OTOTOY EDITOR'S CHOICE Vol.162
OTOTOY編集者の週替わりプレイリスト&コラム(毎週金曜日更新)
偉業だらけのダブ・マスター、デニス・ボーヴェル
つい先頃、イギリスのレゲエ・アーティスト、デニス・ボーヴェルのレゲエ方面のベスト盤『The DuBMASTER: The Essential Anthology』がリリースされました。「レゲエ方面の」と書いたのは、ご存知のように彼の偉業はレゲエだけに留まらず、ニューウェイヴ / ポストパンク、さらにはエレクトロニック・ミュージックまで地続きで続いています。とにかく現在の音楽フォーマットを考えると、彼の仕事は偉業だらけと言ってもいいでしょう。
デニス・ボーヴォルは、ジャマイカではなく、同じくカリブ海の西インド諸島に位置する島国のバルバトスで生まれ。12歳で家族とともに南ロンドンに移住、そこでロックの洗礼なども受けつつも、ロンドンのアフロ・カリビアン系のコミニティ内でジャマイカのレゲエ・カルチャーに出会いのめりこんでいきます。1970年代のイギリスにおいて、レゲエ・シーンにおいて多岐にわたる活動でアーティストとして頭角を現していきます。自身のサウンドシステムにはじまり、バンド、マトゥンビの活動、他のレゲエ・シンガーへのプロデュース仕事。さらにはギターを中心にマルチ・インスツルメンツなプレイヤーとして自身のプロデュース仕事以外にも演奏者として多くの作品にも参加。さらにはスタジオ・エンジニアとしても頭角を現していきます。ある意味で当時のUKのレゲエ・カルチャーの、まさに礎と言える動きをしたアーティストです。
プロデュース・ワークやダブ・ミックスなど彼が作り出すサウンドは、オリジナルなジャマイカのスタイルとはまた違った要素を吸収したスタイルとして、UK独自のレゲエの表現の枠を広げてきました。前者は例えば自身の作品やスティール・パルスやLKJのようなUKレゲエのアーティストのプロデュース・ワークで、さらに後者は例えば彼のダブ・アルバムの代表作とも言われる『I Wah Dub』で体感できるでしょう。また同じく1970年代後半から1980年代初等にかけて、ラヴ・ソング主体のスウィートなレゲエのスタイル=ラヴァーズ・ロック・レゲエと呼ばれるUK独自のスタイルを作り出したUKのプロデューサー陣のひとりであり、プレイヤーのひとりとも言えるでしょう(ジャマイカにももちろんスウィートなラヴ・ソングはあるんですが独自に発展したという意味で)。多くの名曲がありますが、有名どころでは、ジャネット・ケイの「Silly Games」などの特大ヒットやマリー・ピエールのプロデュースあたりでしょうか。と、まだまだレゲエ方面の偉業はあるのですが、そうではない方面もここで簡単に。1970年代末になると、レゲエ、そしてダブにも興味を示していたパンクスたちが、彼のダブ・ミキサー=スタジオの魔術師としての手腕を必要とし、ポップ・グループやザ・スリッツといったバンドのプロデュースやミキシングを任されます。そしてさらに坂本龍一の『B2-UNIT』のミックスなども手がけており……。というのが1980年代初頭までの動き、その後も現在まで、UKレゲエ・シーンはもちろん、ここ日本のレゲエ・アーティストなどの作品も手がけ、またジャンルを越境し、時にはエレクトロニック・ミュージックの領域などでもそのダブ・ミックスの手腕を披露したりしています。と、まだまだ書き切れませんが今日はこのへんで。