社会のなかの音楽とは?
──「これ良いな」と思ってヒントにしてアルバムを作り始めて、半年くらいかけて作ったら、もう、流行が二周りくらいしてしまっているという。
そう! (笑) 本当にそれ! (笑)。だからどうするかっていうとフットワーク軽くパッと作ってパッと出してリリースする方が良いってなる。だからバンドの人たちはなかなか対処できないんですよ。時間がないだろうしスタジオ押さえるのも大変だしプリプロダクションするのも大変だし、ってやっていると、どんどん打ち込み中心に回ってしまいがちですよね。それは私たちもけっこうそうですけど。
──ええ。
私たちは1999年のJ-POP、J-ROCK全盛の時代に出てきたバンドなので、あの時の熱量があったその感覚というか、感じを覚えてる。もうちょっと音楽がエンタテイメントとして機能していたというか……バンドや日本のロックと言われているものが社会にコミットしていたような気がするんですよ。なんか今は、自分たちのやっていた内容、時代の中でやってきた音楽っていうのが、どんどん社会から遠ざかって行っているんじゃないかなって思った。リスナーもJ-ROCK、J-POPを作っていたその時代の人たちも……社会からどんどん遠ざかっているような気がするというか。
──社会の中にいる音楽って何ですか?
今、社会にいるのは、何でしょうね…日本で言ったらやっぱりアイドルになるんじゃないですか。
──ミトさんはアニソンとかアイドルとか色んな仕事をやっているけど、やっぱり社会のど真ん中のポップカルチャーを担っているという自覚がある?
(笑)うわー。これ、「はい」とか言ったら俺、本当に嫌なやつですよね(笑)。まあ、普通の人よりはいますよ、現場には。いますけど、担っているかと言われると……けっこう精一杯かな。昔と違って今の作家って、たとえばバンドマンとかもそうですけど、いただいたクライアントのニーズに応えることが重要だってことに気づいているんですよね。気づいているというか、自覚しながらやっているという方がいいのかな。だからもうクライアントから発注のものは、なんだったら自我を消してもいいくらいの気持ちで作っている子がすごく多くなっている。
──へえ、そうですか。
昔の私たちと違うんですよね。昔の私たちはできることとできないことがあって、私たちにはこれぐらいしかできない、でもクライアントさんはこうやってほしい、そこでぶつかり合って本当に喧々諤々になってどうにか作り上げる、みたいな。
──あなたの言っていることに全部従ったら私がやる意味はないじゃないですかくらいの。
そうそうそう。教授(坂本龍一)が亡くなる直前に関ジャムさんかなんかの番組用に回答したアンケートの一部を抜粋してやっていましたけど、そこで教授は言っていましたよ。もう本当にやりたくないって。人の言うことを聞きながら音楽を作るっていうのは、本当にやりたくないって。教授でさえ言うか!っていう。でも、すごいわかるんですよ。その時、その人がそういう風にこだわって作ったものの良さ。でも今の子たちって、基本的にもう、リテイクも大丈夫、全然問題ないし、みたいな。全員が全員とは言わないですけど。音を聴くとわかるんですよ。この人、ちゃんとクライアントに応えてこの歌詞を入れたんだ、とか。でもうちら(の世代)はそこで、分かっていそうでいて分からないものをひそかにねじこんだりとか。そういうのを、たぶんめちゃめちゃしてたと思うんですよ。
──聴く人が聴けばわかる、みたいな。
そうそう。でもそういうねじ込ませ方とか、もう一切ないんですよ。全く別のものが何かを作ったんじゃないか、みたいな。
──なんならAIが作ったんじゃないか、みたいな。
くらいの!(笑) そういうものが多くて…ちょっとびっくりするなぁって思う。
──それはどうなんですか?そんなの俺は絶対やらねぇぞって思うのか。
いやいやいやいや、できるんだったらやりたいですよ!
──やりたいんですか。
やりたいですよ。私はそういう所のアイデンテンティは別にどうでも良いと思っているから。
──ふーん……
もちろんクラムボンは別ですよ。そこは全然別の話なので。クラムボンはエゴで作っている音楽なので。自分のエゴと原田さんのエゴと大助さんのエゴがぶつかり合って作る音楽だと思っているし。でも個人としては機械のように曲を作りたいレベルの人間ですね!
クラムボンを現代のシーンにちゃんとコミットできるような課題
──昔、エイフェックス・ツインが言っていましたよ。感情を一切排した音の組み合わせだけの音楽が一番いいって。その時は変なことをいう奴だなって思ったけど。
思っていたけど、今ならわかるかもっていうね(笑)。結局グラミー獲っちゃいましたからね。
──その、クライアントに言われるがまま、自分のエゴを押し殺した形で音楽を作るような、そういう若い人がすごいなって思う気持ちがあって、なおかつ、例えばクラムボンとして受けたCMの仕事とか劇伴の仕事があるわけじゃないですか、それはどういう関係性なんですか?
そこは僕的にはクラムボンっていうバンドを、現代のシーンにちゃんとコミットできるような課題を作っていくイメージですね。言ったらあれですけど、やっぱり自分たちのケツを叩く必要性があって。エゴで音楽を作っているとは言いつつも、ちゃんとアンテナは立てておかないといけない。そこの筋トレみたいな感じですかね。
──今回のアルバムは全曲、歌詞もミトさんが書いてますね。原田さんじゃなく。それはクライアンの要求に応えるという作業があるから、ということですか。
うん、そうですね、まさに。基本そういう仕事の締め切りってそんなに長くないですからね。相手の要求を読み取って応えようとすると、郁子さんだけに任せちゃうと間に合わなくなっちゃう。彼女の場合は本当にいろんなものを全部集めて言葉に収めようとするので。何て言ったらいいのかな。指向性が強いテーマってあんまり向いてないと思うんですよ、原田さん自身。
──目的がはっきりしているもの。テーマが最初からはっきりしているもの。
そうそうそう。クラムボンぐらいの多角的というか、テーマを限定しない場合はそれでもいいんです。でもそういうテーマがはっきりしている場合は、確実にピンポイントでこの言葉、だったりがあったりするので、そういうのは、メロと一緒に考えちゃった方が早いって言うこともある。
──それはクライアントの要求プラス、自分の自我みたいなものの闘いっていうものがそこにあるわけですか。自分の自我っていうかクラムボンとしての自我。
そうですね、やっぱりメロを作っているのは自分なので、そのメロに音節的に合わせてしっかりちゃんと伝わるようにするってことになると、たぶんものすごいシビアには、なると思います。自分のメロって、ものすごく音節重視だなって最近気づいたので。自分でリリック書いたりしているから特にそうですけど。音程が上昇するときに欲しい母音は大体この流れとか。下降するときに使いたい子音は大体これ、とか。