20年先もこだまする、希望に満ち溢れたやまびこ──活動20周年を迎えたイナダミホ、待望の新作『johoo』

シンガー・ソングライター、イナダミホがクラウドファンディング・プロジェクトを経て作り上げたアルバム『johoo』をリリース! 音楽活動20周年を迎えた彼女が語る、自身の音楽との関係性の変化とは? また、クラウドファンディングを経て、届けられる今回のアルバムに込められた思いや、募集期間中の意外な出会い、などなど今作に至るまでのエピソードがたっぷりと詰まったインタヴューをお届けします。ぜひインタヴューとともに、彼女が生み出すカラフルでポップな『johoo』の世界に耳を傾けてください。またOTOTOYでは、ハイレゾ版の独占配信とともに、ここだけの特典としてアルバムのカラオケ音源がボーナス・トラックとして付いてきますのでこちらも要チェックですよ!
ボーナス・トラック付き、ハイレゾ版の配信はOTOTOYのみ!
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INTERVIEW : イナダミホ

音楽活動20周年を迎えたシンガー・ソングライター、イナダミホが、クラウドファンディング・プロジェクトを経て作り上げたアルバム『johoo』は、セルフ・プロデュースにより、坪光成樹、クノシンジ、タカユキカトー、タカタタイスケ、山本英武といったミュージシャンをアレンジャーに迎えて一曲ずつ趣向を凝らした、音楽的ボキャブラリー豊富なアルバムだ。収録された11曲からはサウンドへの強いこだわりが感じられると共に、歌詞からはこれまでの歩みが感じられる自叙伝的な作品だと思った。そこでインタヴューに臨んだのだが、ちょっと思っていたのとは違っていた。語られる言葉の端々から、曲たちのことをとても客観的に見ているように感じられたからだ。その言葉からは、自分が生み出した曲たちを子どものように愛でつつも、大切に育てた我が子に自立を促し世に送り出そうとする意思を感じ取ることができた。『johoo』がどんな人々の元に届いて、受け取った人々の中でどんな物語に成長していくのか。そこから返ってくるこだまを、イナダミホは曲たちの母親としてきっと楽しみにしているに違いない。
インタヴュー&文 : 岡本貴之
写真 : 大橋祐希
誰が聴いても、すごく心が近くなれるような作品を
──イナダさんは今年で音楽活動20周年ということで、それに合わせて2019年からクラウドファンディングでアルバム制作に動いていたんですね。
はい、そうです。今回のアルバムは、19年分ぐらい遡ってリリースしたかったけど、なにか収まりどころが悪かったり、あとは自分の表現力が追い付いていなくて、このままだとまだパッケージングできないっていう気持ちになっていたものも含めて、ここ最近の作品から21歳ぐらいのときの作品まで、一斉に入れました。
──これまで音源化しなかった曲をこのタイミングで出そうと思ったのはどうしてなんですか。
このアルバムって、クラファンを募って制作しているので、1番は支援者の方々のための作品になると思うんです。19年間ライヴでしか聴けなかった曲がようやく収録されるということがあると、支援してくださる方々がすごく楽しいなと思ったのと、「いまだ!」っていう気持ちになれたので、思い切ってそういう曲を引っ張ってきました。“君と僕、海になる”なんかは19年かかってしまったんですけど、19年間ずっとコンスタントに「音源にならないんですか?」とは言われていて(笑)。「そうですね~」とか言いながら、なかなか。やっぱり、思い入れが強すぎたり、瞬発力で形にできない作品があって。この曲はちょっと特例ですけど。あとは “フアンテイ”、“テレビスタ”なんかは20代後半に書いた曲です。
──“テレビスタ”は、前作に収録されていた曲ですよね。
そうです。ただ、アレンジがどんどん発展していって、それがすごく気に入っていたので、じゃあこっちも形にしようということで新録しています。もともと、ビッグ・バンドが鳴っているイメージだったので、それをちゃんと入れてあげたいなって。結構細かいこだわりがあって、まだ展開とかが甘いなと思っていたんですけど、ある日この曲を弾いて遊んでたら、どんどん展開していって、転調したり、もっとやれって気持ちになって(笑)。そうしたらワーっと間奏ができたので、「これだったらビッグ・バンドがちゃんと活かせる」と思ったんです。
──アルバムを通して、どんな構成の1枚にしようと思っていたのでしょう。
あれも入ってる、これも入ってるっていう「幕の内弁当」みたいにしたかったです。20年間知ってくださっているかたもいれば、ここ1、2年で知ってくれたかた、クラファンを始めたころにたまたまTwitterがバズって、それを見て知ってくれたかたとかもいて、色んな入り口のかたがいるので。小沢健二さんのライヴで偶然隣り合ったかたが仲良くなって支援してくださったりとか(笑)。そういう素敵な出会いがいっぱいあって。誰が聴いても、内輪ではなくて、20年大事に聴いてくださった方々も嬉しいし、初めましてで出会った方々も、隅々まで楽しかったり、すごく心が近くなれるような作品を作ろうと思いました。

──「幕の内弁当」というイメージで言うと、これはメインのおかず、みたいな曲もあったんですか?
“ハロー、新しい僕”という曲は、絶対に入れようと思っていました。2年前にできた曲なんですけど、身近な人で8年ぐらい引きこもりだった子が、ようやく外に出たんですよ。私も25歳ぐらいのときに鬱になって1年間家から出られなくなったんです。自分のことってあんまりちゃんと把握できていないけど、その子のことを俯瞰して見ているなかで、「一歩踏み出すってこんなにすごいことなんだ」って思ったら胸がいっぱいになって。そんな出来事があったときにピアノの前に座ったらできた曲なんです。別に引きこもりということじゃなくても、なにか一歩踏み出せたときの、嬉しくてしょうがない気持ち、「あ、できた!」っていう、自分が決めてた枠組みから「エイッ」って外に出られたぞっていう瞬間の喜びみたいなものを絶対に閉じ込めたいなと思っていて。その曲がきっかけになって、アルバムを作ろうと思ったんです。ちょうど20年だし、もっともっと突き詰めてみんなが喜んでくれるものを作りたいなって、そこから構想し始めました。
──そこに、新曲と未音源化の曲を集めてアルバムにしていったんですね。
そうですね。先ほどお話した“君と僕、海になる”の歌詞は、じつは〈さよなら 幼い夢の続き〉からの3行を付け足しているんです。ライヴでしか聴いたことがない人は、アルバムを聴いて「あ、こういう風に収まったんだ」って感じるところだと思います。これは21歳のころの私を再現するんじゃなくて、21歳で作った曲を39歳で歌うことの意味をちゃんと持ちたいなと思って、完結させたかったんです。
──21歳のころに作った曲で、いまは歌えないな、という曲もあったりします?
いっぱいありますね(笑)。だから、最初に出したアルバムはほとんど歌ってないんじゃないでしょうか。
──それはどうして?
サウンド的にも歌詞としても、全部好きなんですけど、あのときの私が歌ってたから好きなので、もうちょっと色んな出会いや経験をして深まった私が歌うと意味が変わっちゃうから、歌いたくないなという気持ちがあります。
──なるほど、そういう意味もあって音源化されていない曲もあったわけですね。
そうなんですよ。例えば、前作に入ってた“オルゴール”という曲はファミリーの曲なので、「さすが、お子さんがいらっしゃるとこういう曲が書けるんですね」って言われるんですけど、(出産以前の)23歳ぐらいのときに作った曲なんです(笑)。ただ、実生活と実感が伴って30代中盤で歌えたという。
みんなはどんな気持ちでプレイリストを作ってるのかな
──僕はこのアルバムは音楽活動20年の総括として、イナダさんの自叙伝的な1枚にしたかったのかなと思って聴いていて。だからご自分のことを幼少期から順に歌ってるのかと思ってたんですけど、必ずしも自分のことを歌ってるわけじゃないんですよね。例えば1曲目の“フアンテイ”に出てくる“ふたり”というのは?
“フアンテイ”は、ドラムの女の子と2人組をやっていたころで、リズムが入ったし楽しい曲を作ろうと思ってできた曲だったんです。完全に不安定な時期に作ってたので、自分が不安定な状態がめっちゃウケるって思える曲が作りたかったんです。
──じゃあ、この曲のなかにはご自分がいるんですね。
いますね。この曲はたぶんノンフィクションなんじゃないでしょうか。全部そうではないですけど、思いがないとリアリティがなくなってしまうので、思いは全部ノンフィクションですね。
──このアルバムでいちばん、自分を歌ってるなと思う曲を上げるとしたら?
歌詞で言うと、“マイプレイリスト”なんじゃないでしょうか。この曲は完全に自分と音楽の関係性を歌っているので。昔、好きな曲を入れたカセットを作って友だちと交換したりしたじゃないですか? よく覚えているのが、友だちがスチャダラパーのカセットを作ってくれたときに、『5th WHEEL 2 the COACH』のジャケをそっくりそのまま模写してくれて、「すげー!」って(笑)。自分もなにくそ、と思ってビートルズの1stアルバムのジャケを書いたりして。あの時間が、本当に楽しかったんですよ。いまはスマホで聴けちゃいますけど、みんなはどんな気持ちでプレイリストを作ってるのかなって。やっぱり、音楽を聴くことってめちゃくちゃロマンじゃんって思うんですよ。聴くときって、だいたいひとりじゃないですか? いちばんロマンティックな時間というか、その風景と音楽といまの自分の気持ちが全部溶けて、自分だけの街、自分だけの風景になったような、映画の主人公になったみたいな気持ちになれるあの時間を、たぶんみんなもいまは各々過ごしていて、「みんなのプレイリストを聴かせてくれよ」っていう。
──そう言われてみると、確かにカセット・テープでプレイリストらしきものを作ってました。
そうですよね。あれがプレイリストの始まりなんじゃないかなって思います。

──“泣き虫みっちゃん”は、イナダさんのお母さんの目線で歌ってるんですか? “みっちゃん”はご自分のことだと思うんですが。
いや、“みっちゃん”は私のことじゃないんです(笑)。これはですね、子どもを公園で遊ばせてたときに、ベンチで隣に座ったミツコさんというおばあちゃんとお話してできた曲なんです。ミツコさんと話すなかで、自分の母や祖母だったり、生活の後姿を色々と思い出して、「お母さんって素敵だね、ありがとう」っていうことだけじゃない曲を作りたくて。Bメロで、みっちゃんが布団にくるまって自分のお母さんのことを呼ぶんですけど、本当は私たちのお母さんだって、夜布団にくるまって自分のお母さんのことを思い出して、いくつになっても娘に戻って泣きたくなることがあるっていう瞬間も、美しいと思うしグッときちゃうんですよね。ミツコさんがそういうお話をしてくださったので、「ああ、これだ!」と思って書いた曲です。
──なるほど、それは訊かないとわからなかったです(笑)。アルバムのなかでは“グレイな気持ち”がいちばん好きなんですけど、どんな曲か教えてもらえますか。
ありがとうございます。6月に出来た曲で、洗濯物を干し終わって子どものお迎えまであと1時間あるからピアノを弾こうと思って。〈この頃スッキリしない天気だから〉って歌ってたらだんだん気持ち良くなってきて、1番の歌詞とメロディがスルスルって出てきて曲になっていったんです。合間合間でそういう曲作りをしていて、いつもスマホで録音をしているんです。でも、頭のなかに鳴っている音が急に弾けるわけではないので、コードを探りながら作っていきます。
──この曲はコード進行とかすごく凝ったことをやっているんじゃないかなって思ったんですけど、どうなんでしょうか。
凝ってはいると思うんですけど、奇をてらってるわけではなくて、自然に聴こえないといけないなとは思ってます。
──流れるような感じなんですけど、どこか耳に引っかかる感じなんですよね。
ありがとうございます。それがやりたかったので、まんまと(笑)。
ここからまた20年進めるような作品を作ろう
──イナダさんは、東京音大チェロ科に入られたんですよね。
そうです。もともと家系的にクラシックで育っていて、大晦日も『ニュー・イヤー・コンサート』を見るので、小さいころは紅白歌合戦も見せてもらえなかったんですよ。本当は光GENJIとかLINDBERGとか見たかったんですけど、なかなか見せてもらえずに。クラシックから入っていって、オーケストラとかは、父が指揮者なので指揮台の下でおやつを食べながらリハを見たりしていて(笑)。そういう暮らしから急にポップスがバーンと入ってきたのが小学校高学年ごろでした。父が丸くなって紅白を見せてもらえるようになったりして。
──ちなみにお父さまはファミリーマートの入店時に鳴るチャイムの作曲者らしいですね。
そうなんです。40年ぐらい前に、パナソニックの製品用に作った曲で、それがファミマで使われていて、「ファミマの音」っていう認識になっているんです。だから他でもあのチャイムは使われているんです。あと、高速エレベーターの「ピンポーン」っていう音とか、父が作曲した製品は何種類かあるんですよ。
──ご家庭では厳格で、「娘を音楽家にしたい」と思ってた感じなんですか。
う~ん…音楽家にしたくなかったみたいですけどね(笑)。苦労するから駄目だ、と。でも私が見事に音楽しかできなかったので、これは諦めてちゃんと食べていけるチェロ奏者にしよう、ということで私はチェロで音大に行くんですけど、ずっと歌いたかった気持ちをぶつけまして。
──歌うようになったのはどうしてなんですか?
母が声楽家なので、歌うときにピアノを弾きながら練習していたので、ピアノというのは歌の伴奏なんだという認識だったんです。なので弾きながら歌うというのは小さい頃から自然にやっていて、中学生ぐらいからは、「私は曲を作って歌うだろうな」と思ってたんです。きっとそれがいちばん向いているんじゃないかなって。本当になにもできなくて、音楽しかできることがなかったんですよね(笑)。
──「これならできる!」っていう?
「やっぱりそれしかないじゃん!」みたいな感じですね。私、小学生のときにいじめられっ子だったんですけど、当時流行っていた槇原敬之さんの“どんなときも”を音楽室で授業の前になんとなく弾いていたんです。そうしたらみんなが、「あ! “どんなときも”だ!」ってピアノの周りに集まってきて、私のことを絶対好きじゃない子も、一緒に楽しそうに歌ってたんです。なんかもう、「こんな世界があるんだ!?」ってビックリして。普段全然仲良くないのに、ピアノを弾ければみんなと一緒に歌えるんだと思ったら、人と仲良くするにはなにか歌うしかないんだって、4年生ぐらいのときに思ったんです。でも、大きくなってチェロ科に行くことになったので、1日10時間練習していて。チェロも大好きで必死に練習していたんですけど、「どういうきっかけで歌えばいいんだろう?」って、ず~っと考えていたんです。そのころ、実家から徒歩2、3分のところにあるホリプロ付近の喫茶店でバイトもしていたんですけど、ある日信号のところで目が合った人が追いかけてきて、「君、シンガー・ソングライターにならへんか?」って声をかけられて。それがシンガー・ソングライターになったきっかけです(笑)。その人はホリプロのマネージャーさんだったんですけど。

──歌を聴いたこともないのにですか(笑)。ライヴもやってなかったんですよね。
全然ないです。その人になんで声をかけたのか訊いたら、自分でもわからないって言ってました。でも、「なんかできそうな気がするし、この子歌わないのかな?」って思ったそうです。それで、1週間で3曲作って持っていったら社長に気に入ってもらえて、「じゃあうちで預かろう」ということになったんです。音大も合格して並行してやっていたんですけど、原宿の路上で曲を作ってプレゼントしている活動が、わりとメディアに取り上げてもらったりして、新聞社のかたが来たり「TVタックル」に出してもらったりとか、不思議な経験をしました。それで曲もリリースして、ラジオもやって、という風にシンガー・ソングライターとしてスタートしたんです。でも、自分がなにをしたいのかがわからずに、運命だけが動いて行ってる時期だったんですよね。なので、自分を掴めたのは30代の半ばなんじゃないでしょうか。
──そのころはすでに出産もされていたわけですよね。よく訊かれるんじゃないかと思うんですけど、4人の育児をしつつ音楽活動を続けていくというのは大変じゃないですか?どうしてできているんでしょう。
う~ん…やりたいからじゃないでしょうか。コロナ禍になって、自分を振り返る機会って私にもありましたけど、毎日忙しく人と会っていたのが、ある日急にバンッて分断されてしまって。「これからどうなるんだろう?」と思いましたけど、これからは「好き力」というか、いかにそれが好きかどうかしか試されないなって思ったんです。だって絶対に、音楽を続けるのは大変でしかないですしね。ずっと茨の道と言えば茨の道なんですけど(笑)。好きだったら続けるだろうし、それ以上にマイナスの方がクローズアップされてしまったら好きという気持ちも潰されていくんでしょうけど。音楽をやるのが好きなんですよね。毎日の生活のなかにその気持ちがあるので、今後もなにがあってもコツコツ続けていこうと思っています。
──そうして出来上がった『johoo』はイナダさんにとってどんな作品になりましたか。
私はこの『johoo』というアルバムが大好きです。20周年なので、20年前の自分が聴いたときに喜ぶものを作ってあげたいなと思ってました。世の中も生活も全部変わっちゃったけど、あなたは変わらずに歌ってるよって。聴いたときに、「うわぁ、すごい!こんな未来が待っているんだ!?」って、ワクワクしてくれるようなメッセージを過去の自分に残してあげたかったんです。それと、さらに20年後の自分が、「あのころ大変だったけど大好きな作品をみんなと作ったな。」っていう、これが宝物になってここからまた20年進めるような作品を作ろうというのは、自分自身に課したところはありました。クラファンで応援してくださった方々や制作チームの存在もこれからのイナダミホを支えていくんだと思います。
──タイトルの『johoo』はどんな意味で付けたのでしょう。
ドイツ語でやまびこのことなんです。英語にしちゃうとYahooになっちゃうので(笑)。色々調べたら、日本の登山スタイルはドイツから来たものらしくて。自分が「ヤッホー」って言ったときに、みんながクラファンという形でやまびこを返してくれてできたアルバムだというのと、それに対して私もまたやまびこを返していこうという意味で付けました。「ヤッホー」って、「元気かい? やってるかい?」って、無事に登山していますよっていうことを知らせるためのものだったりするっていうのを知って、すごくしっくりきたというか。このアルバムのどの曲でもいいから、生活のなかにやまびこのように返し続けていければいいなと思ってます。
──アルバムを携えてライヴの予定はありますか?
2021年3月27日(土)のお昼に、吉祥寺の〈STAR PINE'S CAFE〉でライヴをやります。それまでは、家族もいるしコロナのこともあるので、ライヴをやらずにこのレコ発にドンッと持っていきたいと思います。めっちゃ時間があるのでアルバムの曲が全部覚えられるんじゃないかと思います(笑)。制作だけはずっと止まらずに続けますけど、ライヴは数をたくさん打てなくなった分、1つ1つをものすごくビビットなものにして、これまで以上にもっともっとショーとして考えられたものにしたいって考えています。
──20年の音楽活動、また今年のコロナ禍を経て、イナダさんの中で音楽はどんな存在になっていますか。
20年前もいまも私と人を繋いでくれる大切なツールで、なにより楽しいことだと言う点は変わりないです。しかし歳も重ね、色んな人生の出来事やコロナ禍を経て「音楽を生み出せること自体希望そのもの」だと思うようになりました。コロナ禍で大きな作品を作りましたが、感謝しっぱなしの日々でしたから。だからこそ、これからも少しでも未来に太陽が昇るようにと祈りを込めながら取り組みたいです。コロナに限らずこれから時代も目まぐるしく変わっていくと思うんですけど、活動スタイルを柔軟にしていきながら音楽を作けたいです。なにかのせいでできなくなるのはつまらないし、こんなに楽しいことはないので!

編集 : 百瀬涼
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過去作品もこちらにて配信中!
LIVE SCHEDULE
アルバム発売記念ワンマン・ライヴ Everybody say! johoo!
2021年3月27日(土)@吉祥寺STAR PINE'S CAFE
開場 16:00 / 配信開始 16:50
開演 17:00
来場チケット(来店順入場・自由席)
前売¥4000+1drink(¥700)
当日¥4500+1drink(¥700)
配信チケット¥3000
チケット
■来場チケット : https://eplus.jp/sf/detail/3345940001-P0030001
■配信チケット : https://eplus.jp/sf/detail/3345950001-P0030001
アーカイブ視聴期間:2021年3月29日(月)23:59
視聴にあたっては「Streaming+視聴者ご利用ガイド」もご確認ください。
https://eplus.jp/sf/guide/streamingplus-userguide

PROFILE
イナダミホ
1981年1月1日 東京・目黒生まれ 湘南暮らし ファミマの入店音の作曲者である指揮者の父と、声楽家の母の元に生まれる。小さなころから聞こえてくる音楽をピアノで弾き、心を揺らして遊び育つ。東京音大チェロ科に入学。19歳、実家近くのホリプロにスカウトされシンガー・ソングライターになる。原宿の路上で即興で曲をプレゼントする活動がメディアに注目されるようになる。4人の子どもを出産。35歳で本格的に音楽活動を再開。近年では元Folder5のAKINAのアルバム「Flash」のプロデュース、SSWのthat’s all folks 氏と「都市とカンタータ」を結成し、鍵盤やコーラスであらゆるアーティストの制作に携わるなど、表現の場を広げる。2020年音楽活動20周年を迎えるにあたり、昨年クラウドファンディングに挑戦し250万を達成。弦楽器や管楽器の生録音、4人のアレンジャーに委託するなど、色とりどりで豊かなPOPS を閉じ込めた「johoo(ヨーホー)」を完成させた。歌声はさらに幅を広げ、豊かさが増し、聴く人の心を揺さぶり包み込む。「生きる喜びを閉じ込めた作品作り」を続けていく。
■イナダミホ official web site:https://www.inadamiho.net/
■公式Twitter:https://twitter.com/mihocov