
Wienners 玉屋2060% INTERVIEW
言い訳のできない状況に身を置き、真っ向から勝負をかけるバンド。それがWiennersである。ハードコアパンクを基調にしながらもキーボードが絡まり、1曲の中で高速な変化を見せる。不思議なポップを持った痛快なバンドだ。もともと吉祥寺や西荻窪のライヴハウスを中心にインディペンデントな活動をしていた彼らだが、2009年に自主制作盤『COSMO POP ATTACK』をリリース。2010年7月には全国流通盤1stアルバム『CULT POP JAPAN』をリリース。その後、フロントマンの玉屋2060%が曲を書けなくなる極度のスランプに陥ってしまうものの、友人の助言と本人の考え方が突き抜けたことによって、傑作ミニ・アルバム『W』を2011年10月にリリースした。
今回、それらの楽曲をOTOTOYでも配信開始する運びとなった。当初は配信に関しても構えていたというが、多くの人たちに届くであろう「午前6時」という名曲が出来たこと、自分たちがブレなければどこでやっても変わらないという考えの元、OTOTOYでも配信がスタートすることになった。玉屋という男が一貫しているのは、あくまでも自分を持つことを大切にしていることだ。それさえあれば、どこにでも勝負をしていける。もちろんインタビューの間も、自信を持って一つ一つの質問に丁寧に答えを返してくれた。彼らの快進撃は、まだまだ始まったばかりだ!
インタビュー&文 : 西澤裕郎

Wiennersを知るにはまずこの3枚!
左) 午前6時 ブランユーアーバンタイプ
200円
中) CULT POP JAPAN
1650円
右) W
1400円
販売形式 : すべてWAVのみ
ちゃんとやれば他の奴らに勝てるっていう根拠のない自信があった
――Wiennersは現在メジャー・レーベルに所属していますが、もともとアンチ・メジャーの気持ちがあったとインタビューで読みました。どのような気持ちの変化があったのでしょう。
Wiennersを組んで、自分が100%やりきれる場所を探していくうちに、インディとかメジャーっていうことは関係なくなっていったんです。前やっていたバンドのときは、メディアに出ることさえダサいと思っていて、よく分からないのに拒んでいたんですよね。結局、そこに出ること自体がダサいんじゃなくて、すっからかんな自分を見せてしまうことがダサいってことに気がついたんです。自分がしっかりしていることが何より大切なんだと思うようになりました。
――どうやって、そこまでふっきることが出来たのでしょう。
遠目から同世代のバンド達が活躍していくのを見ているうちに、本当は自分も夢中で音楽をやりたかったことに気がついたんです。それで前やっていたバンドを解散して、Wiennersを組みました。心のどこかで、ちゃんとやれば他の奴らに勝てるっていう根拠のない自信があったので、それを試す意味でも一回本気でやってみようと思ったんです。全力を出してダメだったら、才能がなかったってことで諦めるしかない。そんな言い訳の出来ないところに、自分たちを持っていきたかったんです。
――そういう状況に身を置くために、音楽の作り方を変えたりもしましたか。
そのために曲を変えることは一切なかったですね。自分のやりたいことを100%やって、それが評価されるかどうかを見たかったんです。なので、成功するためにこういう音楽をやったほうがいいって探り方はしていません。もちろん、どうやったら聞いてくれる人に伝わるんだろうってことは考えましたけど。

――当初はブッキングも自分たちでやろうとしていたそうですね。全然メジャーでやっている感じがないじゃないですか(笑)。
最初はメジャーでやることの意味がよく分かっていなかったんです(笑)。それまでずっとアンダーグラウンド・シーンでやってきたので、ツアーの1つ自分たちで決められなかったらナメられると思っていたんですよ。でも、本当にいいものを作りたいなら、音楽に比重を置いて考えないといけないし、任せられるところは任せるべきだって考えるようになったんです。
――ちなみに、D.I.Yな活動をしていることが歌詞に説得力を持たせることもありますよね。Wiennersもインディで地道にやってきただけに、曲作り以外を任せることによって、曲が貧相になってしまう不安などはなかったですか。
ここだけは譲れないってところは今でも自分でやっているので、そういう不安はなかったです。人との繋がりやコミュニケーション、フライヤーやCDの解説文とか、自分たちが大事だと思うのところは全部自分たちでやっていますね。
――例えば銀杏BOYZのように、過去の出来事や想いから曲が出来ていくこともあると思います。Wiennersが曲を作る際のアイデアはどういうところから思い浮かんでくるのでしょう。
それこそ普通の実生活ですね。例えば「シャングリラ」とかは、こういう場所に行ってみたいっていう想像と、異国の地や不思議な感じのする街に行ったときの記憶を辿って、音と言葉にして作りました。そういう曲もあれば、ちっちゃい頃に感じた、よく分からない気持ちを曲にすることもあります。
――1stアルバム『CULT POP JAPAN』からミニアルバム『W』に至る流れを聴いていると、Wiennersの表現力が上がっていることが如実に伝わってきます。それまで1、2分の曲が多かったのに、4分くらいの曲が増えてきていますよね。表現力がアップしている感覚はありますか。
それはありますね。本当は1stの頃にも『W』みたいなことをやりたかったんですけど、自分も含めメンバーの技術が追いつかなかったんです。具体的なイメージはすごくあるんですけど、それを形に出来なくて、いつも悩んでいました。ちょっとずつ表現力は上がっているけど、まだまだ思い描いているところにはほど遠い。リズム、メロディ、言葉一つとってもそうだし、一生思い描いているところには追いつかないだろうとも思うんです。でも追いかけている分、ちょっとずつ上がってきているとは思いますね。

――1stの頃は、沢山フレーズを録り貯めておいて、それをくっつけて曲にしていたようですが、そうした作り方は変わってきましたか。
もちろんそういうやり方で作ることもありますけど、それ以外で作る曲も出てきました。長い曲とかは、全然違う作り方です。曲を作るっぽい作り方というか(笑)。
――曲を作るっぽい作り方?
言ってみれば、普通の曲の作り方です。今までは普通でありたくないって頭があったので、どうにかして変にしようとしていたんです。でもストレートに自分自身をさらけ出して勝負しようと思ってからは、曲の作り方も少しずつ変わってきました。
プライドも全部捨てて、ダメなところも見せてみようって思った
――そこまで劇的に意識が変わるには、内部的な要因ももちろんですけど、外部的な要因も大きいと思います。メジャーでやるってこと以外にターニングポイントになったことはありますか。
そうですね…。音楽関係以外で一番大きい節目は、彼女と別れたことかな。別れた後、相手に新しい彼氏が出来たってことを聞いて、俺に興味がなくなってしまったんだなって。今まで無条件で愛してくれていた人が、くるっと別の人のところに行ってしまったとき、これを引き戻す魅力が俺にはないと思ってしまったんです。才能も人間的な魅力も何もなくなってしまって、そこからちょっとずつ人ということに対して考えるようになりましたね。
――海外のアーティストのインタビューでは、彼女との別れが曲作りに反映されたという話を聞きますが、日本のアーティストでそれを挙げる人は珍しいですね。
あまり言いたがらないですよね。でも、それを乗り越えたときに、「CDを出しませんか?」みたいな話をもらえるようになってきて。
――挫折があったからこその、今のWiennersなんですね。
本当にそうですね。今までは、挫折を全部避けていたんです。前のバンドのときは、どうにか楽をして続けていくことを考えていたので、リスクを背負っていなかったんです。でもWiennersになってからは、大きな挫折を2回味わいました。最初は、彼女と別れたとき。2回目は、煮詰まって曲が出来なくなったとき。『W』を出す前に、何もかもがうまくいかなくなってしまったんです。意識的にはもっと突き抜けたことをやりたい、もっと上にいきたいってイメージがあったのに、技術的に出来なくて、どんどん追いつめられていったんです。

――そこで、安易に1stを延長したようなアルバムを作らなかったのがすごいですね。それこそが苦悩の種でもあったんでしょうけど。
そうですね。作ろうと思えば1stのようなアルバムも出来たんだろうけど、それだとリスクを背負っていない平坦な道になってしまうと思ったんです。どうにかして、もう一個上に行きたかった。何とかそれを乗り越えたとき、今までよりも成長した実感がありました。今まで出来なかったことも出来るようになって、意識の変化も生まれたんです。
――リスクに負けることで、それまでのファンが離れてしまったり、新しいファンもついてくれないかもしれないっていうプレッシャーもありましたか。
そのときは、そこまで考えていなかったですね。もちろん変わって離れていってしまうことも、新しいものも受け入れられないってことも考えましたけど、一番は自分の中での折り合いをつけることが大切だったんです。曲が出来ない時点で、世界中のミュージシャンたちの最底辺にいるなと思って。どんなにダサイ曲を作っているヤツでも曲は作っているんですよ。それを考えたら、ますます曲が作れなくなっていってしまって。
――それほど追いつめられている中、どうやってリスクに打ち勝ったのでしょう。
「一度、何の変哲もない歌を歌えばいいんじゃないの」って、吉祥寺WARPにいる友だちやPASTAFASTAのメンバーに言われたんですよ。それまで、人間味ある部分を無意識のうちにカットして曲を作っていたし、ライヴもしていました。それを1回全部ゼロにして、プライドを捨ててダメなところも見せてみようと思ったんですね。それで出来たのが「午前6時」っていう曲なんです。今までのWiennersだったら絶対作らなかった曲だったんですけど、素直に作ってみたら本当にすっと出てきた。それを作ったことで、いい意味で諦めがついたというか、何をやってもいいんだなって思えました。自分の中でプライドを持って、基準がブレないようにすればいいんだって。
――その曲を友人たちに聞かせたとき、どういう反応が返ってきましたか。
友だちもいいって言ってくれました。こういう曲を好きじゃないんだろうなって人たちにも、ちゃんと響くんだなってことが分かったんです。リアルな気持ちを歌にしたら、友だちもいいねって言ってくれる。自分の周りの人に伝わらないと、より多くの人に伝わっていかないじゃないですか。だから、それ以降お客さんに伝わっている感じがより強くなって、こうやって伝えていけばもっと広がっていくんだなって気がついたんです。

――挫折を乗り越えることで、視野が広がったんですね。
そうですね。毎日を過ごしていくうちに、いつの間にか視野が狭まっていくんですけど。挫折があって広がって、また狭まって挫折してっていう繰り返しですね(笑)。
ユーモアとアイデアを持って自分のやりたいことを表現できれば、何をやっても大丈夫
――それってすごく大切なことだと思うんですよ。特に日本のロック・バンドって、内省的なバンドが多いじゃないですか。被害者意識を肥大化させて歌うっていうか。もちろん才能があるバンドなら、それで人を惹き付けると思うんですけど、単なる自己弁護みたいになってしまっているバンドが多いような気がして。
本当にそれは思いますね。音楽だけに限らないんですけど、みんな変わり者を演じたがるんですよね。俺は人とは違う、狂っているみたいな。でも「お前、普通の人間だから」って、めちゃめちゃ思いますよね。何もないヤツが「俺って変だぜ」「何か持っているぜ」って感じで話すんですけど、お前普通だからって。それをフラットにしたときに、本当の力が分かるわけじゃないですか。最初のうちは俺も猫をかぶって、弱いところはなるべく見せないようにしていたんですけど、これが苦手ですってことを全部さらけ出しても人がついてきたら一番いいと思って。それで、リスクを背負ってでもやろうと思ったんです。
――変わり者を演じたバンドが増えたからこそ、逆にポップ・シーンの真ん中を行くことがオルタナティヴになるんだって、Wiennersを聴いていて感じました。そこがとても爽快だなって。
嬉しいですね。インディペンデントでやっているパンク、ハードコアなものが今も好きだし憧れもあるんですけど、本当にかっこいい人って本当に一握りで、それ以外のバンドは腐るほどいるんですよね。その人たちが口にする「分かるやつにだけ分かればいい」って言葉は言い訳にしか聞こえない。いろいろな経験を経た人が口にしたら、そうだなと思うんですけど、ビビっているだけにしか聞こえないというか。
――そういう状態を経験しつつ、挫折を乗り越えてきた玉屋さんだからこそ、説得力がありますね。
当時は、自分も分かる人にだけ分かればいいって考えだったんですけど、心のどこかに、本当は分かってほしいって気持ちがあったんです。だから、そういうことを言うときに若干罪悪感みたいのがあったんですよ(笑)。今言い訳しているなと思いながら、「分かる人にだけ分かればいい」ってしゃべっていました。
――そうした昔の考え方に戻ってしまう不安はないですか。
リスクを背負って一か八かの状況になっている分、よく転ぶしダメなところはもろ跳ね返ってくるんです。ここでムチを打つのをやめたら、一気に堕落してしまうのを分かっているので、どうにか自分を奮い立たせながらやっていますね。
――玉屋さんは、音楽で食っていくって意識が強いですか。
そうですね。音楽で食べていきたいです。それは、Wiennersを始めたときに思ったことで、好きなことをずっとやれているのは最高だなと思って。めっちゃいい曲が出来ても、お金も時間もなかったら、スタジオで合わせるのが2週間後とかになっちゃうじゃないですか。元々パンク・ハードコア畑なので、自分の中で音楽で食うことに矛盾があったんですけど、視野を広げたとき、そこにこだわっていても仕方がないと思ったんです。まずは一人の人間として、音楽で食べていければいいなと思っています。もちろんバンドとしてもだけど、個人として自立できれば、作曲でも食っていけるしソロもできる。むしろ、それ以外の選択肢はないです。
――ここまで突き抜けて考えられるようになったっていうのは、個人的にも本当に興味深いです。
ここまで色んなことがOKになったのも、音楽に関してはやりたいこと以外やらないっていう、それだけなんですよね。そこさえブレなければ大丈夫だなって。ユーモアとアイデアを持って自分のやりたいことを表現できれば、何をやっても大丈夫だと思っています。それこそソロでどんなことやろうと、例えばミュージックステーションに出ることになっても大丈夫っていう自信がある(笑)。
――なるほど(笑)。
でもそこがブレた瞬間に、すべてがダサくなってしまうんです。

――確かにその通りですね。話を聞くかぎり、次のアルバムに向けての道筋は見えていそうですね。
ちょうど今レコーディング中で、アルバムとシングルを作っています。前作『W』で、これまでのWiennersと、この先やりたいけど今は表現できないことをやったんです。そのとき「次のアルバムは『W』のとっ散らかったところが全部まとまって新しい作品が出来ます」って色んなインタビューで言ってきたんですけど、もっとやりたいことが出来ちゃって、訳のわからないものが出来ている感じですね(笑)。自分の中で、何か超越したものを作るというテーマがあるので、一貫して突き抜けた曲が揃っていると思います。
――それは本当に楽しみですね!
自分たちでも手探りながら、どうなるんだろうと思って作っています。伸びしろのある感じで思いもよらない角度から飛んでくる、振れ幅のめちゃめちゃ大きいアルバムになると思います。だけど、聴いたらWiennersっぽさもちゃんとある。
――3月には東名阪のワンマンが控えていますね。ワンマンは初めてなんですよね。
そうなんです。『W』のリリース・ツアーを東名阪でやったんですけど、そのリバーシブル・バージョンで、ツアーのファイナルシリーズって感じなんです。Wiennersの第一期を総括したライヴをして、次のフル・アルバムのチャプターに行くという意識もある。あと『W』を出したとき、友だちとかお客さんにすごく救われたんです。結局、音楽自体に救われたんじゃなくて、音楽を通じて知り合った人たちに救われた部分が大きかった。僕はTHE SENSATIONSってバンドもやっていたんですけど、泣く泣くバンドをやめてWienners1本にしたんです。それでも送り出してくれた友だちに、がんばっている姿を見せれる場だと思っています。そういう仲間とか、お客さん、『W』を出したとき助言をくれた友だち、メンバー、スタッフとか色んな人に対していいとこを見せたい。安心させたいって気持ちが強いですね。
Wienners “W” Reversible ONEMAN Tour
2012年3月17日(土)@名古屋・新栄 SONSET STRIP
チケットぴあ : [P]159-305
ローソンチケット : [L]47336
e+
店頭(SONSET STRIP)
INFO:052-936-6041(JAILHOUSE)
2012年3月18日(日)@大阪・心斎橋 HOKAGE
チケットぴあ : [P]160-693
店頭(HOKAGE)
INFO : 06-6211-2855(HOKAGE)
2012年3月24日(土)@東京・渋谷 club 乙-kinoto-
ローソンチケット : [L]76361
e+
店頭(KINOTO)
INFO:03-3780-1010(KINOTO)
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PROFILE
マナブシティ : Drums/Drums
∴560∵ : Vocal/Bass
MAX : Vocal/Keyboard/Sampler
玉屋2060% : Vocal/Guiter
2007年 玉屋2060%を中心に結成。
2008年1月 玉屋2060%、マナブシティ、MAX、∴560∵の現メンバーが揃う。
2008年5月 CD-R“ダイジェストサンプラー”配布。
2009年1月 自主制作シングル『COSMO POP ATTACK』発売。
2010年7月 ファースト・アルバム『CULT POP JAPAN』発売。