焼け跡から生まれしネオゼロ世代代表格ーー極東ピーコック、10年の活動を経て放たれる渾身の1stフル・アルバム!!
解消しきれないほどのルサンチマンを抱えたバンドが、結成10年目にしてデビューを果たす。その名は、極東ピーコック。2006年、沖縄にて活動を始めた3ピース・オルタナ・パンク・ロック・バンドだ。フロントマン・岡田和樹を中心に、メンバーの変遷を繰り返し、3期メンバーの旗山良太、10期メンバーの小松晃を迎え、遂にバンドの完成形を見せたのが本作である。10年分の楽曲から激選の10曲を収録した魂の作品。『渾身の遺書』というタイトルのごとき全力の作品となっている。OTOTOYでは、本作を配信するとともに、メンバーへのインタヴューを敢行。影響を受けたゼロ世代の5作と、セルフ・ライナーノーツも掲載、さらには1stシングルをフリー・ダウンロードでお届けする。まさに渾身の遺書的特集ページ。楽曲を聴きながら覗き込んでみてください。
結成10年、初アルバムを配信スタート!!
極東ピーコック / 渾身の遺書
【配信形態】
[左] ALAC / FLAC / WAV(24bit/48kHz)、AAC
[右] mp3
※ファイル形式について
※ハイレゾとは?
【価格】
24bit/48kHz : 2,160円(税込)(単曲は各270円)
AAC、mp3 : 2,160円(税込)(単曲は各270円)
【Track List】
1. 年度末の初夏 / 2. 精神的融合への誘い / 3. 人類蜂蜜帰省会議 / 4. 球形時間軸 / 5. 灰色の街 / 6. 異形の長男 / 7. 東京焼け野原 / 8. 秋の斜陽 / 9. 世界 / 10. 絶望二〇一〇
『渾身の遺書』なるタイトル通り、バンドの歴史と想い・記憶の全てを凝縮した今作は、あらゆるジャンルを横断しつつ、いわゆるジャパニーズ・バンド「ゼロ世代」の新たな局面を垣間見ることのできる驚異的な作品に仕上がっている。沖縄若手バンド・シーンの一端を担い続けてきた彼らが、いよいよ関東を拠点に本格的な活動を開始。時代に逆行するような「自己表現」スタイルのイマを、この渾身の1作から感じ取ってほしい。
1stシングルが無料ダウンロードできてしまうぞ!!
極東ピーコック / 精神的融合への誘い
【配信形態】
ALAC / FLAC / WAV(24bit/48kHz)、AAC、mp3
【価格】
0円
【Track List】
1. 精神的融合への誘い(Single mix.)
2. 平和行進二〇〇六
3. 笹舟のような僕ら
INTERVIEW : 極東ピーコック
メンバー3人の出身地が、北海道、宮城県、秋田県なのに、結成は沖縄という違和感。結成10年にして10回以上メンバーが変わり、ようやく1stフル・アルバムを出すという活動歴の長さと、相反するかのような新人感。そして、今回のインタヴューに合わせて写真をカッコよく撮ったら、かっこ悪く撮ってくださいと言ってくる不条理さ。狙っているわけではないんだけど、そうなってしまう不器用なバンド、それが極東ピーコックである。
彼らの核にあるのは、インタヴュー内で語っているように、フロントマン・岡田和樹の解消することのないルサンチマンである。どうしようもない想いが音楽になって表現されている。訊けば、GOING STEADYの初期衝動に突き動かされ、関西ゼロ世代にも大きな影響を受けているという。やり場のない怒り、さみしさ、苦しさ、喜び、それらを音楽とともに昇華し、歌い続けてきた極東ピーコックの渾身の遺書。その根幹に迫った。
インタヴュー : 西澤裕郎
写真 : 大橋祐希
3人で1つの音を出すことって、自意識が崩れた状態だと思うんです
ーー極東ピーコックって、変わった変遷を辿っているバンドですよね。全員が東北出身なのに、岡田さんと旗山さんは沖縄で出会っているし、いまの3人は10期メンバーということですし…。岡田さんがバンドをはじめたきっかけってなんだったんですか。
岡田和樹(以下、岡田) : 生きていく上で自分自身への期待みたいなものに裏切られる機会が多かったんです。そんななかで、絶対的なものに近づく手段の一つとして、芸術一般には確かなものがあると思っていて。その中でも自分は音楽を選んだというか。
旗山良太(以下、旗山) : 音楽をやろうと思ったのって、銀杏BOYZとか聴いたのがきっかけだったっけ?
岡田 : GOING STEADYを聴いてかな。それまで、バンドはイケているヤツがやるんだろうっていう偏見があったんですけど、「イケていない男たちの存在を証明するのが俺たちのやりたいことだ」っていうインタヴューかなにかの文章を読んで、そういうやり方もあるんだと思ったのがきっかけの1つとしてあります。
ーー他にはどういう音楽が好きだったんですか。
岡田 : NUMBER GIRLを始めとする日本オルタナ・ロックの影響は大きいですね。もともとHI-STANDARDとかのパンクが好きだったんですけど、そこよりもさらにエモーショナルな音楽というか。
ーー極東ピーコックもそうですけど、こらえきれない衝動のようなものが共通項として音楽にありますよね。
岡田 : 小中高と溜めてきたモヤモヤを発散する方法がわからなくて、そのための道をちょっと見せてくれた部分があるなと思っていて。それまでは、気が弱いから学校ではいい子にしていたんですけど、バンドをはじめることで、アウトプットする場所じゃないけど、そういうものが見えたというか。
ーー極東ピーコックは、大学進学で沖縄に移住して入った音楽サークルで結成されたそうですけど、またパンチがある名前をつけましたね(笑)。
岡田 : 自分のいるところを広く見たいと思って、極東っていう場所を名前につけたんです。ピーコックは孔雀って意味で、仏教で聖なる鳥として三毒を食べるって言われていて、煩悩を食べる鳥っていいなと思ったんです。とはいえそれは後付けで、極東のあとに何をつけるのがいいかって初期メンバーで出る限り単語を挙げていたんですけど、深夜2時頃になって、ぱぴぷぺぽがすごい気持ちよくなってきた時間帯があって(笑)。
旗山 : 他には「オクトパス」とか「ヒポポタマス」とかが出てきたんだよね(笑)。
岡田 : そのなかにピーコックがあったんです。あとで孔雀について調べたら、仏教的にすごく強い意味を持っていて、自分に合ってるな、と。聞かれたらこう答えようってことになって、いまそう答えてます(笑)。
ーーあははは。岡田さんは大学で哲学を専攻されていたそうですけど、どういうことを学んでいたんですか。
岡田 : どう生きるか? とか、世界のあり方をすごく考えていました。世界はもともと1つなんだけど、自意識によって区切られているっていうことを証明しようとしていたというか。それって、バンドも一緒だと思うんですよ。3人で1つの音を出すことって、自意識が崩れた状態だと思うんです。上手くいくとライヴ・ハウス全体が自意識から解放されて、本来的な世界が一つというあり方に近づける。そう考えています。
ーー旗山さんはサークルで岡田さんと出会って、いわゆる3期メンバーとしてずっと一緒にバンドをやられてきているわけですけど、音楽的なルーツはどういうところにあるんでしょう。
旗山 : 僕は雑食で、いろんなものに手を出して聴いてたんですけど、サークルに入ってすぐに「旗山くんにはこれが足りないね!」って、オシリペンペンズのCDを渡されて(笑)。そこで初めてゼロ世代のCDとかミドリとか聴いて、こういうスタイルの表現活動もあるんだと思い、いろいろ聴くようになったんです。ただ、ルーツでいうと、どこにあるのか分からないところがありますね。小学校高学年くらいからドラムを触り始めたんですけど、なんとなく楽譜を見ながら独学でやってきたので。
岡田 : ちょっと特殊で、真っ直ぐいかない感じのリズムだよね。ハイハットの叩き方とかも。
旗山 : みんなが基本的にやれることがやれてないっていうか(笑)。僕も、岡田さんに銀杏BOYZを渡されて聴いたとき、結構衝撃を受けました。こんな風にドラムって叩けるんだ! みたいに(笑)。
ーー村井さん(ex.GOING STEADY、銀杏BOYZ)もかなり独特な叩き方ですよね。
岡田 : 実直なドラムなんですけど何かがおかしい。何かがはみ出てるというか。
旗山 : そういうのを聴いて、ちょっと寄せていこうっていう時期もありました(笑)。僕のドラムってハード・ロックよりの重たい感じのドラムだったらしいので。
ーー小松さんは、いつ加入されたんですか?
小松晃(以下、小松) : 1年半くらい前かな。僕はもともとソロをやっていて、極東ピーコックの企画ライヴに呼んでもらったんです。で、アンコールの時に「実はメンバー募集してます」っていうのを聴いて、これは俺が入るしかないのかなと思って(笑)。
岡田 : 沖縄で活動しているとき、東京に出てきて対バンしたんですけど、すごくよくて。身内びいきなしで、弾き語りアーティストの中で5本の指に入るなと思ったんです。そしたら(小松さんから)入りたいって言ってくれたので、とりあえずスタジオに入ったら、今までのメンバーと最初合わせた時と何かが全然違って。上手いとかじゃなくて、ハマったんです。そんな感じで続けて初ライヴをしたら、スタジオの時ともさらに違う「うおー!! 感」があって。今までで一番ピタって来てるメンバーだなと実感したんです。
ーー小松さんは音楽的にはどういうところをルーツに持っているんですか?
小松 : 小学生くらいの時にはスピッツをよく聴いていました。「音楽っていいな」と思いはじめたのはその辺りからで、中学・高校くらいの時期は、椎名林檎とかくるりとかNUMBER GIRLとか、あとはRadioheadとかをよく聴いていました。
僕の曲の7割くらいは、マイナス感情からできているんで
ーー驚いたことに、今作が10年目にして初めてのアルバムなんですよね。逆に、なんでこのタイミングで、1stアルバムのリリースに至ることになったんですか?
旗山 : 僕も一応、3期メンバーなので大量の曲をやってきたんですよ。それで、まだ公式に1曲も世に出してないんだねって話はずっとしていて、いい加減フローしていかないとってことになって(笑)。だったら、この10年間の節目ごとの重要な曲も録って、自己紹介みたいな感じで出そうよって。それで曲を選んで、流通もやろうよって決意して作りました。
ーーアルバムは、初期衝動的な曲が続くのかと思いきや、途中ちょっと落ち着いた曲もあったり、バラエティがありますよね。時期によって、サウンドだったりとか、作る曲も色が変わっているんですか?
岡田 : 日記みたいなものなので、曲も環境とか作った時期の状態に左右されましたね。作っている時は特に意識しないで作ってるんですけど、あとで並べて見返すと時期によって全然違っている。
ーー極東ピーコックの代表曲といっていいと思うんですけど、「精神的融合への誘い」はいつできた曲なんですか?
岡田 : これはバンドを始めて3年目くらいかな。だから、比較的古めの曲ですね。細かくまでは覚えてないんですけど、自意識で溢れていて、ATフィールドじゃないけど人と接することが上手くできないときがあって。でも、音楽によって、見られてるとか見てるとかを忘れた時に一体化できるところがあったんです。主観と客観がなくなるというか。この曲は、普段すごく苦しいから、曲でバーンっと自意識を崩して、みんなで1つになろうっていう気持ちを曲にしたんです。
ーーそういう自意識の根源ってなんなんでしょうね。岡田さんのパーソナリティがどうやって形成されたのか、とても興味があります。
岡田 : 掘れば掘るほど、昔からなんかズレていたなって思うんです。劣等感がずっとあって。特に、音楽を始める前の小中高はより強くて。基本的に、昔から弱い、冴えない人間として生きてきたのが大きいんですかね。別段、衝撃的な事件があったとかはないんですよ。どちらかというと、小学校くらいの時から、ちっちゃい不条理がいっぱいあったっていう感じですかね。
旗山 : 僕から見るとメンバーが定まらないことも、結構辛そうに見えていたんです。メンバーが固まってきた時にできた曲も結構あるし、メンバーが変わる時期に辛い曲も出来ていたりもするので。そう考えると、バンド・メンバーがずっと定まらなかったのも曲作りのきっかけにはなってたんじゃないかなって思いますけど。
岡田 : 僕の曲の7割くらいは、マイナス感情からできているんで。
旗山 : 辞めそうなメンバーと全然意思疎通がとれてなくて、持ってきた曲がすごい暗いみたいなことがあって、そのままじゃねえかって(笑)。っていうのは、こっちから見てたらありましたね。
気が弱いんで、ライヴが終わったらすぐに包帯で縛ったりしてました(笑)
ーー極東ピーコックは、自分たちのキャッチコピーとして「ネオ・ゼロ世代代表格」って謳っていますよね。ゼロ世代を出してきたのには、何かしらの理由があるんですか?
岡田 : 今のバンドをぱっと見て、内なる苦しみとか、行き場のないエネルギーをバッと出しているバンドが少ないなっていうのがあって。そこでパッと思いついたのがゼロ世代と呼ばれる人たちだったんです。実際、どう感じていたかはわからないんですけど、そういう風に見えるバンドがいっぱいいたなって。そこに僕たちは強く影響も受けているし。
ーーいわゆるゼロ世代でも、関西ゼロ世代って言われてる人たちに影響を受けているのかと思ったのですが。
岡田 : そうですね。オシリペンペンズさんとか、ミドリさんとか、あとneco眠るさんとか。巨人ゆえにデカイさんとか聴いてたな。
旗山 : 最初は、すごく後藤まりこさんが好きだったよね。
岡田 : 心酔してたよね。
旗山 : 表現の仕方とかも、最初はすごく影響受けてた気がする。ミドリのドラムをすごく聴かされたんですけど、どうやって参考にしたらいいかわからなくて(笑)。
岡田 : そうだね。最初期においてはミドリの影響がすごく大きい。直情的なエネルギー、見た目というか雰囲気も含めて。
旗山 : あとは可愛さ。抜けた感じのポップさというか。
岡田 : かっこつけてない感だよね。もともと可愛いもの好きで、関西ではないけど嘘つきバービーさんとかも可愛げみたいなところが魅力的だなと思っていましたし。
ーーただ、極東ピーコックには、下品さという部分はあまりないですよね。ゲロ吐いたり、うんこ投げたり。
岡田 : あー! そこは、ないですね。でも、昔のパンクはすごく好きです。INUとかあぶらだことこあのあたり。
旗山 : 昔は血まみれライヴとかしてたじゃん。
ーーそうなんですか(笑)?
岡田 : ここらへん(額のあたり)を切って、ライヴしていました。状態が悪かった時はフルーツ・ナイフ駆使してっていう時期も…。
旗山 : してたね。流血プレイみたいな(笑)。
岡田 : べちょべちょに。ただ、気が弱いんで、ライヴが終わったらすぐに包帯で縛ったりしてました(笑)。その時は状態の悪さとかもあってテンション上がったんですけど、たぶん大丈夫だけど万一に備えて止血みたいな(笑)。
ーー(笑)。
旗山 : ただ、最近そういうのはないですね。
岡田 : 怪我は未だにしますけどね。一時期、怪我中毒みたいになっていて。精神的に苦しいのに身体的に元気だと、自分の中でアンバランスになってしまって。そういう時期はライヴで負傷すると均衡が取れるみたいなことはありましたね。
極東ピーコックが影響を受けた関西ゼロ世代5作品
ミドリ『セカンド』(2007)
多種多様な楽曲の中に芯の通ったVo.&Gt.の後藤まりこさんの魅力が体感できる1枚。高い演奏力とPOPとPUNKが同居している。走り出したくなるような、喚きたくなるような、泣きたくなるような、幸せになれるような、ほんともうすごい。(岡田)
オシリペンペンズ『猫が見たライブ』(2005)
圧倒的ライヴ・パフォーマンスと中毒性のある言葉の数々が見るものを引き付けるオシリペンペンズ最初の流通盤。衝撃と衝動のライヴを封入した初期のライヴ音源集。大阪に行きたくなる。(岡田)
DODDODO 『ど』(2011)
合ってないようなぎりぎり合っているようなリズムやメロディーやらがばらばらと重なったトラック。そのうえにぬっくと立って歌う姿は、アマノウズメとか出雲のお国ってこんな人だったんじゃないかなと思います。(小松)
FRATENN 『大都会の湖』(2007)
不審なギターのお兄さんと大道芸みたいなドラムのお兄さん。とりとめもないようでものすごく繊細で綺麗で過剰でばっちりすぎるほどばっちりで、おかしいです。(小松)
neco眠る / ENGAWA BOYS PENTATONIC PUNK (2008)
ポスト関西ゼロ世代とも呼ばれてたneco眠る。誰も想像のつかない立ち位置から、ゆるーくブチ切れたことをやってこ〜、みたいな… とにかく目が離せない異質さがありました。(旗山)
ルサンチマンを抱えた人たちの救済の場みたいなものが減っているんじゃないか
ーー大元を辿ると、岡田さんのルサンチマンみたいなものがあるんじゃないかと思うんです。そういう人ってもっと多かったと思うんですけど、最近それが音楽のエンジンとなっている人って減ったなと思っていて。そんなとき、極東ピーコックを聴いて、ここに「いたー!!」って思いました(笑)。
一同 : (笑)。
岡田 : よくも悪くも音楽的なバンドが多いなっていう印象があるんです。もちろんいいことではあるんですけど、ちょっと物足りない部分もあって。音楽をやっていないルサンチマンを抱えた人たちの救済の場みたいなものが減っているんじゃないかな。僕みたいに、それを抱えてる人たちって、実はめちゃくちゃいると思うんですよ。
ーーたしかに。極東ピーコックの楽曲って、頭で考えて音楽的に面白くしようって感じじゃないところで産まれてる気がしていて。どうやって、こういう曲は産まれているんですか。
岡田 : 音楽的な効果を狙ってっていうのは、メンバーに伝える時もあるんですけど、冷静に考えると後付なんですよ。だから、このバンド始めた時に聴いてたものの影響とかもあるのかなと思います。真っ直ぐすぎると、このグチャグチャ感が音楽に載り切らないのかもしれないですね。
ーーいくら作品にルサンチマンを昇華させたとしても、自分の物足りなさとかモヤモヤしたものってなくならないですよね?
岡田 : そうですね、全然。燃え尽きたいっていうのがあるんですけど、なかなか難しい。たぶん、何かが追いついてないんだと思います。自分の技術にせよ、何にせよ。あと、内にあるエネルギーの出口を開ききれてないのかなって。もしくは出しても、入ってくるのが多いのかもしれないです(笑)。そこは解決したいですね。最終的にはすごく清らかな曲だけできればいいなっていうぐらいです、個人的には。エレカシとかはすごいよね。あと、THE BLUE HEARTSとかのポップさかな。それがアルバムになるぐらいまでまとまったら、観てくれている人たちも希望が湧く気がします。ルサンチマンを抱えた人たちが、自分も大丈夫だって思えるようなバンドになりたいですね。「あいつらも結局幸せな曲歌ってる」って思われたい… っていうのは建前で、自分がそうなりたいです(笑)。
ーーアルバム・タイトルもまた強烈です。『渾身の遺書』って。
岡田 : それこそ事故とかじゃなくても耳が聴こえなくなるかもしれないし、病気になるかもしれないじゃないですか。そう考えると最後になっても後悔ないようにしたいなって。出し惜しみもしたくないし全力でやりました。例え完成度が100点じゃなくても、ここにすべてを残せたと思いたいし、そういうアルバムにしたかったんです。だから、アルバムが完成する前に、こういうタイトルでいこうって決めて、その考えに基づいてやりました。もちろん、今まで手を抜いていたっていうわけじゃないんですけど、頭のどこかでいつも出し惜しみしてる部分があったと思うんですよ。だけど、これは本当に僕たちの今のベストになっています。
極東ピーコック、10年間のベスト・アルバムをセルフ・ライナーノーツとともに
セルフ・ライナーノーツ全文 : 岡田和樹
年度末の初夏
楽しかった日々や遠くへ行ってしまった人、過ぎ去ってしまったことと見て間もない夢というのは感覚的に大きく変わるものではない。のみならず、今現在の自分自身、この先の未来についても考えれば考えるほど夢と大きく変わらない。これはその悲哀と嘆きを歌った楽曲である。8/13拍子の複雑なリフが特徴の一つ。
精神的融合への誘い
人々は自意識によってバラバラに切り分けられている競争闘争状態で日々を過ごしている。我を忘れ、没入集中し自意識の働きを弱めることで、主体客体の区分がなくなり競争闘争状態を離れることができる。この歌がそのきっかけとなればと考えている。ポップかつオルタナティブな一曲。
人類蜂蜜帰省会議
新興宗教(新しい拠り所の創造)、衆生済度(苦しむ人々を救うこと)、千客万来(たくさんの人々に会いに来てもらう)、はちみつなめたけ(自分たちが日々生きることを楽しむ)の成就を目指す、という意志と日々を表現した楽曲であり、まさに極東ピーコックがいかなるものであるかを表す楽曲である。
球形時間軸
世界が平面ではなく球形であったように、時間軸もまた球形ではないだろうかという球形時間軸論に基づいた楽曲。一日は繰り返し、一年も繰り返す。初めて会った気がしない人、初めてなのに懐かしい場所ももしかしたら人間に認識できない長い時間においては初めてではないのかもしれない。
灰色の街
長く過ごした場所、曇天が広がり、コンクリートの建物がひしめく灰色の街に別れを告げ新たな街へと向かう想いと待っていてくれる人への言葉を伝えるために作られた楽曲である。本アルバムで唯一のアコースティックナンバーであり、他の楽曲と対称的な音の柔らかさになっている。
異形の長男
過去の自分に負け続けた劣等感から無理矢理引きずり出された楽曲。何をしていても現在の自分が過去の自分に劣って感じられる。そのような劣等感は苦しみに満ちているが、しかし、それが自然に音にのることで自己救済につながっている。劣等感も何かに昇華しうるということを形にできたらという想いがある。
東京焼け野原
視界を埋め尽くすビル街も、その実は見渡す限り広がる荒野である。ありとあらゆる物質過剰、不可逆の文明進化、贅沢な話ではあるがそのようなものに囲まれて生きていくうえで感じてしまう素朴なあり方への憧れを歌った楽曲である。五拍子、四拍子、三拍子を中心とする複雑な楽曲構成となっている。
秋の斜陽
ある秋の夕暮れに生まれた極東ピーコック屈指のバラード曲。すこし冷たくなった風、少しずつ変わっていく見慣れた街、赤く染まる空、なんとなく感じる時間の流れ、20代半ばの感傷と哀愁、そこにあるある意味での心地よさを表している。シンプルかつエモーショナルな仕上がりとなっている。
世界
日常を包み込む無常と世界の仕組みそのものに備わる不条理に対する怒り、そこに少しだけ残っている希望についての歌。残された時間の少なさ、喪失への恐怖、等しく訪れる終り、すべてを飲み込む時の流れ、それらに対する怒りと悲しみが込められている。本アルバムにおいて最も壮大さと重さのある楽曲ともいえる。
絶望二〇一〇
本アルバムの最後を飾るノイズと喚き声に溢れたストレートな楽曲。音楽をやっている友人に向けて作られた歌。苦しみに満ちた社会、いつかはすべて消えてしまう仕組み、このような恐ろしい世界の中でもがきながらも笑い合える素晴らしい瞬間への感謝、垣間見える希望を多くの人と共有できたらと願っている。
LIVE INFORMATION
2015年8月22日(土)新宿motion(匿名希望企画)
2015年9月8日(火)三軒茶屋ヘブンスドア
2015年9月9日(水)新宿motion (レコ発企画第1弾)
2015年10月2日(金)新宿JAM(レコ発企画第2弾)
2015年11月某日場所未定(レコ発企画第3弾)
PROFILE
極東ピーコック
2006年沖縄にて活動を始めた3ピース・オルタナ・パンク・ロック・バンド、極東ピーコック。Vo,Gt岡田和樹を中心に演奏形態を変えながら表現活動を続けてきた彼らが関東に拠点を移して3年、満を持してデビュー・アルバムをリリースする。