REVIEWS : 030 ジャズ(2021年8月)──柳樂光隆(Jazz The New Chapter)
毎回それぞれのジャンルに特化したライターがこの数ヶ月で「コレ」と思った9作品+αを紹介するコーナー。今回はアップデーテッドなジャズ+αに切り混む、好評シリーズ“Jazz The New Chapter”の監修を手がける音楽批評家、柳樂光隆による11枚。
OTOTOY REVIEWS 030
『ジャズ(2021年8月)』
文 : 柳樂光隆(Jazz The New Chapter)
ここ最近、海外のジャズの新譜は話題作満載でして、パット・メセニー『Side Eye』、挾間美帆『Imaginary Visions』、ジェイムス・フランシーズ『Purest Form』、ベッカ・スティーヴンス&ザ・シークレット・トリオ『Becca Stevens & The Secret Trio』、エマ・ジーン・サックレイ『Yellow』、アマロ・フレイタス『Sankofa』、ブランディー・ヤンガー『Somewhere Different』などなど非常に充実しております。
ただ、この辺は他の媒体にも書いているので、そっちを読んでもらうとして、今回はほぼ国内盤が出ていない輸入盤のみの作品中心にを選んでいます。ジャズ専門媒体では紹介されているけど、総合音楽媒体では取り上げられないけど、シーンの中ではかなり重要だったり、地味だけど内容が良かったり、刺さるところには絶対に刺さるから求めている人いそう、みたいなものをチョイスしています。(柳樂)
Terence Blanchard The E-Collective 『Absence』
テレンス・ブランチャードといえば、スパイク・リー作品の音楽でお馴染みのトランペット奏者で作曲家、もしくはウィントン・マルサリス人脈の流れでドナルド・ハリソンとの連名プロジェクトで80年代に頭角を現した人ってイメージでしょうか。ただ、2000年代以降に関してはテレンス自身もバンドに所属していたレジェンド・ドラマーのアート・ブレイキーのポジションとして見てみると彼の作品の見え方が変わる気がします。端的に言えば、若手フックアップ役。テレンスのバンドを経た若手は数知れずでデリック・ホッジ、ロバート・グラスパー、アーロン・パークスやらケンドリック・スコットとすごいことになっています(https://www.billboard-japan.com/special/detail/2754#)そのテレンスが今起用しているのはファビアン・アルマザンやチャールス・アルトゥーラというわけでこの新作も今の演奏がたっぷり詰まっています。
本作はウェイン・ショーターへのオマージュで、弦楽四重奏団のタートル・アイランド・カルテットとのコラボ。ウェイン・ショーターの神秘的かつ幻想的で先の読めない展開などが感じられるショーターへのオマージュ曲やカヴァー曲をストリングスとエレクトリックなサウンドで表現している。ちなみにカヴァー曲は「The Elders」(原曲はウェザー・リポート『Mr Gone』収録)、「When It Was Now」(原曲は『Weather Report(邦題 ウェザー・リポート’81)』収録)、「Diana」(原曲は『Native Dancer』収録)とフュージョン期が多めで、ショーターがブルーノートからリリースした新主流派時代の曲が入っていないのが面白い。個人的にはウェザー・リポートの楽曲がここまでクールに響く「The Elders」「When It Was Now」は新鮮だった。全体的にテレンスの映画音楽モードの楽曲のような流麗さと即興演奏が入り混じっていて、それがうまく混じりあって、絶妙にクールな質感を生んでいるところか。近年のThe E-Collective名義の作品はグルーヴやエレキギターのエッジを前面に出した力業系のサウンドでBLMにも呼応したような怒りや嘆きを感じさせる熱いものだったが、本作は繊細さにグッと舵を切っているようなクールな溶け合い具合で、時に交じり合いながらも絶妙に濁ることで不穏さや不安さが生まれるのも美しい。チャールス・アルトゥーラのギターがここまで活かされた作品は彼の参加作の中でも出色。それはファビアンも同じだ。ウェイン・ショーターをテーマにしたから、そして、弦があったからこそのサウンドがバンドのポテンシャルを最大限に引き上げた。そして、「Fall」(原曲はマイルス・デイヴィス『Nefertiti』収録)を聴けば、テレンス自身のトランペットの表現も屈指の素晴らしさであることもわかるし、本作が彼のキャリアの中でも屈指の作品であることがわかるのではないか。
Kenny Garrett 『Sounds From Ancestors』
テレンスに続いてまた同じような文脈の話を書きますが、ケニー・ギャレットも若手のフックアップにおいて重要な役割を果たしてきた人。元はマイルス・デイヴィスの最晩年バンドのメンバー的なイメージでしたが、いわゆるウィントン・マルサリス人脈、更にはコンテンポラリー・ジャズまでを繋ぐキープレイヤーのひとり、つまり20世紀と21世紀を繋いだ存在でもある人です。若手のフックアップで言えば、ブライアン・ブレイドからクリス・デイヴ、ジャマイア・ウィリアムスを真っ先に起用してきたあたりが最大の功績かと(ブライアン・ブレイドを起用した1995年の『Trilogy』やクリス・デイヴとエリック・ハーランドを起用した2003年の『Standard of Language』は名盤)。音楽的にはコルトレーン系譜のサウンドを様々な形で提示したこと、またはカリビアンやアフリカンの音楽を積極的に学び、それらを現代的なサウンドに取り入れてきたことで、そのあたりはカマシ・ワシントンやUKのヌバイア・ガルシアなどに受け継がれていると思います。特にUKの“Tommorow’s Warriors”周辺はケニー・ギャレット系譜のサックス奏者が多いイメージがあります。
そのケニー・ギャレットの新作はこれまで彼が取り組んできた音楽の集大成的な内容で、ヨルバ(キューバなどにある西アフリカ由来の民間信仰)のチャントにアフリカのリズムを合わせた曲から始まり、ロイ・ハーグローヴに捧げた曲でコルトレーンへを引用し、ド直球のコンテンポラリー・ゴスペル × ジャズをやったかと思えば、タイトル曲ではアフロ・キューバン × スピリチュアルジャズ的なサウンドをやってみたり。そのリズムへのこだわりが詰まった楽曲をサンダーキャットの兄でカマシのバンドでお馴染みのロナルド・ブルーナー Jr.がドラムを、タイトル曲ではペドリート・マルティネスが参加したりと超重量級。そこにLAのレジェンドのドワイト・テリブルが強烈なヴォイスをかぶせたり。ケニー・ギャレットも2020年代開始早々にキャリア屈指の作品をぶち込んできましたね。
Petter Eldh 『Projekt Drums, vol.1』
アメリカのジャズ・ミュージシャンたちがヒップホップの影響を強く受けたように、ヨーロッパのジャズ・ミュージシャンたちはエレクトロニック・ミュージックからの影響を受けている。という文脈でUKを見ると、ゴーゴー・ペンギンやリチャード・スペイヴンが有名ですが、北欧とUKの混合トリオのフローネシス(Phronesis)もその文脈で聴ける重要バンドだと思います。そんなフローネシスのドラマーのアントン・イーガー(Anton Eger)が2019年に発表したリーダー作『Æ』はヨーロッパにおけるエレクトロニック・ミュージックとジャズの融合のひとつの成果のような作品でした。その『Æ』が成功した理由には3人のミュージシャンがいました。それがドイツ人ドラマーのクリスチャン・リリンガー(Christian Lillinger)、スウェーデン人ベーシストのピーター・エルド(Petter Eldh)、スウェーデン人サックス奏者のオーティス・サンシュー(Otis Sandsjö)。
クリスチャン・リリンガーはかなり現代音楽 / フリーインプロ寄りではありつつ、同時にミニマルなビートをエレクトロニックな音色で叩くドラマー。ピーター・エルドはジャズベーシストでありプロデューサー。ジェイムス・ズーともコラボしていたりも。オーティス・サンシューもプロデューサー寄りで、エレクトロニックなアルバム『Y-OTIS 2』を発表しています。彼らの名前が今、ヨーロッパで注目されているのは、ドイツ〈ACT〉やイギリス〈Edition〉と〈Whirlwind〉、スイスの〈Intakt〉、フィンランドの〈We Jazz〉などの人気レーベル作品で名前を見るところからもわかります。
例えば、Christian Lillinger『Open Form For Society』やPunkt.Vrt.Plastik『Somit』のようにかなり抽象的でインプロ寄りだったり、『Petter Eldh Presents Koma Saxo』はザラッとしたファンキーなベースや体温高いサックスソロがあって近年のUKジャズと混ぜてDJ的にも使えそうな内容だったり、Michael Wollny『XXXX』はシンセのエレクトロニックな音色や大胆なエフェクト、そして、ティム・ルフェーブルが持ち込んだUSのグルーヴが印象的だったりと、音楽性はバラバラではありますが、エレクトロニック・ミュージックの影響や機械的なミニマルなビート、複雑な変拍子が何らかの形で入っていることが多いのが特徴でした。
ここで紹介するピーターの新作『Projekt Drums, vol.1』はピーターとオーティスが参加しています。ゲストのドラマーのドラミングを中心に作られていることもあり、彼らが関わった作品の中でもこれまでで最も親しみやすいサウンドになっているの特徴。US、UK、ヨーロッパの名ドラマーを1曲ごとに起用し、機械的なビート感のクールさは残したままでドラマーはビートのパターンを頻繁にチェンジしたり、かなり自由に演奏していて、セッションとしての見せ場がかなりあるのはクリスチャン・リリンガー参加諸作にも通じますが、クリスチャンが持っているフリーインプロ的な抽象性を排しているので、かなりジャズ寄りに聴こえます。『Æ』のように彼らの音楽を広く届けるきっかけになる作品になりそうですし、UKジャズとは別の文脈のヨーロッパのジャズの魅力を知らしめる意味でも重要な一枚になりそうな予感です。