2023/08/24 17:00

音楽とジェンダーを考える、その入門となる1冊──書評 : 『シモーヌ Vol.8 【特集】音楽とジェンダー』

オトトイ読んだ Vol.15

オトトイ読んだ Vol.15
文 : imdkm
今回のお題
『シモーヌ Vol.8 【特集】音楽とジェンダー』
現代書館 : 刊
出版社サイト
Amazon.co.jp


 OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ”。今回は『シモーヌ Vol.8 【特集】音楽とジェンダー』。『シモーヌ』は、文学、絵画、映画、さらにはインターネット空間などなど、さまざまな切り口で「雑誌感覚で読めるフェミニズム入門ブック」として、これまでに7冊が刊行されている冊子です。今回は「音楽とジェンダー」として、音楽を切り口としたさまざまな論考を展開しています。本コーナーにて以前紹介した『クリティカル・ワード ポピュラー音楽 〈聴く〉を広げる・更新する』の「ジェンダー / セクシュアリティ」項目から、さらに「音楽とジェンダー」というテーマで読み広げることもできそうな内容です。ということで、“オトトイ読んだ”、15冊目となる本作の書評はimdkmにお願いしました。(編)

さまざまな音楽に宿る、ジェンダー規範を読み解く

──書評 : 『シモーヌ Vol.8 【特集】音楽とジェンダー』──
文 : imdkm


 現代書館が発行する、「雑誌感覚で読めるフェミニズム入門ブック」をかかげる「シモーヌ」。Vol.8となる最新号の特集は「音楽とジェンダー」だ。「音楽」を蝶番に音楽史、美術史、映画、ポップ・ミュージック、クラブ・カルチャー……等々を横断する、「ジェンダー」をめぐるさまざまな語りが集められている。
 2019年にvol.1が発刊されて以来、シモーヌというシリーズ自体は知っていたものの、手に取ったことはなかった。が、「音楽とジェンダー」という自分の関心にフィットする領域に惹かれて、SNSで告知を見かけるなり即予約、購入した。この反応速度。これに先駆けて、雑誌『ユリイカ』のフィメールラップ特集(2023年5月号 特集=〈フィメールラップ〉の現在)が話題となっていたのも記憶に新しかったのが、自分のなかで静かに要因となっていたかもしれない。「シモーヌ」の本特集に「構造を解体するヒップホップ・フェミニズム 日本の女性ラッパー入門」を寄稿しているつやちゃんはユリイカでもキーパーソンのような働きをしており、資料性と批評性に満ちたユリイカのフィメールラップ特集と「シモーヌ」の架け橋となっている。
 前述したように、「音楽とジェンダー」といっても収められている記事はひとつひとつ大きく性格もジャンルも異なる。あえて個人的な関心に寄せて内容を紹介するならば、「ポップ」の観点から、あるいはクラブ・カルチャー/エレクトロニック・ミュージックの観点から、いくつかピックアップすることになるだろう。
 たとえば前者。吉岡洋美「私たちがやりたいようにやる。 日本のパンクロック黎明期の女性アーティストたち」。1970年代末から80年代初頭にかけての日本のパンク~ニューウェーブシーンにおける女性アーティスト(バンドから個々の演奏者まで)に光を当て、限られた紙幅にそのバイタリティが詰め込まれている。「ふとした日常で隣り合わせた女性が、実は「個」であり続けるパンク・オリジネイターかもしれない」と結びの言葉で述べているように、半世紀近く前を振り返りつつ、そこから「現在」へと地続きに接続されるところもかなり面白い。
 あるいは、ブブ・ド・ラ・マドレーヌ「女がドラァグクイーンであること ブブ・ド・ラ・マドレーヌの今ではあまり知られていない活動」は、アーティストのブブ・ド・ラ・マドレーヌが、京都メトロでいまも続くドラァグクイーン・パーティ「ダイアモンズ・アー・フォーエバー」を中心として、(シスヘテロ女性ながら)ドラァグクイーンとして活動してきた経験を、印象的な楽曲とともに綴った回想録であり、ポピュラー・ミュージックを換骨奪胎する転覆的な実践の記録でもある。そのパフォーマンスの内容のみならず、音楽の生産と受容のあいだにあるような再解釈、転用の美学もまた興味深い。パーソナルな親密さと社会への機知に富んだ挑発が同居する読み口は著者ならでは。
 後者としては、西田彩ゾンビ「電子音楽と女性音楽家」。電子音楽というジャンルの整理にはじまり、黎明期の電子音楽における女性音楽家の貢献をコンパクトに振り返った論考。もし関心があれば、本論考を出発点に、末尾でも言及されるリサ・ロヴナー監督のドキュメンタリー「Sisters with Transistors」や、参考文献に挙がっているマーク・ブレンド『未来の〈サウンド〉が聞こえる 電子楽器に夢を託したパイオニアたち』(ヲノサトル訳、アルテスパブリッシング、2018年)などもあわせてチェックしてほしい(前者は、日本語字幕はないものの、ネット配信で見ることができる)。
 また、浅沼優子「クラブ・カルチャーと脱周縁化」は、「クイアでブラック」なルーツを持つテクノやハウスといったクラブ・ミュージックとそのカルチャーが育んだコミュニティ意識をベルリン経由でたどり直しながら、商業化に伴うジェントリフィケーションや男性優位でシスノーマティヴな産業の状況を確認したうえで、そうした状況に対して風穴を開けようとするさまざまな動きを「脱周縁化」というタームで捉える。人種差別や脱植民地化も絡み合ったインターセクショナルな視点から、ユートピアとしてのクラブ・カルチャーに可能性を見出す密度が高く骨太な論考だ。
 ここで紹介した記事は全体の1/4程度で、ほかにも興味深い論考は数多い(小倉羊「表現の現場における「痛み」から目を逸らさないために クラシック音楽業界のジェンダーバランスを考える」は、クラシックに関心が薄くとも一読されたい、表現の現場をめぐる問題提起だ)。また、「音楽とジェンダー ブックガイド」のように、多角的に(かつ間口を広く)展開された「音楽とジェンダー」をめぐる語りをより深めるための記事も参考になる。
 けれどももっとも有意義な出会いは、おそらく「シモーヌ」そのものとの出会いであって、おおいなる怠惰(持って生まれたものか、あるいはシスヘテロ男性ゆえのフェミニズムへの「遠さ」ないし「本気じゃなさ」ゆえか)から腰を上げて本特集をきっかけに「シモーヌ」を手に取り、その伸びやかな誌面に触れたことだろう。バックナンバー、折を見て集めていきたいと思います。

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