岡山産、世界経由の〈クルーエル〉発、新たなハウスの才能、KEITA SANO──ハイレゾ独占配信
とりあえず、しらなかった人は名前と風貌だけでも憶えていってください…… いや、やっぱり音も聴いて、できれば買ってください! 今後海外も含めたシーンでさらにその名前を見るようになるはず。XTAL(クリスタル)のアルバムに続いて、新人ながら、老舗〈クルーエル〉が異例のアルバム・サイズの作品をこのたびリリースするのは岡山在住のクリエイター、サノ・ケイタ。すでに海外のレーベルで幾多のリリースを重ね、ハウス〜ニュー・ディスコ・シーンで12インチを買い集める人たちに、すでにその名前は知られた存在といえるだろう。そしてこのたび、国内では事実上のデビュー作と言えるアルバム・リリースとなる。
ceroや、最近では石野卓球の最新作のミックスも手がけた、エンジニアの得能直也とともにほぼ1週間で作り上げた、エネルギッシュなグルーヴに彩られたディスコ〜ハウスがパンパンに詰まっている。そんなアルバムだ。OTOTOYでは本作をハイレゾでの独占配信を行うとともにインタヴューを行った。
KEITA SANO / The Sun Child(24bit/44.1kHz)
【Track List】
01. Babys
02. The Sun Child(Album Version)
03. Airport 77
04. Dance(Album Version)
05. The Porno King
06. Us
07. Guess What
08. Half and Half
09. Acid Romance(Album Version)
【配信形態】
24bit/44.1kHz WAV / ALAC / FLAC / AAC
【配信価格】
アルバム 1,944円(税込)
INTERVIEW : KEITA SANO
岡山在住、それまでほぼ無名ながら、いま最もいけてるNYハウスのレーベル〈Mister Saturday Night Records〉(最近ではイルリメこと鴨田潤もリリースしたことで話題になった)から、2014年に「People Are Changing」をリリース。そして、いっきにその名前を世界のハウス・シーンに知らしめることになったサノ・ケイタ。海外からの逆輸入という形で、国内のアンダーグラウンドなハウス・シーンでは名前は知れ渡っていると言えるだろう。
老舗〈クルーエル〉から届けられた本作は、彼のポテンシャル知るに最適な最初のアルバだ。作品に渦巻く、ディスコの高揚感、アシッド・ハウスの陶酔感、緻密な音響表現、そしてそれらを支える野太いハウス・グルーヴは世界標準といったところ。エンジニアの得能直也とともにほぼ1週間で作り上げというサウンドの熱量をぜひとも体感すべし、と言えるだろう。
今後は海外でのライヴ(ジャーマン・ディープ・ハウスの聖地〈パノラマ・バー〉でも!)、そしてRed Bull Music Academyにも選出されるなど、ワールドワイドな活動も活発に。そんなサノに、お盆前の夕暮れときに瀧見憲司同席のもと、話を訊いた(以下、質問者以外記載がない発言は、サノ・ケイタによるもの)。
インタヴュー・文 : 河村祐介
兄に強制的にテクノを聴かされて
──別のインタヴューで読んだんだけど、お兄さんがテクノを聴かせてくれたのがダンス・ミュージックを聴くきっかけだったんでしょ?
兄が中一のときに、僕は小4で無理矢理聴かせられていたというか…… 当時はアンダーワールドの「Push Upstairs」がMTVでよく流れてた時代で。それを録画したやつをずっと見せられ続けて…… 当時の自分は「よくわからんわ」って言ってたんですけど。で、さらに続いて、中1の頃に田中フミヤさんの『MIX-UP Vol.4』とかを聴かせてもらってたら徐々にハード・テクノの良さとかがやっとわかってきて。いまだに兄はテクノが好きで、岡山でテクノのパーティがあれば行ってますね。
──〈YEBISU YA PRO〉(岡山市にあるクラブ / ライヴハウス)で卓球さんのパーティとかあれば行く感じ?
そうですね。そういうわけで当時は「無理してでも聴け」って言われてて聴いてたんですが、いつのまにか自分も楽しんで聴けるようになって、ミニマルの良さがわかってきたというか。その後、能動的に自分でDJをやろうと思って家でやってました。それが2004年とか2005年。音楽的にはミニマルとかクリック・ハウスとかですね。反復するキックの音がヘッドフォンで聴いてたら「ボコ」ってくるフィジカルな気持ちよさというか。もう、『MIX-UP』を聴きながら、家でヘッドフォンで聴いて頭を振ってましたね。〈ダンスマニア〉の音源が入ってくるところで「ク〜ッ」って言って感動して泣きながら(笑)。
──だはは、やばいね、〈ダンスマニア〉の音源が入ってくるところで感動って。テクノからはじまって、でもいまは音源的にハウスじゃないですか?
その後は、美術大学に入って、沖縄に住むことになって…… 大学自体はその後辞めてしまったんですけど。沖縄でDJをやらせてもらったり、時期的にはその時点でテクノからハウスっぽいのが混ざっていて。レコードを買って気持ちいい方向に行ってたら、割合的にハウスの方が多くなったというのが実際ですかね。ハウスとかディスコのフロアでみんで一緒になる感覚みたいなのが楽しくて。買うものがそういう方向性になってきました。
──ハウス的なグルーヴの気持ちよさって、どこだと思う?
やっぱり、僕の場合はセオ・パリッシュのキックとハイハット、スネアの感じというか…… ヒップホップの感覚というかリズムの強靭なハウスが好きですね。シーケンスはドラムマシンも好きなんですけど、もっと言うとサンプラーでやった感じとかも好きで。でも、昔から〈ダンスマニア〉に反応したりしてて、やっぱりあれも太くてお尻の音楽って感じじゃないですか? そういう意味ではずっと昔からそういう要素に反応してたんだと思う。
──ダーティなグルーヴって感じでね。腰から下で考えるという。
そうですね。基本的にそれはリズムということで、曲を作る上でも感覚的に大きいと思います。
兄に強制的にテクノを作らされて
──曲を作るっていうのはどこからやってるの?
実は13歳のときに曲を作りはじめてて。これも兄からの強制で(笑)。フリーのシーケンス・ソフトが入ったパソコンをもらって、それでテクノを作れと。いま考えたらガバみたいなのを作っていました。それしかしらなかった(笑)。ずっと音楽は聴きながら、楽曲は作るのは遊びぐらいで。本格的に音楽制作にのめり込む時期は、1年浪人して大学に入ったころ、19歳の頃かな。
──ちょうど好きな音楽がハウスに傾いている時期というか。
大学入る前というか、入った直後はブレイクコアを作ってて(笑)。2010年にDJハーヴィーがツアーで広島に来たんですよ。そのときに岡山の友だちに誘われて沖縄から観にいったんですけど、そこでエディットもののディスコとかハウスに完全にやられて、そっちの方向に。それが20歳ぐらいのときですね。
──純粋培養にテクノ、ハウスというかクラブ・ミュージックという感じだと思うんですけど、これまで、そのあたり以外のほかの音楽に興味持ってことはないんですか?
それはごく最近という感じですね。リエディットのおもしろさを知るようになってから。あとは楽曲作るためのネタというか。だから本当に自分のルーツはハード・テクノですね。家の部屋で高校1年生が酸欠になりながら踊り狂ったり、ジェフ・ミルズに憧れてターンテーブル3台でミックスしてみたり、スクラッチもしてみたり…… 基本的にそういう音楽の話ができる友だちもいなかったので、ひとりで問いかけては、答えを導き出すというか……。
──妄想をえんえんと音にぶつけてたと…… 話を戻すと基本的には大学時代に作っていた音が、結局いまのサウンドにつなかってるいんだよね。DJは?
楽曲制作を本格化してから、辞めてるんですよ。いまもやってないです。DJに関しては挫折をして…… お客さんがわからんっていうか。現場は踊るだけでええわって(笑)。
──新譜は買っている?
いわゆるネタものですね。ワールドとか、ディスコとか。DJっぽいトラックものは買ってないですね。よっぽどいいのがあれば買いますけど…… それも年に1回くらい。逆に自分とは全く違うジャンル、例えばピンチの〈C.O.L.D〉みたいなベース系とか、そういうのはCDを買って「こんなにここでベース出してる」とか、探求してます。自分と違う音楽性のほうがいまはそういうことをやっていて楽しいっていう感じですね。
──いちおうダンス・ミュージックって、音の質感にしてもトレンドがあるじゃない? そのあたりを知るのは基本的に現場でって感じ?
そうですね。そのあたりはやっぱり気にしていて。でも、現場で聴くのと、仲の良いローカルのDJのひとたちに教えてもらったりって感じですね。たまに自分でネットで探すこともあるし。でも買うところまでいかないというか。
──沖縄の大学を中退してから岡山に戻っって、そこから岡山で活動?
2010年くらいからそうですね。
──岡山のシーンの独自の感覚ってあるの?
うーん、ひとつあるとすれば岡山だからなのかはわからないですけど、バンドのライヴも見にいくし、ヒップホップのパーティも行きますし、トランスのイベントも行ったり。音楽性とは別で、そこにいる人たちと仲よかったりして。バーで一緒に飲んでたり…… もっと若いEDMのパーティとかも行ってみたりもするんですけど、さすがにそれをやっている若い子は知り合いじゃないんですけど。〈YEBESU YA PRO〉でやってたり遊びにくるローカルなDJがいて、でも「もうやめる」って言って、DJやめちゃう人もいて……昨日もモロにそういう若い子の話きいたり、そういうブルースもあったり(笑)。最近は僕より若い世代でトラック作り出してる子もいるし。好きなDJは、ニシヒロシさんと今井くんっていう人。ニシさんはバーみたいなところでのプレイもいいし、クラブでのディスコとかハウスのプレイもすばらしい。今井くんはテクノもあり、ジャングル感もあって、インダストリアルな感じもあって、わりと好きなグルーヴなんですよ。
──見るべき現場もあって、そこでの吸収もあるってことだよね。
教えらえることばっかですよね。
──岡山とかで、世代的なところで近いアーティストはどの辺になるの?
井上調(イノウエシラベ)とかですかね。中学の同級生ですけど、ちょっと前から俺が曲作ってたんで先輩面して教えてましたね(笑)。
レーベルにデモを送りまくる、デモ魔なんです
──あ、そうなんだ。彼も海外からリリースしているよね。海外でもそうそうたるレーベルでリリースしてるじゃない? そのきっかけっていうのはあったんですか?
デモを送りつけまくる人間なんですよ。
──デモ魔だ(笑)。
デモ魔なんで、楽曲を作っては送って。しかも最初の頃はレーベル・カラーを研究して、自分の楽曲を寄せて作るというようなことを延々やっていて。そのレーベルから出ている楽曲をずっと聴いて、作風をパクる(笑)。
──パクッといて、パクリ元にまた送り返す(笑)。
それは、もうここ5年ぐらいでさすがにそういうのは抜けてきたので、やってないけど。
──やっぱりそういうのが抜けてから? 海外のレーベルからリリースされるようになったのは?
いや、作風をパクったやつは、それはそれでリリースされてて(笑)。
──だははは。
でも、あるとき、ALTZさんに「レーベル・カラーに合わせるとかやらへんほうがええで」って(笑)。でも、ここ数年は本当、自分の音をしっかり自分で作るようになって。前は音を持ってきてアナライザーで波形も出して「このあたりの音を出せば、ああ鳴るのか」ってところまでパクっていて。
──でも、それはすごい勉強になったんじゃない? 音作りという意味では。
そうそう。いまの曲作りの技術にはなっている。
──それでサノくんが一番注目されたというのはやはり〈Mister Saturday Night Records〉の「People Are Changing」だと思うんだけど。あれもデモ魔が身を結んだ?
あれもデモを送りつけて。「デモは受け付けてない」ってはじめ言われたんだけど。でもその断る言い方が若干柔らかくて「これいけるんじゃないか」って思って。もう一度、「People Are Changing」を送ったら、つぎの週くらいに彼らのパーティで「People Are Changing」をDJでプレイしながら、頭振ってる動画が送られてきて。それで「出そう」って言われて。
──あのレーベルはどこで知った?
〈YEBISU YA PRO〉で働いてた平野くんていう人がいて、彼は耳がめっちゃ早いのでなんでもトレンド行く人で、その人に教えてもらって。
──いまとなっては〈Mister Saturday Night Records〉を、その当時にしっかりレーベルをロックオンしている感じすごいなと。
そうですね。
瀧見さんのパーティが終わってすぐに得能さんと1週間で作ったアルバムです
──そろそろ本題のアルバムに、アルバム自体は3枚目…… ?
これまでCDとカセットでアルバム・サイズの作品は出ていて……、とはいえほぼ日本では流通してないので、自分的にはこれをデビュー・アルバムと呼びたいです。
──いままでのはプレ・リリースぐらいの感じで(笑)。
じゃあ、過去を消します! 僕は簡単に過去消しますから! 「そんなリリース? 知らん、知らん」って(笑)。
──このアルバムは、それこそ「People Are Changing」のあのロウハウス感覚もないじゃない? 音像的にも。
これはエンジニアの得能さんの手腕も込みなんですけど、もともと前の作品もロウハウスを作ろうと思って作ってたわけじゃなくて…… あ、このアルバムは瀧見さんのDJが出発点になってて。瀧見さんのDJをあるとき観て朝まで踊って、その後、1週間で作ったアルバムなんですよ。
──1週間ってすごいね! じゃあ、このなかにはサノくんのなかの瀧見憲司DJ体験が詰まっていると。
そうなんですよ。実際の制作作業としては、それに得能さんとの京都での合宿が入ってる。今年の2月の〈YEBISU YA PRO〉に瀧見さんが来たときのパーティですね。パーティが終わった次の日にすぐに1曲作って、その音源を得能さんに聴いてもらって。そしたら「京都でやろうか」って話にいきなりなって。それで1週間で作りました。そのときは、どんどんアイディアが湧いてきて、自分でもびっくりするぐらいのゾーンに入ってて「できるわー」って感じで。
──ある意味で〈クルーエル〉でリリースされるのが一番正しいというか、そういうアルバムだよね。
そうなんですよ。得能さん、瀧見さんとか、とにかくダイレクトに直面した人とのコミュニケーションで成立したアルバムなんで。
──瀧見さんが第1のキーパーソンで、第2のキーパーソンが得能さん?
いや、もうこれはおふたかたとも第一というか。得能さんと作り終わったときに「もうこれはすぐに瀧見さんのところ送ろう」って言ってくれて、京都の神社に連れていってくれて「リリースできますように」って拝みましたもん。
──得能さんとの出会いは?
3年前、〈YEBISU YA PRO〉に来られたときにお会いして……たしかそれも瀧見さんのパーティで。そこでちょっと意気投合して。それで「鶴くん(LUVRAW)くんがサノくんのこと良いって言ってたから間違いないよね」って言ってくれて。連絡先を交換して、その後は機材の質問とかにのってもらったりしてましたけど、そこまで一緒にやるような感じではなくて。今年の2月の瀧見さんのパーティで一気にグッと近づいたという感じですね。
瀧見(憲司 〈Crue-L〉レーベル・プロデューサー、以下、瀧見) : 実は自分も〈YEBISU YA PRO〉でDJやる度、5年前ぐらいからサノ君の事は認識していたんだよね。いつもよく踊ってるし。デモも結構もらっていたんだけど、そこはよくある放置プレイだったというか(笑)。でも、そこからいきなりのアルバム・リリース。パーティの1週間後に、得ちゃん経由で「サノ君のアルバムできました」っていきなり言われて、しかもそれが余りにドクドクと熱くて思いと勢いがあったから、出さないわけにはいかないでしょ、という(笑)。
もう、あの日のパーティですべての流れができたというか。
瀧見 : でも、だいぶ前にラブン・タグのトーマス(バロック)からも「ケイタ・サノはすごい」って推薦されたこともあって。「出したほうがいいぞ」って彼からメールが来たこともあったんだよね。
トーマスさんが「ケンジにも送るよ」って言ってくれたこともあって。「瀧見さんなら、前に俺も渡したことあるんすけどね!」って(笑)。
瀧見 : その時のも放置プレイだっていう(笑)。
──今回は得能さんのところで作ったということは、わりとレギュラーの感覚のものとは制作も違いそうですね。
そうですね。今回はラップトップと、エディットしておいた音源のストックを持っていって、基本はPC上でという感じで。いつもは他の機材も使うんですけど。それよりもなにより気持ち的にパーティの勢いっていうか、パーティの延長線上ですよね。
──じゃあ、録りためているものとは全く違う感覚ってことだよね。
そうですね。
──9曲だから1日1.3曲くらいってことですよね?
正確に言うと、2〜3曲はあとから瀧見さんに言われて送った曲も入っているので。でも、基本1日1曲くらいの感覚ですよね。得能さんにはミックスとマスタリングを全編やってもらっています。作ってからの音直しは時間をかけてちゃんとやってもらいました。初期衝動のわんぱく小僧が暴れて出航したら、やっと瀧見島にたどり着いたという感じです!
──1週間の航海ののちに、しかもちょっとイレギュラーだけど、デビュー・アルバムっていうね。
このアルバムのあとに作ったスタイルの音というのも自分のなかにあって、それはもう完全にロウハウスって呼ばれる音楽性ではないというか。
──いや、イメージとしてさっきの〈Mister Saturday Night Records〉の曲が大きいだけで、このアルバムもすでに違うでしょ。得能さんとの作業で印象的なところは?
とにかく耳が良すぎる。直す前と後で全然違うし、究極なところで言うとエンジニアさんの領域で、俺も差がわからないのところもあるというか(笑)。ミックスの作業はちょっと参考にさせてもらいましたね。
──野望ってありますか?
瀧見さんの島から、ちゃんと出航することですかね。
──放逐じゃなくてね(笑)。
そう、いい意味で独り立ちというか。でも5年も待って、やっとリリースできて本当にうれしいです。
──でも、ある意味で自分の力で振り向かせたっていうのはすごいという思う。
瀧見 : でも、5年前から知っているけど、ちゃんと客観的な視点も獲得してるし、運と縁を掴んで、明らかに図太く成長してるでしょう。あと得ちゃんや同世代のトラック・メーカーも含めてそうだけど、ちゃんとまわりを巻きこんでいってるっていうのがいいと思う。あとさ、タフさとやる気がすごいなっていうかさ、いないでしょ、いま日本でこれだけのスピードでリリースできている人って。恐るべしだと思うけどね。
この先は、いまできることをやって、海外でライヴもしっかりやって。まずはそこから。それとRed Bull Music Academyもあるのでそのさきはまた考えようかなって思っています。クルーエルからもまたリリースしたいです。野望は、今度のRed Bull Music Academyでシンガーを見つけて、いい歌ものハウス・トラックを作りたいですね。
RELEASE TOUR INFORMATION
KEITA SANO Debut Album「The Sun Child」Release World Tour
2016年8月13日(土) Yebisu Ya Pro(岡山) 2016年8月19日(金) UNIT(代官山)
2016年9月9日(金) TBA(ロンドン)
2016年9月10日(土) L'International(パリ)
2016年9月11日(日) Panorama Bar(ベルリン)
2016年9月16日(金) 65mq(ミラノ)
2016年9月17日(土) Centro Internazionale Loris Malaguzzi(レッジョ・エミリア)
TBA 2016 Red Bull Music Academy in Montreal
2016年10月14日(金) Sankeys TYO(東京)
PROFILE
KEITA SANO(サノ・ケイタ)
1989生まれ、左利き。2014年〈Mister Saturday Night(US)〉より12inchシングルをリリース。これを皮切りに、〈discos〉、〈capablanca〉、〈Crowdspacer〉、〈Spring Theory〉など、多数の海外レーベルから作品をリリースする。2016年8月に〈Crue-L〉より、アルバム『The Sun Child』をリリース。ライヴでは自身の楽曲を再構築し、フロアへと落とし込む。