【連載】〜I LIKE YOU〜忌野清志郎──《第8回》高橋靖子
INTERVIEW : 高橋靖子(フリー・スタイリスト)
忌野清志郎といえば、ステージやテレビ番組、CM出演時のド派手なファッションがすぐに目に浮かぶ。そんな清志郎の衣装スタイリングを手掛けた中のひとりが、今回ご登場いただく高橋靖子さんだ。1960年代からフリーランスで活動をはじめ、日本のスタイリストの草分け的存在として、デヴィッド・ボウイら数々のロック・アーティストのステージ衣装のスタイリングを手掛けてきた“ヤッコさん”こと高橋さんから見た普段の忌野清志郎は、とてもシャイで純粋な人物だったようだ。
企画・取材 : 岡本貴之 / ゆうばひかり
文・編集 : 岡本貴之
撮影 : ゆうばひかり
ページ作成 : 鈴木雄希(OTOTOY編集部)
協力 : Babys
清志郎さんはとてもシャイな方でした
──高橋さんはみなさんに「ヤッコさん」と呼ばれていらっしゃるそうですが、私たちもヤッコさんと呼ばせていただいていいですか?
高橋 : もちろんです、そうしてもらった方がうれしい(笑)。
──ありがとうございます! では最初にご紹介させていただきますが、ヤッコさんは日本初のフリーランスのスタイリストとして知られていますね。ただ、最初は文章を書く仕事が出発点だったんですよね。
高橋 : そうですね。若い頃って何をやったらいいかわからないでしょ? 最初のとっかかりとしては、広告で「コピーライター」というものがあることを知って、学校に行きながら夜にコピーライター講座に通っていたんです。それで学校を卒業して表参道の交差点にあった「セントラルアパート」(1960年代から1970年代にかけて若者文化の象徴となった東京・表参道の住宅・商業施設)」の中にある広告制作会社に就職したときに、私が1番若手だったので、なんでもお手伝いをしていたんです。撮影のときには撮影道具や衣装を揃えたりすることを自然にしていたんですね。そうしたら、いつの間にかそっちの方が得意になってきちゃったんです(笑)。それでニューヨークに行ってスタイリストさんたちの仕事を見たりして、スタイリストとして仕事をはじめました。
──ニューヨークには最初、ほとんど英語が喋れないまま行ったんですか?
高橋 : いまでもそんなに喋れるわけじゃないんですけどね。通じる程度で。でも、スタイリングを担当したアーティストの方々ともフィーリングでコミュニケーションしてましたね。あとになってデヴィッド・ボウイともすごく仲良くなって、しんみりと人生の話をしたり、深い話をした覚えがあります。どんなお話をしたかは忘れちゃったけど(笑)。仕事のお付き合いだけじゃなくて、“人生の友”みたいなところはありましたね。それはすごく良かったなって思います。
──清志郎さんとの出会いはそれからかなり時間が経ってからになると思いますが、どんなきっかけがあったのでしょうか。
高橋 : おそらく、清志郎さんの事務所の代表の方との関わりだと思います。
──お仕事をご一緒されるまで、清志郎さんの音楽は聴いていらっしゃったんですか。
高橋 : 聴いてました。そんなにたくさんは知らなかったですけどね。
──最初に会った清志郎さんには、どんな印象を持ちましたか。
高橋 : 優しい方でしたね。それと清志郎さんの特徴というか、もともとシャイな方ですから、私も影響されてふたりで向かい合ったときにお互いにシャイになっちゃうんですよ。こっちもそんなに「清志郎さん!」とかって話しかけたりはしないですから。でも、それが悪い方向じゃなくてなんとなく良い方向に行ってた気がします。
すごく華やかでキュートな衣装を作っていました
──ライヴの際にスタイリングされたときは、衣装のアイデアから関わっていらっしゃったのでしょうか。
高橋 : そうですね。「今回の衣装はこういうものにしよう」とか。すごく華やかでキュートなものを作っていました。
──デヴィッド・ボウイやマーク・ボランのスタイリングを手掛けたことがそこにも反映されていましたか?
高橋 : 衣装はアーティストの方それぞれのものがありますからね。清志郎さんの周りにいた方々は、もしかしたら私のことをそういう目で見ていたかもしれないですし、それで声をかけてくださったのかもしれないですけど、私の方はあんまりそういうことを意識してはいなかったです。そういう話を清志郎さんとしたこともないんですけどね。
──では、衣装について清志郎さんとはそれほど意見を交換するような感じでもなかったですか。
高橋 : 「こんなのどうですか?」って、こっちが具体的に見せると「OK!」っていう感じで。お互いシャイですから、そんなに会話はしなかったですね(笑)。
「これはダメ」なんて言われたことは1度もないですね
──CM撮影でのスタイリングもしていらっしゃったんですよね。
高橋 : CMはずいぶんやりましたね。清志郎さんのCMはいろいろやったと思います。
──清志郎さんが「うまいぜ〜!」と叫ぶ「キリン ラガービール」のCMは有名ですけど、このときの撮影はどんなことを覚えていますか?
高橋 : このときは、素材から集めて衣装を全部作ったんです。
──虎柄のものすごく派手な衣装で。これを着こなせるのは清志郎さんだけですよね。
高橋 : そうですね、すごいですよね。これはなんとなく清志郎さんをイメージして作りました。こういうのを清志郎さんはすごく喜びましたから。キャッキャッと喜ぶわけじゃないですけどね。こちらの出してきたものをなんでも喜んで着てくれました。「これはダメ」なんて言われたことは1度もないですね。なんとなく、私が昔からロック・アーティストのスタイリングをやっていたのを知っていてくれたからかもしれないですね。
──清志郎さんの衣装を作るときに、注意したことや強調しようと思っていたことはありますか。
高橋 : いや、そういう注文もないし、こっちもそういうことじゃなしに、パッと浮かんだイメージから作っていました。清志郎さんの気持ちと、ディレクターさんの表現したいものを、自分のなかでいろいろと組み立てて、ポッと浮かんだイメージを清志郎さんとディレクターの両方にお話ししてやっていました。それは自分にとって快適な仕事だったと思います。こうやって改めて考えると、お声がけいただいてすごく恵まれていたなって思いますね。
──日本生命「ふれ愛家族」のCMもヤッコさんが手掛けたものですね。ライヴハウスで「メロメロ」(忌野清志郎 Little Screaming Revue名義で1997年6月18日にリリースしたシングル)を歌っているものですが、ラガービールのCMとはガラッと変わってシックな衣装ですね。
高橋 : そうですね。カッコイイですよね。途中で出てくる駅のシーンは私服っぽいですけど、こういう衣装もこちらが用意したものです。たまたま私服で着ていたものが良くて「そのままやろうよ」みたいにディレクターが言うときもありますけどね。
──清志郎さんって、過激なことを歌ったりするのに生命保険のCMのオファーが来るっていうのがすごいですよね(笑)。
高橋 : そうですよね、すごいですよね(笑)。
──ヤッコさんにとって、清志郎さんは心地のよい仕事ができる存在でしたか。
高橋 : そうですね。それはそう思います。ただ、清志郎さんだけに限らず、スタイリストという仕事は、才能があってチャーミングな人に巡り合う機会が多いわけなんです。カメラマンとかディレクターとか、そういう人たちも含めたお付き合いの中でいろんな方との出会いがあって。人と知り合ったり交わったりする仕事で、本当にありがたいなと思います。そんな中に清志郎さんもいた感じですね。
──人との自然な繋がりの中から、清志郎さんとの仕事が生まれて行った感じで。
高橋 : 清志郎さん自身が、ガンガン人と関わっていく感じじゃなかったんじゃないかな、と思うんですよね。ちょっと間にひと呼吸あるというか、独特の空気感がありました。そういうところが好きでしたね。そういう人から魅力的なものを引き出すのが私たちの仕事ですから、そういう意味では、そういう方々と出会って仕事ができていることは恵まれていると思います。
本当に清志郎さんは“純の塊”っていう感じの方でした
──ヤッコさんの本に、自転車に乗ってる清志郎さんをヤッコさんが走って追いかけている写真がありますけど、どちらも子どもみたいな感じでいいですよね(笑)。
高橋 : そうそう、ずいぶん前ですけどね。走って自転車を追いかけました(笑)。本当に清志郎さんは“純の塊"っていう感じの方でした。
──ライヴでの清志郎さんにはどんな印象を持っていましたか?
高橋 : ライヴでの清志郎さんは、本当に魂とか純な感じがコロコロステージを転がっているような感じで、観ていてすごく良い気分になりましたね。
──ご自分が手掛けた衣装を身に着けた清志郎さんがステージに上がると、誇らしい気持ちになったのでは?
高橋 : うれしいな〜って思いますよね、自分の中で。でも、人にそういうことは言わないですけどね。自分の中でじわじわと嬉しかったです。それはステージにしてもCMのお仕事にしても、なんでも同じですけどね。そういう気持ちでやってました。
誰にも似ていない声がすごく良いですよね
高橋靖子が選ぶ忌野清志郎の3曲
①「メロメロ」
②「スローバラード」
③「JUMP」
──では、ヤッコさんが好きな3曲とアルバム1枚をご紹介させてください。事前に挙げていただきましたが、まず1曲目は、日本生命「ふれ愛家族」のCMで使われていた「メロメロ」ですね。
高橋 : すごく「清志郎さんらしいなあ〜」って思いました。そんなに激しいとか強い感じというよりは、清志郎さんらしい曲だなって。誰にも似ていない声がすごく良いですよね。
──2曲目は「スローバラード」(1976年1月21日)。
高橋 : 本当に良いバラードですよね。良いと思いませんか?
──めちゃめちゃ良いと思います!
高橋 : 良いですよね。本当に切なくなっちゃいますよね。こんな歌を歌える人っていないですよね。
──本当にそう思います。3曲目は「JUMP」(2004年11月26日)ですね。2008年2月10日に日本武道館で行われた〈忌野清志郎 完全復活祭〉のオープニング曲でした。
高橋 : 〈完全復活祭〉には私も行きました。なんて良い曲なんでしょう。たぶん、清志郎さんってすごくデリケートなんでしょうね。何かそういうものを感じます。強そうに見えて本当はすごくデリケートな人。「JUMP」を聴いてそう思いました。
──清志郎さんが書く歌詞についてはどう思われますか?
高橋 : 清志郎さんの歌詞はすごく言葉が入ってきますよね。聴き流してしまうんじゃなくて、心に届く言葉だという気がします。清志郎さんは年齢を重ねてもとても純粋だったんだと思います。
──ではアルバムを1枚教えてください。
高橋 : アルバムは、『Baby #1』(ベイビー・ナンバーワン / 2010年3月5日)でお願いします。最近、気に入ってよく聴いていました。
高橋靖子が選ぶ忌野清志郎のアルバム
私の中の清志郎さんは、シャイで純なところが1番記憶に残ってますね。そういう方だったと思います
──では最後に、若い音楽リスナー、アーティストに向けて清志郎さんのどんなところをとくに知って欲しいかメッセージをお願いします。
高橋 : 私は、清志郎さんとお友だちみたいに私生活の遊びとかでお付き合いがあったわけではないんですよね。でも、考えてみたら清志郎さんにはいろんなチャンスをいただいたなって思います。こんなことを言ったらおこがましいですけど、お互いに共鳴するようなところがあったんだと思います。勝手にそう思っています(笑)。それとやっぱり、私の中の清志郎さんは、シャイで純なところが1番記憶に残ってますね。そういう方だったと思います。
【>>>第9回は6月1日に掲載予定。お楽しみに!】