喜怒哀楽のあわいを表現する──the hatchがみせた折衷と調和の現在地 【In search of lost night】

固有の表現/場のあり方を追求するアーティスト、パーティー…etcを取り上げる連載【In search of lost night】。久々の更新となる今回は、札幌から東京に拠点を移し活動するバンド、the hatchに話を聞いた。
3rdアルバム『333』のリリースに際して行ったこのインタビュー。昨年夏に加入した安齋草一郎(per.syn)と、山田碧(vo,tb)の二人を迎え、聞き手はバンドの旧友でありSF(SoulFul)作家の山塚リキマルにお願いした。ハードコア・パンクとフリージャズをポスト・パンクの折衷主義に取り込んだ初期のサウンドから、その炎を起点にアフリカン・ポリリズム、スピリチュアル・アフロ・ジャズに取り組み、根源的なダンスとワンネスを体現するまでに至った経緯について。そして、今回話を聞いたふたりのDJ活動がバンドにどれくらい影響しているのか、札幌の刺激的なローカル・シーンがギュッと詰め込まれた〈THE JUSTICE〉の理念についてなど、知りたいことはたくさんあった。
ラフにシリアスに、ふたりの口から語られる言葉は新鮮でハッとさせられる瞬間が何度もあった。肩の力を抜いた生活のムード、「みんなで考え続ける」ためのパーティー、コントロールを手放してみる制作方法およびコミュニケーションの変化、それら全てが作品の一部を担っていることがわかる内容になっていると思う。
3rdアルバム333!
INTERVIEW : the hatch

本稿は、3時間にわたっておこなわれたロング・インタビューの記録である。 まず最初に申し述べるが、オレはかなりの身内(みうち)で、 彼らとは同じ北海道出身であるし、 the hatchも1stリリース以前からライブを観ているし、 ていうか一時期はみどり宅に週4で遊びに行っていたし、 このインタビューが終わったあとも家に帰って酒飲みながら4時間ぐらいダベっていた。 (ちなみにそうちゃんも週2でウチに来る)
そんなズブズブの関係にあるオレがインタビューをしたところで、 果たして面白くなるのだろうかと戦々恐々としていたが、 「あ、そんなこと考えてたんだ」と思う瞬間がいくつもあった。 どれだけ近くにいたって、わかんないことってたくさんある。
取材直前に届けられた3rdアルバムは、ありえないぐらいカッコよくて、静かに斬新だった。 こんなすごい作品をつくっているやつが友達ということが勝手に誇らしくなるほどだった。
このインタビューを読んでもらえばきっと伝わるものと信じているが、 the hatchは、誠実で、不器用で、そしてなにより音楽が好きで好きでたまらない、 グッド・ハートのナイスガイである。 それだけは確信をもっていえる。
最後に、この取材はふたりとも1時間遅刻した挙句、多摩川で行われたフォト・セッションでは開始5秒でふたりしてウンコを踏んだせいで撮影が一時中断するなど、実に“らしい”ひとコマがあったことも付け加えておく。
インタヴュー&文 : SF作家 山塚リキマル
写真 : 山田翔太
自分のやりたいことはもう一人いなきゃ表現できないんだと思った
──まず、ここ数年のバンドの動向について聞きたいんだけど、碧が東京に来たのっていつだっけ?
山田碧(以降、碧):まず、東京じゃなくて神奈川県民っていうのはいっておきたい。2022年から川崎在住。
──失礼しました。引っ越したきっかけは?
碧:自分でいうのもアレだけど、札幌の狭い中だけど顔が広くなりすぎちゃったというか。常日頃の生活のなかで、気を使わないといけないことがあまりにも増えすぎて。自分があんまり認識されてない場所に住みたかったから、それで神奈川って感じ。
──引っ越してなにか変化した部分とかある?
碧:自分らしくいられるように場所を移したから、こっちに来てなにかが大きく変化した実感はないかな。東京に対してなにかを期待して来たワケでもないし、正直札幌のシーンの方が面白いと思ってる。

──東京に出てきた2022年に2nd『shape of raw to come』を出したじゃん。そのころのツアーの話から聞きたいんだけど。
碧:あんまり覚えてない(笑)。あの頃は転換期というか、自分がやりたいことに対して技術や理解度が追いついてなくて。ライブの表現も試行錯誤しながら苦悩してた時期だった。1stの頃はハードコアとかインダストリアルな部分が多くて、そこにもっと自分の好きな音楽を取り入れたいって欲求から2ndを作ったんだけど。自分のなかでは不完全というか、理解しきれてないまま制作しちゃったから。いまあんまり2ndの曲やってないもんね?
安齋草一郎(以降、草一郎):あんまやってないね。
碧:そういう理由で、2ndの頃のライブは楽しかったとか印象的だったみたいなのってあんまり無いんだけど、カナダツアーはすごい面白かったね。海外から見てもちゃんと面白いことやれてるんだなって実感できたし、Jonah Yanoとも仲良くなれたし。でも2ndの時期は、ずっと模索してた。
──その模索の末に、メンバーを増やそうと思い至った?
碧:うん。自分のやりたいことはもう一人いなきゃ表現できないんだって思って、みんなで話し合った。でも、こういうのがやりたいって一言で説明できる音楽じゃないから、そこをちゃんと汲み取ってくれる人とかいんのかなって思ってたら、いた。
草一郎:ぼくが初めてthe hatchを観たのは、2ndツアーの札幌Besshi Hall。
碧:そのとき17歳とかだよね。
草一郎:でもその前に会ってる。飛生芸術祭で、OLAibiさんと碧くんが影絵の音楽やってたときに、ちょっと喋って。それでBesshi Hallでやってたライブを観に行った。
碧:んで、2年前の〈THE JUSTICE〉にDJで誘ったら、初っ端からかましまくってて、こいつやばいってなって。そうちゃんのせいでは無いけど爆音でミキサー壊れたし(笑)。そのときはまだメンバーに入れたいとか思ってなかったけど。
──そうちゃんはそのときまだDJは全然やってなかったんだよね。
草一郎:二回目かな。PROVOで一回やってたけど、実質初めてぐらいの感じ。でもそこからDJめちゃくちゃハマって。
碧:バンドに誘ったのは去年の〈THE JUSTICE〉終わりかな。
草一郎:夕張行ったとき。
碧:そう、夕張でthe hatchの撮影をするときにそうちゃん連れてったんだけど、そこでの立ち振る舞いを見て、こういう人がいたらいいなーって思った。そのときからバンドやりたそうにしてて、友達とスタジオ入ったりキーボード買ったりとかしてたし。で、パーカッションで入ってもらおうと思って、まず最初にシェーカーを買った。あのとき、二人でひたすらシェーカーを振りまくったよね。
草一郎:中身が円を描くことを意識して……みたいな話とかめっちゃした。
碧:『NARUTO』の螺旋丸みたいな感じで(笑)。 まだ彼は学生気分が抜けてなかったから、誰かが見てないとできないって言われて(笑)。だから毎日俺んちに連れてきて。2人で練習して、一緒に上手くなってった。
草一郎:8月に上京してきたんだけど、毎日、昼から終電まで練習みたいな。
碧:ホントまるまる一ヶ月。そもそも楽器経験のない人がいきなりやることじゃない上に、the hatchの曲だからね。曲がムズいから(笑)。

──そうちゃんが加入することで、既存曲もアレンジし直したの?
碧:うん。でも、欲しかったイメージっていうか埋めてほしい部分がある程度存在してたから、アレンジを悩むことはなかったかな。いまのそうちゃんの技術でどう補っていくかっていうのを、彼の成長を見ながら当てていった。
──そうちゃんはいきなりパーカッションをはじめて、しかも一ヶ月後にはライブを控えてたワケだけど、どんな心境だったの?
草一郎:楽しくなかったワケではないけど、ずっと毎日緊張みたいな感じだった。
碧:告知のタイミングまでに見込みがなかったらクビにしますって脅してた(笑)。で、見込みはなかったんだけど(笑)。今日から毎日練習しますって約束して、なんとか。
草一郎:バタバタだったよね(笑)。8月はレコーディングもあったし。
碧:そう、3rdのベーシックを録りはじめてて、最初の録音があって。
──その時点でそうちゃんはどのぐらい参加してたの?
碧:結構いろいろやったよ。映画の『ボヘミアン・ラプソディ』の1st録るシーンみたいに、みんなでせーので録るときに入ってもらったり。そうちゃんのポテンシャルもまだ未知数だったから、半分記念みたいな感じで録ってたけど。





















































































