2024/03/11 18:00

「聴く」ことを改めて捉えなおす──書評 : 冨田恵一著『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』

オトトイ読んだ Vol.22

オトトイ読んだ Vol.22
文 : imdkm
今回のお題
『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』
冨田恵一 : 著
DU BOOKS : 刊
出版社サイト


 OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ”。今回は、ちょっと趣向を変えて過去の書籍を。10年前に刊行された書籍を。2014年刊行の、冨田恵一による『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』をとりあげます。プロデューサーとして、そして自身のリーダー・プロジェクト、冨田ラボとして数々の楽曲を手がけている冨田恵一が、1982年リリースの「名盤」、ドナルド・フェイゲン『ナイトフライ』を、さまざまな角度からの「鑑賞」を通して解説していく1冊。その音楽性はもちろん、多くのサウンド・エンジニアに「リファレンス」として、音質の参照となることも多いこの作品を、1冊に渡ってさまざまな視点から照射し、音楽のあり方を浮かび上がらせていきます。10年前の書籍ですが、いまだに音楽との向き合い方に、さまざまなヒントを与えてくれる。そんな本ではないでしょうか。“オトトイ読んだ”22冊目、imkdmによる書評でお届けします。(編)

刊行から10年、いま読む、その意義とは?

──書評 : 冨田恵一著『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』──
文 : imdkm


 先日、ひょんなことから、今年は冨田恵一の著書『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』が出版されてちょうど10年のアニバーサリー・イヤーだということに気づいた(ちなみに奥付によれば、第1刷の発行は8月8日)。そういえば……と思って確かめると細馬宏通『うたのしくみ』の出版も2014年(こちらは4月1日)。さらには柳樂光隆監修のムックシリーズ「Jazz the New Chapter」の一冊目も同年に出ている。こんなリストアップを続けていたらきりがないのでやめておくけれど(楽しいのでやってしまう)、もしこの年に「音楽本大賞」があったら大変だっただろう。候補が多くて。
 ざっくりと言ってしまえば、本書はスティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンが1982年にリリースしたファースト・ソロ・アルバム、『ナイトフライ』の解説本だ。著者はJ-POPシーンで名プロデューサーとして名を馳せる一方、冨田ラボ名義でのソロ活動も高い評価を得てきた。音楽に対するリスナーとしての経験と緻密な研究が反映されたその作風からも伺える、論客としての鋭さが詰まった初の単著だ。

「音楽から何が聴こえているのかを知るためには、とにかくひとつの作品を何度も聴くことだ」(p.10)

 ――非常にシンプルな、ほとんどトートロジーのような提言だが、この本のアティチュードをこれほど端的に言い表している言葉はない。筆致は整然としていてきわめて明晰。作品から引き出されるテーゼも、著者の音楽観も示唆に富む。それだけに、文章が“聴こえてくる音”へと立ち返っていくたびに、そのロジックのシャープさの背後にどれほどの量のリスニングが蓄積されているかが浮き彫りになる。
 といっても、本書はただひたすら録音物を聴き込むだけの本ではない。深い知識と音楽制作の現場に通じた豊かな経験に基づき、資料をつきあわせながら、『ナイトフライ』がどのように制作されたのか、なぜこのような表現に行き着いたのかを読み解いていく。“聴こえてくる音”の向こう側への飽くなき好奇心と探究心に突き動かされつつも、慎重にロジックを積み重ねる。
 その点では、第2章のタイトルに掲げられた「効果と手法の因果関係を探る」というフレーズが非常に示唆に富む。各曲の詳細な解説にあてられた本章では、聴こえた音やそこから受けた印象が果たしてどうやって生まれたのかを、クレジットや当事者の証言と組み合わせながら、いわばリバース・エンジニアリングしていく。とはいえ、そのままではどこまでも「効果」(=“聴こえてくる音”)と「手法」が説得力をもって交わることはない。丹念かつ執拗なリスニングと、証言から浮かび上がる制作現場の様子を往復しつづけることに加え、楽器や機材といったテクニカルな知識、あるいは音楽制作の慣習といった知識の補助線が必要になる。
 いや、それを「聴く」行為と切り離して「知識」と呼ぶのはあまり適切ではないかもしれない。著者はあくまでそれを耳で確かめているのだから。つまりちゃんと「聴いている」のだ。
 本書における「聴く」という行為は極めて複層的だ。そこにアーティストの目指す表現を「聴き」、それを実現するためのプレイヤーやエンジニアのスキルを「聴き」、さらには間テクスト的に畳み込まれたリファレンスを「聴き」、あるいは同じように耳を傾けているかもしれない人びとの姿も「聴き」……。単に虚心に耳を傾けるだけではなく、その向こう側(もしくは手前?)にあるかもしれない豊かな意味の海へ入っていくことが、本書の提示している「聴く」という行為だろう。
 さて、日本で定額制の音楽配信サービス、いわゆるサブスクがローンチしはじめるのが2015年。AWA、LINE MUSIC、Apple Musicがこの年に相次いでローンチされている。少し遅れて1年後の2016年秋にはSpotifyが日本でサービスを開始。つまり『ナイトフライ』はサブスク前夜に出版されたわけだ。
 一枚のアルバムを、それこそ一冊の本を書き上げてしまうほどに集中して聴き込むという「鑑賞法」──というか「鑑賞」という概念自体──は、もしかしたらサブスク時代となじまないように思われるかもしれない。一方で、その「鑑賞法」の土台となる過去のアーカイヴへのアクセスは、むしろサブスク以降のいまこそハードルが低い。たとえば、1982年という年号をひとつのアイコンとして、80年代のサウンドを『ナイトフライ』と共に概観してゆく第5章を読み解くには、サブスク以後の環境がうってつけだろう。
 この10年で、音楽の聴き方は大きく変化してしまった。しかし変化したのはあくまで環境にひもづいた行動の習慣であって、本書が実演してみせたような、「どのようにして『聴く』べきか」という問いや、その具体的な方法の提示はいまでも気づきを与えてくれる。むしろ、「どのように」で迷子になってしまっているからこそ、本書を10年ぶりに紐解く意義はあるのではないだろうか。

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