2012年、今年も『フェスティバルFUKUSHIMA!』が開催される。去年は、福島市・四季の里を中心に世界同時多発的に行われ、主宰の大友良英、遠藤ミチロウ、和合亮一を中心に、坂本龍一や七尾旅人など様々なアーティストが福島でパフォーマンスを繰り広げた。その様子がドキュメンタリーとしてNHKで取り上げられ、福島でフェスをやること自体に賛否両論が巻き起こった。それから約1年。今年は日数も開催場所も大幅に拡大。8月15日から26日までの12日間、福島県内だけでなく、国内・海外各所で同時多発開催される。テーマは「旗」。そして、タイトルは「Flags Across Borders」(旗は境界線を越えて)。
なぜ、ここまで大幅にスケールを大きく、そして福島県以外でも開催することにしたのか。去年に比べて、全貌が見えにくくなったと感じ、主宰者の大友に取材を申し込んだ。しかし、これは意図的なことであり、テーマの「旗」を中心に、多くの人々が繋がるための挑戦であることがわかった。継続的に続けていく。そんな長期的な視点が読み取れる大友の言葉を読み取ってほしい。そして、あなたのいる場所で、あなたの視点で、考えてみてほしい。
インタビュー&文 : 西澤裕郎
フェスティバルFUKUSHIMA! 2012
Flags Across Borders 旗は境界を越えて
【開催期間】2012年8月15日〜26日
【開催場所】福島県、国内・国外100カ所以上(詳しくはオフィシャルHPより)
【開催内容】
◎2012年8月15日(水) オープニング Flags Across Borders
◎2012年8月26日(日) クロージング マッシュルーム・レクイエム
(その他100以上のイベントが開催。詳しくはオフィシャルHPへ)
大友良英 INTERVIEW
——平凡社から発行されている書籍『おしえて! もんじゅ君』のインタビューで、2回目以降のフェスについて「この先は甘くない。また同じことをしても仕方ない」とおっしゃっていましたよね。1回目はとにかく行動を起こさなきゃっていう動機があったと思うんですけど、そこから1年近く経って、いまの動機に変わりはありますか。
一緒ですよ。根底はまったく一緒。でも状況がまったく違う。去年はフェスをやるってぶちあげたのが震災1ヶ月後で、放射線の状況すら分かっていなかったでしょ。あれから1年以上経っているので、そういう意味ではこっちの心構えは変わっている。去年のフェスは完全に短期戦で、とにかくインパクトがほしかったんですね。っていうのは、あれをやることで、人が集まっていいのか議論してほしかった。フェスをやるってことは当然放射線チェックをしないといけないし、そこで巻き起こる議論も含め、プロセスを全部表沙汰にして見せたかったのね。でも今年は基本的に情報は出ているし、食品のことも去年よりも全然分かってきているから、僕らがやるテーマはそこではないんです。昨年僕らがかかげた最大のテーマは、福島をポジティブにしていくことだったけど、それは1年や2年でどうにかなるようなもんじゃない。そういう意味ではテーマは変わってなくて、今後もずっと続いていくものだと思うんです。そうした長期的なテーマの他に、今年のテーマは、繋げていくってことなんです。昨年はとにかく情報を伝えなきゃ、出さなくちゃだったけど、今年はただ出すんじゃなくて、ちゃんと受け取り手がいて、キャッチボールをしていくことが必要かなって。出しっ放しではなく、双方が受け取ることを考えて行く。だから、伝えることから繋げていくことっていうのが、一つの大きな転換点ですね。あともう一つは、さっき言った長期戦になっていくので、極端なことを言えば、100年後をみすえて動いていくってこと。そこは去年と全然違いますね。
——去年の「フェスティバルFUKUSHIMA」を開催したあと、賛否両論が起こったじゃないですか。議論が起こったという意味では、目的が達成されていたということでもありますよね。
賛否両論になるのは当然だと思っていて。だって、フェスの企画を立てた4月の段階では出来るかどうかすらわからなかったんですよ。だけど、いまはみんな放射線計を持っているし、情報もあらわになっているじゃない。去年4月の段階では本当に情報統制国家みたいになっちゃうと思ったんで、それくらいのインパクトが必要だったんです。それでも、無謀にやるんじゃなくて、人を集めていいかを専門家にきいて、もしダメって言われたら素直に諦めようと思っていたよ。
——そこで放射線衛生学の専門家である木村真三さんとの出会うことによって、プロジェクトの進展が大きく前進していったんですよね。
そう。あの段階では誰を信用できるかわかんなかったんだよ。一番の問題は、僕らには放射線に関する科学的な知識がないでしょ。それどころか、専門家ですら意見が割れていて、安全側のことを言っている人は御用学者と言われ、そうじゃない人は反原発っていう色分けで見られていた。実際に低線量被曝の問題に関しては科学者の間でも事実意見が割れている。だとすると、その問題と原発の是非の問題がごっちゃになってること自体がおかしいと思ったし、その上、研究者でもない僕らも含む一般の人たちが、そのことで議論しあっても、どうにもならないんじゃないかって思ってた。決着がつかない話で互いを非難しあったり分断してしまうのではなく、違う形で土俵を作って、そこに人が集まったり、友達になっていったりするほうが建設的じゃないかなって。それがあのフェスだったんです。ただやっていて、フェスが開けるかどうかと、福島に人が住めるかどうかが、またごっちゃになっていって。だから、その部分ではものすごいプレッシャーを感じました。でもね、今考えると、本当は、ただ数時間人が来るというのと、住むというのをごっちゃに考えてしまいそうになったこと自体、自分自身も混乱してたんだなって思います。
——開催が決まって、大友さんは涙を流されていましたよね。
それくらいプレッシャーを感じていた。出来ないってなった場合、それをどう発表しようかってこともずっと考えていて、夜も寝れないくらいでした。でも専門家の話を聞いて開催出来るって決断をした段階で、今度は、そのことにちゃんと責任を持っていかなきゃいけないってプレッシャーを感じました。本当にいちミュージシャンがやるには荷が重いって思いましたよ。あのとき木村先生は単純に安全とは決して言いませんでした。人は集められるけど、普通の状態じゃないから、このことをちゃんと考えていかないといかない。そのことをどう伝えていくかが大きなテーマになりました。今年、木村先生は、いわき市の志田名でフェスをやるでしょ。そこは1~2マイクロ・シーベルトと比較的線量の高い場所なので、木村先生は、はっきり人は集めないって宣言しているのね。そこに住んでいる人のためにやりたいんだって。昨年の四季の里は0.3~0.6くらいかな。事故以前の数倍の線量なんで決して自然の状態ではないし、セシウムが拡散していたことは事実なんで、むしろ、こういう状況だっていうのを伝えつつ、どうやれば少しでも被害を軽減出来るのかを考えてもらう枠組みを、みなで作ったほうがいいってことで、会場に大風呂敷を敷くってプロジェクトをやったんです。そういう意味では今年は、福島の人はほとんど状況をわかった上で様々な対策をしながら動いているので、今年は放射線の状況を伝えたりすることをテーマにしなくていいと思ってます。無論それは放射線のことを無視していいっていうわけじゃなくて、会場の線量は計ってますし、街中にも線量がわかる掲示板は立ってたりするんで、今年は線量に関するわたしたちの考え方を伝えた上で、次の段階に向けてフェスをやっていってます。
——次に行くための段階のテーマに「旗」を選んだ理由というのは何だったんでしょう。
繋げていくことの象徴として旗を使おうと思ったんです。最初は和合(亮一)さんが橋をかけていかなきゃっていうことを言いだして。例えば、福島の中でも避難した人 / してない人の間で、どうも話があわない、分断が起こってしまう。福島の中の人と、外から福島を見てる人の間でも、どうも話がうまくかみあわない。みんながみんなってことじゃないんだけど、でも、いろいろなところで分断が生まれてしまって。でも、どっちの人たちも幸せに暮らしたいって意味では同じだし、少しでも危険なく暮らしたいって部分でも一緒なんですよ。ただやり方やら価値観が違う。本来人生の価値観なんて人それぞれだから、いちいち他人の価値観に口出しはしないもんだけど、今回はどうもそこでうまくいかなくなってしまう。だからとことん話し合ったりすることよりも、ゆるやかに違う考えの人が橋をわたって繋がっていくようなことを何か出来ないかなって思って。具体的に橋をかけられるわけではないから、目に見える形で何がいいかなと思ったときにに、去年使った風呂敷を思い出したんです。こいつをきれいに洗って旗にして、他のところに運んで繋いでいくっていう形にしたらどうかなって。旗をつくる作業で人と人が結びついて、それを手渡しすることで、また結びついて。それ以上は、まあ、あんまごたごた言わずに、友達になったらいいかな、なんて思ったんです。
——言葉だけでなく形にしていく必要を感じたんですね。
はい、言葉って結構危険だなって思ったの去年。言葉ってYES/NOをはっきり強いるところがあるでしょ。避難するの? しないの? とか、除染なのか避難なのかとか。原発反対なの、賛成なのとか。言葉になるとどうしても2つが対立しているように見えちゃうんだけど、例えば除染と避難って比べられるものじゃないんですよ。どっちも大切だし、避難してないで残る人のことも考えてあげないといけないしで、安易な言葉で対立軸を作りたくないと思って。言葉にすごい気をつけているよ。
——1日でじゃなく10数日で100個以上の理由のイベントを立ち上げようと思ったのはなぜなんでしょう。
一つは、いろんなところで声があがっている形にしたかったのね。去年は1つの場所に集まって声をあげるぞってところがあったんだけど、そんなんじゃないなと。すでに避難してそっちで定住している人もいるし、同時に福島に残っている人もいるでしょ。それぞれ意見の違いがあってもいいし、ひとりひとりが違ってるほうが健全だし、違っても一緒にやれるような形を作りたかったんです。戦争してるわけじゃないんだし、所詮音楽やアートの祭りですから、そんなことで対立しないで、まあ、ゆるく適当なところもあったほうがいいし。それともう一つは、身の丈でやらないと長続きしないのでフェスも身の丈でやろうということで、小振りにして、でもその分沢山やろうって、そう思ったんです。
——100個のイベントのいくつかは、大友さんの呼びかけだけでなく、応募されてきたものもあるわけですよね。
そう。呼びかけはしたけど、多くはみな自分たちで考えて勝手にやってます。やりたいって手を挙げた人は拒んでませんから。だから、もしかしたら「これから福島に原発どんどん作ろうぜ!」みたいな人がいないとも限らない(笑)。福島のことを考えるって枠組みだけが唯一の共通点だから。
——「FUKUSHIMA」というテーマさえあればどういうことを企画してもいいと。
うん。だから極端なこと言えば、全然意見の違う人が紛れ込んでいるかもしれない。でも、紛れ込んでいるからといって、法に触れるようなことをしなければ止める気はなくて。東電の人がやっていてもいいと思ってるの。
人だけじゃなく文化も含めて、いろいろ行き来するような風通しのいい状況をつくる
——去年も8月15日に、世界同時多発的に開催していたと思うんですが、去年とは考え方が大きく違う部分というのはどこなんでしょう。
去年は同じ日に同時ってやってたんで他が見えにくかったけど、今年は日程がバラバラなんですよ。みんなが自分で選んでいけるようなもので、考え方の違いをより明確に出せたらいいかなって。
——たしかに、同日にやってると同じ方向を向いてるって印象になりますよね。
そうそう。こういうのって団結しがちだけど、今年はむしろわりと団結してない(笑)。シュールなのもある。俺が好きなのは、ノイズ電車。内容について何も言ってないのに、チケット全部売れちゃってさ(笑)。名前の勝利だと思うんだよね。俺だって観たいもん。
——(笑)。
去年、フェスが終わった後に「もっと一般の人にもわかりやすく」とか色々言われたの。でもさ、一般の人にわかりやすくだったら、もっとポピュラリティのある、俺なんかより適した人たちがいっぱいいるでしょ。俺らが一般の人にわかりやすくっていったって無理があるもの(苦笑)。それよりノイズ電車とか、世の中謎なものがないと。謎なものつくらないとね。俺、福島にはノイズが必要だと思ってて。だってセシウムっていう強烈なノイズがあるんだもん。そんなもの、ノイズで打ち勝つしかないでしょ。こんなシュールな状況なのにさ、平和な歌とか歌ってられるか! っていう気はあるんだよね。もちろん沿岸地域とかの津波の状況とかは全然違う話だから、一概には言えないけどね。でも俺はもっともっと変なことやりたい。謎なことやりたい。こんな世の中だもん。
——色々な意見を話す場を、シンポジウムや講義スタイルではななく、文化的な側面から広めていきたい気持ちはありますか?
もちろん科学、政治の方が動かなきゃどうしようもないけど、科学とか政治ってYES/NOをはっきり線引きして具体的に動いていくところがあって。でも現実には線引きできない問題がいっぱいあるし、それにも増して心の問題って線引きなんかできないでしょ。人間って、誇りを持っていなきゃ生きていけないんですよ。自分はダメだって思ったら生きにくいじゃないですか。自分の住んでいる場所も最低ってなったら生きられないよね。福島の人は、もう原発なんてこりごりだって思ってるんだと思うんだけど、東京の反原発デモに対して話を聞くと、すごく複雑なの。反原発はもちろんなんだけど、「なんか自分達が貶されてる気がする」っていう。
——デモが起こっていることに対して?
うん。全然そんなつもりはないんだよって言っても、「福島の被害を持ち出して原発やめろって言われてるのって、まるで自分たちがダメだって言われているような気がして、素直に乗れない」って意見言う人もいる。俺、その気持ち否定できないよ。そういう複雑な福島の感情って、実は東京の人達には伝わってないでしょう? なんで福島で反原発運動起こんないの? くらいに思ってる人いっぱいいると思ってるんだけど、既にそれ自体考え方のギャップがあるというか。だから、福島に来てみなよっていう気持ちも俺にはあるの。今年は人を集めることに対して、だいぶ放射線の知識もでてきたので、ちゃんと気をつければ被害がでるほどではないと考えてるので。とはいえ、やっぱり「被曝したくない」人に対して来いとも言いたくないのね。こわいと思う気持ちもすごくよくわかるから。同時多発のよさは、福島にわざわざ来なくてもよその地域でやってるからそっち行ける。ちゃんと選べるというか。
——場所は違っても考える機会を増やしているってことですね。
今年、広島でもやるんだけど、実際、広島から福島に来るって簡単じゃないでしょ。遠いもの。遠くに行けば行く程、今回の震災とか事故って遠い所の出来事になっちゃうけど、でも逆に遠いからこそ、すごい強いエネルギーで僕らに協力してくれる人たちもいたりして。遠い地域の人は遠い地域の人なりにって形でいいかなぁって思うんです。みんなが同じ考えを持つ必要なんかないって思ってる。
——ただ共通してるのは「FUKUSHIMA」っていうキーワードなんですね。
そうだね。どうしてもさ、時間が経てば忘却してくでしょ。福島に住んでいる人だって、去年の4月のあの感じとは違うし。ずっと同じままじゃいられないんだよね、生活もあるから。いつまでも死んだ人のことを考えてたら生きていけないから。人間ってよくできてるんだよ、ちょっとずつ忘れていく。俺もどんどん忘れていく。それって心の傷が癒えてくるのとイコールだったりもするんですよね。痛みも忘れていくし。だから忘却は全然悪いことじゃないと思ってるんだけど、でも忘却の仕方が大切かなって。時々思い出しながら傷を修復していけばいいのかな。そんなプロセスが文化ってことなのかもしれないなって、最近よく思います。
——そうした文化面からのアプローチを継続的にやっていこうと思ったのは、福島に文化が根付いていくような可能性もどこかしら感じていたからなのでしょうか。
うーん、え~とね、そういうこととは違うかな。難しいなあ。正確に言うと、福島に根付かせることが目的とかではなくて。もしかしたら勝手に福島に根付くかもしれないけど、それを目的にしてるわけじゃないし、そんな上から目線でやってるんじゃないなあ。文化って言葉つかってるけど、それを目的にしてるわけじゃないんです。それよりも福島の人も、東京の人たちも関係なくなんか勝手に出会っていくような出会う水路というか、人だけじゃなく文化も含めて、いろいろ行き来するような風通しのいい状況をつくるというか。ノイズ電車とかそういう意味合いもあるんじゃないかな。異物感が、そういう水路を生むようなことってあるような気がして。世界中が同じ文化じゃないってことを、僕ら旅のミュージシャンは知ってるんだけど、ひとつの所に住んでいる人って、1種類の文化で育っているじゃない。だけど、色んな文化がある、この世は自分たちの文化だけじゃないんだってことが前提にあるかないかで、考え方全然変わってくると思うんです。日本にいると日本語で発信したら何か届くとみんな思っているじゃない。だけど日本語は世界の1/50くらいの人しか喋ってない言語っていう認識があるかどうかで考え方はすごく変わると思うんだよね。それは福島の人にとっても東京にとってもそう。何かの活動をするときに、外側の自分たちとは違う異なる文化があることを、前提して考えているかいないかで、ものの考え方はものすごく変わると思うんです。だからこそ異物感みたいなものは必要だなって。異物に接した時に人が感じる何か。感動するかもしれない、拒絶するかもしれないけど、それがどう見て行くか。自分の反応をそれだけ見つめられるか。僕らみたいな表現している人にとってはそこが重要で。
——それこそ、無理にメインストリームになろうというわけではなく、異物感を持ち込むというのは意図的なことなんですね。
いやでもね、あんま意図的にやるのも違うと思うんです。それと、もちろんメインストリームも重要なんですよ。震災のときに。避難しているおばあちゃんとかさ、有名なタレントさんが来て歌うだけで涙流してるでしょ。その瞬間は生きる希望なんだと思う。そういうのも馬鹿にできない。でもそういうものが苦手な若い世代だっているわけで、だから、両方あってもいいと思う。
もう一回自分たちでお祭りを作っていく
——今回2週間かけてのイベントは、異物感みたいなのを如実に表したラインナップなんじゃないかと感じました。
俺が関わっている部分はね。ぶっちゃけて言えば、遠藤ミチロウだって和合亮一だって、俺だって、異物感の人間だよ、元々(笑)。そんなポピュラリティを得られるようなさ、存在じゃないよ。勘違いしちゃいけないと思う、僕らは(笑)。ついつい自分は凡庸で普通だって思いがちだし、そう思いたいけど、やっぱ世間的にはちょっとズレちゃってるの、こういう活動してると感じざるをえない。でも俺、そういう音楽すきだから仕方ない。あと、さっきも言ったとおり身の丈でやろうって常々言ってるけど、単に規模の話だけじゃなく、そのへんの嗜好もね、身の丈じゃないと。フェスのほうも身の丈でやろうと。そのために、どうしたらいいかっていったら、規模を小さくする必要があって、その代わり、数を打つ。そしたら相対的には同じでしょ? 1万人の人が見てくれれば。
——エネルギーの総体としては一緒ですもんね。ただ、数がいっぱいあると、どこに何があるのかっていう状況もできてしまうと思うんですけど。
おっしゃる通りです(苦笑)。全部観れる人、誰もいないからね。俺のスケジュールだけ見ても、毎日疾走しているんだよね。俺、12日間で全部で16公演やるんだけど。
——計算、おかしくないですか(笑)。
なんかね、バカバカしいことしたいの(笑)。アホって言われるくらい爆走してやれって。世の中はそれ以上に、アホじゃないの、バカじゃないの、ふざけんなよっていう。ふざけんなよって気持ちは去年から全然変わらないよ。
——その“ふざけんなよ”の気持ちはどこへ向かってのものですか?
遠藤ミチロウさんがいみじくも言った「原発なんかクソくらえ」のクソくらえが、それに近いと思う。賛成とか反対とかじゃなく、ふざけんなよクソくらえだよ! って、パンクな感情だと思うんだけど、俺それ、すごくわかるんだよね。それがあるからミチロウさんに共感できたんだけど、そんなことで人生左右されるなんかクソくらえだよっていう。原発なんかより俺たちの方がすげえんだよって。意味がわからない(笑)。
——はははは。
でも、そんなクソくらえ感情がどこに向かってるかわかんないんだよね。1つは自分に向かってる。こんな世の中作った責任が自分にもある。でも人間って1年間ずっと怒り続けてられないから、ちょっと落ち着くんですよ。でも事あるごとに怒りの感情がくすぶってて。でも決して誰かを攻撃したいんじゃなくて、それとどうお付き合いするか考えられなきゃ音楽家じゃないですよ。昔からのお祭りって、個人の中のぐちゃぐちゃしたものをうまく社会化して飼いならしていくための人類の知恵のような気がするんだよね。だからお祭りって戦争っぽいじゃない? 大体男が張り切って、隣村のチームよりこっちの方がってさ。あれってそういう攻撃性とかをうまく飼いならしつつ、本物の殺戮にはならずに、自分たちが生きていく誇りにもなるようにした、すごくよくできたシステムだと思う。だから僕らも無意識のうちに祭りだ! ってなったんだと思う。ただ、伝統的なお祭りだけだと僕らの中ではちょっと納得いかないというか。普段の自分たちのリアリティでやっていける祭りの模索をしているのかもしれない。
——そういう意味でいくと、観るだけじゃなく参加する形へっていうのは、お祭りを踏襲したものといえますね。
そうそう。伝統的なお祭りはみんな参加じゃない。岸和田のだんじり祭りとかさ。町の人達が参加して、普段大工のあんちゃんだった人がスターになるみたいな。多分そういうのがなくなった代わりに今、ロックフェスとかがあると思うんだよ。プロフェッショナルが作って、お金を払ってお祭りを維持する。見る人とやる人は完全にわかれていて、見る人は特定のバンドのファンになって盛り上がったり踊ったりして参加することで、お祭りの魂を癒してたと思うんだよね。でも、そうではない形あるんじゃないかなって。去年やってて特に良かったと思ったのは、風呂敷を敷くプロジェクトだったりしたのね。あれはみんなで作れたから。なるべくみんなで参加できる古い形のお祭りと、今の僕らが納得できるようなお祭りをうまく融合させるにはどうしたらいいかなって。もっと即興的に、その場の状況の中で、今までにない祭りってできないもんかって。そんなこともあって今年もなるべく参加型にして、楽器持ちよって、旗もちよってやれればいいなって思ってるんです。今年は15日のオープニング・フェスも26日のクロージング・フェスも、七尾旅人くんが来たり二階堂和美さんが来たり坂本龍一さんやテニスコーツが来たりするんだけど、特別に彼らのためにステージを設けるわけじゃなく、楽器持ってきた一般の人達とほぼ同じように彼らも演奏してくれればって思ってます。ただ、それはみなと一緒のことをやってってことじゃなく、たとえば突然七尾くんが道路で弾き語りして大セッションになるかもだし、全然知らない人が別の面白いことするかもしれない。それはこっちでオーガナイズするんじゃなくて、本当に即興的に、俺も何が起こるか想像できないようなことがおこれば面白いなって。従来の枠組みを壊すのとはちょっと違うんだけど、もう一回自分たちでお祭りを作ってく。お金を払って祭りを買うんじゃなくて、参加したい人達が自分で作れるような仕組みをいっぱいつくる。だからフェスも一般の人たちに募って、誰が企画してもいいってことにして、自分の身の丈で企画してくださいって。一番すごいのは、東京のどこかでそうめん祭りとか言ってましたよ(笑)。
——そうめん祭りですか(笑)?
パスタ屋でそうめんを食べるって書いてあるんだけど(笑)。これで応募してくるの!? って。ノイズ電車に継ぐシュールさなんだけど(笑)。一体福島と何の関係があるんだと思いつつ、でもそういうしょーもない、あ、しょーもなくないかもだけど、そういう謎なものもあるっていう。世の中立派なものばかりじゃ、疲れちゃうもの。立派な意見はネット上で聞き飽きました。そんなことより実際にそうめん祭りやってる人の方がおもしろいや、って。
——長期的に観ながら毎年やってみて、いい部分を伸ばしていこうって形なんですね。
トライ&エラーがあってもいいと思ってて。毎年形は変えていきたいな。何がいいものかなんて判断はできないけど、人にとって必要なら、それはきっと放っておいても芽が出るだろうし。こっちでなるべくコントロールしたくないなって思ってます。時間が経てば経つ程プロジェクトに関われる人は減ってくるかもだし。それでも去年はみんなすごいガーっと熱く入っていったんだけど、みんな普段の生活もあるから、今年はそこまでは入れないもんね。寄付金だって全然違う。
——やっぱり、差があるんですか?
うん、全然違うよ。でもそれは当然だと思う。だって自分のこと考えても寄付減ってるでしょ。ほんとにお金欲しいのは去年じゃなく今年の方だったりすることもあると思うけど、でも、長い長い日常に対して寄付は集まりにくい。取材ひとつとっても去年はすごい量だったけど、それって、ニュース・バリューがあったってことだと思う。今年僕らのやってることは、もっと日常にそったことだから、昨年のようなニュース・バリューはないと思うな。でもそれが長期戦でやることなんだと思う。そこと上手くどう付き合っていくか。来年は全然また違ってくるから。来年のことももう考えだしてるんだけど。
——今年の第2回が行われる前に来年のことも考えて、ずっと継続的にっていうことが頭にあるんですね。
そうそう。だから来年はまた形が変わると思う。フェスって形ですらないかもしれない。まだ分からないけどね。今年の様子をみながら来年のこと考えてうきうきはしてるんだけどね。でもね、あんま夢中になると息切れするから、のんびり行くよ、あせらずに(笑)。
(2012年8月6日取材)
PROFILE
大友良英
ギタリスト/ターンテーブル奏者/作曲家/映画音楽家/プロデューサー。 1959年横浜市生まれ。十代を福島市で過ごす。ONJT、Double Orchestra、幽閉者、 FEN等、常に複数のバンドを率い、またFilament、カヒミ・カリィ、I.S.O.、音遊びの会、 Emsegency! 等、数多くのバンドやプロジェクトに参加。常に同時進行かつインディペンデントに多種多様な作品をつくり続け、その活動範囲は世界中におよぶ。 ノイズやフィードバックを多用した大音量の作品から、音響の発生そのものに焦点をあてた作品に至るまで その幅は広く、ジャズやポップス、歌をテーマにした作品も多い。映画音楽家としても田壮壮監督『青い凧』等の中国映画、相米慎二、安藤尋、足立正生、田口トモロヲといった 日本を代表する映画監督の作品、横浜聡子等若手監督の作品、テレビ・ドラマ、CFの音楽等、 数多くの映像作品の音楽を手がけ、その数は60作品を超える。 近年は「アンサンブルズ」の名のもとさまざまな人たちとのコラボレーションを軸に展示する音楽作品や特殊形態のコンサートを手がけると同時に、障害のある子どもたちとの音楽ワークショップや一般参加型のプロジェクトにも力をいれている。 著書に『MUSICS』(岩波書店)、『大友良英のJAMJAM日記』(河出書房新社)、『ENSEMBLES』(月曜社)等がある。
フェルナンド・カブサッキ & 大友良英のLIVE音源をOTOTOY独占で配信中
左)フェルナンド・カブサッキ & 大友良英 / -PHON vol.1- Improvised Session 20110501 part1 (DSD+mp3 ver.)
右)フェルナンド・カブサッキ & 大友良英 / -PHON vol.1- Improvised Session 20110501 part2 (DSD+mp3 ver.)
【価格】各1,000円(まとめ購入のみ)
連続記事「REVIVE JAPAN WITH MUSIC」
- 第一回 : 大友良英インタビュー
- 第二回 : 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)インタビュー
- 第三回 : 山口隆(サンボマスター)インタビュー
- 第四回 : Alec Empire(ATARI TEENAGE RIOT) インタビュー
- 第五回 : 平山“two”勉(Nomadic Records) インタビュー
- 第六回 : 小田島等(デザイナー/イラストレーター) インタビュー
- 第七回 : PIKA☆(TAIYO 33 OSAKA/ムーン♀ママ/ex.あふりらんぽ) インタビュー
- 第八回 : 箭内道彦(クリエイター/猪苗代湖ズ) インタビュー
- 第九回 : 後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION) インタビュー
OTOTOY東日本大震災救済支援コンピレーション・アルバム
『Play for Japan 2012 ALL ver. (vol.1-vol.11)』
『Play for Japan 2012 First ver. (vol.1~vol.6)』
『Play for Japan 2012 Second ver.(vol.7~vol.11)』
『Play for Japan vol.1-Vol.11』
>>>『Play for Japan 2012』参加アーティストのコメント、義援金総額はこちらから
関連記事
各アーティストが発表するチャリティ・ソングの最新リリース情報はこちら
2011.5.15 映画『ミツバチの羽音と地球の回転』サウンド・トラックについてはこちら
2011.04.23 「Play for Japan in Sendaiへ 救援物資を届けに石巻へ」レポートはこちら
2011.05.02 箭内道彦(猪苗代湖ズ)×怒髪天の対談はこちら ※「ニッポン・ラブ・ファイターズ」ダウンロード期間は終了いたしました。
2011.06.11 「SHARE FUKUSHIMA@セブンイレブンいわき豊間店」レポートはこちら
2011.08.11 こだま和文×ランキンタクシーの対談はこちら
2011.10.8 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA! レポート&遠藤ミチロウ インタビューはこちら
2011.12.09 畠山美由紀『わが美しき故郷よ』インタビューはこちら
2011.12.22 ソウル・フラワー・ユニオン『キセキの渚』 インタビューはこちら