セツナブルースター、9年ぶりの復活ライヴを12月3日開催──インディーズ期のデモ音源を期間限定公開!!
10代の心象風景を激しさとせつなさとともに描く楽曲とライヴで話題を呼んだ3ピース・バンド、セツナブルースター。2008年に活動休止を宣言した彼らが、12月3日(日)、マイナビBLITZ赤坂で開催予定の〈DECEMBER'S CHILDREN〉昼の部で復活を果たす。2002年12月11日にリリースされた『キセキ』発売15周年を記念して、ギター倉島大輔の弾き語りを中心に全収録曲演奏、メンバーの島田賢司(B&Vo)と宮下裕報(Dr&Vo)も出演し、公式には9年ぶりにバンド形式の演奏も行われることがアナウンス。それを記念しOTOTOYではインディーズ期の名盤を一挙配信開始。さらにインディ2ndアルバム『「二十歳」より』のデモ音源を期間限定で試聴解禁。彼らの高校の同級生のライター西澤裕郎がレビューでその歩みを振り返る。この機会を絶対に見逃さないように。
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セツナブルースター、インディーズ時代の名盤を一挙CD音質にて配信開始
記念すべきインディーズ・デビュー・アルバム
セツナブルースター / エヅラ・ガラ・セツナ
【配信形態】
ALAC、FLAC、WAV / AAC
【配信価格】
単曲 324円 アルバム 2,268円
【収録曲】
1. 帰り道
2. 夢
3. ソリッド
4. シャバ・ダ
5. CHICKEN
6. 少年A
7. あすなろ
最高傑作!! インディーズ・2ndアルバム
セツナブルースター / 「二十歳」より
【配信形態】
ALAC、FLAC、WAV / AAC
【配信価格】
単曲 324円 アルバム 2,592円
【収録曲】
1. 六月の朝
2. 悲しみのバラード
3. ヒマワリ
4. 雨音
5. 靨のない男
6. 散歩
7. 紫色のマフラー
8. 十二秒
ライヴ会場限定シングル
セツナブルースター / 涙の成分について
【配信形態】
ALAC、FLAC、WAV / AAC
【配信価格】
単曲 324円 アルバム 648円
【収録曲】
1. 涙の成分について
2. うたかたは今
REVIEW : セツナブルースターとはなんだったのか?
残念ながら、いまではそのバンドを知っている人も少なくなってしまった。
「一瞬の碧い星」というバンド名のように…。
彼らは、2017年12月3日(日)、赤坂BLITZにて約10年ぶりの一夜限りのライヴを行う。2002年にワーナーミュージックからリリースした1stフル・アルバム『キセキ』の発売15周年と銘打たれており、これが復活といっていいのかはわからない。イベント名にしても〈倉島大輔 セツナブルースター「キセキ」リリース15周年記念「キセキ」全曲演奏ライヴ&モア〉と曖昧にされているが、この日に関しては3人のバンド体制でライヴが行われることは間違いなさそうだ。
最初にお断りしておきたいのだけれど、この原稿は、そのメモリアルな1日の存在を知らずに見逃してほしくないという思いと、セツナブルースターというバンドへの並並ならぬ想いによって構成されたかなり感情的なものとなっている。なにを隠そう、筆者はセツナブルースターと同じ高校に通っていた同級生だからである。
セツナブルースターは、長野県長野市にある篠ノ井高等学校の同級生で結成された3ピース・ロック・バンドだ。ヴォーカル・ギターの倉島大輔、ベースの島田賢司、ドラムの宮下裕報の3人が上海PIZZAという名前で活動をはじめ、長野駅前にあったLIVE HOUSE J(現在は場所が東口から善光寺口に移動して存在している)をメインに出演、地元の高校生たちを中心に口コミで話題を呼んでいた。
高校3年生の2001年には、アルバム『エヅラ・ガラ・セツナ』でMULE RECORDSよりインディーズ・デビュー、翌年同レーベルより「『二十歳』より」をリリースし、当時史上最年少で〈フジロックフェスティバル〉に出演を果たした。2002年にはワーナーミュージックからシングル『少年季』をリリースしメジャー・デビュー。2002年12月にメジャー1stフル・アルバム『キセキ』をリリースしたものの、ワーナーミュージックを離れライヴ中心の活動を過ごし、2008年、東京吉祥寺プラネットKでのライヴを最後に無期限の活動休止に入った。
文字にしてしまうと、これだけ華々しいのに、遠い昔のことのように感じてしまうのかと愕然とする。
地元長野での上海PIZZA時代
筆者がはじめてライヴハウスに行ったのは、高校2年生の頃、セツナブルースターの前身バンド、上海PIZZAのLIVE HOUSE Jでのライヴだった。野球部の友人からチケットを学校で売ってもらい、不安を抱えてライヴハウスへ足を運んだ。見た目が怖そうな年上の人たちや、タバコの匂いが充満している会場、真っ暗で爆音で音楽が流れる会場は異世界のようだった。まわりにいる全員が不良に見えた。
そんななかオープニングSEとして流れたのは、Seagull Screaming Kiss Her Kiss Herの「Down To Mexico」。テレビから流れる音楽しか知らなかった高校生の自分からすると、そのオルタナティヴな楽曲に衝撃を受けた。ステージに登場した3人の姿はとても同級生とは思えないオーラに包まれていた。今思えば少し背伸びしたスーツを着ていたが、口に出さぬとも自分たちが最高だという佇まい、ソリッドなギターと少し高めの倉島のヴォーカルは、ブランキージェットシティやミッシェルガンエレファントのような硬派さに、スマッシングパンプキンズやニルヴァーナのグランジ感を加えたようなものだった。当時はそれを言語化することなどできなかったが、とにかく格好よかった。
なかでも静かなベースソロで始まる「金魚」という楽曲は、一度聴いただけなのに、自転車で40分かかる帰り道で頭の中をぐるぐるぐるぐると回るくらい中毒性の強いバラードだった。〈時は流れていくもので あなたの色も忘れていく 同じ部屋で肩を並べて 夢中に泳ぐ〉という歌詞を聴いて、倉島くんがこんなことを考えていることに衝撃を受けた。過去のインタヴューで彼らが語っているけれど、上海PIZZAの3人は学校の中でもイケている目立つ存在だった。バイクでツーリングをしたり、女子たちとも交流があったり、筆者からすると羨望を覚えるような存在だった。内省的で文学的とも言える歌詞の中に、まるで想像しない倉島くんが存在していた。
おもしろいのは、彼らが活動していた時期はHi-STANDARDを中心とした「AIR JAM 2000」の時期とも被っていたし、MONGOL800やGOING STEADYといった後に青春パンクと呼ばれるようなシーンの前夜といえる時期とも重なっていたけれど、それらとは違う音楽や存在感を醸していたことだ。その時期はiモードが登場し、高校生にも通信機器が普及しだしたものの、インターネットが気軽に使える状況ではなかった。高校生の抱える鬱屈とした気持ちを簡単に発散できるような場所もなければ、SNSもなかったことが、倉島くんの歌詞を文学的にしたのかもしれない。加えて彼らは1982年生まれで、神戸連続殺傷事件やバスジャックなど「キレる17歳」と呼ばれた世代でもある。そうした1つ1つのものごとが実は繋がっていて、それがセツナブルースターの下地となっている。
10代の焦燥感や葛藤、いらだち、ロマンティズム
地元の高校生を中心に話題を集めていた上海PIZZAは、たまたま東京でのライヴに出演した際、それを目撃した当時の所属事務所の代表がその魅力を強く感じデビューを果たすことになる。それに伴いバンド名も変更した。最近までセツナブルースターは大人の人たちが決めたのかと思っていたが、3人で名前を考えたという。
2001年4月18日にリリースされたインディーズ・デビュー・アルバム『エヅラ・ガラ・セツナ』には、上海PIZZA時代の曲がメインにアレンジを変えて収録されている。ささくれだっていて音が潰れているような質感は、当時のライヴハウスでの彼らをパッケージしたような雰囲気で「らしさ」が収められている。先ほど述べた「金魚」や地元の高校生たちがモッシュをする光景も見られた「Ghost Cow In The TV」、「ショットガン」といった名曲たちが収録されていないことだけが悔やまれる。叶わない願いだとはわかっているけれど、いつか音源化してほしいと未だに思っている。
翌年2001年12月19日にリリースされたのが、インディーズ2ndアルバム『「二十歳」より』。この作品は、タイトル通り彼らが20歳を迎える時期に作られた作品で、上海PIZZAとセツナブルースターを繋ぐマスターピースとなっている。この3人が生み出した最高傑作だと個人的には声を大にしていいたい。耳に強く残るメロディ、1stのように勢いに任せるだけではない轟音ギター、深化した内省的で文学的な歌詞。青春と一言でわりきれない10代の焦燥感や葛藤、いらだち、ロマンティズムが見事にパッケージされた他にはない作品だ。中でも最終曲「十二秒」で描かれるすれ違いは、若さゆえの苦い経験とつよがり、自己葛藤が繊細に描かれている。
僕という名の階段で 僕はいまつまづいている
君が涙を流した 僕は間違えてしまった
果てしなく長いはずの 道が夜のとばりで見えなくなりました
ただ僕は抜け出そうとして ただ君と抜け出そうと思った
なぜ君は泣いていたの 僕と君の距離は十二秒くらい
僕は知らないふりをして ただ前に進めた気がしたんだ
「十二秒」より
少年から青年へ、大人への移行
2002年に入り、ワーナーミュージックからシングル『少年季』をリリースしてからの活動は、筆者が名古屋の大学に進学したため、遠くからCDを買って追い続けるような形で追いかけていたが、その作品から感じたのは、少年から青年へ、大人への移行だった。それまでの長野の小さなコミニティを飛び出し、多種多様な人たちや大人と会うなかで、自分たちを対象化していく様がパッケージされている。それまでの彼らを見ていた筆者からすると、まるで別人になっていくかのような様子が少し寂しかった。しかし、メジャーという舞台で注目を浴びる彼らが誇らしかった。
そして、2002年12月11日にリリースした、メジャー・デビュー・アルバムが『キセキ』。この作品でセツナブルースターの3人はひとつの成熟を示した。アルバムのなかに収録されている「みんなの歌」が象徴するように、彼ら個人のうたが他人を含むみんなのうたへと移り変わっていく様子とその揺らぎが見て取れる。この作品には、彼らの心境や環境、年齢のバランスがそのまま収められていて、この時期にしか作れなかった作品といって過言ではないものとなっている。
その後、インディーズに戻り自主で活動をし音源も何枚かリリースするものの、セツナブルースターは2008年に活動休止をしてしまう。その直接的な原因を筆者は知らないけれど、成長期の繊細な移行をあまりに赤裸々に作品にしていくことと、それを何十年もやっていくことは適していなかったのだと思う。現在、倉島くん、島田くんは地元長野に、宮下くんは東京にてそれぞれ暮らし、音楽活動をしている。
筆者はセツナブルースターの活動休止のすぐ後に音楽の仕事をはじめた。なにかを書く場をもらえるようになったころには、彼らはシーンから姿を消していた。それがずっと心の隅に残っていた。それだけに、まさかこのような形で原稿を書くことになるとはまったく考えていなかった。
今回の記事作成にあたり、セツナブルースターのデビューのきっかけを作った当時の所属事務所の代表の方に話を訊く機会をいただいた。そのなかで、「彼らは大切な青春時代を音楽に捧げたのに、結果として活動休止という形になってしまった」と彼は語った。確かにバンド活動そのものは止まってしまった。だけど、彼らの葛藤や焦燥、いらだり、もがき、そして夢やロマンティズムは、いまも作品を再生することでみずみずしく蘇ってくる。ここにあるのは全て真実だ。だから、3人の青春、ひいてはそれに憧れ音楽業界の片隅で働いている自分だったり、セツナブルースターに影響を受けた人にとって、それらが今も聴くことができることは本当に感謝以外にない。
そして、もう2度と聴くことができないとどこかで思っていたセツナブルースターの3人での演奏が聴けるというのは本当に嬉しいことだ。青年から大人への軌跡をパッケージした『キセキ』を、それから15年経ったいまのセツナブルースターがどのように奏でるのか、少し怖くもあり、でもやっぱり聴きたい気持ちが溢れて止まらない。12月3日(日)、この機会を逃さないでほしいと切に願う。
text by 西澤裕郎
LIVE SCHEDULE
DECEMBER'S CHILDREN“昼の部” 倉島大輔
セツナブルースター『キセキ』リリース15周年記念 『キセキ』全曲演奏ライヴ&モア
2017年12月3日(日)@マイナビBLITZ赤坂
時間 : open 12:00 / start 12:30
出演 : 倉島大輔
スペシャルゲスト : 島田賢司、宮下裕報
チケット :
1F自由席 3,240円(税込・整理番号付・ドリンク代別)
UNDER 18チケット(1F自由席) 2,000円(税込・整理番号付・ドリンク代別)
チケット発売日 2017年11月4日(土)
>>DECEMBER’S CHILDRENイベント公式サイト
>>セツナブルースター「キセキ」リリース15周年特設ページ
DECEMBER'S CHILDREN
2017年12月2日(土)@マイナビBLITZ赤坂
時間 : open 17:15 / start 18:00
出演 : the peggies / ねごと / パスピエ / tricot
2017年12月3日(日)@マイナビBLITZ赤坂
時間 : open 18:00 / start 18:30
出演 : geek sleep sheep / THE NOVEMBERS / LILI LIMIT
チケット :
1F自由席 4,320円(税込・整理番号付・ドリンク代別)
2F指定席 4,860円(税込・ドリンク代別)
PROFILE
セツナブルースター
倉島大輔(ヴォーカル、ギター)、島田賢司(ベース、ヴォーカル)、宮下裕報(ドラムス、ヴォーカル)。1998年10月長野にて、前身となる“上海PIZZA”を結成。地元を中心に活動しながら、01年4月18日にファースト・アルバム『エヅラ・ガラ・セツナ』(DCCM−2)をMULE RECORDSよりリリース。同年7月には〈FUJI ROCK FESTIVAL01〉に出演。10代の心象風景を、激しさとせつなさとともに描く楽曲とライヴで話題を呼ぶ。たたみかけるように同年12月19日にセカンド・アルバム『「二十歳」より』(DCCM−5)をリリース。02年には全国規模でのライヴ活動を行うようになり、6月12日にメジャーよりのファースト・シングル『少年季』(AMCM−10019)をリリース。同年の12月11日には同じくメジャーよりバンドとしてのサード・アルバム『キセキ』(AMCM− 10035)をリリース。その後、活動の場をバンドのレーベル等へと移行させつつ精力的に活動しながらも、2008年2月23日吉祥寺プラネットKのライヴを持って活動休止に入る。
>>セツナブルースター「キセキ」リリース15周年特設ページ
>>倉島大輔オフィシャルブログ<通学路>