松永孝義の“生ける”ベースライン——偉大なるベーシストが残したライヴをハイレゾで独占先行配信開始
松永孝義――2012年7月12日に肺炎でこの世を去ったベーシスト。1980年代、こだま和文率いるライヴ・ダブ・バンド、ミュート・ビートのベーシストとして活動、またその後もこの国のポップ・ミュージックのさまざまな場面でそのベースを響かせた。実はタンゴをはじめ、その他のシーンでも数多くの名演を残しているベーシストでもある。このたび、彼の追悼ライヴが7月7日に、そして唯一のリーダー作となった『The Main Man』リリース後のライヴなどで録音されたライヴ音源『QUARTER NOTE』がリリースされることとなった。
OTOTOYでは、アルバムから1曲フル試聴で展開するとともに、6月18日のCDリリースに先駆けて本作を独占でハイレゾ先行配信(24bit/48kHz)。繊細なハイレゾの音質で細かなベースラインの表現を感じとってほしい。
アルバムから「Walk Slowly」をフル試聴にてお届け! (〜7月18日(金)まで)
OTOTOYアプリ(iOSのみ)をインストールして外出先でも簡単に試聴可能!! OTOTOYアプリについてはコチラ
※試聴音源は24bit/48kHzの音質ではございませんのでご了承くださいませ。
ハイレゾ音源を独占先行配信!!
松永孝義 / 「QUARTER NOTE」 - The Main Man Special Band Live 2004-2011
【配信形態】
【左】ハイレゾ(24bit/48kHz) WAV / ALAC / FLAC
【右】mp3 およびWAV / ALAC / FLAC(16bit/44.1kHz)
【配信価格】
単曲 257円 / アルバム購入 1,851円
※購入者の方にはこだま和文 / エマーソン北村によるライナーノーツが付いてきます。(PDFファイルが同時にダウンロードされます)
【Track List(作曲者名)】
01. Momma Mo Akoma Ntutu(Yao Boye, Nathaniel Akwesi Abeka)
02. Jazzy(Willie Colon)
03. Caminando Despasio(大原裕)
04. Two-Step(松竹谷清)
05. Pua Lililehua(Mary Kawena Pukui, Kahauanu Lake)
06. Malaika
07. Dali Ngiyakuthanda Bati Ha-Ha-Ha(George Sibanda)
08. よろしく(大原裕)
09. Walk Slowly(大原裕)
10. メンバー紹介
11. Africa(Rico Rodriguez)
12. Hip Hug Her(Cropper, Dunn, Jackson, Jones)
13. Two-Step(Astro Hall 2004)
14. La Cumparsita(Gerardo Matos Rodríguez)
15. Momma Mo Akoma Ntutu(Shinsekai 2011)
参加ミュージシャン :
松永孝義 The Main Man Special Band
松永孝義(Bass)
桜井芳樹(Gt) - ロンサム・ストリングス、小松亮太
増井朗人(Trb) - ex THE MAN、ex KEMURI、ex THE THRILL、ex MUTE BEAT
矢口博康(Sax,Cl) - ガストロノミックス、ex 東京中低域、ex リアルフィッシュ
福島ピート幹夫(Sax) - KILLING FLOOR、ex 在日ファンク
エマーソン北村(Key, Cho) - シアターブルック、ex JAGATARA、ex MUTE BEA
井ノ浦英雄(Drs, Per) - 海の幸、ex サンディ-&ザ・サンセッツ、ex 久保田麻琴と夕焼け楽団
ANNSAN(Per) - THE MANDOLIN BROTHERS、東京TOWERS
松永希(宮武希)(Vo, Cho) - ex RING LINKS
ayako_HaLo(Cho)
田村玄一(Pedal Steel, Cho) : track 5 – キリンジ、ロンサム・ストリングス、LITTLE TEMPO
今井忍(A.Gt) : track 5 - アーリータイムス・ストリングス・バンド
松竹谷清(E.Gt) : track 13 – ex トマトス
Performed and Recorded at :
名古屋CLUB QUATTRO, 2005年10月4日 (track 1, 2, 4, 9, 11, 12)
渋谷 CLUB QUATTRO, 2005年10月6日 (track 3, 6, 7, 8, 10 )
原宿 ASTRO HALL, 2004年7月16日 (track 5, 13, 14)
西麻布 音楽実験室 新世界, 2011年3月25日 (track 15)
Recorded and Mixed by 藤井暁(puff up)
Track 15 Live Mix by 桜井冬夫(sereza)
Mastering and Re-mix (track13. 15) 高橋健太郎 at Memorylab
座談会 : 桜井芳樹×増井朗人×小松亮太
このたびリリースされる松永孝義『QUARTER NOTE』は、生前本人も聴き返していたという2005年10月4日に名古屋の〈クアトロ〉で行われたライヴ音源を中心に編まれた14曲だ。唯一のリーダ・アルバム、2004年の『The Main Man』。そのライヴ・ツアーの音源ということになる。参加メンツは、これまで星の数ほどのアーティストたちと演奏をしてきた松永が選び出した“The Main Man Special Band"のそうそうたるアーティストたちだ。
さて、このアルバムを紹介するのに、生前、その活動を共にした3人のアーティストにお集まりいただき語ってもらった。まずは1980年代にミュート・ビートで活動を共にしたトロンボーン・プレイヤー、増井朗人、ベーシストとして松永を迎えたロンサム・ストリングスの桜井芳樹、彼らふたりは“The Main Man Special Band"のメンバーでもある。そして、まさに家族ぐるみで親交のあった、タンゴのバンドネオン奏者として世界中で活躍する小松亮太の3人だ。ちなみに小松亮太の“家族ぐるみ"とは、実母たるピアニスト、小松真知子、父、ギターリストの小松勝による日本のタンゴ・シーンを代表するバンド、タンゴクリスタルのベーシストとして、松永が1980年代より参加していたことに起因する(詳しくは、彼のツイッターをまとめたもの、また『ラティーナ』誌2012年9月号の追悼原稿をぜひ)。
こちらが質問をあまり傾けずとも3者の口から松永孝義の“音"、そして“音"への向き合い方がどんどんと出てくるのがとても印象的であった。その言葉たちは、驚くほど、そのベーシストの魅力を伝えてくる。
インタヴュー&文 : 河村祐介
昨年いくつかの現場で久しぶりに藤井暁さんと一緒になることがあり、今回の音源の話が再び持ち上がったわけです
――今回のライヴ盤っていうのはどんな経緯でリリースにいたったんでしょうか?
桜井芳樹(以下、桜井) : もともと出す予定で録ってるわけでもなかったと思うのですが。でも、あのときのいい感じが入っているものができましたね。このときの2005年のツアーは大阪を録りそびれて、名古屋と東京での録音が良い出来でした。そのライヴ録音の話はエンジニアで同行した藤井(暁)さんから聞いてはいました。藤井さんは前から「ライヴ盤、出せば良いのにね」って言っていたのですが。そして、昨年いくつかの現場で久しぶりに藤井さんと一緒になることがあり、今回の音源の話が再び持ち上がったわけです。藤井さんとの再会が僕にとっては大きかったですね。でも、藤井さんが亡くなられてしまって…。
――もうひとつ追悼というところはあるのかも知れませんね。
桜井 : そうだね。
――おふたりはツアーにも参加されていて、本作の中心になっている名古屋のクワトロのライヴというのはどうだったんでしょうか?
増井朗人(以下、増井) : まぁ、3回だけだから起伏もなにもないかな。
桜井 : ただ、名古屋は1番お客さんが少なくってね。それが拍手の少なさとなって、録音としてはよかった部分もあるんじゃないかと(笑)。
小松亮太(以下、小松) : そりゃ面倒臭いでしょ(笑)。明らかに。そりゃアーティストですからね。正確に言うと僕が知る限り40歳になるまでの松永さんは相当面倒臭かったんじゃないかな。あるときに携帯を持ち出したころに……。
増井、桜井 : あ、あ――。
――みなさん、「あー」ってなんなんですか(笑)。
小松 : 松永さんがメールとか打ってるんですよ、それが驚異だって言えばわかりますよね?(笑)
増井 : それが驚異と思われる人だったとね。
小松 : ついに、と思いましたよ。特に若かった頃は、自我が強いことプラス浮世離れしている方だったので。当時、一番驚いたのは手帳をもってないことなんですよね。スケジュール管理できるわけないじゃないですか。だからダブルブッキングしてたりするのを、子どもの頃からみてますからね。1回、中学生のときだったかな、うちの両親がこだまさんと電話で話をつけているのを見たことありますね。
――あ、ご両親のタンゴのバントとミュート・ビートのダブル・ブッキング(笑)。
小松 : そうそう。松永さん自体はスケジュール管理をほとんどやらない、そしてマネージャーがいるわけではないからとんでもない間違いが起るんですよ。昔は年末年始になると、レコード会社とかが結構ちゃんとした手帳をくれたんだけど、ああいうのを「使って下さい」って渡して。
――少年から手帳を心配して渡されて…。
小松 : かろうじて使ってて「新宿」とか書いてあるだけで。
増井 : ありそう(笑)。あのね、マッチ持ってて、よくマッチにメモを書いてた。そういう記憶がある。
小松 : でも、30代後半くらいからスケジュールとかすごい気にすることに… 痛い目に結構あったんだと思います(笑)。
一同 : (笑)。
はじめにお会いしたときは、冬だったんですけど、ピテカンに綿入れの半纏みたいなのを着てて
――年代的には恐らく、同じくらいの時期、1980年代の中ごろに、増井さんはミュートで、小松さんはご両親のバンドでというところで松永さんと出会われているようですが、桜井さんはいつごろに?
桜井 : 一番はじめは1991年頃かな。同じ作品に参加してるんだけど、その時は会ってないんだよ。
増井 : ダビングでということで。
桜井 : そうそう。そのあと、1993年頃だったか、はじめて会って。印象としては、愛想が良いと言う感じではないです。そして後から言われたんだけど、その時私は松永さんに対して、無茶苦茶無愛想だったらしくて。ちょっと忙しい現場だったっていうのもあるのかもしれないけど。後で、あいつはああゆう奴なんだよ、と私のことを言っていたようでしたよ。
――親密につきあうようになったのは?
桜井 : リングリンクス等もあったけど、結局、ロンサム・ストリングスに誘うようになってからかな。頻繁に会うようになったのはもう2000年に近いくらい。だから、普通に手帳を持ってましたよ。
小松 : 地上に降りてきた松永さん(笑)。
増井 : そしたら俺はもっと雲の上の松永さんだね(笑)。
――ミュート加入時は松永さんは増井さんからしたら先輩ですよね。
増井 : もちろん。僕があのなかでは1番下だったので。はじめにお会いしたときはピテカン、冬だったんですけど、ピテカンに綿入れの半纏みたいなのを着てて。
――ピテカンといったら当時の1番のファッションの拠点って感じですよね。
増井 : もうね、桑原茂一さんは大騒ぎですよ(笑)。
桜井 : マタギだね。でも、ピテカンにマタギってかっこいいよね。いま聞くと。
増井 : そうそう。
小松 : でも、ああいう格好が自然主義っぽく見えるところはあるんですけど、なんていうかニューエイジのアーティストみたいな……。
増井 : でも、そういうのは嫌うよね。
小松 : そうそう。そうなんですよ。そういうのでかっこつけている感じでは嫌いで。
増井 : 格好とかは、そのあたりは、あまり気にされてなかったんじゃないかな。
小松 : でも、さっきのマタギの話ではないですけど、ある意味でスタイリッシュに見えてしまうことがあるっていう。
――佇まいがすごいというか。
小松 : ポリシーというほどのものではないと思うけど。いつも同じ格好でもカッコいいいんですよね。
増井 : そういえば、ミュート時代、民放テレビのとある番組に出たんですよ。3本ラインのアディダスのジャージを着て、スーパースター履いてて。でも、まだラン・DMCが日本で知られる前ですよ! 「あの人はなんなんですか?」的なことを女性アナウンサーがちょっと言ってて(笑)。でも、NYのシーンは当然あったわけで、そういうのを知っている人にはわかるかもしれないけど、一般的にはまだまったくで。そういう部分はあった。
桜井 : 「いま、これが新しいぞ」っていうのと「これは楽だ」っていうのもあると思うよ(笑)。
増井 : それもきっとあると思います(笑)。
「おれはその曲ならコレが弾きたい」っていう、そういうのを出してくれるベーシスト。それはなかなかいない
――本作に続く話だと思うんですが、本作はもともとのソロ・アルバム『The Main Man』がまずあって、その後のライヴ音源ですよね。『The Main Man』のリリースは、〈Overheat〉の石井さんの発案だと思いますが、こちらのレコーディング時とかはどうだったんでしょうか?
増井 : ホーンに関して言うと「アレンジは全部任せるから、メロディ・ラインはコレで」という感じで僕は言われて、キーボードのエマーソン(北村)の家に行って、松永さんと3人で集まってプリプロやって。それで構成を決めると。
――ギターは…。
桜井 : なんにも。でも、やっぱり現場でも松永さんにディレクションをしてもらうようにしむけた部分はあるよね。
一同 : (笑)。
――そういうプロジェクトですよね。
桜井 : そういう気の使いかたっていうと変だけど。
増井 : いまの残っている印象だと「いい~よ! それ!」というのばっかり言ってた気がする。やっぱり時間をかけて「この人とこの人と、こういう曲をこういう風にやる」というのが松永さんにイメージとしてあった作品だと思うから。人を選ぶ時点で結果は見えてたんだと思う。
小松 : 桜井さんのことも「あいつ、やるときはやるんだよ」って言ってましたよ(笑)。
増井 : では、やらないときもある(笑)。
桜井 : あるよ、そりゃやらないときも(笑)。
――『The Main Man』に限らず、レコーディングで印象的なエピソードってありますか?
桜井 : とあるレコーディングで、大人数で一発録りするときに、「ここをどうしよう」って滞ったときがあったんですけど、そのときに松永さんが「つべこべ言わずにやれ」って言って進めたっていう。
小松 : 考えたって決まらないっていうことなんでしょうね。
桜井 : そうそう、まずは音を出しましょうよっていうところで。
小松 : 日本人のレコーディングのよくないところなんですけど、やっぱり音楽に関してすごく細かいところまで言葉で説明できてしまうんですよ。それが弱点でもあって、それがマイナスに作用することがよくあって。松永さんなんか、そういうのを嫌う典型的な人で。だまってやってみて「いつの間にかこうなった」っていうところの美しさをとるような人で。あと僕が反省を含めて言うと、そのとき一緒に演奏をしていて「すばらしいな」って思う人と、録音で聴いてはじめてそのすごさわかる人もいるわけですよね。最近知った中国の諺で「大巧(たいこう)は拙(せつ)なるが如」というのがあって、本当に上手い人は下手にみえてしまうことがあるっていう。松永さんがとてもそういう感覚が多い人で。スタジオで演奏している最中に、こちらがそんなに良くなかったなと思っているときに、後で聴いてみると本人はすごく良くできてたと思ってたとか。まわりの人が松永さんの上手さにちゃんと気づいていないっていうことがよくある人だと思います。
桜井 : それはあるよね。
小松 : リハのときに、僕がいろいろ口で注文をつけてしまって、それで松永さんが「うるさいな」ってなることはないんですが、いま思うとあんなことはする必要なかったなと反省していて。
桜井 : でも、まったく必要ないっていうことではないと思うけど。
小松 : そうですねかね。テンポ感も普通の人と違いますからね。
――そこでグルーヴ感が出るというか…。
小松 : グルーヴ… っていうかね。
桜井 : 簡単にグルーヴっていう言葉は使いたくないよね。
増井 : 松永さんはグルーヴというか、とにかくまっすぐなんですよ。タッチも含めて、無駄なく、ムラなく、ブレなくっていう。それは、なにも考えずに、比較対象を考えなければ「普通だね」って終わってしまうことがあるかもしれない。
小松 : そうそう。普通のことを普通にやってるだけですごいという。松永さんが立派だなと思うのは、他のベーシストに対していつも感じる嫌なことがあるんですけど。ベースの人って「音楽を支配しているのは自分だ」と思い込んでいる人が多くて。
桜井 : 出たね(笑)。
小松 : 実に多いんですよ。もちろん、ベースは大事ですよ。
増井 : まわりの人がそう感じて「ありがとう」と言うのと、本人がそう思い込んでるのは違いますよね。
小松 : そうなんですよ。それがない人だったんですよ、松永さんは。「こういうリズム」とか「こういう弾き方もある」って見せてくる人もいるけど、松永さんは、普通に弾いて、立派な音色でやれば「これでいいはずでしょ?」っていうのを淡々とやっている人で。松永さんが作り出すグルーヴが「こうで」とか「ああで」とかはしっくりこない部分があって。「普通に弾いてることが、とにかくいつもすばらしいですね」というのがしっくりくる。
増井 : 「こういう風にしたらいい」とか「こういう風にもできる」とか、松永さんは絶対に言わなかったと。でもかたや僕はミュートのときしか知らないけど、こだまさんが作って、持って来る曲はコードがAマイナーとG、DマイナーとC、8割がたこれだけなんですよ。「メロディがこうだ」って吹くだけなんですよ。松永さんと朝本がそれを聴いて、「また、AマイナーとG」「うん」「どうする?」ってなると、松永さんが「うーん」って考えこんで、「よし、やろう」で弾くんですよ。そうすると「あ、なるほど、そういう風にからんでくるだ」ってなるんですよ。それで必要充分なベースで。同じコードでも同じ曲には聞こえないようにやっていて。最初に一緒に音楽を作ったベースシストが松永さんなんですよ。で、それ以降、いろんなベースシストと仕事をしているんだけど、どうしても松永さんみたいなベーシストを求めてしまうんですよ。それはどういうことかと言うと、とにかくこちらからなにも言わなくても「メロディがコレ」「コードがコレ」「リズムはこんな感じ」っていうのがあったら、「このベースラインしかないでしょう」って提示してくる感じ。それは「あれもある、これもある」ではなくて。「おれはその曲ならコレが弾きたい」っていう、そういうのを出してくれるベーシスト。それが松永さんだったから、ベーシストはそういうものだと思ってしまって(笑)。それはなかなかいない。
小松 : いないでしょうね。
増井 : 他の人とやっていて「あなたが思うもので良いから「これしかない」って思うベースラインを」って言うんだけど、出てこない。
小松 : いろいろ提案ができる人の方が優秀だとされてしまうところがあると思う。
増井 : それはセッションならありかもしれないけど、チームとしてコンスタントになにかをやるとしたら「僕はこれしかない」って出し合わないといけないと思うんですよ。それを教えてもらったなと思って。なかなかそういう人には会わない。
桜井 : わかるね。
全部聴くことないんですよ。どれか1曲に出会ったときに、そこに全部ある
――ロンサム・ストリングスに関しては?
桜井 : そう、増井さんその話と同じだね。スコアみたいなものをこっちで出す場合もあるけど、基本的には譜面は皆同じで、メンバーそれぞれ書き込みしていくだけ。思い出してみれば、弦楽器4人だけど、思いのほかソロをとったりしてるんだよね。
増井 : あまり松永さんはソロを弾かないイメージがあるけど、松永さんもソロを弾いてたんですね。
桜井 : カヴァーの曲で、俺がアレンジを全部書いてなかったんだけど「この曲のオリジナルってエンディング、ベース・ソロだよな」って。「松永さん弾きますか?」って言ったら弾いて。松永さんはそれを選んだ。
増井 : それは貴重な。聴いてみたいですね。
小松 : 松永さんのソロは、アルゼンチンの巨匠もみんなびっくりしますね。
――そのベースに惚れ込んで、楽曲をプレゼントされたとこもあるみたいですね。
小松 : そうですね。70歳とかのアルゼンチンの巨匠は、それこそ本当に昔のすごい世代の演奏も聴いているんですけど、そういう人たちが松永さんのことをすごいって言うんですよ。タンゴの世界にもベースの定番曲っていうのがあるんですけど、日本人の演奏を聴いて「あの、ベーシストはなんなんだ」って。まずは音色ですね。あと松永さんは、日本のクラシックの教育を受けているので弓はドイツ式なんですよ。そしてタンゴはラテン系なので主にフランス式で、弓の持ち方で全く違うんですよ。でも、そんな違いも関係なく「あのベースの人はなに?」となるんですよ。彼のタンゴのベースが一級品であると。すでに28歳の頃には、50歳とかそういう世代のタンゴの作曲家を「すごい」って唸らせてましたね。あと思うことは、やっぱり松永さんは足の障害がなかったら、こういう立派なアーティストになっていたかなと思って。『ラティーナ』の原稿にも書いたんですけど。五体満足な人間がこういうことを言うのはよくないかもしれませんが。良い意味で器用さのない… なんて言えば良いのかな。
増井 : 見せびらかす器用さのないね。
小松 : そうそう。「俺はこれしかできないぞ」っていう風格があって、それでいてエレキベースとコントラバスを使い分け、クラシックも弾ければ… って、本当はクラシックの世界の方なんですが、クラシック、タンゴ、レゲエ、ポップスもいけるっていうのを両立している人っていうのは、後にも先にもいないと思う。松永さんみたいに、音大出て、コントラバスも弾けて、エレキベースも弾けて、ジャズもできて、ロックもできて、レゲエも知っててというのはいるかもしれないけど、松永さんに比べると技に落ちてる感じがあって。松永さんが持っている、決してスマートではない、濃い音楽性。それをひけらかしているわけでもない、でも無茶苦茶個性のある音楽性。あくまでも普通のことやってるのに、すごく個性のある。そういう人は見たことないですね。僕は両親のバンドで、最初に見たベーシストが松永さんだったのが、幸せではあったけど、不幸なことでもあったというか。
増井 : お互い、あの人が最初だと後が大変だね(笑)。
小松 : ベースっていうのは、みんなああいう人だと思ってた。
増井 : 僕もそう思ってた。
小松 : たぶん、その個性っていうは、ご自身が抱えてたコンプレックスとか日常の不便さとかそういうところに起因していたんじゃないかと思うんですよね。こと、音楽に関してはそう思います。普通の人にはみえない苦労をされていると思いますし。そういえば、昔、うちの両親に松永さんが恨み節を言っていたことがあって…。なんか、レパートリーの都合でベース・ソロの曲を一時期外してて。そうしたら、ある日、突然「あのソロの曲をやらせてくれないんだよな」って。そんなの直接言えば良いじゃんっていう。
桜井 : そういうの言わないんだよね(笑)。
小松 : 実は我慢を知ってるんですよね。リミッターはあるけど。恐らくですけど、松永さんはいろいろなジャンルを弾いて、すばらしいすばらしいと言われるのはクラシック音楽の世界で鍛えられた知性と、いろいろな国の音楽を知っているボキャブラリー、センスですよね。そういうものが本当にうまく合致したんでしょうね。
増井 : そうでしょうね。
小松 : いわゆるポップ・ミュージックというか、ドラムがいる音楽だけをやってきたベーシストではこういう人はでてこないと思う。
――ちなみになんですが、最後に松永さんの参加されている作品でコレというのを1曲選ぶとするとどうでしょうか?
増井 : すいません、1曲は無理です(笑)。
桜井 : いま出た話だと、それは無理って話だよね(笑)。
増井 : そういう意味ではどれも同じで、あの人はブレない。ずっと。自分が知っているのはやっぱりミュートのときに一緒にやって、そのときの音源とかライヴは、松永さんに関しては自分としてはコレさえあれば大丈夫という。
――いや、でもいまの言葉の方が逆にいろいろ聴いてみたくなるんじゃないかと思います。いまの話を聞いて聴き直して確かめたくなりました。愚問でした!
増井 : 1曲は選べないんです。全部なんです。でも、全部聴くことないんですよ。どれか1曲に出会ったときに、そこに全部ある。
桜井 : 亮太くんはあるんじゃない? 特にタンゴで。
小松 : いえいえ。でも、本当に他にああいうキャラの人はいないと思うな。松永さんは… さっきも言いましたけど「ベースってこういう音がするのか」って思ってたけど、社会に出てみたら「だれもこんな音を出していなかった」っていうね。
――でも、今日はじめて会った増井さんと小松さんがまったく同じそのことを言うってことは、そこに真理があるんだと思います。
桜井 : 良い言葉だね。
増井 : 松永さんができることを、他の人に求めても全然ダメだからね(笑)。「松永さんが悪いんだよ、ごめん」っていうね。
LIVE INFORMATION
~松永孝義 三回忌ライヴ~
『QUARTER NOTE』CD発売記念ライヴ
2014年7月11日(金)@西麻布「新世界」(http://shinsekai9.jp/)
開場 : 19:00 / 開演 20:00
料金 : 前売り予約 ¥3,500(ドリンク別)
出演 :
松永孝義 The Main Man Special Band
桜井芳樹(Gt) / 増井朗人(Trb) / 矢口博康(Sax,Cl) / 福島ピート幹夫(Sax) / エマーソン北村(Key, Cho) / 井ノ浦英雄(Drs, Per) / ANNSAN(Per) / 松永希(宮武希)(Vo, Cho) / ayako_HaLo(Cho)
ゲスト :
松竹谷清(Vo, Gt) / ピアニカ前田(Pianica) / Lagoon / 山内雄喜(Slack-key. Gt) / 田村玄一(Steel. Gt)
●INFO・チケット予約・お問い合わせ先
西麻布 「新世界」
http://shinsekai9.jp/2014/07/11/the-main-man-special-band/
TEL : 03-5772-6767 (15:00~19:00)
東京都港区西麻布1-8-4 三保谷硝子 B1F
PROFILE
松永孝義
国立音楽大学時代はクラッシックを専攻。1980年代、東京ダウンビート黎明期、伝説的なDUBバンド“MUTE BEAT”で、それまでの日本では無かったドープなグルーヴを創造した名ベーシストであり、後にフィッシュマンズやリトルテンポといったフォロワー、チルドレンを生んだ。又時を同じくして“小松真知子とタンゴクリスタル”に参加。タンゴのベーシストとしても生涯活動し続けた。
《ライヴ / レコーディングセッションなどで交流のあったアーティスト》
ジョー山中 / 篠原信彦 / カルメン・マキ / 高田渡 / 大原裕 / トマトス / JAGATARA / 篠田昌巳 / ピアニカ前田 / 屋敷豪太 / ヤン富田 / いとうせいこう / 高木完 / 上野耕路 / 原マスミ / ピチカート・ファイブ / UA / bird / 畠山美由紀 / くじら / LOVE JOY / 近藤達郎 / 清水一登 / 芳垣安洋 / 勝井祐二 / 鬼怒無月 / サンディー / ケニー井上 / 岡地曙裕 / 山内雄喜 / ゴンチチ / BEGIN / 平安隆 / ハシケン / RING LINKS / 土生剛 / icchie / ロンサム・ストリングス / 中村まり / 小松亮太 / 千住宗臣 / ミト / ハンバート ハンバート etc.
桜井芳樹
エレクトリック&アコースティック・ギターの他、ウクレレ、マンドリン、バンジョー、ブズーキ、スティール・ギター、等も演奏。フォークロアから時代性、そして超時代性、様々な形態と創造性を駆使したスタイルで躍動感に満ちた音楽性を披露し評価を得る。
現在、主宰のユニットである田村玄一(Steel Guitar)、原さとし(Banjo)、千ヶ崎学(Contrabass)(前任者は松永孝義)とのロンサム・ストリングス以外に中尾勘二(Sax, Klarinette)、関島岳郎(Tuba)、久下惠生(Dr)とのストラーダ、キリンジ堀込高樹(Vo, Gt)主宰のグラノーラ・ボーイズにもメンバーとして参加の他、サポートミュージシャンとして、幅広くレコーディングやライヴ、コンサートに参加。その他、プロデュース、アレンジ、映画音楽、CM音楽等と活動は多岐に渡る。
松永孝義とは90年代半ばくらいから度々のレコーディングセッションやライヴサポートで一緒に演奏する機会が増え、その後、97年に桜井がリングリンクスのサポートに参加。99年にロンサム・ストリングス結成に松永が参加する。2000年以降は、The Main Man Special Bandやロンサム・ストリングスの他、小松亮太、カルメン・マキ、酒井俊、湯川潮音、鈴木祥子、等々、数々の現場を共にした。2012年春録音のロンサム・ストリングス&中村まり『Afterthoughts』(ミニ・アルバム+DVD)は松永の遺作となってしまったが、奇しくも映像も収録されている。
増井朗人
1963年10月21日 大阪府出身。
MUTE BEAT / THE THRILL / KEMURI / THE MANのメンバーとして、またLA-PPISCHの不動のサポートメンバーとして活動。Rock Bandの中のTromboneという立ち位置にこだわり続け、それまで付属物でしかなかったRock BandのTrombone・Hornsを主役級の位置にまで引き上げ独自のスタンスを確立。後進のホーンプレイヤー達にも多大な影響を与え続ける。
2000年から2年間の療養生活を経て現場に復帰。療養中を含む過去の経験と考察をもとに管楽器の吹奏に関する独自の理論を考案。それに基づいて後進の指導を始める。同時にプロデュース・アレンジ・ホーンディレクション等の活動も並行して行う。
現在は冷牟田達之(ex.東京SKA PARADISE ORCHESTRA)率いるTHE MANを脱退。ミーカチント(ex.浅草ジンタ)・田中カズ(勝手にしやがれ)と共にJAZZをベースにした新バンドを結成。また和太鼓奏者とのユニットで時代・ジャンル・地域性などの垣根を取り払った音を模索中。
《過去の主な共演者》
Maceo Parker(JB's) / 清水靖晃 / Mighty Diamonds / Max Romeo / Roland Alphonso(SKATALITES) / Gladstone Anderson / Rico Rodrigues(敬称略)
《レコーディング・ライヴ・サポート参加》
上田現 / 元ちとせ / THE BOOM / HAKATA BEAT CLUB / CIOCOLATA / モーニング娘 etc.
小松亮太
1973年生まれ。14歳よりバンドネオンを独習。98年のメジャー・デビュー以降、タンゴ演奏家としてアルゼンチン演奏家協会、アルゼンチン音楽家組合、ブエノスアイレス市音楽文化管理局などから表彰され、自己名義のアルバム制作(ソニーミュージック)は20枚を数える。
現在はTBS系列「THE 世界遺産」の番組オープニングテーマ曲を作曲、演奏している。松永氏との知己は1986年頃(中学1年生)からで、プロ・ミュージシャンへの道を歩む選択する中で多くのアドバイスを受けたという。