YAJICO GIRLが求める、ダンス・ミュージックの多幸感──“僕のまま”で“自分”から解放される
YAJICO GIRLから届けられた最新アルバム、『EUPHORIA』 = “多幸感”。このタイトルは、クラブで鳴る音に身を委ね、我を忘れて没入することによって得られる自己からの開放や快楽を指している。SNS等で個人単位での発信が増え、否が応でも自分という存在と向き合う機会が増えた現代社会。そんな現代において、ダンス・ミュージックは一時的な救済になりうるのだとYAJICO GIRLはこのアルバムをもって提唱している。いま、ダンス・ミュージックがどのような役割を担っているのか、ヴォーカル・四方颯人に話を訊いた。
孤独と高揚感を抱えたまま、一緒に踊ろう
INTERVIEW : YAJICO GIRL
<君のままでいいよ/僕のままでいいの>――陶酔的で躍動感のあるダンスサウンドの上で、YAJICO GIRLのボーカル・四方颯人は、肯定と自問自答が横並びに立つアンビバレントな思いを朗々と歌い上げる。解決しない心、揺らぎ続ける生活、孤独。そのリアルを生々しく描写しながら、しかし、そのサウンドは多幸感に溢れている。内省と機能性――そのふたつの観点からダンス・ミュージックを解釈したYAJICO GIRLのニューアルバム『EUPHORIA』。このアルバムは、まるで、あなたにこう伝えているようだ――「この夜を一緒に生き抜こうぜ」と。
取材・文 : 天野史彬
意味から解放するクラブ・ミュージック
――昨年3月にリリースされたアルバム『Indoor Newtown Collective』はそれまでのYAJICO GIRLを総括するような19曲入りの大作でしたよね。それ以降、リリースされるシングルはサウンドがクラブ・ミュージック的な方向に振り切っていき、今回リリースされる8曲入りのアルバム『EUPHORIA』は、全体を通してかなりフロアライクな仕上がりに感じました。四方さんご自身としては、『Indoor Newtown Collective』以降、どういった意識の変化があってこのモードに行き着いた実感がありますか?
四方颯人(以下、四方):前回のアルバムを作ったあと、やり切った感でしばらく曲が作れなくなったんですけど、時代的にY2Kリバイバルがあったり、ジャージークラブのビートが流行っていたりするじゃないですか。「この空気感を自分たちのサウンドにも乗せたいな」という気持ちが出てきて。なので、最初の目的は「ジャージークラブのビートでYAJICO GIRLをやってみようぜ」というのがあったんです。なおかつ、『Indoor Newtown~』まではR&Bやアンビエントな世界観が続いていたので、「ギター、ジャンッと鳴らしたいよね」というムードもメンバーから感じていて。そのふたつがミックスできたらいいなと思って、今作から最初にシングルで出した“APART”は作ったんです。
――外側からのインプットと、内側からの動きが重なったんですね。
四方:そうですね。PinkPantheressからはじまる流れがNew jeansを通してポップに昇華されて、国内でもCreepy Nutsがいて、みたいな。今年はCharli XCXの『brat』もエポックな作品だったと思うし。そういう2年前くらいから芽吹いていたダンス・ミュージックの流れみたいなものに興味があって。あとは『Indoor Newtown~』が出たあとのツアーで、クラブ・ミュージックっぽく楽曲を繋げて披露するパートを作ってみたんですけど、お客さんたちの反応がよかったし、自分たちでもやっていて楽しかったんですよ。今までのYAJICO GIRLのライヴは演奏しているのを鑑賞してもらうって感じだったんですけど、限界はどうしても感じていて。もっとみんなで楽しめるようなもの、ステージとフロアを行き来できるような表現を求めていたんです。そういう中で「一緒に踊ろう! 」と促すパートを作ることができたのはよかったし、ドラムの駿(古谷駿)とベースの武志(武志綜真)のプレイスタイル的にも、ダンス・ミュージックって割と合っているのかなと思って。
――これまでも“幽霊”のような曲でダンスフロアにいる感覚は描写されていましたが、改めて、四方さんが感じられるクラブ・ミュージック、ダンス・ミュージックの魅力とはどういったところにありますか?
四方:いろいろあるんですけど、いちばんは「意味から解放される」っていう部分ですかね。クラブ・ミュージックって、音の機能性重視のジャンルだと思うんですよ。その機能性の中で「どれだけ感覚的に気持ちよくなれるか? 」というところが求められる。そこにあるのって、言葉で説明できるものとか、意味、価値、内容、そういうものから解き放たれる感覚だと思うんですよね。それって、音楽としてめちゃくちゃ純粋だと思うし、今、僕が求めていたのはそういうものだったんだろうなと思います。ただただ音に身を任せて、気持ちよくなって、我を忘れる瞬間があるっていう。それは、今の時代にとってもいちばん救いになるものなんじゃないかと思って。
――リスナーもそういうものを求めている、という感覚もありましたか?
四方:どうですかね? 正直、お客さんがどう感じているかというところまではわからないんですけど、あくまでも今を生きているひとりの人間として、自分の体感に対して率直に表現したらこうなった、という感じですね。
――ひとりの人間として「今、何を欲しているのか? 」というところから表現が生まれるというのは、四方さんの中で一貫している部分だと思いますか?
四方:というよりは、「自分に正直に書かないと、誰かに深く届くことはないんじゃないか? 」と考えるんです。なので、そのとき自分がいいと思う言葉とか、音の重ね方を出していくことに妥協したくない、というのはありますね。
――今回、言葉の面でも四方さんの作詞家としての新しい側面が表れているような気がしたんですよね。より生々しさを感じるというか。そういう言葉がダンサブルで快楽的なサウンドに乗っていることが個人的にはすごく刺激的で。作詞の面で考えられていたことはありますか?
四方:今までは音源作品として作り上げることがゴールだったんですけど、今は目的が変わって、「現場でその音楽がどう機能するか? 」ということがゴールになったので、ライヴを意識して書くことは増えましたね。「ここはフックになるな」とか「ここはみんなで一緒に歌えるかも」とか、そういうことを意識したり。あと、アルバムの中でも最初の方にシングルで出した“APART”や“MissU”のときは、歌詞でストーリーテリングをしたいというチャレンジもありました。そもそも抽象的な表現や散文的な表現が得意ではあるんですけど、作詞家として、もっといろいろ書けるようになりたいというのがあって。物語がありつつ、フロウや譜割り、言葉遣いで自分の作家性を出せないかな? と思って。
――“APART”も“MissU”も孤独感を感じる歌詞ですよね。
四方:クラブでダンス・ミュージックに身を任せて浸っている時間って、周りに人がいたとしても、自分にとっては内省の時間なんですよ。クラブにいると「ひとり」とか「孤独」とか、そういうものを感じることができる感覚があって。そこがライヴハウスとの違いだと思うんですけどね。なので、自分にとってクラブ・ミュージックって、潜在的に「寂しさ」みたいなものを内包しているものなんだろうなと思います。それが出ているのかもしれない。
――「APART」という言葉は、歌詞の内容的には集合住宅としての「アパートメント」という意味もありそうですが、「APART」という単語自体には「離れ離れ」みたいな意味もありますよね。そういうところも今のお話に通じるような気がします。
四方:そうですね、そこは意識していて。そもそも「Indoor Newtown Collective」という言葉を掲げてきたのもあって、アパートってノスタルジーの対象でもあるんですけど、同時に、「過去と現在が離れている」というニュアンスもあるし、「自分自身が何者なのかわからなくなる」という感覚もあるし。「俺ってどういう人間なんだっけ? 」みたいな、自分が思っている自分と他者が思っている自分の乖離、「心ここにあらず」みたいな状態……そういうところで感じる「距離」みたいなものは意識していましたね。