クラムボン、ミトが語るバンドの現在地──新作『添春編』、そして“ピリオドとプレリュード”へ
2月23日の東京ガーデンシアターで行われた〈添春編{overture}〉の東京公演について、「一つのピリオドを打つような節目」(ミト)と事前に発表、この公演を持って一端のライヴ活動休止を発表したクラムボン。そんなライヴ会場での先行リリースを経て、3月27日に一般リリース / 配信がスタートしたのがニュー・アルバム『添春編』だ。インディーズへと活動の場を移したバンドの集大成とも言える、ここ数年の配信シングルと新曲をパッケージした作品である。ライヴでの活動を休止し、アルバムをリリースしたクラムボン、バンドはいまどこへ向かおうとしているのか、打たれた「ピリオド」の先は? 小野島大によるインタヴューをここにお届けする。(編集)
クラムボン『添春編』ハイレゾ配信中
INTERVIEW : ミト(クラムボン)
インタヴュー・文 : 小野島大
写真 : 沼田学(ミト取材)
Yoshikazu Inoue(ライヴ)
Yoshiharu Ota(アーティスト)
クラムボンのニュー・アルバム『添春編』は、彼らにとって『triology』(2015年)以来の通算10作目のアルバムである。前作リリース後メジャー・レーベルを離れ、完全自主独立の活動に移行、『モメントe.p.』と題した3枚のEPをCDオンリーでリリース。通常のCDショップ以外の販売店を一般公募して売るなど、インディーズならではの画期的かつマイペースな活動を行ってきた。 『添春編』は『モメントe.p.』以降にリリースされた配信限定シングル(多くはタイアップ絡み)を中心に、新曲3曲を加えたものだが、ここ数年の彼らの歩みがうかがえると同時に、インディーズ期の彼らの総決算という意味合いもある。発売時期も制作コンセプトもバラバラの楽曲が揃っているのに、しっかりとした統一感とクラムボンらしい個性がしっかり息づいた作品だ。 アルバム発売でクラムボンのひとつの時期にピリオドが打たれ、また新しい時代が始まる。フォローアップのツアーやライヴ等は今のところ予定されていない。文字媒体のインタビューもこれ1本のみ。ミト(b / vo)が取材に応じてくれた。
最後の新曲“ピリオドとプレリュード”に持っていく流れ
──今回のアルバムは、東京ガーデンシアターでのライヴ(2月23日)に合わせて先行発売という形でしたね。
そうですね。大きい会場でライヴをすると、集客的なものも含めてアイテムもちゃんと作らないといけないから。ただ新曲の“ピリオド”(編注)は、1、2年くらい前にはできていた曲だったんです。親父が亡くなって3日後くらいに作った曲で。最初はそれだけをリリースしようと思っていたんですけど、だったら今までいろんな機会に発表してきたけどあまり表立って宣伝されなかった曲をちゃんとコンパイルして、1枚にまとめることができないかな、って話になって。つまり、タイアップでどこかのコンテンツにあった楽曲を、クラムボンのアルバムというコンテンツに組み直すというか。
編注 : “ピリオド” : 以下特別な表記がない場合、発言中の曲名の“ピリオド”は“ピリオドとプレリュード”を示す。
──文脈が変わるということですね。
そうですね。意味合いがちょっと変わるなと。なので、それをしっかりまとめてもう一回出す、パッケージ、しかもCDで出すっていうのは、面白い形になるのかなと思って。
──普通の新曲だけのオリジナル・アルバムとはまた違う目的と意味合いがある。
そうですね。色々あったものが、ひとつにまとまっていく、さらにそこにはカヴァー曲(“ウィスキーが、お好きでしょ”)が入っていたりとかして。なので組み合わせをしっかりして作らないと、ごっちゃになっちゃう。選曲まわりはけっこうシビアに考えましたね。それもあって“プレリュード”と“インターリュード”と、“ピリオドとプレリュード”という三点の軸(新曲)をおいて、一個にまとめるっていうアイデアで、コンパイルできたんです。(新曲だけの)アルバムを出そうっていう発想もできなくはなかったんですけど、正直な話、形としてしっかり届けられるものではないような気がしていて。
──それはずいぶん前から言っていますよね。
実質そうじゃないですか。世の中、シングル、フロント・トラック的なものをしっかり作って、それがSpotifyやらApple Musicやらサブスクに流れて、っていうのがもう本当に主流。アルバムを作ったとして、ファンの人たちをライヴに呼び込む煽りでしかない気がしていて。それだったら、一曲一曲集中してしっかり作って出した方がいい。労力的なことを考えると、アルバムに力を注ぐより、一曲一曲に重きを置いているものの方が良いかな、っていう気がしていて。
──そうですね。作られた楽曲はそれぞれ違う目的で、違うシチュエーションで、なんなら録音場所もエンジニアも違うみたいな状況で作られたものもあって。そういうものを一つのアルバムとしてまとめていくっていうのは、また違う努力がありますよね。
そうですね。ただそんなに、何て言ったらいいのかな……何かマジックが起こるようなことを期待してはいないというか。歌詞だったり曲の流れだったりがバラバラになることなく、統一感があるよう選曲していって、そこにちょっと足りないものがあればまた曲を作っていく。最後の新曲“ピリオド”に持っていくためにうまいこと流れにはめ込めていけたらいいかなって思ったんですかね。今回は区切りをつける、っていうコンセプトだけはちょっとあったので。〈添春編〉で8000人キャパのライヴをやる事だったりとか、一回メジャーを離れてからの7年間分の内容をしっかりまとめる時なんじゃないかなって思ったんです。それで向かっていったら、いろんなものが辻褄が合ったというか。
──メジャー・レーベルから離れて7年間、インディペンデントな活動をやってきて、その間クラムボンというのはミトさんにとってどういう位置づけにあったのでしょうか。
クラムボン自体は『モメントe.p.』っていうミニ・アルバムを作って、CDショップ以外の、私たちのファンの方々のお店だったりとかにCDを置いてもらって販路を広げていくっていう活動で。あのときはすごくタイミングがよくてすごい反響があったし、枚数もはけたんです。
──ライヴで、めちゃくちゃお金が入ってきたって言ってましたね。
フフフ(笑)。あのタイミングのときはね(笑)。そこもちょっと色々あるんですけど。その流れと同時に、例えば原田(郁子)さんだったりとか(伊藤)大助さんだったりとか私とかが個人的な仕事もやりつつ、クラムボンもちょうど良い距離感で活動ができていたんですよ。あぁ、もうこのままで良いな、って思っていたんですね、正直な話。『モメントe.p.』を3枚出して、もう全然これで行けるなって。
──なるほど。
それで僕らがメジャーを出たすぐあとくらいから、サブスク全盛になっちゃったじゃないですか。で個人的にはメジャーを出てやっぱり大正解だったなって思って。アルバムを毎回(レコード会社と)契約して出して、タイアップ周りを作って、いろんな業界からのコンペやオファーにも応えて、それだけ労力割いて苦労して、じゃあ入ってくるものはどれくらい?っていうと、もう本当にね、何%も入ってこないわけですよ。でも私たちはそれを全部自分たちでやったら、100%入ってきた。5曲入りのミニ・アルバムだけど装丁とかもしっかりしてそれなりの値段で売っても、ファンの人たちがちゃんと価値を見出してくれて。その部分でのコミュニケーションは全然取れていた。いやほんと大正解だなと思って。
──そうですね。
いまの音楽シーンは歌い手さんだったりとか、VTuberの子達だったりとか、アイドルもそうですけど、とにかく個人事業系の人たちの、今までのメジャーレーベルとかと全く関係ないところで絶対数が増えてっているでしょ。
──そこで真正面から勝負しようって考えた時期もあったわけですか?
や、闘おうとは思ってなかったです、そもそも。全く違う世界の出来事だと僕は思っていたので。ただ、もしもメジャーに入っちゃうとそこら辺は十把一絡げになっちゃうわけじゃないですか。
『モメントe.p.』の三部作の存在
──だいぶ前にインタビューした時に、ボカロとかアニソンとかそういうプロフェッショナルな人たちがシノギを削っている現場でクラムボンがやっていくためには、それに匹敵するような強度をつけなきゃいけないっていうような話になりましたね。そうした考え方はだいぶ変わってきている?
考えていることは同じなんですけど、導き出した答えが想像していたものと違かった。という感じですかね。何かっていうと、オリジナリティということですね。私たちはちょっと特殊な形態なんです。バンドとしてのあり方もサウンドも他にはないものがある。なのでこれを研ぎ澄ましていくことが強みになるのかなと。
──それが『モメントe.p.』の三部作。
そうですね。たぶんそこだと思います。それで私たちより上の世代の音楽をやっている人たちって……、どんどん個に向かっている感じというか。本当に「個性」でしかないというか。昔だったらあちこちで流れている音楽にアンテナを張ったりとか、そういうことを意識していたと思うんですけど、今はもう、上の人たちはたぶん全くと言っていいほど今のポップ・カルチャーというか、ビルボードのチャートだったりとか、ああいうものを聴かないんじゃないかと思うんですよね。
──あぁ、それはね、感じます。
びっくりするくらい聴かないですよね。聴かないのか聴けないのか。
──ビルボードどころか、最近の若い世代がやっているロックやポップスすらあまり聴いていないというか。
うん。本当にそうですよ。たまにフェスとかで、私たちと同世代とかちょっと上の人と音楽の話をしようとすると、今の潮流の話なんか99%出てこなくて(笑)。だいたい自分たちと近しいバンドが何やっているっていう話と、後は本当に音楽的なテクスチャーの話。楽器のこととか理論のこととか。そんなのばっかりですよね。
──なぜそうなっちゃったんですかね。
……やっぱりちょっと、多すぎると思うんですよね。シャットダウンを誰も出来ないじゃないですか。
──聴こうと思えば際限なく聴ける。
そうなんですよね。それが今の音楽の力の弱さを助長させてしまっているところもありますよね。例えば流行とかも瞬時に入れ替わっちゃうので。なんかもう、追っかける意味合いさえ失っちゃう。それを知って、自分の音楽に取り入れてパッケージするまでの2か月3か月くらいの間に、もう変わっちゃうんですよ、流行が。例えば、この前出たNewJeansの“Zero”とか。あれももう本当、プラネット・レイヴっていって、いわゆる90年代のオールドスクールなドラムンベースと2ステップやフューチャー・ファンクみたいなものの合わせ技だったり、っていうのは耳の早い人たちだったら分かるし、これはピンクパンサレスとかが好きな人たちが作ったんだろうなとか、プロデューサーが変わったからこういう奴なんだろうなって出てくるんです。でもそれがフレッシュなままどれくらい持つかっていうと、本当に3か月くらいで、(流行が)変わっちゃうんですよね。
──ほんとそうですよね。
すごく賞味期限が短いから、追いかけようっていう気にならなくなるっていうか。