「ポピュラー音楽研究」で新たな「聴く」を触発する1冊──書評『クリティカル・ワード ポピュラー音楽』
オトトイ読んだ Vol.13
オトトイ読んだ Vol.13
文 : imdkm
今回のお題
『クリティカル・ワード ポピュラー音楽 〈聴く〉を広げる・更新する』
永冨真梨、忠聡太、日高良祐 : 編著
フィルムアート社 : 刊
出版社サイト
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OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ”。今回は、コンパクトな用語解説集の体裁ながら、現代社会や文化、芸術などに関わるさまざまな領域の「読み解く力」を学べるシリーズ『クリティカル・ワード』シリーズより、『ポピュラー音楽 〈聴く〉を広げる・更新する』を取り上げます。同シリーズ5冊目となった本作では、これまでのシリーズ同様、メイン・テーマとなる、ポピュラー・ミュージックを取り巻く現在の言論状況や社会・歴史との関係性などを、いくつかのタームに分かれた『重要用語』を切り口に、さまざまな角度から読み解くそんな書籍になっています。“オトトイ読んだ”、13冊目となる本作の書評は、その名の通りJ-POPをリズムという側面から解き明かした名著『リズムから考えるJ-POP史』や、また本著のいくつかの項目とも通じる視点を持っているとも言えるZINE『音楽とテクノロジーをいかに語るか?』を上梓したimdkmにお願いしました。(編)
アカデミズムと「音楽好き」をつなぐ
──書評 『クリティカル・ワード ポピュラー音楽 〈聴く〉を広げる・更新する』──
文 : imdkm
フィルムアート社の『クリティカル・ワード』は、さまざまな分野のアカデミックな研究成果をキーワードごとにコンパクトにまとめた人気シリーズだ。これまで「文学理論」「メディア論」「現代建築」「ファッションスタディーズ」が出版されてきたが、2023年3月にあらたに登場したのが「ポピュラー音楽」だ。
それだけ見ると、「なるほどポップ・ミュージックに関する文章がまとまっているのだな」と早合点してしまいそうになる。しかし、あくまで本書が紹介するのはアカデミックな研究領域としての「ポピュラー音楽」だということには注意しておきたい。
世の中に音楽に関係する書籍は数多く、毎年相当な量が出版されている。あるいは音楽雑誌やウェブメディアまで含めれば、音楽についての語りはほんとうに溢れかえっていると言っていい。それを読むのが好きな人も決して少なくはないはず。けれども、あとで少し詳しく見ていくが、批評ともジャーナリズムとも違う、アカデミズムという独特な領域には馴染みがない可能性もある。
本書はそんな人のために、「ポピュラー音楽研究」の現在を多彩なキーワードを通じて紹介する一冊だ。編著者のひとり、日高良祐はそのコンセプトをこんなふうに語っている。
音楽批評や音楽ジャーナリズムも含めれば、ポピュラー音楽を取りあげたキーワード集やディスクガイドは毎年のように世に出ている。だが、本書は学術的な知見をキーワード選定のための足掛かりとし、いわゆる「音楽好き」の言説に既存の研究の視点を接合しようと試みている。(p.4)
音楽が好きで、聴くだけじゃなくて音楽の周辺について知ったり、語ったりすることも好き。そんな「音楽好き」に違う角度から音楽に耳を傾け、世界をながめる方法をサジェストしてくれるのが本書だ。
「音楽好き」のためのユーザーズ・ガイド
本書は、キーワードひとつに対して短い論説が集まってできている。全体の構成としては、抽象的で射程の広い基礎概念を扱う第1部から、より具体的な事例を紹介する第2部、音楽と隣接する他分野との関係に議論を開いていく第3部へとゆるやかにつながっていく。
文章自体はとても簡明だ。しかし、学術論文的なフォーマットにのっとって書かれているため、慣れていない人には読みづらく(あるいは単調に)感じられるかもしれない。けれん味のある批評や、最新のトピックスをなまなましく伝えるジャーナリズムとは違う。楽しむための文章にしては味気ないが、本領を発揮するのはこれらの文章を積極的に「使う」ときだ。
もちろん、「ポピュラー音楽研究という学問領域について知りたい」という目的意識があれば、頭からじっくり読んでいくのが手堅い(特に冒頭の「ポピュラー」の項目は、学問としてのポピュラー音楽研究とはなにかを丁寧に紐解いている)。そうでなければ、第2部・第3部の項目から手をつけていくのも良い。
たとえば、音楽について考えるときに真っ先に思い浮かぶ「ジャンル」や「楽曲」といった概念がとりあげられるのは第2部。ポピュラー音楽研究においては、こうしたぱっと見基礎的におもえる概念よりも、マクロな学問的枠組みに対する理解が必要になってくる。
実際、第1部でとりあげられるキーワードは「テクノロジー」、「クラス(階級)」、「ジェンダー/セクシュアリティ」、「レイス(人種)」等々、丸腰で取り組むには手強そうなものが並ぶ。しかし、具体的な事例に触れていけばいくほど、こうしたマクロな枠組みの重要性もつかめてくるはずだ。
幸いなことに、本書は項目間でのリファレンスがはりめぐらされており、索引も充実している。目次を眺めておもしろそうな項目をチェックするのはもちろんのこと、索引をざっと眺めてみるのもかなり有効な「使い方」だ。
たとえば、この本の目次を見ても「ロック」という項目はない。しかし、事項索引を見てみると、この単語は何度も何度も複数の項目にわたって登場していることがわかる。場所によっては、「ロックがこんな文脈で語られるんだ」と思いもよらない切り口で語られているだろう。それによって、新しい見方や聴き方が触発されるかもしれない。
さらに、項目ごとに参考文献も充実しているので、この本にはじまってさまざまな論文や書籍という外に飛び出してくこともできる。音楽を聴いたり、音楽について語ったり、音楽について読んだりするなかで、「もうちょっとちゃんと知っておきたいな」と漠然と思うことがあると思う。そんなときに手元にあると心づよい一冊だ。
ただ、注意しておくべきは、アカデミズムは正解を教えてくれる権威ではないということだ。アカデミズムは学問の持つ権威性に対する反省も常に行われる場所だ。それは本書を読んでも感じられるのではないだろうか。
おまけ:おすすめのトピック
最後に、個人的に興味深く読んだ項目を3つ、紹介してみよう。
第1部の「コロニアリズム/ポストコロニアリズム」は音楽における植民地主義をめぐる議論をアジアの事例もひきながらまとめ、「じゃあ日本はどうだろう?」というアクチュアルな問いかけに至るところがとても参考になった。
第2部の「聴衆/ファン」は、いま「ファン」はどのような役割を担い/担わされているか、我が身に照らしながら読める人も多いはず。
第3部の「プログラミング」は、音楽の生産にも消費にもすっかりコンピューターが浸透した現在、コンピューターによる音楽の基盤をなすプログラミングという営為に目を向けることの意義を説得的にしめす論考で、刺激的だった。
おそらく本書は、「使い方」によってそれぞれの読者にいろんな表情を見せてくれるはずだ。自分なりの興味に基づいて、「使って」みて欲しい。