【連載】〜I LIKE YOU〜忌野清志郎──《第10回》高橋 Rock Me Baby (後編)
INTERVIEW : 高橋 Rock Me Baby((株)フォーライフ ミュージックエンタテイメント / (株)ユイミュージック)【後編】
忌野清志郎にとって激動期となった80年代後半から、〈東芝EMI〉の宣伝担当として音楽業界へと足を踏み入れた高橋 Rock Me Babyさん。現在でも語り草となっている、THE TIMERS(ザ・タイマーズ)が地上波テレビ番組生放送で起こした「FM東京事件」では、スタジオでその一部始終を目撃している。インタビュー後編では、事件の前後に起こっていたこと、そして後に清志郎が行ったゲリラ・ライヴについて。また、「清志郎さんの音楽は、あくまでも娯楽だから後々にも残る音楽になってる」という高橋さんに、好きな清志郎楽曲3曲と1枚のアルバムについて、その魅力を存分に語ってもらった。
企画・取材 : 岡本貴之 / ゆうばひかり
文・編集 : 岡本貴之
撮影 : ゆうばひかり
ページ作成 : 鈴木雄希(OTOTOY編集部)
協力 : Babys
もしかしたら「これはチャンスだ」と思ったのかも
──THE TIMERS(以下・タイマーズ)の「FM東京事件」(※1)については、これまでたくさん語っていらっしゃると思うんですが、改めて訊かせてください。あの日は、一連のプロモーションの一環でテレビ生出演が決まっていたんですか。
※1「FM東京事件」
1989年10月13日放送のフジテレビの音楽番組「ヒットスタジオR&N」に出演したタイマーズは、当初2曲目に予定されていた「偽善者」を演奏する場面で、FM東京(現・TOKYO FM)を名指して放送禁止用語を交えた曲を歌い出して物議をかもした。
高橋RMB : タイマーズは期間限定のバンドでしたので、宣伝企画も話題を呼びました。音楽誌とカルチャー誌の表紙だけしかやらないというコンセプトで情報の出元を絞り、それだけでもかなりな数だったのですが、さらに決定打として、テレビに1回だけ出演することになりました。番組はフジテレビの音楽番組「夜のヒットスタジオR&N」(1989年10月13日放送回)。その前に、FM東京でタイマーズのアルバムが、そしてFM東京とFM仙台(現・Date fm)で山口冨士夫さんと清志郎さん共作のティアドロップスの曲「谷間のうた」が、放送自粛になったんです。清志郎さんは、音楽評論家の田家秀樹さんとの取材時にその話題になり、放送自粛になったことを知りました。ただ、よく放送禁止とかになっていたので、僕はそれほど大きくは受け止めていませんでした。
──その件について、清志郎さんは怒っていたのでしょうか。
高橋RMB : 怒ってる様子は全くなかったですね。これは僕の見解ですけど、もしかしたら「これはチャンスだ」と思ったのかもしれません。タイマーズはある意味、パンクでしたが、「デイ・ドリーム・ビリーバー」はスタンダード的な佇まいでヒットして、とても素敵なCMソングになり、全国のお茶の間にハイスピードで広まっていきました。ロックシーンでも誰もがわかる覆面バンドであり、「嫌いなバンドはRCサクセション。あんなチャラチャラしたバンドは……」って言ったりするコミカルな自虐ネタやユーモラスな仕掛けが、当時のバンド・ブームの若いリスナーにもとてもウケて、新しい10代のリスナーがいっぱい入ってきました。タイマーズのライヴ会場に行くと前者と後者がミックスされて、新しいロック革命がはじまる1981年の武道館のような光景でしたね。
──それって、以前(本連載第3回で)太田和彦さんがおっしゃってた、初期のRCを「ぼくの好きな先生」だけ聴いて観に来ていた女子高生たちと同じですよね。
高橋RMB : 同じ現象ですね。ポップスはロックをも覆いつくしちゃうので、あらゆるリスナー層が入ってきました。「デイ・ドリーム・ビリーバー」でライヴを見に来た子は驚いて、バンド・ブームで知った子たちはおもしろがって、清志郎ファンは「やっぱり清志郎のサウンドはいいよな」って。その後、あの世界的にも歴史的にも未だかつてないロック史上最もセンセーショナルな事件へと繋がっていきます。
テレビ出演の前に、北海道のフェスで「FM東京」をやっていた
──さきほど「『これはチャンスだ』と思ったのかもしれない」とおっしゃいましたけど、前々から考えていて実行したのかもしれない、ということですか?
高橋RMB : あれをやる前に、北海道のフェスであの曲(「FM東京」)をやっていますので。当時はネットもないので、“遠くの札幌でどんな歌を歌ったか?"またそれが“どれほど痛烈なものだったか"なんて、リアルには伝わらなかった。だから、まさかあんなストレートな歌をやったなんて! テレビでは出番がCM明けだったのですが、CMの最中に小さな音で、2小節くらいR&Rの典型的なリフをあわせていて、それを聴いて「アレ? なんだろう?」という違和感を感じました。セットリストにはあのリフを使う曲もないのに、と。CMが明けて本番に突入。2曲目にいきなりあのリフが飛び出しました。それが「FM東京」。清志郎さんの歌う3コードのロックンロール。凄いグルーヴでした。
──確かに、ものすごい爆発力でしたね。そのとき高橋さんは宣伝部としてタイマーズの恰好をしてスタジオにいたわけですよね。
高橋RMB : そうです。スタジオにいて、「大変なことになった」と思いました。
──放送を見れなかった地方の人にも伝わりましたもんね、あの事件は。
高橋RMB : それまでタイマーズをよく知らなかった人たちにも届きました。タイマーズには「間違った情報に踊らされるな」というテーマがあり、当初から近藤さんのアイディアで、東芝EMIのスタッフ10数人にタイマーズの恰好をさせて、4人のタイマーズや3人しかいないタイマーズ、10人もいるタイマーズ等、メンバーが入っているパターンから入っていないパターンまで、20パターン以上の謎のプロモーション用アーティスト写真を撮って、大量にプリントしていました。なので、事件翌日のワイドショーや新聞、翌週の週刊誌などのメディアの方々が「タイマーズの写真が欲しい!」と殺到したときに、あらかじめプリントしていた写真の束をひとつの箱に入れて、かきまわして、手を突っ込んで取り出したものから順番に出していきました。結果、全国のメディアにいろいろな写真が出て、話題になり、さらにタイマーズの大きなプロモーションにつながっていったんです。
──覆面バンドだからって、すごいことしますよね(笑)。
高橋RMB : 1960年代のザ・フーやドアーズのテレビでの有名なパフォーマンス、1977年にはセックス・ピストルズが船の上でやったセンセーショナルなライヴ。これまでのロックの伝説に挑戦しているような第一期タイマーズの仕掛け。清志郎さんと近藤さんは、ロック的宣伝の天才だと思いました。
前年のアルバム『コブラの悩み』は発売中止になるかもしれなかった
──あの事件を機に、シングル「デイ・ドリーム・ビリーバー」やアルバム『THE TIMERS 』(1989年11月8日)はさらに売れたんですか?
高橋RMB : 事件というよりは作品がよかったので、シングルもアルバムも、ものすごく売れました。両方ともチャートの上位に入りましたしね。話は前後しますけど、1988年の11月下旬に「コブラの悩み」が、またも発売中止になるかもしれないという事態が発生したんです。『COVERS』事件があったにもかかわらず、〈東芝EMI〉に戻ってきてくれたのに、またも発売中止に…… という、絶望的だと思われる中、近藤さんの熱意によって〈東芝EMI〉からリリースしてくれることになりました。ひとつのことを成し遂げるのに多くは語らない。言い訳もしない。近藤さんの度胸の凄さにいまでも胸が熱くなります。このときの近藤さんの行動がなければ、その後のタイマーズの革命も、年間を通したRCサクセション20 周年プロジェクトの成功も、HIS(ヒズ)の挑戦も、『Memphis』の実現も、作品はあったかもしれませんが、あれほどポップでミラクルな企画アイディアとカラフルな宣伝展開、それによって得た未来永劫語られる様々な伝説は全部なかったと思います。
RC20周年とゲリラ・ライヴ
──タイマーズの活動を終えると、清志郎さんはRCのデビュー20周年(1990年)に入っていくわけですが、事前告知なしのストリート・ライヴを行うなど、より自由な活動をしていくようになった印象です。
高橋RMB : RCが20周年で二十歳だからということで、成人式の日に、僕が清志郎さんのコスプレをして自動車の屋根の上に乗って、カラオケでRCの曲を歌いながら原宿、渋谷、新宿でフライヤーを撒きました。若い人たちの間で話題になり、それを近藤さんがビデオで撮影していまして、ある日、清志郎さんに見せたら「俺もやりたい」となり、それで試しに有楽町でやって、次に本格的に竹下通りや表参道、渋谷ハチ公前でやりまして、大きなトピックになりました。有楽町の時は有賀幹夫さんに写真を撮って頂きました。
──それが「あふれる熱い涙」のMVになったんですね。
高橋RMB : そうです。安斎肇さんにディレクションして頂きました。清志郎さんは当時、素顔でメディアにあまり出ていなかったので。ノー・メイクで帽子をかぶってサングラスをしていると、最初はわからない。でもあの声でだんだん気がつかれてきて、人が集まってきて、大騒ぎになってしまった。最初は2、3曲の予定だったのですが、10曲以上やりました(笑)。これがきっかけになって、街中でのパフォーマンスやバスキング、ストリートプロモーションが急増して、マスコミにも取り上げられて、社会現象に。RC20周年プロジェクトの成功はこの瞬間に決まりました。
5人のRCにおける最強盤『BEAT POPS』
──では、高橋さんが好きなアルバムを1枚、お願いします。
高橋RMB : 『BEAT POPS』(1982年10月25日)です。5人のRCにおける最強盤だと思います。チャボさんのギターとG2のシンセ、オルガンにブルーデイホーンズのホーン・セクション。この3つの世界が見事に表現されている作品です。「SUMMER TOUR」(シングル・カットされてベスト10入り)は素晴らしいソングライティングと一発録りのライヴ・テイク。「こんなんなっちゃった」は、かわいくてチャーミングな曲。RCの最大の魅力。「つ・き・あ・い・た・い」のイントロの「ダダダダダダダ〜」から最後のオーケストレーションまで、実に異端でポップ。2コードの曲でギター・ソロの後にシンセであんな派手なオーケストレーションをつけるなんて、とてもロマンティック。RCならではのロックンロール・ファンタジー。「エリーゼのために」の歌詞のセクシーなユーモアや、当時のニューウェーブ感覚を入れてブルースに聴こえないようなアレンジにしている「ナイ・ナイ」、クロージング・ナンバーの「ハイウェイのお月さま」はセンチメンタルなリズム・アンド・ブルース。まるで2人(清志郎とチャボ)が恋人同士のように歌う。あれをダブル・ヴォーカルで歌えるところもRCのストロングポイントのひとつ。しかも2人ともあんなに個性が強いのに、声質はピタッとフィットする。マジックがかかるんです。
高橋 Rock Me Babyが選ぶ忌野清志郎のアルバム
よく言ってました、「ただのロックだよ」と
──「君を呼んだのに」はどう感じますか?
高橋RMB : それまでのRCにはなかった曲ですね。そういえば岡村靖幸さんが以前、コンサートのパンフレットで好きなアルバムを2枚選んでいたのですが、1枚は松田聖子さんでもう1枚はRCの『BEAT POPS』でした。そのときのコメントに「内省的なRCが好き」と書いてありました。直感的に「君を呼んだのに」を連想しました。しかも、そういう曲を歌うときでもポップにいい意味でライトに歌う。そこが大好きです。あくまでも娯楽だからかっこいい。よく言ってました、「ただのロックだよ」と。娯楽だから、後々にも残る音楽になってる。娯楽だからバラエティ番組で歌ったりしてもかっこいい。
──よく、お笑い番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系列)に出たりしてましたもんね。アダモちゃんとかに囲まれて平然と「AROUND THE CORNER / 曲がり角のところで」(1987年2月4日)を歌っていたり(笑)。
高橋RMB : そうそう(笑)。テレビが好きでした。逆に意味を持たせるのが嫌だったのだと思います。スターに余計なものはいらない。光輝いているからそれだけでいい。だから売れないと意味がないし、売れたからスターなのであって、スターに細かいことは必要ない。清志郎さんはロック・スターという枠を越えて、ポップ・スターとして、わかりやすく体現してました。
──あんまり細かいことはいいんだ、という。
高橋RMB : そうですね。あと、清志郎さんは「売れる」っていうことをひょっとしたら誰よりもわかっていたのかもしれないですね。『Baby a Go Go』(1990年9月27日)からシングルを選ぶときに、僕は「I LIKE YOU」(1990年9月5日にシングル発売)を推したんですけど、社内で僕1人だけでした。それを近藤さんが後押ししてくれて。清志郎さんも「I LIKE YOU」にしようと思ってたらしく、実際にあの曲は売れました。そのおかげでアルバムも売れた。清志郎さんの「売れる」っていうことに対するセンスが大きなエンジンになりました。
そのままでジューブン 素敵さ(「I LIKE YOU」)
高橋 Rock Me Babyが選ぶ忌野清志郎の3曲
①「I LIKE YOU」
②「ラッキー・ボーイ」
③「雨あがりの夜空に」
──では、改めて好きな3曲を挙げてもらえますか。
高橋RMB : はい、1曲は「I LIKE YOU」です。この曲をはじめて聴いたのは、小原礼さんとやったLAレコーディングのテイク(『BABY#1』の元になったテイク)。この曲の歌詞はすごくいいですね。〈そのままでジューブン 素敵さ〉って。あれ以上つける歌詞はない。でもそれだけじゃ曲として成立しないから、〈さぁ笑ってごらん HAHAHAHAHA〉とか途中の歌詞がありますけど。ポップ・ソングの典型的な作り方で、フィル・スペクターがやるような曲だなって。すごく良いなと思います。清志郎さんは、ハッピーな歌がいい。気持ちを明るくさせてくれる。日本のロックで、そういう音楽って少ない気がします。
2曲目は「ラッキー・ボーイ」(1992年3月25日発売のアルバム『Memphis』及び2010年3月5日発売のアルバム『Baby #1』に収録)です。これもLAレコーディングのテイクで聴きました。『BABY#1』に入ってる方が好きです。スライドギターのソロの3連符になるところとか、すごく好きですね。歌詞も歌い方も好きな曲です。
いまも新しい発見がある「雨あがりの夜空に」
3曲目は、僕がRCサクセションを最初に好きになった曲「雨あがりの夜空に」(1980年1月21日)です。あの曲はまだ売れていないときにできた曲ですけど、清志郎さんとチャボさんが作ったというよりも、たぶんあの曲のほうから清志郎さんとチャボさんに降りてきたのだと感じます。強烈なイントロがありながら、ソングライティングとして高性能な曲で。それが短い間に完成して、その後もライヴではドラムの叩き方やチャボさんが弾くリズムも変わったりして、どんどん進化している。「雨あがりの夜空に」は、ロックとか関係なく、新しい日本の音楽の地平線を築きました。それと、微妙なメロディ・ラインの歌い方、ビブラート、落としなど、清志郎さんの隠れたヴォーカル・テクニックがいっぱい入っている、いまも新しい発見がある超人的な曲だと思います(笑)。
──だからこそいつまでも聴き続けられているんでしょうね。
高橋RMB : 個人的には、『RHAPSODY』(1980年6月5日)に入ってるヴァージョンが好きです。というのも、リンコさん(小林和生)のベースの弾き方とか、新井田(耕造)さんのドラムの叩き方とか、当時のフュージョンのニュアンスを入れていて、フュージョンのギタリストだった小川銀次さんも入っていて。そこにG2のニューウェーブな鍵盤があって、チャボさんがアタックの強いパンキッシュなギターを弾くっていう、ジャンルを超えたあらゆる音楽が入ってる。
忌野清志郎の音楽が持っているセンスを知ってほしい
──では最後に、若い音楽リスナー、アーティストに向けて清志郎さんのどんなところをとくに知って欲しいかメッセージをお願いします。
高橋RMB : 清志郎さんは『Baby a Go Go』やタイマーズで証明しているように類まれなレコーディング・アーティスト。いい作品を作る音楽家として聴いてほしい。忌野清志郎の音楽が持っているセンスを知ってほしいですね。
【>>>第11回は6月29日に掲載予定。お楽しみに!】