DEVOからアニコレまで取り入れたニューウェイヴ脱力アイドルーーゆるめるモ! が待望の1stアルバムをハイレゾ配信開始

NEU! やESGをオマージュした作品で話題を呼んできたニューウェイヴ脱力アイドル・グループ、ゆるめるモ! が、初のフル・アルバムをSPACE SHOWER MUSICよりリリース。ライヴの定番曲「なつ おん ぶる ー」「逃げろ!!」「ゆるめるモん」の8人バージョンから、アニマル・コレクティヴやポップ・グループを想起させる楽曲、ビースティー・ボーイズやザ・デス・セットなどを意識したエレクトロ・ヒップホップ・パンク曲まで、あらゆるジャンルを縦横無尽に駆けまわる全13曲。楽曲制作陣にはハシダカズマ(箱庭の室内楽)、マル(HONDALADY)らが参加。毎回話題を集めるオマージュ・ジャケットにはDEVO!? もちろん、本作をOTOTOYではハイレゾにて配信いたします!! そして世界に向けて、8月にリキッドルーム・ワンマンが控える彼女たちのブレインであるプロデューサーの田家大知にロング・インタヴューを敢行。この人があってのゆるめるモ! と納得できる貴重なインタヴューをぜひお楽しみください。
ゆるめるモ! 待望の1stアルバムをハイレゾ配信!!
ゆるめるモ! / Unforgettable Final Odyssey(24bit/48kHz)
【配信形態】
ALAC、FLAC、WAV(24bit/48kHz)
【価格】
単曲 257円 / まとめ購入 2,160円
【Track List】
1. Majiwaranai Cats / 2. ゆるめるモん / 3. べぜ〜る
4. 逃げろ!! / 5. 生きろ!! / 6. 場viewer / 7. ぺけぺけ
8. 私の話、これでおしまい / 9. スキヤキ / 10. DO FUFU
11. なつ おん ぶる ー / 12. OO(ラブ) / 13. たびのしたく
ゆるめるモ! 『Unforgettable Final Odyssey』全曲ダイジェストゆるめるモ! 『Unforgettable Final Odyssey』全曲ダイジェスト
ゆるめるモ! の初ワンマン開催決定!!
「2014 : A Space Odyssey On Liquid RooMo! ~リキッドルーモ! 号で行く、2014年宇宙の旅~」
2014年8月9日(土)@LIQUIDROOM
時間 : OPEN 17:00 / START 18:00
料金 : All Standing ¥3,000(税込)
※ドリンク代別
※3歳以上有料
チケット一般発売は7月12日(土)から
http://www.red-hot.ne.jp/live/detail/20719
ゆるめるモ! 8/9ワンマンライブ告知映像Vol.2ゆるめるモ! 8/9ワンマンライブ告知映像Vol.2
INTERVIEW : 田家大知(ゆるめるモ! プロデューサー)
ゆるめるモ! のプロデューサー、田家大知と一回会えば、そのインパクトに一瞬で彼の人となりを覚えてしまうことだろう。真っ赤なTシャツといったカラフルな出で立ちに、圧倒的に低い物腰。それでいて、強くもったこだわりに、ただならぬ気配を感じるに違いない。よく知られた話ではあるが、ももいろクローバーに衝撃をうけ、自分でアイドルを作りたくなり、原宿と秋葉原の路上で女の子をスカウトしまくったことから始まったゆるめるモ!。その田家という強烈な個性に取材することで、このアイドル・グループの本質に迫った。
インタヴュー&文 : 西澤裕郎
好きなものが多くて欲張りなんです(笑)
ーーリキッドルームでのワンマンを発表したことで、ゆるめるモ! が本気でフジロックや世界を目指しているんだってことが伝わってきました。NEU!とかESGをオマージュしたジャケットも、海外の人にもインパクトを与えるためなのかなと思ったのですが。
田家大知(以下、田家) : まさにそうです。「なんでこんなにオマージュばっかりやるの?」とか「オリジナリティがない」とかって言われるんですけど、入り口としてわかりやすいと思うので、今は意識的に積極的にやり続けているんです。
ーー田家さんは、スコットランド出身のポップ・バンド、bisが好きだってことも名言されていますよね。
田家 : bisが出てきたのって僕が大学生のときだったんですけど、打ち込みのローファイなトラックでキャーキャー言いながらデビューして、世界をまわって、いきなりグランドロイヤルと契約して、すげえ!! と思って。僕は追っかけだったんですけど、日本に来たとき、楽屋まで入っていったり、一緒にハンバーガーを食べに行ったりして(笑)。グランドロイヤルが好きだっていうのも大きくて、ビースティ・ボーイズ、チボマット、bis、ルシャス・ジャクソン、バッファロー・ドーターもいるって感じがいいなって。ニューウェイブだったらDEVOとか、ポストパンクだったらジョイ・ディビジョンとかトーキングヘッズとか、あとはクラウトロックもヒップホップもダンス・ミュージックもやりたいとか、好きなものが多くて欲張りなんです(笑)。
ーーグランドロイヤルにはどういう部分で惹かれたのでしょう。
田家 : 音楽もそうですけど、精神的な部分も大きいですね。いつまでたっても自分たちでやるDIY感だったり。僕はビースティではアドロックが大好きなんですけど、おちゃらけたスタイルで飄々とガシガシ攻めていくところだったり、あとは政治的なことをやったり、音楽を使ってのらりくらりと幅広い活動をするっていうのが大きいですね。
ベルリンのアナーキーなミュージシャンたちの巣窟へ
ーー今回はそんな田家さんのことを掘り下げていきたいんですけど、ご出身はどちらですか?
田家 : 東京の多摩のほうです。
ーー小さい頃の夢はありましたか?
田家 : う~ん。父親が物書きだったので、朝スーツを着て出ていって、夕方帰ってくるみたいなスタイルを全然知らなくて。夕方まで原稿を書いていて夜ライヴにいったり打ち合わせにいったりするのが普通だと思っていたんです。仕事っていうところで考えたら、ぼんやり父親みたいに文章とか音楽にかかわるメディアにいくのかなと思っていました。大学に入って、お笑い演劇をしたり、自分たちで小さな劇団を作ったりもしましたけど、演劇はフットワークが重いので自分にあってないと思ってやめて、世界一周旅行に行ったりしました。

ーー世界一周ですか?
田家 : 大学4年生になったときに1年間休学して、2、3ヶ月間のアルバイトで40万円貯めて、いきなり世界一周に行ったんです。自分の欠点はすごくわかっていて、身の回りのことは全然できない。ただ、いい意味でアホでなにも考えてないので、恐くないんですよ。物怖じって概念がなくて、やろうと思ったら行っちゃえってなる。でもそのおかげで、強盗に襲われて半殺しの目にあったり、2回入院したりしました。
ーー入院ですか?!
田家 : 1回目は食中毒で、2回目は腸チフスっていう伝染病にかかったんです。40度くらいの熱が1ヶ月くらい続いて、生死の境をさまよいました。ドイツのお医者さんから「あなたは死ぬかもしれない」って言われたんですけど、旅を続けたいのでここで治したいですって言ったら、お医者さんが気合い入れて治してくれて。伝染病だったので、個室病棟に隔離されて、ナースの人たちは手袋とかつけていました。
ーーそれはまた過酷な…。
田家 : そういった縁もあって、ドイツに長くいることになったんです。僕が人生で好きなバンド・ベスト10に入るスロー・ザット・ビート! っていうアノラック・ギター・ポップ・バンドがいるんですけど、あまりに好きだったから渋谷クアトロに来日公演したときに出待ちして、一緒に渋谷で飲んで、日本の下ネタを教えたりして仲良くなったんです。そのなかのジーナちゃんって子が、アタリ・ティーンエイジ・ライオットのやっていたデジタル・ハードコア・レコーディングスっていうレーベルで、EC8ORっていうバンドをやっていたんですけど、連絡をとって遊ぼうって言ってたら、クラブでアレック・エンパイアを紹介してくれて。亡くなっちゃった初代ヴォーカルのカールとかもいたりして、みんなでわいわいやって。才能ある若者の家に泊まらせてもらったりもして。そこがベルリンのアナーキーなミュージシャンたちの巣窟みたいなところで、でっかい家をシェアしているんですけど、みんなサンプラーで音楽を作っていて。お風呂とかトイレもゴミ箱みたいに汚いんですけど、そのなかで寝起きしている、そんな場所でした。
ーーかなり衝撃的な場所ですね。
田家 : そういうシーンの中でジーナががんばっているのとかを観たり、アレック・エンパイアとかが世界に絶賛される曲をどんどん書いていて、このスケールってすごいなと思っていて。
ーーそのあとはどういう旅を続けたんですか。
田家 : そのあとオランダに行ったんですけど、スロー・ザット・ビート! の連中に紹介されたレーベル・オーナーの家に泊まらせてもらったり。あと、イギリスではクラブに行きまくりましたね。日本人の友だちがいて、その友だちがレズビアンで、ゲイ・カルチャーにはまっている人だったから、毎晩のようにいけているクラブに連れていかれて。
ーーどれもこれも血肉化するような聴き方ですね(笑)。
田家 : その当時はなんとも思ってなかったですけど、いま思うとなかなかできないことですよね。そのあと行ったNYの音楽シーンも強烈で、ニッティング・ファクトリーとかその周辺のライヴハウスにも毎日のように行っていて、こんなかっこいいバンドが毎日、こんな安い料金で観れるんだって、脳のなかがスパークしました。それこそ、bisがNYでツアーをして地元のファンを熱狂させているのを観て、すごいなっていうのも体感して。
半年前くらいまで、アイドルに関わるなんて思ってもみなかった
ーーそれだけ強烈な体験をして戻ってきたあと、田家さんは日本でどのようなことを始めたんですか。
田家 : 曲を作ってみようと思ったので、MTRとドラムマシンを買って、ギターでなんとなくららららって歌いながら、1晩か2晩で鼻歌みたいのをバッと作って、バンドをやろうと思ったんです。演劇をやっていた仲間で高校の同級生に楽器もできる人がいたので、バンドをやりはじめました。そのバンドに、ゆるめるモ! の作詞をしてくれている小林愛ちゃんがいたんです。演劇サークルで一緒だったんですけど、感性があうのでヴォーカルやってよって言って入ってもらって。愛ちゃんはそのとき自分で詩を書いていたりしていたから、歌詞も書いてもらうようになっていきました。
ーー田家さんは仕事はどうしていたんですか。
田家 : 就職もしないとなと思っていたんですけど、全然うからなくて。最後の最後に就職情報誌でみつけた編集プロダクションにうかって。でもそのときはバンドでやっていきたいと思っていたから、忙しくてバンドをやっている時間がないと思って仕事をやめて、フリーで細々とライターとしていろんなところから仕事をもらっていました。20代のころはバンドに費やしましたね。
ーーバンドに費やしたけど、なかなか芽が出なかったと。
田家 : 20代のころは真剣だったけど、いま考えると甘かったなって思うんです。ダラダラやっていたというか。ただ、自主企画とかもいろいろやっていて、ボストン・クルージング・マニアとかサラダバーとかデデ・マウスとかウーネリーズとかに出演してもらったりしていたので、その縁がいまにも繋がっています。
ーーそうなんですね!! いままでの話を聞いていると、アイドルはまったく別の文化のなかで活動してきたんですね。
田家 : まさにそうでした。ゆるめるモ! をはじめる半年前くらいまで、アイドルに関わるなんて思ってもみなかったので、そのころの自分に言ったらめちゃくちゃ驚くと思います。
ーーアイドルを始めたきっかけとしては、ももクロとの出会いが大きいんですか。
田家 : そうですね。もしかしたら、ももクロが僕の人生を変えたのかもしれません。ライターをやっていたときに、芸能の記事とかも書いていたから、アイドルのことも調べないとと思って調べていたら、なんじゃこりゃ!! って、すごくハマっちゃったんです。あとは震災をきっかけに、アジアと日本を繋げたいと思って「アジポタ」というサイトを作ったりもしました。そのころから、自分でなにかしようって思い出したんだと思います。結婚して、バンドも、ライターもそこそこで…。特にライターは才能ないって思っちゃったところがあって、これでやっていくには限界があるって思っていたところがあったんです。で、自分でなにかはじめようってモヤモヤしはじめて、アジポタをはじめて、アイドルをはじめてみようって。
ーー悶々としていたときに、ももクロに出会ったことが運命だったわけですね。
田家 : あと、僕らがバンドでやっていた曲を本当におもしろい曲だと思っていたので、なんで売れないんだと悔しくて。これで売れなかったら、10年以上バンドをやっていた年月が無駄になるなとも密かに思っていて。うちのバンドのギタリストのTamptinがいい曲書くとか、知り合いでいい曲を書く人がいるとかで、彼らにスポットがあたらないのも悔しいと思って。そのときに、素材は揃っているから、あとは女の子さえみつかればアイドルができるんじゃないかと。持ち曲はあって、バンドもいて、人脈もあって、そこはスムーズにマッチングだけさせればできると思っていたんです。現に「ゆるめるモん」とか「なつ おん ぶる ー」とかは、自分たちがバンドでやっていた曲ですからね。
僕はカルト・アイドルになるのが絶対に嫌なんです
ーーそこらへんの感覚は、どこかWiennersに近いのかもしれませんね。アイドルと曲がミックスすることでうまい化学反応が起こるみたいな部分があるのかなって。
田家 : たぶん、それは僕のなかでも見えていたと思うんです。ももクロの曲を聞いたときに、確かにおもしろいんだけど、僕だったらこういうアプローチをとるなと思って。見渡したときにそういうアイドルいないな、よっしゃと思ったのはあるかもしれないですね。ぼくが思うものを組み合わせたら絶対おもしろいものが生まれるなと思いましたから。
ーーそれで世界一周のときのように、アイドルを集めるためにいきなりスカウトで声かけちゃうってところが田家さんらしいですね(笑)。
田家 : そうそう(笑)。普通はネットでサイトを作って、スタッフを集めてブログでもなんでも要項を書いて、って感じなんでしょうけど、面倒くさかったからどんどん声かけちゃえと思って。スカウトってどんなもんだろうって感じでどんどんやってくなかで、こうやったら会話が続くなとかってだんだん学んでいきました。
ーースカウトには一回同行させてもらいましたけど、吐きそうになってましたよね。
田家 : だから、当時はアイドルが猛烈に作りたかったんでしょうね。世界一周に行ったときと一緒で、作りたいって思っちゃったから後戻りできないし、他に方法はないし、辛いけどやるしかないからやるしかないっしょって。ガンガン行ったんだと思います。

ーーそうして最初は4人で、ゆるめるモ! がはじまりましたけど、メンバーの脱退など、一時ピンチを迎えましたね。
田家 : それは計算外でしたね。あんなに女の子のモチベーションでグループが失速するんだなと思って。僕が相変わらずのスピード感で進めようと思っていても、女の子はついてこれなくなったときに、こういうことがあるんだなと思って。
ーーそして新メンバーを募集して5人が加入しました。僕も一回オーディションに参加させてもらいましたが、人数が増えることに対して、不安があったんですよ。でもそんな心配をよそに見事にパワーアップしましたね。
田家 : このパワーアップ感が見えたときに、いけると思いました。ただ、5人も採用することで、初期メンバーの3人が「なんで私たちより多くの人数とるの」ってところでやる気をなくさなければいいなと思っていて。そこはケアして一緒に盛り上げていこうってやっていました。
ーーいまのメンバー状態はいかがですか?
田家 : 全体的には落ち着いていい状態だと思いますね。もちろん、年代も趣味もバラバラなので、相性のいい悪いはあるんでしょうけど、いまにあたってはワンマンがあるので一つになろうって気持ちが強いですね。
ーーゆるめるモ! はアイドル調の楽曲、クラウト調の楽曲、ニューウェイブ風の楽曲と、いろいろな面がありますが、最終的にはここから世界に広げたいってところでやっているわけですか。
田家 : そうですね。僕はカルト・アイドルになるのが絶対に嫌なんです。メジャー・フィールドの一般的な人たちも聴けるような楽曲がたくさんあるなかに、マニアックな楽曲もあるから意味がある。そうすることで、一般的な人たちの音楽的趣味も広げることができるって思っているんです。マニアックな人たちだけに愛されるっていうのは自分はやりたくないなと思っています。
ーーそういう意味でもリキッドは重要ですよね。あと、今作は1stアルバムになりますが、アイドルにとってアルバムってあまり重要視されないじゃないですか。
田家 : そうなんですよ。でも、僕がロック的な見方で音楽業界を観ているので、こういう形になると思うんです。アルバムを出して、リキッドでやって、コラボもやってみたいな。1曲入りのシングルをジャケット変えて3パターンで出したら? って言われるんですけど、まるでやる気がしないというか。
バンドのヴォーカリストが8人いるって感じでいます
ーーゆるめるモ! ってアイドルの一個というよりバンドって感じがしますよね。
田家 : ロック・バンド的な感じはありますね。ハシダさんもバンド感覚でやってくれていると思いますし、僕とかギターのTamptinもそうですし、バンドのヴォーカリストが8人いるって感じでいます。
ーーBiSとでんぱ組.incがロック・イン・ジャパン・フェスとかサマーソニックの壁をやぶりました。ゆるめるモ!、ベルハーがフジロックや海外フェスの壁を破っていくのを期待しています。
田家 : これから、もっとバンド感をだしつつ、異ジャンルの人にも届くような曲もどんどんやって、このイメージだったら出していいよってふうにしていきたいです。フジロックとかアイドルを出さないっていってますけど、テクノ系のバンドとかで、曲は作らないけどアイコン的なかわいい女の子のヴォーカリストっているじゃないですか。ああいう存在になればいいなと思っているので、もうちょっと曲とかの存在感がもっと前に出て、誰もが踊れるフェスのアンセムとかが出来れば、呼ばれるんじゃないかなって希望を持っています。
ーー今回のアルバムには明確なコンセプトはあったんでしょうか。
田家 : まとめるときに、壮大な感じを出そうと思って「たびのしたく」の全体的なイメージをハシダさんに伝えました。ハシダさんと僕の共通言語が一緒なので、ツーカーでわかってくれるんですよね。ポップグループとかフォールズみたいな感じで、キレキレでノレるポスト・パンクなリズムのロックから、グチャグチャな展開だけど壮大なメロディになるアニマル・コレクティヴっぽい曲を作ってくださいって言って。そしたら、素晴らしい曲があがってきて。愛ちゃんにも、宇宙っぽい詞を書いてほしいと頼んだら素晴らしい歌詞をつけてくれて。この曲を中心に組んでいけば、初期ベストみたいになりつつ、早い曲もラップも入れてって感じでまとまるなと思ったんです。
ーーロックといっても、ブルックリンだったりNYのインディ・ロックのイメージが強いんですね。
田家 : 他の運営さんでロックが好きな人っていると思うんですけど、そこらへんを出している人っていないじゃないですか。話が合うのはベルハー田中(紘治)さんくらいで。
ーーそうなんですよ。全然いないですよね。
田家 : いないんですよね。それはたぶん多くのアイドル運営の人がはなっから別の方向をみているから、僕らがかっこいいと思って差し出しても目に入ってないんだと思うんです。だからロックですっていってもハードロックとかラウド・ロックとかメタルっぽいアプローチをする人が多くて。でも、これでぼくらが売れるようになって、そのへんの音楽性を取り上げられるようになったらフォロワーが出てくるのかなって思ってがんばっています。

ーー最後に、今回もジャケがDEVOのオマージュということで、インパクトありますね。
田家 : 裏ジャケットは自主規制にしてるんです。DEVOのうんこ帽(正式名称 : エナジードーム)をかぶったんですけど、あれって登録商標をとられていて、無断で使うと賠償金をとられる可能性が髙いらしいんですよ。DEVOはあの形の帽子をビジネスにしているらしく、バレたらまずいと思って。でも写真とっちゃったから、その状況を自分たちで皮肉って、モザイクをかけて、自主規制って書こうと。そしたら、デザイナーのDieちゃんのアイデアで各国の言葉で入れてくれて、いい具合にニューウェーブっぽくなりましたね(笑)。
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PROFILE
ゆるめるモ!
2012年10月4日に結成された、ニューウェーブ・アイドル・グループ。メンバーはももぴ、ゆみこーん、けちょん、しふぉん、ようなぴ、ゆいざらす、あの、ちー坊の8人。2013年9月18日発売のミニ・アルバム『New Escape Underground!』では、ドイツの伝説バンドNeu! の『Hallogallo』を彷彿させる10分超のクラウト・ロックに挑戦し、コアな音楽リスナーの間で大論争を巻き起こす。2014年1月22日にはタワーレコードのアイドル専門レーベル「T-Palette Records」から、ロック・バンド箱庭の室内楽とのコラボ・アルバム『箱めるモ!』を発売しロング・セラー中。2014年5月21日発売のミニ・アルバムでは80年代に活躍したガールズ・バンド、ESGのオマージュに挑戦。8月9日(土)には恵比寿リキッドルームでワンマン・ライヴの開催も決定!