若手と新しさを競い合っても意味がないだろ──UKテクノのベテラン、プラッドの新作をハイレゾ配信
エド・ハンドリー、アンディ・ターナーによる、このテクノ・ユニットは1990年代初頭から現在にいあたるまでエイフェックス・ツインらとともにブリティッシュ・テクノを象徴する存在であり続けている。ビョークのコラボレーターでもあり、ルーツ・オブ・エレクトロニカであり、松本大洋原作の劇場アニメ作品『鉄コン筋クリート』のサントラを手掛けたことでも知られる彼らだが、決してその活動は初期からぶれていない。彼らの作品のクリアで叙情的な電子音は、綺羅星のごとく輝き、そのシーンのヒストリーを穏やかな光で照らし続けている。そんな彼らの最新アルバム『The Digging Remedy』も、そのヒストリーを継続させる、また美しい電子音の連なり、それ以外の何物でもない。
本人たちもインタヴューで語っているように、この繊細なサウンドはぜひともハイレゾで体験していただきたい。OTOTOYでは本作をハイレゾ配信するとともに、アルバム、CDと同様のライナーノーツをPDFにてダウンロード可能。こちらはヴォーカロイドでおなじみのクリプトン・フューチャー・メディアの佐々木渉氏による技術的な観点からの彼らのサウンドの解説を読むことができる。
Plaid / The Digging Remedy(24bit/48kHz)
【Track List】
01. Do Matter
02. Dilatone
03. CLOCK
04. The Bee
05. Melifer
06. Baby Step Giant Step
07. Take Flight
08. Yu Mountain
09. Saladore
10. Reeling Spiders
11. Held
12. Wen
13. Nulls
【配信形態 / 価格】
24bit/44.1kHz WAV / ALAC / FLAC / AAC
単曲 288円(税込) / アルバム 2,571円(税込)
アルバムまとめ購入をすると、CDと同様の佐々木渉(クリプトン・フューチャー・メディア)によるライナーノーツをダウンロード可能。
INTERVIEW : ED HANDLEY(PLAID)
エイフェックス・ツインが精力的に動きだしたかと思えば、オウテカはレフトフィールドをひた走り、突如としてクソ長いアルバムを、そしてマーク・プリチャードがすばらしいソロ・アルバムをリリースした。ブリティッシュ・テクノのベテランたちはいまだにすばらしい作品を世に送り出し続けている。初期UKのデトロイト・テクノ・フォロアー(エイフェックスに関しては若干違うけども)はいまだ死なずといった感じだ。エドとアンディによるプラッドの新作も、まさにこのラインナップにしっかりと続いている。ジェントルでいることを忘れないその美しき電子音の集合は、遠くデトロイト・テクノ・フォロアーであることを思い起こさせ、そしてオールドスクール・エレクトロの末裔でもある。まさにプラッド節としかいいようない世界を描いている。
さて、そんな彼らにインタヴューを試みた。エド・ハンドレーが答えてくれた。
質問作成 / 構成 : 河村祐介
インタヴュー / 通訳 : 坂本麻里子
音楽を作る以外にはほんと、なんの資格も取り柄もないような人間だから
──1980年代末からの活動ということで言えば、そのキャリアは30年にも近づこうとしています。あなたたちがデビューした1990年代初頭で、キャリア30年のアーティストといえば、それこそローリング・ストーンズとか、そういうビッグ・ネームですよね。
フフフッ!(苦笑)。
──これほど長くキャリアが続いた理由はどこにあると思いますか?
僕が思うに…… これはわかりきった話だけど、まず僕たちが音楽を作ることをとても楽しんでいるんだ。それにどちらも音楽を作る以外にはほんと、なんの資格も取り柄もないような人間だから(笑)。
──だはは(笑)。
あとはビジネス面で音楽に関わっていくっていう可能性もあったわけだよね。ただ、それは魅力的にはうつらなかったんだ。だったらいっそどこかのコミューンに参加して野菜でも栽培しているほうがマシみたいな。ふたりとも本当にいまだに音楽活動から刺激を受けている。あとは僕たちは「自分たちはまだ若い、イケてる」なんて無理なフリはしていないしね。そんなの恥ずかし過ぎるよ…… (笑)。
──ええ。でも、プラッドについてひとつ言えるのは、あなたたちがそもそもおふたり個人のイメージ / ペルソナを売りにしていない、というところですよね。バンドだとなかなかそうはいかないですけど。
ああ、そうだよね。
──プラッドの場合は、たとえ中年になっても関係なし、魅力的な音楽を作り、かつエキサイトできる、と。
うん、きっとそうなんだろうね。思うに、僕たちというのは…… たぶん、ジャズやブルーズをやっている人たちにむしろ近いんじゃないかな。というのも彼らはほんと、基本的に「おっ死ぬまで音楽をプレイし続ける」というタイプの人たちなわけで。それってたぶん、かなり良い世の去り方なんじゃないのかなぁ? それこそ、ステージで演奏中に死んでしまう、みたいな(笑)。
なにもかもデトロイトをお手本にやっていたわけだよね
──さて、キャリアといえば、あなたたちと同様、エイフェックス・ツインことリチャード・D・ジェームスやマーク・プリチャードなど1990年当時のUKテクノ・シーンに、ある種の多様性(ダンスだけでなく、リスニングとしてのテクノ、アンビエントなど)を与えてきたアーティストたちが現役で作品をリリースしています。しかも同じ〈ワープ〉でリリースしています。この状況に関してなにか思う所はありますか?
そうだな…… まあ、僕たちはマークとは知り合いだったし、リチャードのことも当時から知っていたわけで。リチャードも僕らも〈R&S〉というベルギーのレーベルから作品を出していたんだよ。だからリチャードとは〈R&S〉スタジオで顔を合わせたり──彼が「Digeridoo」なんかを作っていたときだったな。しかもいまやみんな全員40代だっていう(笑)。でもまあ、さっき君が言っていたように僕たちみたいなアクトはそれほどイメージに依存していないし、こういう音楽をやっていくためには、別に“魅力的な人間”である必要もないわけで(笑)。
で、おかげで僕たちみんな自然に進化できたんだと思うし、それぞれ歳月の経過と共に成長・発展してきたし…… たとえばマークのニュー・アルバムを聴くと、彼が実に多くのことを学んできたのがわかるんだよね。彼の活動に関していえば「時間と共に良くなるいっぽうだ」みたいな。で、それと同じことはリチャードについても言えると思う。彼の作品は発展を続けている。もちろん、僕たち世代の音楽はいまどきの若いプロデューサー連中の耳にはたぶん「少々古臭い」と感じられるとは思うんだよ。だけどそれはどうにも避けようのないことだし、若手と新しさを競い合っても意味がないだろう。僕が聴いている最近の若いアクトのプロダクションのなかには驚異的なものがあるし、そこでは僕たちが想像すらしなかった、そういうすごいことが行われているっていう。
──なるほど。
それは良いことなんだよ! 僕らも勇気づけられる。そういう音楽がいまも生まれているということは、まだ進化は可能だってことだし。僕自身が考えもしなかったことをやれるようになっているのを知れるのは、やっぱりエキサイティングな話だからね。
──あなたたちやリチャードやマークといった人たちは、かつてのUKシーンのいわば“パイオニア”だったわけですよね。あなたたちは「我々がオリジネイターだ」と驕りたかぶっているわけでなく、過去にあなた方の蒔いた種子が、あなたたちが想像していたようりも新しいサウンドへと成長していって、それを楽しんでいるだなというという印象を受けます。
僕たちがいまだに音楽にエキサイトさせられるのは、それが少しずつ発展しているからだろうしね。僕たちは純粋な意味での「実験音楽」や「前衛音楽」をやっているわけではないにせよ、テクノロジーの側面で発展し続けているし、過去に起きたなにかを発展させもしている。僕たちはほんと、なにもかもデトロイトをお手本にやっていたわけだよね。そこに自分たちなりの調整をいくつか加え、変化させていった。それは「デトロイト・テクノを変える必要があったから」ではなくて、単純に、僕たちにとって、それがやっていてエキサイティングで楽しいものだということだけなんだけど。
「音楽を作り続ける動機になっているもの」
──『The Digging Remedy』というタイトルはコンセプトとしてなにかあったんでしょう?
いや、特にコンセプトはないんだ。あれは…… 僕たちは基本的に、代わりばんこでアルバムのタイトル命名を担当していてね。今回はアンディの番なんだ。というかアンディの娘さん。僕もこのフレーズの由来は詳しく知らないんだけど(笑)。「The digging is the remedy(なにかを掘る行為は治療である)」という解釈で、「The Diggin」が示す、掘る / 働く / 取り組むという行為は、なんらかの解決に結びつくものだと思っているんだ。転じて「音楽を作ることの要点・ポイントというのは、実はそのプロセスにある」ということなんだ。ある意味で音楽を作る上で最高のパートというか──あるいは僕たちが「音楽を作り続ける動機になっているもの」でもいいけど──それは、必ずしも最終的に生まれた作品=「結果」ではなくて、実際にそこに至るまでの過程のことなんだ。
──では、サウンドのコンセプトはありましたか?
ああ、そうだな…… 今回はベネット(・ウォルシュ)というギタリストと一緒にかなり作業したんだ。彼とは以前のアルバムでも共演したことがあるんだけど、今回はこれまでで一番多い5曲で参加してもらっていてね。このアルバムにおいて音響面で少し違いがあるとすればそこかな? 実際、アルバムを作り始める前に、ふたりで「もっと多くのトラックで彼とやってみよう」という話もしたし。ライヴという側面、人前でパフォーマンスし演奏する、その部分が大きかったんだろうね。僕らのライヴに伝統的な意味での「楽器」を実際に演奏する人間がいてくれるというのは素晴らしいことだと思う。奏者の存在はパフォーマンスそのものにもなにかを加えることができると僕はそう思っていて。
──あなたたちの音楽、とくにここ数年のサウンドはクリアで、そしてドリーミーで明るい作品が多いと思います。音楽を作るにあたって、ダークだったりバッド・テイストにならないというのはひとつコンセプトとしてあるのでしょうか?
確かに僕たちのサウンドはかなりクリーンなものだよね。もっとも、僕自身はもっとダーティな音楽というのか、質感を色々といじった音楽を聴くのは好きだなんだけど。とりわけ、モジュラー・シンセサイザーを使った、よりダーティなアナログ音の作品だとか優れたエレクトロニック・ミュージックがたくさんあるからね。僕たちの作っているサウンドというのは、とくに“今風”ではないのかもしれないな。でも、僕たちは…… そうだなぁ、自分たちは清潔ですっきりと無垢なプロダクションがとても好きだ、それだけ。その理由は自分でもはっきりわからないな。思うに僕たちの作る音楽の多くは、ほとんどファンタジーに近い、幻想のランドスケープについての音楽になっているということがたまにあるんじゃないかな。とにかくそういう作品の世界観には、この非常にクリアなサウンドが合っている。
──以前のあなたたちのインタヴューで「僕たちの音楽は逃避でもある」という旨の発言を読んだ記憶があるのですが、今おっしゃっていたファンタジーとも関係がありそうですね。音楽が現実からのエスケープだとすれば、それは一種のパラダイスのようなものであり、だからこそその音の景観を汚したくない、クリアなものに留めておきたい、と思うのかもしれません。
その面もひとつたしかにあると思う。ただ、それと同時にもうひとつ言えるのは、聴くのに使用するさまざまなでデヴァイス、あるいはシチュエーション次第で、音楽というのはあっという間に劣化してしまうものだ。たとえば電車のなかなんかで聴いていると、それだけで、もう余計なダーティな雑音が入り込んできてしまう。その音楽のそもそものスタート地点はとてもクリーンなものにしておこうと。どっちみちそこには他の質感や外部からノイズが加わってしまうわけだからね。
──プラッドの音楽をもっとも良く味わうには、とても静かな場所で、高品質のヘッドフォンで聴く…… というのがベストな方法かもしれないですね。
うん(笑)。たぶん僕たちが作る音楽というのは、そういう風にすっきり清潔なやり方で聴くのに合うものなんだろうね。
デトロイト・テクノで誰かひとり選ぶとしたら、カール・クレイグを選ぶ
──今回の作品は、あなたたちも含めた初期のUKのデトロイト・フォロアーたちが作ったテクノと同様の感覚を強く感じます。あなたとアンディとが最も一番はじめに衝撃を受けたデトロイト・テクノのアーティストは誰ですか?
そうだな、おそらく…… カール・クレイグ。それからホアン・アトキンスに…… 彼らはデトロイト・テクノの2大存在だったわけで。というか、そこにデリック・メイも含めれば「聖なる三位一体」になるんだろうけどね。ただ、僕からすればやっぱり誰よりもカール・クレイグだね。彼はデトロイトの人で、いち早くドラムマシンの代わりにサンプリング、サンプル・ビーツを用いはじめたという意味でもっとも実験的なアーティストだったし、それに彼の持つハーモニーとメロディの感覚、あれはとても魅力的だったんだ。僕たちはかなり初期の時点で彼のレーベルから作品をリリースしたこともあって(カール・クレイヴの〈プラネットE〉からリリースのバリル名義、1992年の楽曲「Nort Route」など)、だからすでに彼との間に繫がりは存在していたんだよ。それでもやっぱり僕たちが彼を目標にしていた、心から彼を崇拝していたから。当時の彼は僕たちと同様にまだ若かったしね。彼は一群のデトロイト勢のなかでも、もっともプログレッシヴな人だったんじゃないかな。で、それは現在の彼らにもやっぱりある程度までは当てはまる話だ。誰かひとり選ぶとしたら、僕は彼をピックするね。
──さらにもうひとつはヒップホップやオールドスクール・エレクトロがあなたたちの音楽のルーツとしてあると思うのですが、そのあたりからの影響でいまでもあなたたちのサウンドのなかに生きているエッセンスというのはなんでしょうか?
んー、そういったルーツからの影響は、いまでも相当残っているんじゃないかと思う。エレクトロからの影響は間違いなくいまもあるし…… そのエレクトロというのは、初期ヒップホップの一部みたいなものだったわけだけど。いまでも僕たちはあの手のドラム・サウンド、シンコペーションにシンセサイザーを使ったりするんだ。エレクトロやヒップホップはもはや伝統音楽みたいなものになったよね。もう、ほとんどフォーク・ミュージックに近いものになりつつあるというか。いまや“現代におけるフォーク・ミュージック”だ、みたいな…… 。
──エレクトロ、ヒップホップ、テクノといった音楽も、もう30年以上の歴史があるわけで“モダンなフォーク音楽”と捉えておかしくないと思います。
もちろん、どれだけ長い期間存在すればその音楽が“フォーク・ミュージック”として分類・識別されるようになるものなのか、そこは僕には定かではないけれども…… 。テクノにハウス、そしてエレクトロといったものが、いずれもその方向に向かっているのは間違いないと思うよ。ただ、不思議だけどね。僕たちは本当に、これまで自分たちの出会ってきたさまざな音楽、それらのあらゆる要素を使ってきたんだよ。なのにやっぱり「僕たちのやっていることにもっとも近いものはなにか?」と言えば、エレクトロ、あるいは初期テクノということになる、という。
──「Saladore」はそれこそ、モデル500のデトロイト・エレクトロのフィーリングを感じます。
僕たちはどちらも若い頃にブレイクダンスや初期ヒップホップ・シーンにものすごく入れ込んでいたし…… だから10代だった頃の僕たちにとって、あれはかなり重要な時期だったんだ。ティーンエイジャーだった頃に自分で発見したなにかって、その後の人生にも残り続けていくものだよね(笑)?
──ええ、確かに。
僕から見ると、ある意味、エレクトロがモダンなダンス・ミュージックに及ぼした影響、その大きさはいまだ正当に評価されていないんじゃないか? と思うほどだけどね。
──ちなみにあなたたちが思う一番キラーなオールド・スクール・エレクトロの曲はなんですか?
そうだなあ…… ホアン・アトキンスの昔の作品になるだろうね。サイバトロン名義の「Clear」は本当にグレイトなトラックだ。あの曲は…… ああ、「Night Drive(Thru Babylon)」、あれもファンタスティックだよね。だからまあ、ホアン・アトキンス系の古いエレクトロってことになるね。あそこらへんには驚異的なトラックが色々ある。
ブラック・ドッグの解消は決して楽ではなかった
──クラシックですね。話は現在に戻りますが、プラッドは、ここ最近作品を作るたびにウェブ・デザイナーやアーティストと組んでリリース前におもしろい試みをしていますが、今回はどんなヴィジュアル・コンセプトがあったんでしょうか?
そういえばいまライヴ用にスクリーンを作ろうとしていてね。さっきも鉄板を切るのに使う、新しい工具をデリバリーしてもらったところだったんだ。僕たちはいま、アルミ板を切ってそのスクリーンを作ろうとしているところで。だから今回のアルバム向けにライヴをやる時は、僕たちはなんというかこの…… アルミ製のスクリーンみたいなものの背後にいる、みたいな。
──マジですか?
ライヴを観に来た人の多くには、かなり奇妙な光景に映るだろうな。
──なるほど…… これは私(通訳)個人としての質問なんですけども、近々ロンドンの〈Bloc〉でライヴをやる予定ですよね? あそこでその「アルミ板」をやるつもりなんでしょうか?
いまアルミのスクリーンを作っているのも、まさにあのライヴ向けで。あそこで使うのが最初のお披露目だね。基本的な見た目というのは、アルミ製の三角形がたくさん使われている、というもので。そのスクリーンの背後にいる僕たちがお客には透けて見えるし、おかげで僕たちの姿もちょっとステップ・シーケンサーみたいに見える、という。どうなるかお楽しみに。現時点ではまだアイデアの段階だし、うまくいけば…… というか、僕自身はかなりいい感じの見た目になるだろうと睨んでいるんだけど、うん、「妙なシロモノ」に見えてしまうかもしれないよね(笑)。
──アルバム・ジャケット・ヴィジュアルに関して言うと、日本の「籠目(Kagome)」という、竹のバスケットの網目を模した伝統的な模様に非常に似ているのですが。
アンディが実際に描いたロゴがあってね。で、それをザ・デザイナー・リパブリックに送ったところ、彼らがそれをもとに、あの反復パターンをクリエイトしてくれた、という。でも、ある意味で君のご指摘通りだよ、あれってある種の枝編み細工みたいに見えるよね。そこかがデザインに軽く斜角を加えてくれて、それであの独特の視覚効果が生まれることになったんだ。ただ、あのロゴのラフをデザイナー側に送り、そこで「これをもとに、なにかアルバム・カヴァー向けのアイデアを考えてほしい」と注文したんだ。そしたら彼らがあの「網」を作ってくれた。あの反復の仕方がいいな僕たちもあの作品を見て気に入ったんだ。
──最後に、30年近くの活動で、あなたたちにとってもっとも大きな転機となった作品はどれですか? ブラック・ドッグ・プロダクションスやバリルなど初期にあった他名義の作品などでもかまいません、お教えください。
おそらく、僕たちがブラック・ドッグとして出した最初のプロパーなアルバムである『Bytes』(1993年)、あれになるだろうね。あの作品にはとても良いリアクションが寄せられたし…… だから、僕たちはとても運が良かったんだよ。というのも、あのアルバムを出す以前の僕たちは実はそんなに多く作品を作っていなかったし、まず一緒にやることにしてグループを結成し、自主レーベルを通じて何枚かEPを出してみた。そんな段階でかなりすぐに〈ワープ〉と契約できた。あのアルバムを出す以前の時点の僕たちは、ものすごくアングラな存在だったし、僕たちを知っている人たちの数もごくわずかだった。自主制作したレコードを抱えて、自分たちでレコード屋に売り込みに回ったりね。ところが、あのアルバムが出て以降、僕たちは比較的よく知られるようになったし──少なくともイギリスにおいてはそうだったんだ。僕たちにとってはやっぱり、あれが大きな転換点だったんじゃないかな。なにせ「フルタイムで音楽をやるのが可能かもしれない」と自分たちでも気づいたのは。あのリリースから少し経ったところで、僕たちは全員いわゆる“堅気の仕事”を辞めて音楽に専念しはじめたし。というわけで、うん、人生の転換期という意味で言えば、ほんと、あの作品だったと僕は思う。1996年以来、僕は普通の職業に就いたことがないっていう。
──ラッキーな話ですね。
うんうん、もちろんそれは自覚してるよ! ファンタスティックだよね。それからたぶんもう1枚、プラッド名義での最初のアルバムになった『Not For Three』(1997年)も。あれはブラック・ドッグ時代からの大きな決別になった1枚だったし…… ブラック・ドッグの解消は、決して楽ではなかったけどね。あのグループに関わった面々全員にとって、実に悲しい経験だった。というのも僕たちはお互いに友人同士だったわけだし、それがあんな風に分裂することになったのはちょっとこう、奇妙だった、という…… 。でもまあ、うん、その2枚というところだね。
LIVE INFORMATION
Plaid Japan Tour 2016
2016年8月26日(金)@CIRCUS OSAKA
2016年8月27日(土)@CIRCUS TOKYO
美しくも鮮烈な電子音の風景がどこまでも拡張していく入魂の最新作『The Digging Remedy』を引っ提げ、この8月にCIRCUS大阪とCIRCUS東京にて最新オーディオ・ヴィジュアル・ライヴによる完売必至の来日ツアーが実現!
PROFILE
PLAID
3人組のトリオ、ブラック・ドッグ・プロダクションズのメンバーとして活動。その後、アンディ・ターナーとエド・ハンドレーがブラック・ドッグから離脱。以降、もともと離脱以前から活動していたアンディとエドのユニットとしてプラッドがメインの活動に。〈ワープ〉が誇るエレクトロニック・ミュージックのオリジネイターとしてUKテクノの黎明期に数多くの革新的な作品を発表してきた。活動初期からメロディアスでダンサンブルなエレクトロニック・サウンドを展開し、またこれまでのアルバムでは、ビョークやニコラ・コンテ、そしてアコーディオン奏者コバなど多彩なゲストが参加し話題になる。さらに近年では映像作家ボブ・ジャロックと「音と映像」をリンクさせた共同作『Greedy Baby』のリリースを始め、マイケル・アリアス監督から直々のオファーで、アカデミー賞の最優秀アニメーション作を受賞した松本太陽の『鉄コン筋クリート』、2年後には長瀬智也主演の『ヘブンズ・ドア』のサントラ担当するなど幅広いジャンルで活動を展開。