暗闇に憑在する音楽、その体験──YCAMにて開催されたコンサート・ピース、GEIST、スペシャル・リポート
謎多きプロジェクト、GEIST
文・取材 : 河村祐介
撮影:谷康弘
写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]
会場に入ると、最小限の客電が座席を照らす。年末の小春日和の明るい太陽にさらされた目には漆黒に等しい。目が慣れてくると、予想よりも狭い客席と、ステージがあると思われる空間の前にはなにかのオブジェらしきものがうっすら見える。会場で鳴り響くのは秋の虫たちの鳴き声。そしてGEISTを待つひとびとのうっすらとした姿、気配だけを感じることができる。
GEISTは、バンド、goatやソロ・ユニット、YPYなどで、国内外で高い評価受けるアーティスト、日野浩志郎によるプロジェクト。2018年3月に大阪名村造船所跡地のライヴ・スペース、BLACK CHAMBERにて行われたのが初演となる。日野がドラマー(OPNやローレル・ヘイローなどと活動するイーライ・ケスラーなど)などの打楽器奏者や管楽器奏者とともに作り上げたプロジェクトだ。本稿は、この第1回のプロジェクトを元に、YCAM(山口情報芸術センター)にて行われた、楽曲や構成、舞台装置などの要素を大幅にアップデートされたGEIST新作のレポートである。2回目のGEISTは2019年12月14日(土)~15日(日)の2日間、昼夜の各日2回公演という形で開催された。
このプロジェクトがなぜYCAMで行われたのか、今回の仕掛け人のひとりでもある制作企画を担当した、YCAMスタッフの石川琢也はこう語る。
「YCAMでの音楽に関しては、これまで大御所達ともたくさん制作を行ってきたので、比較的若いアーティスト、しかも東京以外の人たちでまずは探していました。(日野は大阪を拠点に活動)。やっぱり見たことのない音というか風景というか、そういうものを見せてくれる人は誰だろうなということを考えて、日野さんの名前が挙がり、昨年、goatでYCAMでライヴをしてもらって、内容に確信を得たのでプロジェクトを進めることになりました。」(石川 / 以下、本稿の日野、石川の発言はすべて今回終演後に行った著者によるインタヴューから)
著者は大阪の第一回には行っていないので、今回のYCAMでの上演が初の体験となる。その存在は噂話程度でしか知らされていない(というのがなぜなのか、は、体験してみて納得する、噂話程度でしかおおよそ言語化できない体験をする)。フライヤーの見出しには「全身聴取ライヴ」とある。どんなものか、まさに固唾を飲んでそのスタートを待った。
結果として4回ある公演のうち最初の1回と4回を見たのだが、どちらも新たな発見、刺激があった。それほどまでにその情報量はある意味で多く、ある意味で少ない。身体の処理能力=五感のうち、まさに味覚と臭覚を抜いた、3つの感覚の感度を極限まで高めることである意味で成立する、そういった意味では聴取する側にも能動的な感覚の鋭敏性を強いる、そんなサウンドでもあった。
さてその物理的な概要を、YCAMの告知ページにはこう記されている。
「会場には黒を基調とした巨大なバルーン状の舞台装置が設置されており、コンサートピースでありながら、インスタレーション作品としての側面も含まれる総合的な作品となっています。また、会場には15台のスピーカーが、上下左右に観客を取り囲むように配置されており、虫や鳥の鳴き声、風の音などの野外で録音された音源や電子音が再生されます。さらに、会場のそこかしこに点在する14人の打楽器、管楽器、弦楽器の奏者たちが、あるルールをもって演奏を展開。その音が、スピーカーからの音と交わることで、同時多発的な音の振る舞いが、会場に特殊な一体感を生み出します」
最終的には、21台(8台のラウドスピーカー、2台のウーハー、8台の小さな小型スピーカー、3台のゴングスピーカー)と11人の演者へとアップデートされたという。また演奏者の他にも、京都造形大学で教鞭をとる白石晃一の協力によって作成された打楽器の自動演奏装置も加わっていたそうだ。スピーカーや演者、自動演奏装置が客席を取り囲むような形で配置されていた模様だが、はっきり言って、暗闇のなかでほぼはなにも見えないに等しい。その制作は夏からの3回に渡るYCAMでの滞在によって行われた。大阪での初回のGEISTをアップデートし、よりその元ととなるコンセプトの強度をあげるべく、自動演奏機や会場を飾るさまざまなオプジェクトの制作が行われていったのだという。また、そのサウンドを作り上げているのは初回以前から日野が積み重ねてきた、音への強烈な意識にある。
「GEISTのためにずっと音を作ってるってわけじゃなくていろいろなものが積み重なっているんです。日頃の「この音がいいな」というのをずっと貯めていっている、それを一気に集約させたものがGEIST。だからいつからGEISTを作っているかって言われたらすごい前から作ってる。その音へのフェティッシュを共有できるかどうかが一番の心配ではあったけど。好きな人は好き、好きじゃない人は好きじゃないで割り切って自分のフェティッシュを極端に聴かせる事にしました。」(日野)
身体感覚を融解させるGEISTの暗闇
もともとGEISTの構想には、日野の実家近くの自然がひとつヒントになっているのだという。まさに彼の原風景とも言える自然の音をある種のストーリーとともに再現するというのが起点だ。そしてGEISTで使用されているフィールドレコーディングの多くは、第1回目のGEIST前に日野のいまは亡き実夫が日野の要請で、実家近くの山のなかでレコーディングしたものが含まれているのだという。
「島根の音は全部ではないですね。いろいろコラージュをしてますね。GEISTのコンセプトとして島根という限定した場所を作り上げるのではなく、場所のレイヤーを重ねて現実には存在しない場を作り上げる必要がありました。本当は島根と山口でフィールドレコーディングしてそれを重ねるというのもあったんだけど時間がなくて。あとただの自然の真似をするのは自分がやるにはどうやっても稚拙になってしまうと思って。だからいろいろ混じってます」(日野)
GEISTはこうして事前に日野が用意したフィールド・レコーディング音や電子音などをひとつガイドに演奏者たちが生演奏をしていくことでそのサウンドが完成していくプロジェクトで、日野自身はある種の作曲家・監督としての立ち回りで、一部オシレーターでの発音以外はほとんど演奏はしないという。
暗闇のなか、客席で待っているとスタートを告げるようにゆっくりと客電が落ちる。と、それまで会場を包んでいた虫の声が、さらなるレイヤーを伴ってこちらに迫ってくる。音響上に「鳴っている」のか、それとも幻聴なのかホワイトノイズが会場を包むなか、さまざまな方向から鳥の声、もしくはそれに擬態した電子音、管楽器たちが声を出す。後方からは、打楽器を叩く音が聞こえる(実際はプリ・レコーディングしたもので実際演者は叩いていなかったそうだ)。後方の演奏者の気配すら感じさせる。こうして四方八方からさまざまな音が発せられるサウンドは、日野の故郷、島根の自然を人工的に再構築から徐々に演奏らしきものへと向かっていく。演奏ということをうっすらと意識することで、そこにいるなにかを感じていく行為を伴って。
その間、暗闇のなかで聴覚に対する視覚という補完的な情報が遮断されることで、聴覚による方向感覚、音の質感の判断──それがスピーカーから出力された音なのか具体的に演奏されている音なのか──その差違の感覚が徐々に曖昧になっていく。その曖昧さは、自らの身体感覚へも広がっていく。研ぎ澄まされた聴覚は、四方八方から発せられる音の「触覚」に翻弄され混乱していく、それは自らの身体も見えず、その枠を曖昧にし、身体がまるで音のなかに解けていくような、そんな錯覚をもたらす。ライヴで演奏する音とレコーディングされスピーカーから出力される音、このふたつに対する聴き方(と視覚的な情報)という「慣れ」からくる秩序を無効なものにしてしまう。聴覚と触覚が音のなかに溶け込んでいるなかで、唯一自分を自分たらしめているのが視覚への“飢え”となっていく。
「実は途中で、管楽器の衣装も変えてるんです。最初は真っ黒で存在感をなるべくなくす、途中で白っぽい衣装に着替えてうっすら見えるっていうのを作って」(日野
何分経っただろうか、単なる暗闇と思っていたところにうっすらとライトが明滅していることに気づくと、視覚への意識が戻り始める。こうしたことを繰り返していくうちに、じょじょにドラマーの演奏や陰の向こう側に居るであろう演奏者を見ようとすることで、また別の集中力をかき立てる。視覚への“飢え”は同時に、その音がする方向、なにが鳴っているのかを知ろうとする音への集中力へと変換される。暗闇の効果で、そこに実在するのか、はたまたスピーカーからの録音物なのか、まるで実在せずにライヴとして作用しているのか、不思議な感覚を持って迫ってくる。
今回の演出において、暗闇とそこから得られる距離感もひとつの演出として機能させようとしたのだという。
「舞台前にスライムみたいなのがあるじゃないですか、あれで圧迫感を出して距離感をまず潰す。あと実はステージの一番右奥のほんと端っこにでかい目玉みたいなのがあるですよ。しかもそれが本当に一回しか出てこないんだけど。それが最後のちょっと前のシーンで少し光るんですよ。10秒だけしか光らない。それが一番奥にあるもので、それを見て気づいた人は奥行きこんなにあるんだと、気づける。もちろん気づかなくてもいい。そうやって騙していくようなことをやっていて、圧迫感からの開放感、それはリアルと非現実の世界を行き来してまさに自分の感覚をなくして、自分がGEISTみたいな感じに持っていく、けどそこからまた身体に戻していくという工程をすごい丁寧に踏んで、行って帰ってくるという」(日野)
また今回のこの「闇」の使用は、最初からあったものではなく、2回目、このYCAMでの制作中に見つけてしまったものでもあるという。
「照明がGEISTでは全体を司る指揮者のような役割を果たしています。細かく、何分何秒にこれを出す、みたいな。あと自分のキューでどうやって誰かに合図を出すとかそういうことばっかりやってた。今回の闇を観るという、途中から生まれたある種のコンセプトは、自分の至らない照明の演出に悩んだ末、美術のOLEOと相談して見つけたものでもあるんですよ。そしてそれを照明のYCAM高原さんと作り込んでいった。闇を観るというのは今回だけというか、前回はもっと光ってて、暗転するところは今回ほどはなかったかな」(日野)
GEIST本編はこうしたシークエンスが進んでいくなかで、中央のオブジェクトなど視覚的な演出もなされる、そしてサウンドも電子音や管楽器などによる、混沌とした表現からより音楽的な演奏へと盛り上がっていく。こうしたなかで、音に解けていた身体は演奏者やオブジェクトと自分との距離感の獲得と共に、新たな意識の受容となり、空間を把握していくことでまた新たな刺激を受けることになるのだ。レポートとはいえ、GEISTの今後の再演を考えればそのこまかな内容に関しては、このあたりにとどめておこうと思う。
YCAMとのタッグとしてのプロジェクト
日野といえば、goatの徹底した作曲方法など、どちらかというとストイックに隅から隅まで他のパートまでに神経を張り巡らす音楽家というイメージがあったが、このGEISTはどうなのだろうか。
「もともと僕は自分一人で作曲する体質でそれがコンプレックスにもなっているというか。でも今回は人に委ねて、自分が思いつかないものを作っていきたいと思っているプロジェクトでもあるんですよ。だからこんなに人数も集めたんです。特に今回はそれが躊躇で、前回のクライマックスのシーンでは管楽器の音をプリレコーディングし、それをある程度作り込んだものをスピーカーから鳴らしてプラスアルファ的に他演奏者が演奏を重ねるようなものだったんです。今回は演奏者がいないと完成できない、委ねるパーセンテージがだいぶ増えました。今回のラストシーンに関してはアイディアはあったけど事前に作り込まず、ほぼ現場で演者と共に作っていきました。特にチェロは今回キーになる楽器で、お任せした部分が大きかったですね」(日野)
また今回のGEISTには山本達久(ジム・オルークや石橋英子の作品などに参加するドラマー / パーカッショニスト)やジョー・タリア(即興演奏~コンテンポラリー・ジャズのドラマーでこちらもジムの作品など多くのプロジェクトに参加)といったさまざまな現場で活躍するアーティストたちに加えて、5人の演奏者たちが現地、山口から参加している。
「前回と同じ外からの演者を全員参加してもらうと予算的にも大変なので、演者を地元でアマチュアの管楽器奏者を探すという案が出てきました。そこから各所に声をかけて興味持った人たちに参加してもらいました。当初、何をするのかもわからず不安のほうがとても大きかったと思いますが、練習を重ねて本番を迎えて行く中で、最終的には皆さんこれまでにない経験だったと本当に喜んで楽しんでくれたのは嬉しかったですね。」(石川)
こうしてみると、2回目とはいえ、YCAMでの上演でGEISTは、大きくさまざまなアイディアが飛躍した結果のものだということがわかる。こうした音の体験としては唯一無二のプログラムとなったと言えるだろう。次なる目標は他所での開催の模様だ。
「他のところでもやりたいですね。全身全霊をかけてやっているので毎年はやりたくないけど(笑)。まずは東京、あとはベルリンですね。今回は次につなげるためにもいろいろな点でアーカイヴを残すというのもひとつ目標でしたね。あとは今回のものを2チャンネルに落として音楽作品としてリリースするのは考えてますね、ひとつのシーンで70トラックとかあるので、あと2年ぐらいかかりそうですが(笑)」(日野)
「YCAMで次回も、ということはないですけど、他の場所でやれる場所は探していきたいですし、再演に興味ある人はぜひお声がけしてもらえると、全力で対応しますので。」(石川)
GEISTはおそらく、他所では他所の進化を遂げるであろう。ぜひともまたさまざまな場所で立ち上がるGEISTを体験してみたい。その日まで、あの刺激的な体験を反芻し続ける。それもまた、体験した者のなかで新たに生まれ続ける、憑在する「GEIST」の一部でもある。
公演の詳細
日野浩志郎新作コンサートピース『GEIST』
会場 : 山口情報芸術センター[YCAM]スタジオB
出演者 : 山本達久 ジョー・タリア 中川裕貴 カメイナホコ 石原只寛 角谷京子 阿武絵美 米澤真由美 安部浩信 柳あい
2019年12月14日(土)、15日(日)各日14:00開演 / 19:00開演
詳細:https://www.ycam.jp/events/2019/geist/
goatの過去作品、配信中
PROFILE
日野浩志郎
作曲家/ミュージシャン
1985年生まれ、島根県出身。実験的なリズムのアプローチを試みるグループ「goat」や「bonanzas」での活動の他、電子音楽を使ったソロプロジェクト「YPY」を行う。他にも電子音とクラシカル楽器を融合させたハイブリッドオーケストラ「Virginal Variations」、その発展として多数の音空間を混在させた全身聴取ライブ「GEIST」の作曲、演出を手掛ける。