いま、ここでも未来で鳴る過去の音──『カン大全──永遠の未来派』──オトトイ読んだ
オトトイ読んだ Vol.2
オトトイ読んだ Vol.2
文 : 河村祐介
今回のお題
『別冊ele-king カン大全──永遠の未来派』
松山晋也 : 監修・編集
ele-king books / Pヴァイン : 刊
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OTOTOYがビビッときた本、マンガを紹介する「オトトイ読んだ」。音楽関係はもちろん、それをとりまく時事ネタなノンフィクションやアート本などなど、音楽関連のもの、さまざまなトピックの書籍を紹介していきます。今回はクラウトロックの巨星、CANの、日本語の定本となりそうな『カン大全──永遠の未来派』。
「そうではない」可能性を追求したバンド
ドイツはケルンで生まれ、1960年代末から1970年代末にかけて活躍したバンド、CAN。そのサウンドは新たな世代をも魅了し、そしてあるアーティストたちにとってはいまだにアイデアの源泉になり得ている。
本作はライター、松山晋也監修による1冊で、冒頭の松山によるバンド・ヒストリーにはじまり、『STUDIO VOICE』『remix』といった日本のメディアで行われたメンバーの1990年代から2000年代にかけての貴重なインタヴュー、さらにソロ作を含む詳細なディスコグラフィー&レヴューを中心に、時代背景や周辺の音楽事情などを記したコラム、影響下のアーティストによる作品セレクトなどで構成されている。メンバーのホルガー・シューカイとイルミン・シュミットが師事した電子音楽の父、カール・シュトックハウゼンとの関係性、ヤキ・リーベツァイトと当時のドイツのジャズ・シーンなどなど、CAN以前のヒストリー、そしてソロ・ワーク(初代ヴォーカリスト、マルコム・ムーニーの作品なども)など、CANのその前後の各アーティストの動きも追っていて、そのバンドの概要を知ることができる、まさに決定版的な1冊といえる。
半世紀を経て、さまざまなヒントに満ちたサウンド
CANのサウンドのミームは、ポストポンクやエレクトロニック・ミュージック、オルタナティヴ・ロック、ポストロックなどなどに埋め込まれ、それぞれのジャンルで新たな可能性を芽吹かせ、その版図を広げているといえるだろう。見渡せば、むしろその重要度を生まれて半世紀経った、いま、そして今後の未来において増しているかのようでもある。いわゆるポップ・ソングの構造を無視したミニマリズム、即興演奏や電子音楽、テープによる編集、多様な要因をその演奏に持ち込むことで、作品によって大きくその音楽性を変化させ続けた。彼らはそうしてさまざまな「そうではない」可能性を追求することで、数多の可能性を生み出したバンドとも言えるだろう。彼らはインタヴュー宙で、そうしたサウンドの源泉として、ひとつ「スポンティニアス」という言葉を使って自らの態度を説明している。ルールではなく、自らの内側から生まれる価値に対して、自発的に垂直に伸びるサウンドは未来へと通じたというわけだ。またホルガーはCANの姿勢に対して、こうも言っている。
「成功すること。自分たちがやろうとした音楽で、プロとして成功すること。(中略)商業的にはではない、生き残るということで」(『カン大全──永遠の未来派』P94、ホルガー・シューカイの発言より)
こうして作られた音楽ははるか50年経った現在でも新鮮に鳴り響いている。そしてこの本には、そのサウンドの存在感と輪郭が立体的に浮かびあがってくるこうした言葉で溢れている、そんな1冊だ。
名盤として語り継がれる、ミニマルかつパンキッシュなファースト『Monster Movie』やチルでアンビエントな『Future Days』などなど初期〜ダモ鈴木在籍時の作品はもちろんのこと、レゲエやファンク、アフロビート、ディスコを折衷的に取り込んだ、『Soon Over Babaluma』以降の後期のグルーヴやサウンドの質感は、ディスコとサイケデリック・ロックが緩やかにむずびついたバリアリック・リヴァイヴァルを経たいまではまた新たな魅力を見つけることもできるのではないだろうか。またここ数年、サイケデリックなサウンドがひとつの流れになっている日本のインディ・ロック・シーンにも通じるものはあると思う(ただし、現在のところ、各アルバムが日本国内にサブスクで聴けないのは残念だ)。この本の冒頭にあるように、彼らのサウンドは、半世紀経ったいま、この時点でも未来に鳴っているのだ。
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