怒りと渇望を燃やし続けるロック・ミュージシャンの魂──DURANが完全無欠の3人体制で放つ新章『Vornak』

MASAE(Ba), Duran(Vo/Gt), Shiho(Dr)
満たされることのない苛立ち、湧き上がる衝動。それこそがロックの火種だとDURANのフロントマン・Duran(Vo/Gt)は語る。2025年からスリーピース・バンドとして本格的に活動を展開する彼らが完全無欠の3人体制で放つ4枚目のアルバム『Vornak』。ほぼオーバーダブなしの一発録りという無骨な制作環境の中、その瞬間のエモーショナルをありのままに叩きつけた“生身の記録”が刻まれている。藤井 風やVaundyをはじめ数々の著名アーティストを支えるプレイヤーでありながら示し続けるひとりのミュージシャンとしての覚悟、そして歴代のロック・ミュージシャンへの揺るぎない敬意──。DURANが燃やし続ける衝動の源を探った。
飾り気も、繕いも、逃げ場もない。生身の衝動が刻まれた11曲
INTERVIEW : Duran(DURAN)

Duran(Vo/Gt)、MASAE(Ba) 、Shiho(Dr)による3ピース・ロックバンド「DURAN」がニュー・アルバム『Vornak』を完成させた。ギタリストとして様々なアーティストのライブ、作品でその名を聞くことが多いDuranは、ソロ・アーティストとしての自分を語るとき、常々この3人がバンドであることを公言、ステージ上から「ここが自分のホームだから」とアピールしてきた。今作は、ゲスト参加アーティストもおらず、3人だけで一発録りした純度100%の “DURAN” が、アナログレコードの収録時間ギリギリまでギュッと詰め込まれた作品だ。そして、そこから放たれるサウンドとリリックは、なぜか怒りに満ちている。今作の制作過程、収録曲について訊くと共に、国内外で八面六臂の活躍を続ける彼の現在を語ってもらった。
取材・文 : 岡本貴之
「まったく満たされないです。」
──以前から、Duranさん、MASAEさん(Ba)、Shihoさん(Dr)の3人で「DURAN」というバンドだと公言していましたが、アーティスト写真も3分割になって、よりバンドとしての印象が強まりましたね。

Duran:バンドとしての意識は前からありましたけど、僕はサポート活動の方がどうしても目立っちゃうというか。アーティストとして活動してるときは、もう少しわかりやすくした方がファンも理解しやすいかなと思って。それはBorisのAtsuoさんも言ってくれていて。
──Atsuoさんは今回、ジャケットのアートワークを手掛けているんですよね。
Duran:前からBorisのファンで、何か一緒にやれたらなと思っていたんです。Borisは超アナログ志向で、レコーディングもそうですけど“レコード”という形態にすごく特化しているバンドなんですよ。今回のアルバムも最初からレコード化を前提にしていたので、デザイン面も同じ温度感を持った方にお願いした方が作品の強度が増すんじゃないかと思って。
──レコードにする前提で作ったアルバムということですか?
Duran:そうなんです。前作『30 Scratchy Backroad Blues』も同時にレコード化するんですけど、今回は最初からバイナルで出す体で作りました。曲順を考えながら、20分以上あるジャム・セッションしている曲は「これだと入らないな」と削ったり。今回も、前作同様に山梨のライブ・バーに機材を持ち込んで、作詞作曲含め12日間くらいで録りました。一日1曲くらいのペースで、ライブ録音に近いですね。
──ある程度曲を作り込んだ状態で持っていって、そこで録った?
Duran:いや、僕のネタをその場で3人でジャムりながら録っていく感じです。その作り方がいちばんナチュラルで自分にもバンドにもしっくりきてるんですよね。アイソレーション(衝立などで音の被りを防ぐREC手法)をせず、誰かが間違えたら最初から録り直していました。
──これまでのソロ・アルバムではゲストも多かったですが、今回は3人だけですよね。ライブではパーカッションも入っていたし、〈O-EAST〉でのワンマン(2022年6月23日)のときなんかはステージにめちゃくちゃ人がいました(笑)。
Duran:ああ、いましたね(笑)。あの頃は「人を増やしたいブーム」だったんですよ。ジミ・ヘンドリックスも基本トリオだけど、ジプシー・サン・アンド・レインボーズの時みたいに人増えてたり(笑)。
──Duranさんのソロ初期は、ジミヘンのようなストラト(ストラトキャスター)を弾く“ソロイスト”のイメージが強かったです。今の3人編成の音は、むしろレッド・ツェッペリンのようなぶ厚さを感じます。
Duran:ああ、確かにそうかもしれない。もともとトリオでバンドをやっていたので、やっぱり落ち着くんですよね。1作目『FACE』(2018年)は全部打ち込みでひとりで完結させたんですけど、2作目『Kaleido Garden』(2021年)からは人を増やして生楽器でやりたくなって。でも3作目『Electric Man』(2023年)では、「人が多すぎる」と感じてきて。今はこの3人がいちばんナチュラルにいられますね。ふたりの存在感をもっと出していってあげたい気持ちもあるし。
──最近はストラトを全然弾かなくなったのも大きな変化ですよね。
Duran:みんな使ってるから(笑)。今はアディクトーンの新しいシグネチャー・ギターと、グレッチ、バウム、あとフライングVも使いました。今回はいろんなギターでかなり遊びましたね。すぐ飽きちゃうんですよ(笑)。
──今回、音も歌詞も、なんかめちゃくちゃ怒ってませんか。
Duran:ははははは(笑)。そうですね。
──何に怒ってるんですか?
Duran:自分でもわからないんですよ。録ったのが結構前で……。とにかくフラストレーションを全部吐き出すように、バーッと録っていった感じです。“Mondo Blues”なんか、完全にある人物に向けて書いてますから(笑)。この業界、分かり合えないような価値観の人も多いですし。パッと流れていくその瞬間ごとの感情を、そのまま曲にしましたね。
──『Electric Man』の1曲目“Raging Fire”でも、戦争がなくならないことに対する怒りをぶつけていました。
Duran:常に怒ってるかもしれないですね(笑)。ロックをやる上で、わけのわからない怒りとか衝動ってすごく大事だと思うんですよ。クロマニヨンズのヒロトさんも言ってた気がしますけど、中学生の頃とかに抱えるどうしようもない苛立ちとかって、ロックの原点みたいなものじゃないですか。
──満たされない気持ちがある?
Duran:まったく満たされないです。逆に、満たされてる人っているんですかね?満足したら終わっちゃう気がする。
──作品には個人的な怒り以上に、社会への苛立ちも感じます。
Duran:権力とか社会のシステムとか、そういうものへの怒りや違和感は常にありますね。個人的な怒りとは別に、もっと漠然とした“世の中への苛立ち”が自然と出てくるんだと思います。























































































































































































































![高野寛ライヴ音源DSD独占配信&インタビュ—『Live at VACANT [ONE, TWO, THREE]』](https://imgs.ototoy.jp/feature/image.php/20121009/6.jpg?width=72)







































































