【連載】〜I LIKE YOU〜忌野清志郎──《第2回》 ロック・フォトグラファー 有賀幹夫(後編)
INTERVIEW : ロック・フォトグラファー 有賀幹夫
前編では自らを「RCサクセションのファン代表」と称して、80年代のRC、忌野清志郎の魅力を語ってくれたロック・フォトグラファー 有賀幹夫さん。後編では、ソロ活動期の清志郎、あの『COVERS』制作中のレコーディング・スタジオでのエピソード、そして清志郎ソングのベスト3曲、アルバム1枚をチョイスしてもらいました。
企画・取材 : 岡本貴之 / ゆうばひかり
文・編集 : 岡本貴之
撮影 : ゆうばひかり
ページ作成 : 鈴木雄希(OTOTOY編集部)
協力 : Babys
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ソロ・アルバム『RAZOR SHARP』ではクラッシュのトッパー・ヒードンらと普通に渡り合える忌野清志郎っていう衝撃があった
──はじめて野音でRCのライヴを撮影したときはまったく清志郎さんと接することはなかったそうですが、その後、清志郎さんとお話するような機会はあったんですか。
有賀 : いや、最後までそこまでの関係はないですよ。でも、『COVERS』のレコーディング・スタジオに毎晩行ったり、ソロ・アルバム『RAZOR SHARP』(1987年)の取材で撮影させていただいてお会いしたりはしました。そのときはサインをもらったんですけどね(笑)。
──本当に純粋にファンだったんですね(笑)。では清志郎さん初のソロ・ワークとなった『RAZOR SHARP』について伺おうと思います。
有賀 : このアルバムでドラムを叩いているのはクラッシュのトッパー・ヒードンだったり、イアン・デューリーのバンドのブロックヘッズも参加していたり、メンツがすごいじゃないですか? よくぞこれだけのバンドマン気質のいいメンバーを揃えたな、って。その中に入って普通に渡り合える忌野清志郎っていう衝撃と、でも「あ、RCと一緒だな」って思うところもありましたね。
──えっ、それはライヴを観てそう思ったんですか?
有賀 : ライヴでもアルバムでも。清志郎の世界っていうのはもちろんRCと地続きなんだけど。でもなんか、「RCと一緒といえば一緒だな」みたいなさ。上手く言えないけど。
──それだけ忌野清志郎っていう個性が周囲を巻き込んでしまうというか。
有賀 : そうそう。
──ツアーでも有賀さんは撮影していますが、このときは指定された曲のみの撮影だったみたいですね。セットリストを見て、「この曲はこういうところを撮ろう」とか考えてました?
有賀 : いや、リハから観てるならともかく、そこまではわからないもん。ロックのライヴ撮影っていうのはもっと動物的なもので、あんまり知り過ぎちゃってもつまんないからね。
──そのときに起こることにいかに自分が反応するかっていうことですね。そういえば『the TEARS OF a CLOWN』のときは「LONENY NIGHT (NEVER NEVER)」の最後で、「ドーンドーンドーン!!」って、ものすごい特効の爆発がありますよね。
有賀 : うん、さすがにあのときは逃げたね。
──ははははは(笑)。写真集に掲載されたハーモニカを持ってしゃがんでる清志郎さんの写真はこのときのものですよね?
有賀 : ああ〜そうだね。「うわ〜〜!!」みたいな感じで、メンバーもわかっていたのにビックリしてるっていう。
けっこう被害に遭いましたよ、水鉄砲とか(笑)
──清志郎さんはステージ上からカメラマンに、ひもスプレーをシューってかけたり物を投げたりよくしてましたよね。
有賀 : けっこう被害に遭いましたよ、水鉄砲とか(笑)。カメラのレンズを狙ってくるんだよ。でも清志郎さんにやられたら喜ぶしかないよね。そういえば家に帰ってからレンズを見たら、スプレーの塊がついてたことがあったなあ。
──でも嬉しかったですか?
有賀 : 嬉しいよ〜、そりゃあ(笑)。
──『RAZOR SHARP』のときはまだRCが続いてる中でのソロ活動だったわけですが、“RCじゃない清志郎”の活動をどう見てましたか?
有賀 : もう結構、RCもガチガチに固まってる感じがしてたから、次はソロっていうのはわかる気はしましたけどね。ソロだったけど僕は「外人版のRC感」みたいなものを感じてたし、そのソロ・アルバムは音が良かったでしょ? このアルバムを作ったことで清志郎さんも変わったと思うし、ファンも変わったと思うな。
──ファンもですか?
有賀 : そのあとに出たRCの『MARVY』(1988年2月25日)とか、音が良くなって行きましたから、ここにきていろいろ打破しているな〜と思いました。
──曲名が有賀さんの写真集のタイトルにもなっていますけど、ミニ・アルバムの『NAUGHTY BOY』(1986年4月23日)でロンドンに行ってティム・パーマーにリミックスしてもらってから変わっていったようですね。
有賀 : そうそう。ロンドンでのソロ・アルバム制作から音作りにこだわるようになった印象がありました。
──『RAZOR SHARP』も良いし、ライヴでも文字通りキレのあるサウンドでカッコよかったですよね。どちらかというと後々やることになるブッカー・T&ザ・MG'sよりブロックヘッズの方が清志郎さんに合ってたような気がするんですよね。
有賀 : そう! だから僕もブロックヘッズとの第2弾、第3弾くらいまでは期待したんだよね。あの1枚だけで終わるのはもったいなかったよねえ。
──はじめてのソロでしたけど、かなり評価が高いですよね。
有賀 : というよりも、やっぱりRCがかなり完成されていた時期が続いていたからね。1986年8月の野音も素晴らしかったけど、集大成っていう感じもあったからね。だから、ソロをやるときに「えっRCじゃないんだ!?」とまでは思わなかったですね。それ以上に海外のワクワクするミュージシャンとやるっていうのもあったしね。
清志郎さんは本当に文学青年みたいな感じで、ノートをいつも小脇に抱えていた
──その後、有賀さんがRCを撮影するのは『COVERS』のレコーディングですね。
有賀 : これはラッキーでしたね。だって、前にも言ったようにRCってこういう現場に他の人間は入れないところがあったから。だけどこのときは毎日ゲストが入るから、それを撮影してくれっていうことになって。しかも夜7時くらいからスタジオに行って、次の日の朝5時くらいまでやっていて。その間、ずっと待ってないといけないわけですよ。だってどこでゲストと写真を撮れるかわからないから。それで長い時間スタジオにいられる若いカメラマンをっていうことで僕が呼ばれたんです。でも全部のオケがもうできていて、スタジオの中は清志郎さんとチャボさんしかいなくて。基本的に清志郎さんがディレクションしてましたね。
──このときの目的としてはゲストと写真を撮るということがメインだったんですか?
有賀 : そうそう。今日は三浦友和さんが来る、とか金子マリちゃんが来るとか。桑田(佳祐)さんとジョニー・サンダースは撮れなかったけどね。長時間待機していてスタジオにずっといられたんだけど、僕はず〜っと黙ってましたよ。こういうときは透明人間になるしかないから。しかもレコーディングだからビシバシ撮れないし。でも毎晩RCの現場に、しかもレコーディングで清志郎さんとチャボさんがいるスタジオにいられるんだから、もう最高でしたよ。撮影してないときもストーカーみたいに「じ〜」っと見てたもん(笑)。
一同 : (笑)。
有賀 : それこそ目に焼き付けようと思って。清志郎さんの一挙手一投足を。
──清志郎さんの肩越しに撮ってる写真がありますけど、これはどのくらいの距離で撮ってるんですか?
有賀 : これはもう、すぐ後ろですよ。だから、「行くときは行く」っていう感じで。
──清志郎さんの方から声を掛けられた覚えはあります?
有賀 : あんまりないなあ。清志郎さんは物静かだしね。それに結局こっちもファンだから、口を開いたら余計なことも言っちゃうじゃないですか? そういうのは「ああ〜言わなきゃよかった」って後悔するから(笑)。でも本当に文学青年みたいな感じで、ノートをいつも小脇に抱えてて。歌詞とかアレンジとかを書き込んでいたんだと思う。普段はステージとは別人で寡黙だっていうのはファンだからわかってたけど、本当に文学青年みたいなんだなあって思いましたね。
ジョン・リー・フッカー、ボ・ディドリー、ロン・ウッドの3ショットを見せたら清志郎さんがすごく驚いて「チャボに見せに行こう!」って
──この後、所謂「COVERS騒動」(※注)が起こるわけですけど、見る限りそんな空気は一切ないですよね。
COVERS騒動
1988年8月6日に〈東芝EMI〉から発売される予定だったRCサクセションの洋楽カヴァー・アルバム『COVERS』は、先行シングル「ラヴ・ミー・テンダー」ともども発売中止が発表され、「素晴らしすぎて発売できません」という新聞広告が打たれた。反核・反原発が歌われた楽曲が収録されているため、親会社の東芝からの圧力がかかったためではないかと言われている。
その後、シングル・アルバム共に古巣である〈キティレコード〉(現・ユニバーサルミュージック)からリリースされ、RCサクセションとして初のオリコンチャート1位を獲得した。
有賀 : そうそう。だから、結果的には政治的な内容だけれども、カヴァー・アルバムとして楽しく作ってたっていうイメージだったんだと思いますよ。本当に楽しそうに作ってましたもん。現場にもピリピリしたムードはまったくなかったし。
──有賀さんがいたのは何日間くらいでしたっけ?
有賀 : たぶん、5日間くらいは行ってたんじゃないかな。仕事が終わって朝5時くらいに溜池山王にあった東芝EMIの3stから帰るのにタクシーを待ってたら、車が僕のすぐ横に止まって。それがチャボさんで。窓開けて「送って行こうか?」って言ってくれて。「いえいえ、タクシー待ちますから結構です」って。普通、「あ、有賀だ」って思って行っちゃうじゃないですか? でも止まってくれて「送って行こうか」なんて言ってくれるんだもん。それがチャボさんなんだなあって泣けたよね。
──結局、乗らなかったんですか?
有賀 : 乗らないよー! そこはやっぱり仕事で関わってるんだからさ、サインをもらうのだって本当は良くないじゃない? でもまあそれはもらっちゃったけどね(笑)。
──清志郎さんとはそのときもあまり話していないみたいですけど、その後も会話を交わした記憶はあまりないですか。
有賀 : そんなにないけど、1番のハイライトは1988年に汐留PITでRCがやったときだね。その頃僕はイケイケで、ローリング・ストーンズのロン・ウッドが日本に来たときに写真を撮って気に入られて、その後ロンとボ・ディドリーのアメリカ・ツアーを一緒に回って撮影していて。そのときのサンフランシスコのライヴに飛び入りでジョン・リー・フッカーが参加したんだよ。それでジョン・リー・フッカー、ボ・ディドリー、ロン・ウッドっていう3ショットを撮って帰国してから最初の仕事がRCのライヴ撮影だったんだけど、バックステージ付近のエリアで清志郎さんに会えて、その写真を「清志郎さん、こんなの撮れました!」って見せたんですよ。そうしたら清志郎さんがすごく驚いて、「チャボに見せた!? チャボに見せに行こう!」ってバーッと走って行っちゃって、帰って来なかった(笑)。
僕はそういう風に、ただファンだったわけじゃなくて、ミュージシャンにも感動してもらえるものを撮りたかったんですよね。撮ってアーティスト本人が喜んでくれるのはもちろんなんだけど、別口でジョン・リー・フッカーなんか撮れちゃったときには、「清志郎さんに見せたいよなー」って思うんですよ。そこが僕の勝負を懸けるところというかね。それ以降は「有賀はジョン・リー・フッカーを撮ったカメラマン」ってなるじゃないですか。そんなやつはそうそういないわけで。そこなんですよね。あのときの清志郎さんの反応には「やったー!」って気分になりましたよ。
「激しい雨」は発表された時から好きな曲だったけど今は歌われている描写に震えてしまう
──では有賀さんが好きな3曲とアルバムを1枚挙げてください。
有賀 : 好きな曲って季節や日によって違うものだと思うので、今取材を受けてる段階で、ということで選びます。「多摩蘭坂」「激しい雨」と、あえて「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」を同列で1つにして選ぼうかな。
有賀幹夫が選ぶ忌野清志郎の3曲
①「雨あがりの夜空に」&「トランジスタ・ラジオ」
②「多摩蘭坂」
③「激しい雨」
──「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」から理由を教えてもらえますか。
有賀 : 上り調子のロック・バンドが出す完璧な曲ってあると思うんです。THE BLUE HEARTSなら「キスしてほしい」、THE YELLOW MONKEYなら「太陽が燃えている」とか、爆発的に売れた後では作れない感じの曲ってあるじゃないですか。そういう勢いが「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」の2曲にはありますよね。加えてソロ・アーティストには作れないカッコよさっていうのかなあ。上り調子のロック・バンドが出すオーラが曲にあるんだよね。それと、「雨あがりの夜空に」って車とセクシャルなイメージを掛けた歌詞だけど、少し後から出たローリング・ストーンズの「Start Me Up」も同じようなテーマの曲なんだよね。だから、ローリング・ストーンズ・ファンとしては、「雨あがりの夜空に」を聴いた後に「Start Me Up」が出てきたわけだから、ビックリしたよね。RCって“ストーンズよりストーンズじゃん!”って思いましたよ、あのときに。
──今日、撮影もさせてもらいました「多摩蘭坂」についてはいかがでしょうか。
有賀 : 「多摩蘭坂」は国立にある、清志郎さんの聖地的な実際にある坂ですけど、僕も小平の出身で、清志郎さんは中野生まれで小平にも住んでいたらしいんだよね。そこから国立に移ったんだけど、「三多摩」(東京都西部の西多摩、旧北多摩、旧南多摩3郡の総称)的な清志郎ソングはすごく好きで。『シングル・マン』なんかは全編「三多摩」のちょっとうちに籠っているロック青年の感じというか。清志郎さんと近いエリアで育った身としては、「三多摩」を感じさせてくれる曲はマストです。「多摩蘭坂」なんかは完全に国立の曲なわけだからね。それにこの曲、プログレだと思う。日本武道館の〈完全復活祭〉(2008年2月10日開催)で久々にライヴで聴いて、本当に良い曲だなって思いましたね。泣きましたよ…… 最後に観た清志郎さんのライヴでこの曲を聴けたことで、より一層ものすごく胸に刻み込まれました。
──最後は「激しい雨」(『夢助』収録 2006年10月4日)です。
有賀 : 清志郎さんにとって最後のアルバムになった『夢助』はどこかRCの頃の清志郎さんに戻った、ソウルっぽいけど歌の感じはロック・バンドの人っぽい歌詞になっていて。「激しい雨」は、いまとなっては予言的な歌だと思うんですよ(〈海は街を飲み込んで ますます荒れ狂ってる 築き上げた文明が 音を立てて崩れてく〉)。『COVERS』では原発がなんのためにこんなに建ってるんだって、直接的な言葉で社会的なことを歌っていたけど、「激しい雨」はもはやそういう直接的な政治ソングではなく、もっと大きな世界、大震災への予言の書みたいなことを歌っていて。だけど〈RCサクセションがきこえる〉なんていうフレーズが出てくると、なんかもうファンとしてはなんともいえないですよね。曲としてもチャボさんとの共作で名曲ですよね。発表された時から好きな曲でしたが、今は歌われている描写に震えてしまいますね。
──ではアルバム1枚を選んでください。
有賀 : 僕はやっぱり『the TEARS OF a CLOWN』ですね。仕事としても関われて、でも圧倒されて。それでライヴ盤になって聴いたらあの感じが全部パッケージされていて。翌年は清志郎さんがソロをやって、RCはいったんここでブレイクするわけだから、僕が「ステップ!」と「雨あがりの夜空に」で人生コースが変わるほど憧れたロック・バンドの頂点、完成形だなっていう思いがありますね。選曲も最高だしね。
有賀幹夫が選ぶ忌野清志郎のアルバム
若い人たちはどの曲でも、とにかくフッと聴いてみたらすごくてビックリするんじゃないかな
──ありがとうございます。では最後に、若い音楽リスナーやアーティストに向けて清志郎さんのどんなところをとくに知って欲しいかメッセージをお願いします。
有賀 : 「ステップ!」でファンになってリアルタイムで追いかけてきた僕でも、『COVERS』の騒動とか『コブラの悩み』あたりの振り切り方はついていけないところもあったんだよね。いま聴くとすごく良いけど、忌野清志郎&2・3'Sも当時は「えぇっ!?」って思ってたし。リアルタイムでかなりコアなファンになっても、活動の幅が広すぎてついていくのが大変なくらいだった(笑)。だけど、この前レコード屋で「人間のクズ」(『冬の十字架』収録 / 1999年)が流れてて、〈クズクズクズクズ人間のクズ〜♪〉っていうのを店内にいた20代前半くらいの絶対清志郎さんを知らないであろう若いカップルが「なんだこの曲? すごい!」ってウケてたんだよね。そのときに、「ああ、清志郎さんのパワーってこれか」って思い知らされたんですよ。ビシバシ熱いラヴ・ソングから、社会的なところも含めて本当に嘘を歌っていない人だなって思うんです。だからこそ、その振り幅についていけない時期もあったくらいなんだけど、いま聴くと本当にどれも素晴らしいんですよね。だから、若い人たちはどの曲でもとにかくフッと聴いてみたらすごくてビックリするんじゃないかなって。それが清志郎さんのワン・アンド・オンリーな偉大な世界だと思います。
【>>>第3回は3月9日に掲載します! お楽しみに!】
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>>> 「ONTEN 〜LOVE&ROCK ビートルズ × 忌野清志郎〜」についてはこちらから