瑞々しく澄み渡った7年ぶり新アルバム『2020 TOKYO』──“planeのいま”を素直に表現するロック・サウンド
結成25周年を迎えようとしている4人組、planeが久しぶりに帰ってきた。今回配信開始となった7年ぶりの新アルバム『2020 TOKYO』は、バンドのスタートから約25年が経過した、いまの彼らが素直に投影されつつも、瑞々しく心地よいメロディーと、バンドとして4人で音楽を鳴らすことの喜びが詰まった作品になった。近年は弾き語りを中心に活動していたキクチユースケ(Vo.Gt)に、久しぶりにバンドとしての作品を出したいまの気持ちや、マイペースな音楽との向き合い方を語ってもらった。
瑞々しいメロディーを詰め込んだ7年ぶり新アルバム
INTERVIEW : キクチユースケ(plane)
中学の同級生で結成されて以来、来年で25年目、メンバー全員が今年40代を迎えるバンド、plane。その中心人物であるキクチユースケ(Vo.Gt)は、弾き語りでソロ活動をしつつ、祐天寺にてギフトスタンド「電波赤丸」をOPENするなど、生活の中でマイペースに音楽と付き合い続けているようだ。そんな彼は7年ぶりにバンドが世に送り出すフル・アルバムにどんな思いを込めているのだろうか。しかも、アルバム・タイトルは『2020 TOKYO』で、“オリンピックが終わる頃”という曲もある。誰もが想像しなかった現状のなか、かつて「ノストラダムスの大予言」を信じていたという20歳の青年が迎えた20年後の自分、25年目のバンド。長年歌を届けているからこそ感じているであろう“いま”を語ってもらった。
インタヴュー&文 : 岡本貴之
写真 : 作永裕範
1人でも音を鳴らせば、ちゃんとバンドの音は届けられる
──planeは2021年で結成25年を迎えるんですね。
中学校の同級生で結成したんですけど、記憶が正しければ、中3の運動会のときに、ドラムの神本(神本'JIN'圭祐)に誘われてバンドをやろうと決めたので、ある意味そこがスタートだったと思ってます。高校はバラバラだったので、週に1、2回集まってバンドをやってました。僕はギターをほとんどやったことがなかったので、最初からギターと歌でカヴァー曲をやることができなくて、すぐにオリジナル曲を作りはじめました。
──カヴァーできなかったからオリジナル曲になったわけですか(笑)。
そうです(笑)。それで、高1のクリスマスに、キャバ80人ぐらいのステージではじめてのワンマン・ライヴをやったんですけど、メンバーそれぞれが自分の高校から20人ぐらい人を呼んで、全部で80人ぐらい来てくれました。そのとき、Mr.ChildrenのライヴDVDを見て、「ワンマンってこれぐらいやんなきゃダメだろうな」って、それに合わせて作ってたのを覚えてます(笑)。
──最初から巨大な規模のライヴを参考に(笑)。
だけどみんなテクニックがないので、ギターのみっちー(久光正昭)はサビにきたらほとんどワウを踏んでましたね。懐かしいです。
──そこから25年間続けているということは、そのときにバンドの楽しさを知ったということなんですか。
楽しかったのもありますし、高校1年の終わりから2年ぐらいからは、大阪城公園の城天でストリート・ライヴに参加させてもらうようになって、毎週日曜日に先輩たちと一緒に機材を運んで、その人たちを真似しながらライヴをやらせてもらってたんです。その頃から僕らより5歳も10歳も上の先輩たちを見て音楽をやっていたので、続けられたんじゃないかなって、僕自身は思っています。
──その頃のキクチさんは、音楽で生活していこうと決めていたんですか?
いや、ぜんぜん決めていなかったです。音楽で食っていくというよりは、半年先、1年後のライヴ・スケジュールが決まっていたので、もし途中で誰かが辞めるといっても、「次のライヴまではやろうよ」って言いながら続けてきたというか。そうするとライヴをやっていくうちにまた気持ちが変わり出して、新しい曲もできて、「やっぱりやろう」ってなってきて。その繰り返しで続いてきたと思うんですよ。最近は、僕以外のメンバーはそれぞれ忙しくなっているし、みんな今年40歳になるので大事なものやそれぞれの時間もあるので、昔よりはライヴも少ないんですけど、僕は1人で弾き語りもするようになっていて。
──弾き語りは結構長い間やってらっしゃるんですよね。
東日本大震災があった後に、『僕らに今があるということ』(2013年リリースのサード・アルバム)を出したんです。そのときには事務所とかもなくて、はじめて自分たちでワンマン・ツアーをやるはずだったんですけど、それも全部なくなってしまって。そこから僕は弾き語りをやらせてもらうようになってきて。大阪のFM802の方に「こういうときだけど歌いに来てくれませんか」って呼んでもらったりしたんです。そのときに、レーベル〈ZOOLOGICAL〉主宰の大柴広己君と一緒に、香川県と岡山県の2つだけツアーに連れて行ってもらったんですよ。そのときに「ミュージシャンは歌うしかないので」ってライヴのMCで言っていたのを覚えています。
それと僕はその頃、新代田 Live bar crossingで店長をやっていたんですけど、震災の翌日が、大柴君のワンマン・ライヴだったんです。僕は店長なので現場に行かないといけなくて。すごく怖くて行きたくなかったんですけど(笑)、大柴君がやるというので観に行って。そのときに、「1人で歌っていかなきゃいけないな」と思ったんです。そこから、バンドで音楽をやるというよりは、1人でも音を鳴らせば、ちゃんとバンドの音は届けられるんだなっていうことを知ったのかもしれないです。1人で歌っていても、「planeのヴォーカルの人ですよね」って言われることもあるし、1人でもバンドでもplaneというバンドで作った音源はいろんな人に届けられるんだなって。いまは、こういうお店(ギフトスタンド 「電波赤丸」)とかいろんなことをやりながら、音楽を続けている感じです。昔よりバンドで音楽を作ることもライヴをやることも少なくなってはいるんですけど、今回みたいにレコーディングをきっかけに、たまに集まって音を鳴らすと、まだちゃんとできるんだなって素直に思います。
60歳まで歌えるような歌を
──なるほど、そういうこともあって、バンドでアルバムをリリースするのは7年振りになったんですね。
誰かに作ろうって言ってもらわないと、バンド4人ではなかなか動かないというか。メンバー以外の人の力が大きいと思っています。
──それは、今作のプロデューサー大柴広己さんのことですか。
大柴君は、プロデューサーというか一緒に作ってる感じです。僕と大柴君と近野淳一(鴉)君の3人で〈春闘〉というツアーをやっていて、ツアー中に毎回2曲ずつ新曲を作らないといけないんです。それで出来上がった曲の中に、“オリンピックが終わる頃”があって。それを大柴君が、「これはバンドで作ったほうがいいよ」って言ってくれたことがきっかけでアルバムを作るきっかけになりました。
──そこから、アルバム・タイトルも『2020 TOKYO』になったんですね。
そうです。ちょうど僕も2020年で40歳になるので。20歳のとき、「ノストラダムスの大予言」を結構信じてたんですよ。
──ははははは(笑)。「1999年7の月空から恐怖の大王が降ってくる」ってやつですね。
そう思ってました(笑)。僕は7月22日が誕生日なので、ちょうどそれぐらいに世界が終わるなと思っていて。まさか続くとは思っていなくて(笑)。そこからまた20年経って、バンドがなくても音楽を続けることができた時間があったのでそれは良かったと思うし、またこうやってバンドのメンバーと一緒に音楽を作れたのも、大きな経験でした。曲は全部自分で作っているんですけど、バンドで歌うとき、ソロで歌うとき、大柴君のギターで歌うときで、不思議とそれぞれ曲の聴こえ方が違うんですよね。なんで音楽を続けていられるのかはわからないんですけど、「やめる必要のないこと」になってるんですよ、バンドが。
──自然に音楽が生活と一緒にあるというか、音楽との付き合い方が昔と変わってきたということですか。
無理なくやれるというか。60歳ぐらいまで歌えるような歌を作ろうというテーマが自分のなかにあって。若いときは高いキーを頑張って歌うとか、激しい音でとか、いろいろあると思うんです。だけどそういうことよりも長く歌っていられる楽曲を作りたいなという気持ちが大きくなったのが、一番変わったところかもしれないですね。
──今回はメンバーが生まれた年の“1980”からはじまって、人生とかバンドの25年間を感じさせる1枚になっていますよね。
“1980"は『entrance』(2011年リリース)というミニ・アルバムに入っているんですけど、自分のなかで「このアルバムの次に『museum』という作品を出そう」って決めてたんです。でも、震災があったことで、『museum』を作ってる場合じゃないなって。『entrance』を作ったときは、入口に立って、いままでやってきたことの集大成(『museum』)を作らないといけないと思っていたんですけど、弾き語りをはじめたら、まだなにもできてないし、終わっていないということに気付かされて。それまでは全部スタジオで作っていたので、作詞作曲はバンド名義だったんですけど、ドラムの神本が前作のときに「これはキクチユースケ君の作品じゃないですか」って言ってくれて。バンドの曲というよりは、僕が作ったものに対してバンドでアレンジしてるという解釈になっていたので、今回も作詞作曲はキクチユースケ名義で、バンドで作ったのは“陽はまた昇る”だけです。セッションでオケだけできて、ヴォーカルだけ決まってないという感じだったので、そういう作り方ができたのも、懐かしくてうれしかったです。
──“陽はまた昇る”はバンドの一体感があってダンサブルなカッコイイ曲ですね。
この曲は、何も決まってない状態で、結構酔っぱらって練習に行ったんですよ。夜12時からだったので、待てなくてお酒を飲んじゃって(笑)。それで曲を作ろうってなったらめちゃくちゃテンション上がっちゃったんですよね。そこからレコーディングして、大柴君と一緒に新たに歌詞とメロディを考え出して、スピーディーに作りました。アルバムのなかでそういう作りかたはこの曲だけですね。
──今作は、大柴さんと専門学校の学生のみなさんと一緒につくった作品とのことですが、これはどういうことですか?
もともと、レーベルの〈ZOOLOGICAL〉が専門学校とタイアップしていて、授業の一環としてスタジオでレコーディングしたんです。プロのエンジニアさんもいらっしゃるんですけど、基本的に僕らが題材になって、10人〜20人の生徒さんが音楽を録ってくれたんです。普段のレコーディングはエンジニアとプロデューサーと自分ぐらいしかいないので、歌っているときにそんなにいろんな人の表情を見ることができないですけど、今回は大勢の人が聴いてる状態でレコーディングしたので、丁寧にも歌いたいし、「いまここで聴いてる人たちに届けたい」というライヴのような気持ちが出ていたと思います。それははじめての経験でしたし、生徒さんも自分の半分ぐらいの年齢なのですごく新鮮で。曲をプレイバックしているときにその子たちがリズムを取っていたり、口ずさんでいたりすると、すごくうれしかったです。世代に関係なく音楽は伝わるということをリアルタイムで感じました。
──久しぶりのアルバムのレコーディングをそういう授業の一環に提供するというのも、器がデカいですよね。
いやいや、たぶんなにも考えてないってことだと思います(笑)。ただ、僕以外のメンバーは過去に別のレコーディングでその学校で録ったことはあったみたいです。学校なので朝からレコーディングで。普段は歌うのは夕方以降なので、朝からそんなにテンション上がらないんですけど(笑)、昔なら歌えなかったものを歌えるように持って行くとか、大人にはなったかもしれないですね。毎日、電車に乗って学校にレコーディングしにいくのは緊張感もあってよかったです。
──普段のレコーディングやライヴはいまでも緊張しますか?
それじゃダメかもしれないですけど、ライヴとかに緊張はしなくなりましたね。それと、大きい声を出さなきゃとか、遠くまで届けなきゃっていう気持ちがなくなりました。音が鳴っている空間の鳴り方のマックスに近づけられれば良いと思っていて。たとえば20人のバーだったら、そこでちゃんと音が鳴るような歌いかたができればいいなとすごく思っているんですよ。うるさいと、小さい子が耳を塞ぐじゃないですか? そうならないようにライヴをやるようになったら、すごく楽になりました。
──弾き語りをやるようになってから、そういう歌い方になってきたという?
弾き語りだと、歌ってる人の生きざまとか普段とのギャップとかが感じられるのが良いなと思っていて。僕の場合は、「こんなこといつ考えてるの?」って言われるんですよ。こんな歌詞を考えるタイプじゃなさそうだって思われてるみたいで。
マイペースに向き合う音楽
──リード曲“いつかあなたに花束を”なんかは、キクチさんを知ってる人からすると、ギャップがある歌詞なんですかね?
いや、〈何奴も此奴も 愚痴こぼして〉っていう歌詞は言いそうだって言われます(笑)。ここのAメロだけは27、8歳の頃に作ってたんですよ。でも上手く繋がらなくて、サビとかが作れなかったんですけど、それがやっとできて、“いつかあなたに花束を”っていう歌になりました。花束ってもらってもどう感動したらいいかわからないタイプだったんですけど、いつか誰かに花束をあげられたらいいなって。それに自分ももらったときに喜べる人になれたらいいなっていうところから歌詞が生まれました。
──歌詞に関しては、ネガティヴなところからはじまっても、ポジティヴに持って行ってるように思えますが、ご自身では意識してますか。
基本的には、ポジティヴだと思います。年齢もあると思うんですけど、歌詞だけを考えて悩む期間を作らないようにしているんです。昔は「歌詞を書かないといけない」「曲を作らないといけない」ってやってたんですけど、常に考えている時間なんていらないじゃないですか? 机に向かって音楽を作らなくなったんですよね。曲を作るときに、バーッと歌って次の日に思い出さなかったら、もうその曲は終わりにするんです。一応、iPhoneで録っておいたりするんですけど、たまに忘れていて聴いてみると、「意外といけるな」って思ったり。その繰り返しですね。
──そのときに、メロディと一緒に歌詞が思いつくんですか?
そうです。だいたい歌い出しの最初の一行目かサビの一行目が出来てないと、できないタイプなので。
──『2020 TOKYO』に収録された曲には、ツアーで書いて行った曲以外に、アルバムにするために書き足した曲もあるのでしょうか。
いや、ないです。“陽はまた昇る”以外は全部出来てました。大柴君と近野君と3人でツアーの度にオムニバスCDを作るんですけど、僕は家で一発録りした音源しか出してないんですよ。でも覚えてないので、ライヴは録ったものと違う歌になっていくんですけど(笑)。でもそれでいいなと思っていて。そのときの自己ベストを出しているというか。それに、お客さんの前で歌うと表情が見れたりするので、言葉が変わったりするんです。そのときに出た言葉を覚えておくというか。このアルバムの曲は、最初に商品として弾き語りでみんなに聴いてもらって、それでも残ってる歌詞と新しく追加された歌詞と、いまバンドで鳴らしたときに出てくる歌詞で最後にレコーディングした感じです。次にライヴをやるときには違う歌詞になってるかもしれないですけど。
──そこは特にこだわっていない?
歌詞を覚えなきゃいけないというよりは、忘れたら違う歌詞を出せればいいと思ってるんですよ。もし歌詞が飛んだら、ちゃんとそこにハマる歌を歌えば良いと思っていて。たとえば、2番から歌っちゃうことがあるんですけど、2番から歌ったら2番と1番を順番に歌えば済むんですよ。
──それはダメな気がしますけど(笑)。曲のストーリーが違っちゃうんじゃないですか。
そうなんですけど(笑)、自分の中の解決方として、そこでちゃんと辻褄を合わせるように言葉を足して歌ったりするんです。結構、その瞬間に思ってる感じで歌ってると思います。ただ、絶対に間違えたくない歌詞、「ここだけ歌えたら良い」っていう2、3行の歌詞が、僕の中で全曲にあると思うんですよ。それで良いと思ってるところはあります。
──今回アルバムを7年振りに世に送り出すというのは、キクチさんにとってはどんな感覚なんでしょう。
5年後にまた出来たらいいなっていうぐらい、ゆっくりと音楽を掴まえて行く感じというか。いま弾き語りとかをしていて、20年前に出した曲をやっと振り返れるようになってきたんですよね。昔の曲はバンドでやってた感じが強いので、「これは弾き語りでは伝わらないな」って思ってしまうんですけど、そうじゃない作品が2枚続けて出せているし、弾き語りでやってもバンドでやっても届くと思う。「どっちも違う曲に聴こえるね」ってなっていけばいいなというのが、いまの一番正直な気持ちです。
──“東京タワー”というテーマで曲を書く人は多いと思うんですけど、ここにきてこの曲が出来たのはどうしてなんでしょうか。
大柴君に「“東京タワー”って曲作ってよ」って言われたんです。それで、おうちで5分出来ました。おうちで歌ったんで、あんなに小声で裏声なんですよ。10年ぐらい前に、はじめて東京タワーに連れて行ってくれたのがアンダーグラフの真戸原(直人)さんだったんですけど、僕らにとって東京タワーってわざわざ行かないと見れないイメージだったんです。でも最近首都高を走っていると、東京タワーっていきなり出てくるんですよ。昔は見に行かないと見れなかった東京タワーがいまはすごく見えるなと思っていて。
僕は出身が大阪なんですけど、通天閣は自分のなかでそうはなっていないんですよね。太陽の塔もそうはなっていなくて。いまこの年齢で自分が見上げるのが東京タワーだったんです。何回か東京タワーに上ったこともあるんですけど、上から見下ろすと道で渋滞している車が東京タワーみたいに見えるポイントがあるんですよ。歌詞もそういう風に、東京タワーになってみたり、東京タワーに見られてみたりしていて。いろんな人によって、ふと見上げて考えるポイントってあるだろうなと思うんですけど、僕の場合は東京タワーだったということです。
──このタイミングでアルバムを出すということは、ライヴが出来なかったり活動に制限が出てしまったりしますよね。先が見えない状況が続いていますけど、いまどんな思いで生活していますか。
いまはコロナでライヴハウスとかみんながみんな大変なので。あんまり誰かを責めてもしょうがないし、なるようになるしかないと思ってます。「ゆっくり考える時間をもらってる」と思うようにするとか。昔は誰かが遅刻してきたら、「なんで遅刻するんだ!?」って思ったんですけど、いまは誰かが遅刻したら、「その間に違うことをするために遅刻してくれてる」って考えるようになっていて。「遅れてくることを責めるよりその時間をもらったと思うようにしたほうがいいんじゃないの」って人に言われて、そう思うようになったんですけどね。
──7月23日に大阪Club JANUSでワンマン・ライヴ昼夜2公演を予定していますね。
正直、できるかどうかわからないですけど、もしそれができなかったとしても、それに代わるものをやりたいです。自分たちも残したいものがあるので。それはライヴ映像だったり、いまバンドをやってる姿だったり。いままであんまりそういうものを残したいと思っていなかったんですけど、いまはこういう時期だし、ちゃんと残したいと思っています。本当は東京でやればいいのに、なぜか大阪でやりたいと思ったんです。僕らも大阪に行くし、planeが好きな人たちも大阪に来てほしいと思ったんですよね。
最近、おもしろいのが、弾き語りで僕のことを知ってくれた人が結構いて、バンドを知らない人ばかりで、「planeを観てみたい」って言われることが増えたんです。それも新鮮というか、この7年ソロでやってきたからバンドに繋がっているというか。最初はバンドのヴォーカリストが弾き語りをやってるっていう認識をされていたのが、それが変わったのがすごく楽しいですね。でもやってる方は変わってないですから。お客さんがどういう気持ちで来ていても、僕らからちゃんと届ければそれは伝わると思うし。そういうはじめての経験なので、楽しみです。
──キクチさんは音楽に対して常に新鮮な気持ちがあるんですね。
新鮮な感じはあります。あんまり音楽をやらないようにしているので(笑)。すべてのものにタンクがあると思っているので。たとえば、人生でざるそばを食べられる量って決まってると思うんです。たぶん、音楽も人生でやれるタンクの量も決まってると思うので、それが一杯にならないように、いろんなタンクを持った方がいいなと思っていて。それでいま、いろんなことをやってるんです。ざるそばは食べ過ぎて嫌いになってしまったので(笑)。そうなったら悲しいじゃないですか?
──音楽はざるそばみたいにお腹いっぱいにならないようにしたい、と(笑)。
そうですね。音楽はそうならないようにしたいなと思います。すみません、変な終わりかたで(笑)。
取材協力
電波赤丸
〒153-0052 東京都目黒区祐天寺2−6−11 1F
https://socko.thebase.in/
編集 : 鈴木雄希
『2020 TOKYO』のご購入はこちらから
過去作も配信中!
新→古
LIVE SCHEDULE
2人のはじまりのうた
出演 : キクチユースケ(plane) / 金廣真悟(グッドモーニングアメリカ)
2020年8月9日(日)@大阪谷町cafe & bar LGT
時間 : OPEN 19:00 / START 19:30
2020年8月10日(月)@京都SOLE CAFE
時間 : OPEN 12:30 / START 13:00
2020年8月10日(月)@名古屋PUB ROLLING MAN
時間 : OPEN 19:00 / START 19:30
【詳しいライヴ情報はこちら】
http://fathermusic.jp/plane/live/
PROFILE
plane (プレーン)
結成25年を迎えようとしている「1980」同世代四人組バンド「plane(プレーン)」の待望の新譜は7年ぶりとなる4枚目のフル・アルバム「2020 TOKYO」瑞々しく、はじめてギターを鳴らしたあの瞬間。ここに収められた10曲の短編集は、そんな過去、現在、そして未来へ続いてゆく希望へのストーリー。
【公式HP】
http://fathermusic.jp/plane/