「うた」を分析する、新たなツール──書評 : 木石岳著『歌詞のサウンドテクスチャ― うたをめぐる音声詞学論考』
オトトイ読んだ Vol.21
オトトイ読んだ Vol.21
文 : imdkm
今回のお題
『歌詞のサウンドテクスチャ― うたをめぐる音声詞学論考』 木石岳 : 著
白水社 : 刊
出版社サイト
OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ”。今回は 木石岳著『歌詞のサウンドテクスチャ― うたをめぐる音声詞学論考』。本書ほ音楽理論、そして言語学、音声学、認知心理学、脳科学など、言葉を巡る最新の学術研究とともに、言葉でありながら、同時に「音楽」としての響きを持つ歌詞を分析する新たな視点=「音声詞学」を持って、さまざまな歌詞のあり方を分析する1冊。宇多田ヒカル、椎名林檎、きゃりーぱみゅぱみゅ、King Gnu、KOHH、藤井風など、最新のヒット楽曲の歌詞、その魅力の源泉なども探ります。オトトイ読んだ21冊目、ライターのimdkmによる書評にてお届けします。(編)
音でもあり、言葉でもある歌詞を分析するツール
──書評 : 木石岳著『歌詞のサウンドテクスチャ― うたをめぐる音声詞学論考』──
文 : imdkm
歌詞を語るというのは簡単なようで難しい。なにより難しいのは、その難しさを認識することだろう。特に文字になって目の前にあらわれると、好きなフレーズをピックアップしていかようにも解釈をほどこして語れるような気になってしまう。でもそういうときに見落としてしまうのは、歌詞にはメロディや響きがつねに伴っているということだ。これほど当たり前のこともしばしば私たちは忘れてしまう。当然、そうした歌詞の特性をいったんわきにおいて、テクストとして向き合うというアプローチに意味がないわけではない。無自覚に歌詞とテクストを同一視してしまう、というのが厄介なのだ。
エレクトロニカ・ユニット、macaroomのメンバーとしても知られる木石岳による著書、『歌詞のサウンドテクスチャ― うたをめぐる音声詞学論考』(白水社)は、言葉であると同時に音であり音楽である歌詞の複層的なあり方に向き合う本だ。言葉の響きの観点に立って、音楽理論や言語学の知見を独自に援用しながら整理し、分析のための道具をつくる。「音声詞学」と著者が(便宜的に)名付けるアプローチは、歌詞を考えるときに陥りやすいもやもやにひとつの道筋をつけてくれるものだ。
『歌詞のサウンドテクスチャー』と同様に、うた――様々な同音の表現を包括する呼び方としてひらがなで表記されることが多い――に着目した音楽本といえば、2014年に出版され、2021年に増補版も出版された細馬宏通『うたのしくみ』(オリジナル・増補版共にぴあより)がある。『うたのしくみ』があくまで具体的な作品の分析を主軸にすえ、ボトムアップにうたの姿をあらいだすような本である一方、『歌詞のサウンドテクスチャー』は先述のとおり方法の構築、分析のための地ならしを丁寧に行う。ある意味では対比的というか、相補的な内容といえるかもしれない。実際細馬は『歌詞のサウンドテクスチャー』に推薦のコメントを寄せているし、木石は『うたのしくみ』に言及、引用もしている。
といっても、この本は体系だった統一理論を提示するやべぇ本というわけではない。むしろ先に述べたように、うたという多層的であいまいな現象を捉えて分析するのに使えそうな道具をブリコラージュしていくような本だ。出発点は、「歌詞とはまずもって歌われるものであり、聴かれるもの」(p.25)というごくシンプルな、人によってはあまりにも当然すぎると思われるかもしれないテーゼ。ともすればクリシェになりかねないこんな言葉を真面目に貫き通すのは、実はひと仕事だ。
この本の良いところは、シンプルな概念から、うたの明快な分析が立ち上がってくるところだ。ただし、その概念は言語学、特に音声学から借用されたもので、必ずしも親しみやすいものではない。また、五線譜や音楽理論の言葉もたくさん出てくる。音声学と音楽理論の合わせ技も登場する。それでも、ロジック自体は明快だ。その明快さのための地ならしに、本書の分量の大半が費やされているといってもいいだろう。
特に第三章・第四章で展開される作品分析は興味深く、音素(特に母音)の対立を軸とした宇多田ヒカル『BADモード』分析や、モーラと音節の対立とスケールの対立(ペンタトニックとブルーノート)を組み合わせた藤井風「まつり」などの分析は、道具の具体的な使い方をあざやかに実演している。がんばって自分でもやりたくなる(ここまで厳密にできないにしても、そのような耳の使い方をしてみよう! と思える)。
しかし一番良いのは、提示されているのが「◯◯、ゆえにこの曲がすごい、この曲が良い」という価値判断ではなく、ひとつの態度であり、方法であるという点かもしれない。その点を物足りなく思う人がいても不思議ではないが、やはり美点と言うべきだろう。間口が広い本というわけではない(ニッチといえばニッチだ)にもかかわらず、態度や方法によって人を触発するという意味で、かなり開かれた本だからだ。
また、音楽を語る方法、とりわけ音楽作品を記述する方法というのは、音楽に関する語りがこれほど世にあふれているにもかかわらず、そこまで多様ではない(レトリックやスタイルはかなり幅広いが)。必ずしもこの本は「語る」ための本ではない(歌詞を「味わう」ための、また「書く」ための本でもありうる)とはいえ、あたらしい方法を提示して実演してくれる本なのは間違いない。
この本自体というよりもその立ち位置についていえば、学際的なアプローチをとっているゆえに、その総体をじっくり吟味するのは難しいが、分野を越えた協働の可能性を感じさせるものであるところもおもしろい。
ちなみに、著者の前著(厳密には編著)『はじめての〈脱〉音楽 やさしい現代音楽の作曲法』(自由現代社、2018年。監修に川島素晴)もユニークな本なので、最後に一言紹介しておこう。
同書は20世紀以降の前衛音楽を代表するさまざまなジャンルや動向を概観する一種の教養本と言えるが、書名で示されているように、中心になるのは「じゃあ具体的にどのようにつくられているのか?」という実践的な作曲法の紹介だ。各章、簡単な導入のあとは作曲法の解説が続き、ひととおりその要点を知ることができる(やろうと思えば実際できる!)。おもしろいのは各章末尾の「発展」という節で、紹介した作曲法が同時代のどのような芸術文化の潮流と関係していたり、あるいは並行しているかをかなり大胆に紹介している。
具体的な実践と、いろんなジャンルの知を結びつける大胆なアプローチが同居しているという点では、『歌詞のサウンドテクスチャー』と似たところがある。こちらもぜひ読んでみてほしい。