【連載】〜I LIKE YOU〜忌野清志郎──《第4回》 宗像和男 × 森川欣信(前編)

INTERVIEW : 宗像和男(株式会社リズメディア 顧問) × 森川欣信(オフィス オーガスタ最高顧問)【前編】

1970年に3人編成のフォーク・グループとしてデビューした忌野清志郎率いるRCサクセションは、紆余曲折を経て70年代後期にエレキ編成のロック・バンドとして生まれ変わろうとしていた。そんな時期に忌野清志郎の魅力をいち早くキャッチし、その素晴らしさを世に広めるべく尽力したのが、今回ご登場いただく宗像和男氏と森川欣信氏だ。〈キティレコード〉時代、“毎日清志郎、RCのことしか考えていなかった”というおふたりに、その熱く濃厚な日々を前編・後編にわたり語ってもらおう。

企画・取材 : 岡本貴之 / ゆうばひかり
文・編集 : 岡本貴之
撮影 : ゆうばひかり
ページ作成 : 鈴木雄希(OTOTOY編集部)
協力 : Babys

清志郎のあの声とギターの歯切れの良さ、リズムの良さ、迫力にビックリした

──まず、お2人がキティ・レコード(以下・キティ)でRCサクセションを手掛けることになったきっかけを教えてください。

宗像和男(以下・宗像):1979年の夏頃、僕はキティで国際部長という立場で海外関係の渉外を担当していてあまり日本にいなかったんですが、帰国して事務所で仕事していたときに、森川がカセットテープで音楽を流してて、「なんだ!?」っていうくらいに気になったんです。「何聴いてるの?」って訊いたらRCサクセションというバンドが「ステップ!」っていうシングルを出したんだけどそれがイマイチ売れないので、次のシングルを何にしようかデモテープを聴いてるところだというんです。その曲が「雨あがりの夜空に」のデモでした。

それで森川に連れられて渋谷のライヴハウス「屋根裏」にRCのライヴを観に行って、そこで腰を抜かしたというか。僕は子どものときからアメリカン・ポップスしか聴いていなくて、日本の音楽を聴いても、日本語詞の違和感のせいで、正直ピンとこなかったんですけど、そのときに聴いた清志郎の歌詞は本当にストレートに入ってきて、情景が目に浮かんだり何を歌っているのかとか、何のてらいもなしにスッと自分の中に落ちてきて。それは今まで自分の中になかった経験だったので、ちょっとビックリしたんです。それで翌日にキティの社長だった多賀(英典)さんに、国際部長という立場は置いておいて「RCを担当させてください」って直訴したんです。そうしたら、「やりたいならやればいいじゃない」って言ってもらって。翌日から「特別宣伝マン」みたいな立場にさせてもらったんです。



宗像和男(むなかた かずお)
1947年3月6日大阪生まれ、東京育ち。
1970年から5年間、フランスでのホテル・レセプショニスト、旅行代理店支店長を経て、1975年、キティ・ミュージック・コーポレーション入社し、取締役国際部長、キティ・レコード専務取締役などを歴任。1998年にBMG音楽出版の代表取締役常務就任。
2007年から2011年まではBMGジャパン、アリオラ・ジャパンの顧問を務める。
現在、リズメディア、深町純プロジェクト、JOWI MUSICなどの顧問を務める

森川欣信(以下・森川) : 僕とRCサクセションの出会いを話すと、当時、「ヤング720」(TBS系)というテレビ番組で毎朝アマチュア・バンドを紹介していたんだけど、その頃バンドをやっていた10代の若者はみんなそのコーナーに出たがっていて、僕も恥ずかしながら1人でオーディションを受けに行ったんですよ(笑)。僕はこの時期ディランにはまっていたから。それでオーディションが終わってTBSの会議室から出たら変な奴らが3人いて、それがRCだったの。それで、僕は受かったんだけど「あいつらはどうだったんだろう?」と思ってたら、ものすごく早くテレビに登場してきたんだよ。それで「泥だらけの海」を歌っているのを見て、オーディションで会ったときは感じの悪い3人組だったけど(笑)、なかなかすごい奴らだなと思って。

そこからRCがずっと心のどこかに引っかかっていて、その後に観たのが同じ年の8月29日に渋谷公会堂(以下、渋公)でやった東芝主催のアマチュア・コンテスト(〈カレッジ・ポップス・コンサート〉)。そのときに清志郎たちも出ていて3位になったんですけど、はじめて観た彼らのライヴがすごかったんですよ。ただ、それから半年くらいして「宝くじは買わない」(1970年3月5日)でRCはデビューしたんだけど、それはガッカリしたんだよね。渋公で観たときはすごく迫力があったのに、レコードにはいろんな楽器が入っていて「なんでこんな呑気な音でやらされてるんだろう?」って。ただ、あの声だし歌い方も独特だったから、ずっと気になってはいたんです。それで1971年に渋公にザ・ビートルズのフィルム・コンサートを観に行った帰りに、山手教会の横にあった渋谷ジァン・ジァンに出ていたRCを観に行って、完璧にやられたね。「こんなすごい奴らいるんだ!?」って。そのときにはじめて「僕とあの娘」「2時間35分」「言論の自由」「シュー」なんかを立て続けに4、5曲聴いたんですよ。はじめて聴く曲なのに全部頭に焼きつきました。そして、間近で観た清志郎のあの声とギターの歯切れの良さ、リズムの良さ、迫力にビックリしちゃって。そこからかな、RCを好きになったのは。

それから半年後くらいに僕のバンドが武蔵野美術大学の夏のイベントでRCの前座をやったんですよ。もうそのときは、「九月になったのに」とかをやっていて。それからしばらくして「ぼくの好きな先生」がヒットして『初期のRCサクセション』(1972年2月5日)も出て、アルバム発売記念ライヴも観に行ったんですよ。それでRCは有名になるかなって期待したんだけど、結局「ぼくの好きな先生」のヒットだけで終わっちゃって。『初期のRCサクセション』もなんかちょっとガッカリしたんだよね。その後、73年に明大の和泉祭でもう一度僕のバンドはRCの前座をやった。この時「ぼくはぼくの為に」を聴いてかっこいいなぁって思った。清志郎は「もっともっともっと」ってタイトルで曲を紹介してた。それから音沙汰がなくなり、随分経ってからラジオで「スローバラード」(1976年1月21日)が流れてきて、それで『シングル・マン』(1976年4月21日)を聴いたら良かったんだけど、活動はぜんぜん見えてこなくて。最後に観たのは新宿LOFTだったんだけど、ケンちゃんが抜けてて、清志郎とリンコと、ドラマーの土井耕太郎の3人編成になっていて、清志郎はレスポールを弾いてた。そのときに印象に残ってるのが初めて聴いた「よォーこそ」と「ボスしけてるぜ」。でも、ぜんぜん覇気がないんですよ。昔みたいにMCで毒づいたりもしないし。お客さんは酔っぱらってて誰も聴いてないしね。清志郎もどこかやる気がなさそうだったし、ドラムのビートもあんまりよくなかったから「これはもう、無理なんじゃないかな」って思った。

アポなしで飛び込んで「いかにRCが素晴らしいか、ライヴがすごいか」を伝えていたんです

──その状態だと、後に実際に仕事で関わるようになるのは想像がつかないですよね。どんな流れがあったんですか。

森川 : 僕がまだワーナーレコードにいた頃に、古井戸の加奈崎芳太郎さんのソロ・アルバムを出そうっていう話が持ち上がっていて、そのときに先輩ディレクターに「RCってどうなったの?」って訊いたら、「RCはパンクをやってる」っていう噂を訊いて(笑)。それは清志郎っぽいね、なんていう話をしてたら、たまたまそこに清志郎が入ってきたんだよ。そのときに清志郎が何をしにワーナーに来ていたかというと、加奈崎さんに曲を書いていて、その打合せに来ていたんです。そのとき僕は清志郎に会えてテンションが上がり彼に思いの丈をまくしたててたから、清志郎は「なんだコイツ」って呆れてたんじゃないかな。「『シングル・マン』以降何も出してないの?」って訊いたら、「わかってもらえるさ」(B面 : 「よごれた顔でこんにちは」1976年10月11日)っていうシングルを出したけど、ぜんぜんダメでっていう話をしていて。



森川欣信(もりかわ よしのぶ)
1952年8月22日高知県生まれ。
ワーナーレコード、キティレコードでディレクターとして活動。
RCサクセションはじめ、バービーボーイズ、ヒルビリー・バップスなど様々なアーティストの作品に携わる。
1992年、独立してオフィスオーガスタを設立。杏子、山崎まさよし、スガシカオ、元ちとせ、スキマスイッチ、秦 基博、長澤知之、さかいゆう、竹原ピストルなど多くの才能を見つけ出し、世に送り出した。
現在は同社最高顧問。

僕はそんな曲聴いたこともなくて。そんな話をしていたら、清志郎が「屋根裏に観に来なよ」って誘ってくれて、後日観に行ったら清志郎とリンコ、チャボ(Gtの仲井戸“CHABO"麗市)、春日博文(Gt / 一時期RCをサポートしていたギタリスト)、新井田耕造(Dr) 5人編成で、別物のバンドになってた。清志郎の歌が以前よりクリアでさらにすごいし、チャボが入ったことでそのコンビネーションの様式美にやられた。それが1978年の秋ぐらい。その後僕はワーナーから多賀さんのアシスタントっていう形でキティに移ったんですよ。そのときに、多賀さんが「おまえ、やりたいことがあったらやっていいんだぞ」って言ってくれて、「RCをやりたい」って話して担当になったんです。

宗像 : 僕は「特別宣伝マン」にさせてもらったんですけど、自分で宣伝をしたことなんて1度もないから、どうすればいいんだろうって考えて。とにかく外に出てマスコミだとか評論家の人たちを相手に喋らなきゃいけないということで、本当に無手勝流というか、アポなしで飛び込んで行って「いかにRCが素晴らしいか、ライヴがすごいか」をテレビ局、ラジオ局、出版社に行ってワーって喋るんだけど、みんな「えっあのRCでしょ?」っていう感じで。恐らく辟易しているんだけど、こっちは「とにかくライヴを観に来てください」っていうその一心でやっていて。

──「えっあのRCでしょ?」っていう反応は、もう終わったバンドみたいに思われていたということですか?

宗像 : そういう感じはありましたね。

森川 : うん、それはあった。本当によく言われたもん。「まだやってんの?」とかそういう感じ。

宗像 : 僕が「雨あがりの夜空に」とかが入った新しいデモを聴かせても、まったく反応がないのが8割9割でしたね。でも自分にとっては「自分がこんなに感動するんだから人が感動して当たり前だろう」っていうくらい思い込んでるわけですよ。そのギャップがすごく激しかったんですけど、それが半年ぐらい続いて、自分たちがやってることが空回りしてるのかな、自分がおかしいのかなっていう気持ちが常にありました。

森川 : でも、キティの社内でもRCを良いと言ってる連中はいたよね? ただ、最初に「ステップ!」を出したときに、ぜんぜん資料がないわけですよ。僕は清志郎の声にも惹かれてたけど歌詞にも惹かれてたから、『シングル・マン』(1976年4月21日)の歌詞をタイプライターで打って、清志郎の詩集みたいなものを作って、それを持ってプロモーションに行ってたの。その中に「ヒッピーに捧ぐ」の歌詞を入れたり、清志郎から未発表の曲を教えてもらって、「ダーリン・ミシン」の歌詞を書いたり。その詩集は宗像さんも持ってプロモーションに回っていて。でもみんな『シングル・マン』なんかぜんぜん知らないから、「『シングル・マン』の中にこういう歌詞があって、それからまだ発表されていないけど清志郎はこういう歌詞も書いてるんですよ」っていうことを広めていたら、そのうちに吉見佑子(音楽評論家)さんがそれを知って関わるようになったんですよ。

『シングル・マン』ジャケット写真


「シングル・マン再発売実行委員会」

──そこから「シングル・マン再発売実行委員会」につながるわけですね。

森川 : そう。『シングル・マン』が廃盤になってたから、再発運動をやろうっていう話が持ち上がって。

宗像 : 吉見さんが、「新しいアルバムがないなら『シングル・マン』をもう1度世の中に出すことを考えたらどう?」みたいな話をしてきて。彼女はマスコミのすごくできる人たちに友だちがたくさんいたんですけど、そのうちの1人が当時集英社の編集者だった堀内丸恵さん(現・集英社代表取締役社長)で。彼に吉見さんがRCの話をしたときに、「廃盤復活運動をやってマスコミで話題にしてみたら?」って言われたらしくて、そこから動き出したんだと思います。それで僕は「シングル・マン再発売実行委員会」の事務局長みたいな立場になったんですけど、発売元のポリドールはみんな渋ってるわけですよ。出して1年ぐらいで自分たちが廃盤にしたものをまた発売するっていうことに対しての心理的な抵抗感があったんだと思います。それを「これはRCのためになることなんだ」って説得して、無理やり発売まで漕ぎつけたんです。

──再発に漕ぎつけるのは相当な労力がかかりそうですね。

宗像 : 僕は「なんでそんなにこだわるのかな? やればいいのに」って思ってたんだけど、営業担当者は渋ってる感じはありましたね。それでもなんとか再発して。そのときに僕がプレスリリースで書いたコピーがこれなんですけど(広告を見せながら)「こんな素晴らしいレコードを廃盤にしていて申し訳ありません」というもので。

森川 : 後に『COVERS』が発売中止になったときに出した「素晴らしすぎて発売できません」っていう新聞広告は、たぶん宗像さんのコピーからヒントを得てると思うよ。絶対そうだと思う。

宗像 : そうだと思う(笑)。本当はこれプラス、「レコード会社として深く恥じ入ります」って書いてたんですけど、「さすがにそれだけはやめてくれ」ってポリドールの担当の人に言われて。たすきの裏だったら良いっていうからそこに長文で書いてあるんですよ(笑)。

森川 : 『シングル・マン』は当時3店舗だけ出したんですよ。池袋の「アール・ビ・バン」国立の「レコード・プラント」青山の「パイドパイパー・ハウス」にだけ置いて、最初は300枚でスタートしてすぐに売り切れて500枚になって1,000枚になって。その後に1980年8月になって正式に再発売になったんです。

「雨あがりの夜空に」の原型がすごく良くて「このまま出せばいいじゃん!」って言ってた

──その前に、代表曲となる「雨あがりの夜空に」(1980年1月21日)がリリースされて、大ブレイクのきっかけとなる『RHAPSODY』(1980年6月5日)へと続くわけですが、この時期のことを振り返ってもらえますか。

宗像 : 「雨あがりの夜空に」が出てから、なんとなくRCに対する評価が変わってきたんです。ラジオでも若干流れるようになってきた頃に、あるとき会社にいたら僕宛に電話が来て「一般の者なんですけど、ラジオで流れているRCサクセションの「雨あがりの夜空に」という曲は素晴らしいので、思わず電話をしてしまいました。どういう人が歌っているんですか?」っておっしゃるんですよ。それでお名前を訊いたら、鈴木志郎康さんという有名な詩人の方だったんです。そういう方がラジオで聴いただけで「なんだこの歌は⁉」って、わざわざレコード会社まで電話してこられたっていう。それくらいのインパクトがあることが、説明しなくてもわかる人にはわかったんだと思います。でも、「雨あがりの夜空に」でさえ、一般的にはまだまだだったよね?

森川 : そうだね。最初に僕が聴いてたデモの「雨あがりの夜空に」を宗像さんが聴いたって言ったでしょ? その「雨あがりの夜空に」は、まったくの原型なんですよ。あんな“ヤットコヤットコ♪”みたいなシンセなんか入ってなくてさ。あのとき、小川銀次がギターで入って、「雨あがりの夜空に」と「ステップ!」と「上を向いて歩こう」の3曲をスタジオで彼らがカセットで録っていたんだよ。それがすごく良くてビックリして、「このまま出せばいいじゃん!」って言ってたんだもん。それを宗像さんが聴いたんだよね。

宗像 : うん、そうだったと思う。

──あの「雨あがりの夜空に」のアレンジは清志郎さんも本意じゃなかったということですか?

森川 : 僕含め彼らも本意じゃなかったと思いますよ。あのシンセとかね。音質とか。無駄なオーバー・アレンジ。それこそ、チャボの歯切れの良いD7とDsus4のコード・カッティングのイントロからはじまって、いきなりドカーンって行く、ライヴでやってるそのまんまの方が絶対良いと思った。それと、間奏でリズムが落ちるところあるでしょ? いまだに個人的にはなんとなくあそこでテンションが落ちるんだよね(笑)。余計なこと考えないで間奏も勢いで行った方が良いのになって。あと、僕の最大の後悔は歌詞の1部を当時の事務所のお偉いさんに変更させられたことかな。清志郎が了解しちゃったんで僕は仕方なくそれに従った。でも数年後、清志郎も後悔したのかライブでは元の歌詞に戻したよね。そして昨年、チャボがオリジナル歌詞でアナログをリリースしてくれた。嬉しかったよ。僕もまだ若かったし新米だったからあんまり口出ししなかったけど、そういうことは後悔してるんだよ。勇気がなかったんだね。

宗像 : みんな、中途半端な自信しかなかったんだと思う。確信がなかったんですよね。

それまでの意地悪く卑屈な歌詞、ネガティブな姿勢はフォーク時代のRCとともに封印したんじゃないかな

──いよいよ1980年4月5日久保講堂で『RHAPSODY』のライヴが行われるわけですが、なぜライヴ・レコーディングになったんでしょうか。

『RHAPSODY』ジャケット写真


森川 : 「ステップ!」から「雨あがりの夜空に」「ボスしけてるぜ」と、シングルをリリースするんだけど、どうもスタジオで録っていても屋根裏でやっているようなライヴの迫力がなくて。「どうしてあの感じが出せないんだろう?」っていう話から、やっぱりライヴが素晴らしいから、ライヴで録った音をスタジオに持ち帰ってやり直そうということにしたんですよ。だから『RHAPSODY』は、じつは間違えた箇所とかをスタジオですごくやり直しているんです。

──そういえば、もともと正式には“ライヴ盤”とは謳ってないですよね。

森川 : 強いて言えば公開レコーディング。ライヴ盤よりもスタジオ録音の方が売れるから敢えてLIVEとは謳わなかった。このとき、写真家の井出情児さんが当時珍しかったビデオでフルに撮影していたんですよ。それを井出さんの事務所にみんなで観に行って、2時間全部観た。そうしたら、「指輪をはめたい」なんか、泣けちゃうくらい良いわけ。それで、全編2枚組くらいで出したいなっていう勢いだったけど、復活RCの最初のアルバムだからっていうことで、演奏した曲の中からロックっぽい曲を厳選して作ることになったんだよ。

──清志郎さんが初期の曲作りとはまったく違うアプローチで曲を作り出したのって、売れるためにわかりやすいストーンズのようなロック・ナンバーを作った方が良いと考えたからなんですか?

森川 : この本(連野城太郎名義の森川氏の著作「Gotta!忌野清志郎」)を書いたときに、清志郎に訊いたんだけど、フォーク時代の曲って結構複雑で捻くれたコードを使った曲作りをしているんです。歌詞もどちらかというと人の悪口のような歌詞もあって(笑)。自分たちに対する扱いや評価への不満から卑屈っぽくなってた。「どうせ俺たちは」みたいなところもあったし、売れてない、認められない、そんな悔しさからきていたんでしょうけど。でもそれじゃいけないって清志郎は思ったんでしょうね。だからコード進行も簡潔にして、歌詞も悔しさをバネにした前向きなものにしようと。そこには「いい事ばかりはありゃしない」とかバラッド(物語的)や抒情的な作品もいくつかあったけど。それまでの意地悪く卑屈な歌詞、ネガティブな姿勢はフォーク時代のRCとともに封印し新しいRCに向かって行ったんじゃないかな。

宗像 : 清志郎が売れなきゃいけないと思ったっていうのは、森川が書いた本にも石井さん(清志郎夫人)のお父さんに怒鳴り込まれたっていうのがきっかけになったって書いてますけど、とにかく生活力がないとダメなんだ、売れなきゃしょうがないということで、売れるためにはどうするかっていうことを一生懸命考えてたと思うんですよね。これは、春日に訊いた話なんですけど、一緒にやってたときに「どうしてこんなに良い音楽をやってるのに売れないんだろう」って言ってたらしいんです。そのときにたまたま出ていた矢沢永吉のベストセラー『成り上がり』(1978年 小学館刊)を春日が一冊買って清志郎と回し読みしてたらしいんですよ、二冊買えばいいのに(笑)。それくらい、売れるためにはどうすれば良いのかと、当時初めて、清志郎は考えるようになったんだと思います。

「“知ってる”っていう、小さい「っ」が入るところにビートが効くんだよ」とか、そういうところにすごくこだわってた

──森川さんは以前ブログで、清志郎さんの曲作りにも色々口を出した、と書いていましたけど、曲作りのどの時点でのことなんですか。

森川 : もう曲が完成してるときに、口を挟むことはあんまりなかったんですよ。でもたとえば「ダーリン・ミシン」の歌詞はレコードでは〈Oh お前の涙 苦しんだ事が 卒業してしまった 学校のような気がする夜〉とか、「お前」って歌ってるでしょ? あれは最初「君の涙や」って歌ってたんですよ。僕は「君」の方がいいんじゃないかって言ったんだけど、何故か清志郎が「お前」にしたんだよね。清志郎は、ちょっとマッチョに「オレ」って歌うときもあるし、相手をやり込めるときとかの「お前」はいいけど、「君が僕を知ってる」じゃないけど、その女の子と近しく対等な関係である場合はやっぱり「君と僕」っていう表現がすごく似合うと思っていたから、そういうことを言ったりとか。あと、「いい事ばかりはありゃしない」の中に〈新宿駅のベンチでウトウト 吉祥寺あたりでゲロ吐いて〉っていう歌詞があるじゃない? それは宗像さんと「“ゲロ”はないよね⁉」って言ってさ。「“ヘド”にした方がいいんじゃないか」って話したのを覚えてる(笑)。あまりにも生々しいからさ。それを清志郎に言ったら「何言ってんだ、ゲロだからいいんだ」みたいなことを言われたりね。そういうことを言っても譲らないところはすごくあったし、でもポロッと譲るときは譲るんだよね。

宗像 : そう、だから意見を聞いてるのは聞いてるんだよね。

──たとえば、「雨あがりの夜空に」の“あがり”を“上がり”にしなかったのはやっぱりこだわってたんですか?

森川 : うん、こだわってました。あれはね、僕が最初、歌詞カードのタイトルを“雨上がりの夜空に”と書いて持って行ったの。そうしたら清志郎が、“上がり”じゃなくて“あがり”にしてくれって言ったんだよね。それと、「雨あがりの夜空に」のB面だった「君が僕を知ってる」のレーベル原稿を書いたときに、歌詞カードに“君が僕を知っている”って書いたんですよ。そしたら清志郎が、「森川〜、ダメだな、リズムがないんだよお前は」って言うから、「何が?」って訊いたら、「“知っている"じゃないんだよ、“知ってる"なんだよ」って言われて。(歌いながら)〈君が〜、僕を〜、知ってる〜♪〉っていう、小さい「っ」が入るとか、そういうところにすごくこだわってたんですよ。「“知ってる”っていう、小さい「っ」が入るところにビートが効くんだよ」って。

宗像 : 彼がよく言ってたのが、「日本語にはリズムがないからロックに乗りにくいから日本語でロックはできない」とか言ってる連中がいるけど、そんなのはバカらしいと。たとえば促音(そくおん)とかを使うことによっていくらでもリズムは出せるんだっていうことには確信を持ってましたよね。

後編(4月6日公開予定)では、『RHAPSODY』以降登りつめていくRCサクセションについて、さらにお2人が選ぶ3曲とアルバム1枚を紹介します。お楽しみに! つづく。

【連載】〜I LIKE YOU〜忌野清志郎

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by 岡本 貴之
ヒップホップ・ライター斎井直史による定期連載──「パンチライン・オブ・ザ・マンス」 第15回
[CLOSEUP]・2018年04月19日・斎井直史のヒップホップ連載「パンチライン・オブ・ザ・マンス」 第15回──初の映画特集! 『大和(カリフォルニア)』 新年度、新学期、新生活が始まる4月も中盤ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか? 少しお待たせしてしまいましたが、今月も「パンチライン・オブ・ザ・マンス」お届けいたします! 先月は奇抜な格好や行動で〈Soundcloud Rapper〉の1人として話題を集めまくるラッパー、6ix9ineとは一体何者なのか!? ということでピックアップいたしました。(デビュー・ミックステープは新曲を一曲追加した新たなパッケージでこちらにて配信中です!) そして、気になる今月は…連載初となる映画を特集です! 斎井がチョイスした映画とは一体? 第15回 初の映画特集! 『大和(カリフォルニア)』 今月はいつもと違い、映画をご紹介します。宮崎大祐監督、韓英恵主演の『大和(カリフォルニア)』。最近までこの映画のことを、大和市を舞台にしたラップの映画でNORIKIYOが出るらしい、という浅い認識でした。たしかに米軍基地のある大和市とラップはこの映画を語る上で避けられない要素ですが、例えばボクシングに興味が無くてもロッ
by 斎井 直史