスに求めたっていう。2人のダンス・ソロって実は意外と多いんですよ。
ーーメジャーで約1年の活動の結果、2016年1月17日に新木場STUDIO COASTで行った〈Especia “Estrella” Tour 2015 -Viva Final-“〉にて、ちかさん、ちひろさん、もなりさんの卒業が発表されました。なんで、そんな状況が生まれてしまったんでしょう。
清水 : いろんな事情があるんですけど、僕は東京に戻ってきて、その間、マネージメントを別の方に委託することになり、距離ができてしまったというのはあるかもしれません。最終的にメンバー全員を上京させるのが目標ではあったんですけど、思ってる以上に売上や集客がついてこず結果が出せなかった。アルバム『CARTA』が1万枚とか売れたら話は違った気がするんですけど、目標に達しなかった。
ーー東京と大阪という物理的な距離ができてしまったり、結果が思った通りついてこなかったことなど、少しずつ歯車が狂っていってしまった、と。
清水 : それも理由の1つだと思っています。
Especia 第2期(2016年〜2017年)
ーー悠香さんと絵莉加さんが上京し、新メンバーにミア・ナシメントさんを迎え、Especia第2章がスタートしました。楽曲にしてもデザインにしてもさらに洗練されましたが、メンバーのブログもTwitterアカウントがなくなりました。なぜ、こんなに大きく変わったんですか?
清水 : 一言でいえば、アーティスト性をより洗練させるためでした。すごくかっこいい曲をやっているのに、自撮りのTwitterを載せていたらアイドル感が出ちゃうから、本人たちの自主的な部分を求めて教育させていったというのが実情です。
ーーたしかに準備期間中、メンバーに音楽的知識を教育していたりしましたよね。
清水 : 例えばフェイクを入れるにしても、今までは「こういうふうに歌ってみて」って言われたままのフェイクだったんですけど、理論的にどうしていくかを学んで自由に入れられるようにとか、リズム感を鍛えるためにトレーニングしていた時期でした。
ーーつまり、Especiaの第2章をしっかり作り上げるために、グループの立て直しをはかったわけですよね。メンバーも東京に出てきて物理的な距離もなくなったわけですし、アーティスティックな部分にも力を入れることができたのに、結果的に動員が下がっていきましたよね。
清水 : 第2章のお披露目ライヴに150~200人入ったのが、次の1回で100人になり、3、40人と減っていきました。
ーー第2章スタートから、わずか半年後の10月には解散の決断をしています。何かきっかけはあったんですか?
清水 : 僕がEspeciaを守りきれない状況にしてしまった。それだけです。本来はメンバーのモチベーション・コントロールを含めてマネージャーの仕事だと思うんですけど、こういうふうに結果を出していこうっていうヴィジョンさえ見せ続けられなかった。
ーーこうやって書くと清水さんだけが悪者みたいになっちゃうけど、それだけじゃないと思うんですよ。第2章は清水さんがプロデュースから遠ざかっていた部分もありますし、チームとしての歯車が狂ってしまった。
清水 : だとしても、それはファンからしたら関係ない部分じゃないですか。もちろん、清水がプロデュース・ワークから外れたって気づいているファンの方はいますよ。その当時、僕は現場にもいなかったですし。
ーーどのような形でEspeciaが変化しようが、Especiaを好きでいてくれる人たちがいたことは変わらない事実だと思うんです。泣いても笑っても、3月26日の新宿BLAZEが最後のライヴになります。最後のライヴ・ツアーについてはどういうことを考えていますか?
清水 : そこは、旧体制と新体制の融合かなと思っていて。この体制になって、出来なくなっていたことも新しく増えたスキルも両方あって。3人になってからのコーラスワークはすごく良くなりました。今回大阪・東京はバンドセットにしているんですけど、以前のようにバックコーラスを3人入れたり楽器隊の人数を増やしたりはせず、シンプルな編成にしています。それは、やっぱり3人がある程度完成されたものを持って来てくれるからこそできる勝負だと思っています。そして出来なくなっていたのは曲に対する執着。前は途中で突然セトリを変えちゃうことが多々あったんですけど、何の曲が来ても対応できていたんです。歌割りで、自分の覚える歌詞が少ないのもあるんでしょうけど、それが今は出来ない。一番象徴的だったのが、Especiaの代表曲「No1 Sweeper」をミアが歌えなかった。これじゃあ僕がドンって急に曲を出したとしても困惑して終わっちゃう。そんなグループじゃなかったはずなんです。
ーーツアーを通してEspeciaの本質を取りもどし、最高の状態を見せることができるかというのが最後のEspeciaの意地なんじゃないかと思います。
清水 : このツアーは再稼働してから半年の集大成ではなくて、あくまでEspeciaとしての集大成だから。3人で回る初めてのツアーで得たものも多いと思います。旧体制時代に培ったもの、3人になって得たもの。全てを出し切るファイナル公演にしないといけないとと僕もメンバーも思っています。
OTOTOYで配信中のEspecia作品
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Especia SPICE Tour -Viva Final-*バンドセット
2017年3月26日(日)@新宿BLAZE
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