「歌というものがあって良かったな」って思います──bird、20周年記念ベストをリリース
大沢伸一 / MONDO GROSSO主宰のレーベル〈Real Eyes〉からデビュー、クラブ・シーンからポップ・フォールドまで、その伸びやかでソウルフルな歌声で数々のヒット曲を生み出し続けてきたシンガー、bird。今年デビュー20周年を迎える彼女が、春にリリースされたニュー・アルバム『波形』に引き続き、この節目を記念するベスト盤『bird 20th Anniversary Best』をリリースする。おなじみのヒット曲などなど、20年のキャリアを代表曲する27曲コンパイル。さらには、MONDO GROSSO名義でブラジリアン・ハウス・サウンドをフィーチャリングし、2000年にリリースされ、大ヒット、当時のANA沖縄キャンペーンCMソングとしても知られる「LIFE feat.bird」が、装いも新たに録音されたヴァージョン=「LIFE feat.bird (Retune)」として収録(全28曲)されております。なお、こちらも現在のANA HAWAiiのCMソングとして再度起用されている、あの歌であります。デビュー20周年を迎え、変わらぬその歌声を届け続けるbirdにインタヴュー!
デビュー作「SOULS」から、新たにレコーディングされた「LIFE feat.bird (Retune)」まで収録
今春リリースされた通算11枚目のアルバム『波形』も配信中!
INTERVIEW : bird
今年3月20日にリリースされた11枚目のアルバム『波形』で、ちょうどデビュー20年を迎えたシンガー、bird。そのキャリアを総括するベスト・アルバム『bird 20th Anniversary Best』にはその魅力がギュッと詰まっている。あの小柄でおっとりした女性のどこからこんなエネルギーが溢れ出すのだろう?というぐらいにソウルフルでファンキーで力強くて、だけどしなやかで軽やかな歌声がすごくイイ。その印象は人柄にも表れていて、連日の梅雨空で誰もが憂鬱な気分に浸っていた中で行われた今回の取材で彼女は、「雨、嫌になりますよね~。でもこの前、福岡に行ったらすごく暑かったんですよ。そのときの暑さを小分けにしながら過ごしています(笑)」と朗らかにインタヴューに応えてくれた。そのナチュラルで肩肘を張らない姿勢からは、20年間支持され続けている理由がわかった気がした。
インタヴュー・文 : 岡本貴之
写真 : 西村満
“シルク・ドゥ・ソレイユへの道”(!?)転じてシンガーへ
──今年3月でデビュー20周年を迎えて、様々なことを振り返る機会も多いと思います。まず、20周年を迎えた率直な心境を教えてください。
「まあまあ長くやってきたな」という感じはあります(笑)。さきほど、カメラマンの方にも言ってもらったんですけど、小中学生の頃に聴いてましたという方々が、大人になってから声を掛けてくれるとしみじみしますね。結構長かったんだなって思っています。
──今回のベスト・アルバムはデビュー曲から始まっていますが、こうして聴いてみると最初から完成されていたように聴こえます。birdさんご自身は、どのようなお気持ちで音楽の世界に身を投じたのでしょうか。
当時は、歌でやっていけたらなという思いが漠然とあって、関西方面でずっと活動していたんですけど、そこで大沢(伸一)さんと出逢って。そこからビューンっと急ピッチでデビューする方向に向かったんです。なので、その頃は大沢さんから投げられる球を一生懸命打つだけ、という感じでした。打って打って、デビューが来た!みたいな。そんな目まぐるしい感じで、自分の人生の中でも転機の一つでしたね。
──ということは、大沢さんと出逢ってデビューするまで、しばらく時間がかかったということですか。
1年ぐらいはかかったと思います。1stアルバムとかデビュー曲は、結構時間をかけて作っていたので。
──その間に、アーティスト・ネームが“bird”に決まったわけですよね。それについてはどのように受け止めたんですか?
最初は、色々な名前が出たんですけど、その中から当時ヘアスタイルがアフロで鳥の巣みたいだからということで、“bird's nest”がいいんじゃないかってことになったんです。とはいえ、個人名っぽくなくてユニット名ぽいイメージということもあって呼びにくいなと。そのうち、Monday(満ちる)さんとかがbirdって呼び始めたんです。それで「もうbirdでええんちゃう?」って(笑)。最初はビジュアルから入って、背も小さいし小鳥みたいとか、そういう感じだったと思います。
──歌は小さい頃から好きだったんですか?
小さい頃は、学校の授業の合唱とかにあんまりいいイメージがなくて。というのも、女性の声の音域からすると、私はどちらかというと声が低いので、主メロを歌えなくて下の切ない響きを歌っていて。それが楽しくなかったんですよね。歌に対してもそんなに興味が持てなくて。歌うようになったのは大学に入ってからなので、それまでは今みたいに歌い手になるなんて、100%私の中にはなかったですね。
──そうなんですね。子どもの頃から歌っていそうなイメージでした。大学時代に歌うようになったのは、どんなきっかけだったのでしょうか。
関西大学というマンモス校に入学して、せっかくだから今までやってこなかったことをやってみたくて。サークルの勧誘で軽音楽部に誘われて、一回覗いてみようかなと思って入ってみたんです。でも楽器もできないし、じゃあ歌かな、という安易なスタートを切ったんです(笑)。
──大学に行ったら音楽をやろう、というわけでもなかったんですね。たまたま誘われて入ってみたという。
そうなんです。本命はジャグリング同好会でしたから。
──ジャグリング!?
そっちが一番だったから。昔からアクロバティックなものが好きで、中国雑技団とかシルク・ドゥ・ソレイユとかを観に行っていたんです。今でこそネットで調べられますけど、当時はパンフレットしか情報がなくて、憧れだけみたいな感じで。それで一番近いものが「ジャグリング同好会」だったので、「ここだ!」って入ったんですけど、3人ぐらいしかいなくて(笑)。活動してはいたんですけど、先輩たちが就活をはじめて終わったという悲しい同好会でした。
──シルク・ドゥ・ソレイユへの道がそこで(笑)。
バタンっと途絶えちゃいましたね(笑)。他にもいくつかサークルに入っていたんですけど、最終的にずっと続いたのが軽音楽部だったんです。でも本当に、導いてくれる人がいたら、ジャグリングとかそっちの道に進んでいた可能性は高いと思います。運命はわからないものですよね。
MONDO GROSSO新作に参加、そして「LIFE feat. bird (Retune)」へ
──デビュー曲から作詞もしていますよね。それはいつから始めたんですか。
作詞は全然やっていなかったんですけど、「音楽といえばニューヨークだ!」って決めてしばらく行っていた時期があって。それまでは、ジャズのスタンダードとかソウル・ミュージックとか好きな歌をカヴァーして歌っていたんですけど、帰国したときに、人の書いた言葉じゃなくて自分の言葉で歌わないとダメだって感じたんです。それで少しずつ曲を作ったり歌詞を書き始めたんです。とはいえ、今から考えるとしっかりしたものではなかったんですけど。大沢さんと会ったときにも、自分が書いた曲を聴いてもらったりするところからスタートしたんですけど、歌詞も書いてみたらと言われて書いたんですけど、あまり経験値もないので、見せたら「なんか普通やな」って言われて(笑)。「普通ってなんやろ?」って思ったし、どうしたら良くなるかもわからなくて。それで友だちに借りた谷川俊太郎さんとか色んな人の詩集を読んだりして、私が書いたものが“普通”と言われる理由がわかって。そこから何度か書き直して行ったら大沢さんもOKを出してくれたんです。しっかりした日本語の歌詞で歌った形としては、デビュー曲が初めての作品になりますね。
──20周年にあたってのコメントで「曲を作る人やアレンジをする人、楽器を弾く人やプロデュースをする人、音楽制作やライブ制作に関わる人など、この20年間たくさんの人と出会うことができました」と綴っていらっしゃいました。まず、大沢さんとの出会いはどのようなものだったのか改めて教えてください。
当時は大阪に住んでいて、歌を歌っていこうと決めて、音楽関係の人たちとの繋がりも少しずつできていたんです。そんな中で、レストランとかバーで歌うアルバイトに誘ってくれた人がいて、色んなところでスタンダード曲を歌っていたんです。そこにたまたま大沢さんが遊びに来ていて、終わってから話をしてくださって。私は当時、70年代のソウル・ミュージックとかロックがすごく好きで歌っていたんですけど、当時の新しい音楽にまったく触れていなかったんです。だから大沢さんのことも知らなかったですし、クラブ・ミュージックも全く知らなくて。大沢さんに好きな音楽を訊かれたときに、ダニー・ハザウェイとかマリーナ・ショウとかそういうソウル・ミュージックが好きなんです、っていう話をしていたんです。そうしたら、「そういうソウル・ミュージックで今すごくカッコイイことをやっている人たちがいるから、聴かせてあげる」って、聴かせてもらったのが、エリカ・バドゥとかディアンジェロとかだったんです。それを聴いて、今やっている人たちで私が好きな音楽がいっぱいあるんだって知って。そこから大沢さんには色んな音楽を聴かせてもらって、知らなかった音の世界をいっぱい吸収した時期ですね。
──2017年に発売されたMONDO GROSSOのアルバム『何度でも新しく生まれる』で久しぶりに共演されましたよね。
それまでも、色んなところで会ってはいたんですけど、実際に音作りをしたのは、本当に久しぶりで。「17年も経ってたんだねえ」っていう話をしました(笑)。
MONDO GROSSO、14年ぶりの作品、1曲目の「TIME」でひさびさの共演を果たした
──birdさんは1曲目の「TIME」を歌っていますが、アルバムタイトルの〈何度でも新しく生まれる〉という言葉が歌詞に出てきて、アルバムの表題曲的になっていました。
ビックリしましたね。アルバム・タイトルが私が書いた歌詞から選ばれるなんて。驚きましたけど、うれしかったです。
──今回のベスト・アルバムには、最後にMONDO GROSSO「LIFE feat. bird (Retune)」が収録されていることも大きなトピックですね。この曲には思い入れがあるんじゃないですか?
そうですね、この曲を好きだって言ってくれる人はすごく多くて。自分名義の曲ではないんですけど、ライヴでもたくさん歌ってきた曲なんです。今回CMでも流れるし、じゃあ2人で改めてレコーディングしようということになって。19年前の曲をもう1度レコーディングすることなんてないだろうなって思っていたので、長くやってればこういうこともあるんだなって、しみじみしながら大沢さんのスタジオで歌ってました(笑)。
──しみじみ、というのはご自身ではここまで続けてこれたとは、という気持ちもあるということなんですか?
特に何年続けようとかいう目標はなくて、本当に気付いたらこんな風になっていた、という感じで。でも続けていたらこういうご褒美みたいなこともやってくるんだな、やっててよかったなって思いました。
──この曲はファンにとっても、ご褒美というかプレゼントになっているんじゃないでしょうか。
ああ~だったら嬉しいですね。オリジナルテイクは結構長いんですけど、今回は相談しながら箇所箇所を端折って、コンパクトにまとめました。
──大沢さんとの曲で、今回収録されている中からより思いが深い曲を挙げてもらえますか。
「空の瞳」なんかは、今でこそ畳みかけるリズム感が立ってる曲はたくさんあって好きなんですけど、当時は「大沢さん、この曲どこで息継ぎすればいいですかね…?」っていう感じで、体に馴染ませるのにすごく時間がかかった覚えがあります。文字数が多くてグルーヴがある曲をどういう風に歌えば軽やかに聴こえるのかなっていうところを、ものすごく練習した覚えがあります。でも、この曲があったから土台ができて、その後の「GAME」とかに向かって行きやすくなったという気がします。そういう意味で、歌とかリズムという意味で「空の瞳」は結構大きい曲ですね。
birdの20年間を形作った、さまざまなアーティストとの出会い
──冨田ラボさんとは、3rdアルバム『極上ハイブリッド』収録の「うらら」以来、3月に出たアルバム『波形』に至るまで一緒にやっていますね。『極上ハイブリッド』はbirdさんの初セルフ・プロデュースだったわけですが。
『極上ハイブリッド』は初めて大沢さんから離れて、曲ごとに色んな人とやったんですけど、「うらら」をどなたにお願いしようかということで、冨田さんにお願いしました。
──この作品自体、初期の転換期だったわけでしょうか。
2枚、大沢さんプロデュースで作って、そこから色んな人と音楽を作ってみたくて出てみたんですけど、色んな不安もあったり、ワクワクもあったり色んな感情が絡まった中で作った1枚で。全部が初めてのことだったし、自分で歌のディレクションもしなければいけないし、トータルで判断する力も必要になってくるし、ただ歌っていればいいだけじゃないところに急に直面したので、いっぱいいっぱいだったと思うんですけど。でも今回マスタリングで聴き返したら、そのフレッシュな感じが伝わってきていいなって(笑)。「がんばってるな~」っていう感じがして、色々思い出しました。
──その中に、Monday満ちるさん作曲の「ZERO」という曲がありますが、イントロがノイズ、シューゲイザーっぽい始まりで土着的なファンクになっていくまさにハイブリッドな面白い曲ですね。
そうですね(笑)。Mondayさんにお願いして書いてもらいました。カッコイイ曲です。
──山崎まさよしさんが書いた「散歩しよう」もこの中では異色に聴こえます。
そうですか? これは、ドラマーのGentaさん(江川ゲンタ)が山崎さんを紹介してくれて、山崎さんのライブのゲストに呼んでいただいたりご一緒することがあって、それがきっかけで曲をお願いしました。この曲は野外イベントの緑溢れるような場所でみんなで一緒に歌うとすごく楽しいんですよ。
──野外イベントといえば、何年か前の〈りんご音楽祭〉のときにbirdさんのライヴを目の前で観たんですが、サウンドチェックのときからずっとお客さんと話していて、文字通りすごくお客さんとの距離が近いなと思ったんですよ。
あはははは(笑)。近い分には、全然構わないんですよ。その方が、お客さんの様子もよく見えますので(笑)。どんな風に聴いているんだろう?とか。
──その様子によって、ライヴ・パフォーマンスが変わることってあるんですか?
曲は結構、変えますね。セットリストも大枠では決めているんですけど、その場で変えたりとか。リクエストをいただくことも多いので、その曲をやるとか色々です。一緒にライヴして頂くミュージシャンのみなさん長いお付き合いだからこそ、柔軟でいられるのかなと思います。
──そういうやり方は、初期の頃から同じですか。
初期の頃は、アルバムを作ってライヴがあって休み、という大きなサイクルで動いていたのが、今は年中ライヴがあって、その間にモノづくりをするというやり方にだいぶ変わりました。あと、2011年ぐらいから、「“そうだ ○○、行こう。” acoustic tour シリーズ」というライヴをやっていて、ライヴハウスとかホールとかじゃない、普段音楽をやらない場所でも良い感じの雰囲気の空間があれば音楽をやれたらいいなっていうことで続けているんです。そうなってくると、先ほどおっしゃったような距離感の近さでやるので、お客さんと話をしながら曲も変えていくんです。もちろん、全面的にドカーンと見せるやり方もやっているんですけど、そうじゃない小編成のやり方でその場を楽しくできたらいいなというのがあって。
──お客さんから聴きたい曲のリクエストも多いんじゃないですか。
場所によってですけど、一斉にワーッて言われることもありますね。それを「日本野鳥の会」みたいに見渡しながら(笑)、「この曲は聴こえたけど他はなんだっけ」とか。そういうときもありますし、大人しいお客さんのところもありますから、「何かありませんか?」って訊いてみたりとか。
──「「BATUCADA」やって!」とかありますよね、きっと。
ありますよ。マニアックな曲を出されたりすると鍛えられますね。「ええっそれ!?」とか(笑)。でも曲名を言ってくれるのが嬉しいですね。
変わるものと変わらないもの、20周年へ経て思う“歌”の存在
──ベスト・アルバムの中で、新たな発見みたいなものもありましたか。
今回、じつは私は選曲をしていないんですよ。15周年のときにもベストアルバムを出せたんですけど、そのときは色んなテイクを聴いて自分が好きなように曲順を並べて2枚組にしたんです。今回は自分で選んでいない分、「この曲が入るんだ!?」って、新鮮な気持ちです。
──「この曲が入るんだ!?」というのは、例えばどの曲でしょう。
自分で作曲した「こんなにもblue」とか、アルバムの中の1曲のイメージだったんですけど、こうやって並べて聴くと際立ってくることもあって、面白いと思います。
──この20年でインターネットの普及をはじめ、音楽を取り巻く環境は大きく変化しましたよね。そういう変化がbirdさんにもたらしたものってありますか。
私がデビューした頃は、カセットに始まってCD、MDもありましたし、目まぐるしい感じではあったんですけど、とはいえモノづくりするにあたっては、あんまり変わっていないと思うんですよ。作っている過程、向かうところは基本的には良いと思うものを作りたいということだけなので。ただ、録音を家ですぐにできたりとか便利になっている部分も感じています。今年3月に出したアルバムを『波形』というタイトルにしたのは、昔なら音の波形とうのは、音楽に携わっている人ですらも、あまり見ることがなかったんですよ。それがPro Toolsが導入されるようになってから、それが日常になってどんどん音が重なって曲になりアルバムになっているんですけど。一般的にも、携帯のボイスメモで自分の声を録って目で波形を見ることができるようになっていて、どんどんそういうものが広がっていったなと感じていて。音楽に限らず、今こうしてお話していることとか、街の音とか、全部層になってこの時間ができているというのはすごく面白いなと思って、『波形』という言葉を使ったんです。ただ、今じゃなかったらタイトルにはしなかった気もしますし、そういう時代と音の関わり方の変化は感じますね。
──歌うということに関しては、20年間で心境の変化はありましたか。
歌うことはものすごく好きではあるんですけど、ちょっとずつ変わってはきていて。距離が近いところでのライヴで言うと、お話してたまに歌う、みたいな(笑)。歌もお話じゃないですけど、交流する方法の1つというか。それが話す言葉、書く言葉よりは、歌はすごく柔軟でいられると思っているんです。それで誰かとの距離も一気に近くなれるような気がしていて。それは本当に、「歌というものがあって良かったな」って思います。前よりもっと大きな関係性になれたというか。声って体が楽器ですから、これからも変わっていくと思うんですけど、いけるところまで音を作って歌っていきたいです。
『bird 20th Anniversary Best』配信中
今春リリースされた通算11枚目のアルバム『波形』も配信中!
MONDO GROSSO「LIFE feat. bird (Retune)」ハイレゾ配信中
bird20周年特設サイト
ゆかりの深い選曲者によるデビュー20周年記念プレイリスト企画 「bird 20th ~わたしが選ぶ bird’s song playlists~」、bird本人によるパッケージ開封動画など、bird20周年特設サイトにて公開中。
http://www.110107.com/s/oto/page/bird
RELEASE INFORMATION
bird 「bird 20th Anniversary Best」
税込3,500円 MHCL-2821 2822
デビュー20周年を記念したオールタイム・ベスト。ANA HAWAii CMソングでもおなじみ『LIFE feat.bird (Retune)』をCDパッケージ初収録決定!CDパッケージは、2枚組。
bird『波形』
税込3,000円 MHCL-2800
デビュー20周年プロジェクトの一環としてリリースされた約4年ぶり11枚目のオリジナル・アルバム。冨田ラボ(冨田恵一)プロデュース作品。
CDの購入などは上記、特設サイトを参照
LIVE INFORMATION
「bird 20th Anniversary Best」発売を記念したベスト・ライヴ開催決定!
bird ” 20th Anniversary Best ” Live !
10/30(水) @ Billboard Live TOKYO (東京)
11/11(月) @ Billboard Live OSAKA (大阪)
Club BBL 会員先行 : 8/21(水)正午12:00〜
一般予約受付開始 : 8/28(水)正午12:00〜
詳細 : http://www.billboard-live.com/
PROFILE
bird
シンガー & ソング・ライター
1975年 京都出身
ソウルフルな歌声と独創性に満ちた楽曲で、ジャンルを選ばず音楽ファンを魅了するシンガー&ソング・ライター。
大沢伸一 / MONDO GROSSO主宰レーベルよりデビュー、1stアルバム「bird」は70万枚突破、ゴールドディスク大賞新人賞獲得。
20周年となる今年、通算11枚目となるニューアルバム「波形」(MHCL-2800)2019年3月20日発売。
前作の「Lush」に引き続き、プロデュースおよびサウンドメイキングは現代の音の名匠こと冨田ラボ(冨田恵一)によるもの。
1999年3月20日発売のシングル「SOULS」によってデビューし、ちょうど20年目をむかえる記念すべきタイミングでのリリース。
新譜発売からbird20周年プロジェクトが本格的に始動。
そして20年前の1stアルバム「bird」発売に合わせたタイミング7月24日には、20周年記念オールタイムベスト(2枚組)を発売。 このベストにはANA HAWAII CMに使用されてるMONDO GROSSO「LIFE feat. bird (Retune)」を収録、19年の時を経て新録したニュー・ヴァージョンとなる。
2019年10月30日、11月11日には、東京と大阪にて「bird “2oth Anniversary Best” Live !」開催決定。
現在、ジャンル関係なく各種野外FES、イベントに出演中。
Official Web Site
Official instagram
Official Facebook
Official twitter