歌と笑いの殿堂、令和の嘉門タツオ・パラダイス、ここに開幕

“鼻から牛乳”や“替え唄メドレー”など、平成初期において、その切れ味鋭いコミック・ソングで歌に「爆笑」を誘い込んだシンガー・ソング・ライター、嘉門タツオ。令和の現代の世でもそのアップデートされた歌詞で、パワフルな現役だと言うことを知らしめている、そんなニュー・アルバム『至福の楽園~歌と笑いのパラダイス~』がリリースされた。平成初期、1990年代初頭を小〜中学生としてリアルタイムを生き抜いた人々には、ふと生活のなかで、とある歌謡曲が“替え唄メドレー”の嘉門タツオ・ヴァージョンで口ずさんでしまうことなんてあるんではないだろうか? そんなインパクトに富んだ言葉運びが中毒性を生む。内容にしても、他の歌にも通じることだが、どこか元祖あるある系の歌ネタとも言えそうな、日常を切り取った言葉で、歌から笑いを生んでいった。そんな彼のひさびさのメジャー作となる本作。“小市民”や“鼻から牛乳”といった名シリーズの新ヴァージョン、さらには有名ポップ・ソングの替え唄、そして書き下ろしの楽曲まで収録。こうした笑いとともに過去の作品でも時折見せる、ブルージーかつハートフルな側面の楽曲まで、令和の時代にあるべき嘉門タツオの新たな歌が示された作品となっている。
28年ぶりとなるメジャー・リリース作品をロスレス配信中
“鼻から牛乳~令和篇~”、そして伝家の宝刀、替え唄などなどその「笑い」と、嘉門のもうひとつの持ち味でもある「ハートフル」な楽曲まで、今様にアップデートされた嘉門タツオ・ワールドが楽しめる1作
INTERVIEW : 嘉門タツオ

嘉門タツオの新作アルバムは、なんと28年ぶりのメジャーレーベルからのリリースなんだとか。嘉門タツオといえば、昭和~平成~令和と移り変わる時代の中、機知に富んだ楽曲で世の中のあれやこれやを歌ってきた、唯一無二のシンガー・コミックソング・ライター。そもそもこの人にメジャーもインディーもあるのか!?と思うほど、常にエンタメ最前線で歌い続けている印象だ。今作にも、“鼻から牛乳~令和篇~”、“ハンバーガーショップ~カフェチーノ篇~”、“小市民~昭和篇~”等代表曲をブラッシュアップした新作から、リアルタイムな世情を歌う “インバウンド・ブルー”、“大阪・関西万博エキスポ~港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ~”といった、お得意のオモシロソングが並んでいる。その一方で、終盤には古くからの仲間への惜別の歌 “バイバイ笑瓶ちゃん”が涙を誘う。まさに歌は世につれ世は歌につれ、時代の風を敏感に感じながら歌ってきた嘉門タツオの今を訊いてみた。
インタヴュー・文:岡本貴之
写真 : 沼田学
──今回、28年ぶりのメジャー復帰ということですが、こちらからすると嘉門さんの存在はずっとメジャーな気がします。
メジャーとインディーズの違いがどこまであるのかっていう時代ですからね。僕は5年前の還暦のときに、メジャーからベスト盤を出していますし、メジャーじゃないところから出した曲も、配信で聴けたりしますから。
──今日はアルバムのことはもちろん、嘉門さんのルーツについても訊かせてください。まずは今作についてですが、アルバムに至るきっかけは“鼻から牛乳”の新バージョンだったそうですね。
“鼻から牛乳”の新バージョンはライヴでもやっていたんですけど、どう発表しようかっていうのはまだ固めきれてなかったんです。そんなときに昔からずっと一緒にやっていたプロデューサーがライヴを観に来てくれて、「面白いね」って言うってくださって。そこから始まりました。
──“鼻から牛乳”は、これまでもいろんなバージョンが誕生してきましたが、新作ではどんなことを考えましたか?
つねにその時代の現代を歌っているので、当然何十年か前の曲は過去になって色あせることもあります。例えば “アホが見るブタのケツ” ってもう34年近く前の曲で、〈「アゴに何かついてるで」「え?(アゴを触る)「う~んマンダム」〉って言っても今は誰もわかりませんよね(笑)。でも、「わかりませんよね」っていうのが面白いんですよ。なんか今時じゃないなっていうことでも、ときが経つとそれがまた成立するときはやってくるし、そういう意味では、“鼻から牛乳~令和篇~”も“ハンバーガーショップ~カフェチーノ篇~”も、いい頃合の熟成の仕方をしてここにまとまったっていう感じですかね。
──“ハンバーガーショップ~カフェチーノ篇~”は、1989年に発表した以前のバージョンとの違いが一番ハッキリしているという意味で、時代の変化の象徴としてアルバムの1曲目にしたのでしょうか?
いや、そこはあんまり僕の意思とは関係なくて、プロデューサーが曲順を考えてくれて、ほぼその通りにやっています。50代のときに作ったアルバム3枚なんかはほぼ自分でたちで考えてやってましたし、自分たちの主観とうちの亡くなった奥さんとかの主観がすごく入っていたんです。今はそこからちょっと離れたところで、また違う方法でやってます。このジャケット写真なんかも、今まではこちらの要望で作ることが多かったんやけど、違う切り口も面白いなっていうことで委ねているところあります。
「もうない!」って思いながら地面を掘ったらそこからまた湧水が出てくるっていうことはある
──ド派手なジャケットですけれども、これはやはり万博の年というのもイメージされているんですかね?
そうです。あと、僕は「万博はモザイク」だと思っているんですよ。敷地の中にデザインが違うパビリオンがあって、一つ一つは違う個性が集まることによって全体としてのテーマ性を持っているっていう。これは横尾忠則さんもよく言うんですけど、関係ないものがいっぱいあって、モザイクなんですよね。脈絡のないものが繋がることによって意味を持つっていう、アルバムなんかは本当にそうだと思います。それは今回に限ったことじゃなくて、もう昔からずっとそうですけどね。万博開催の年にリリースするのは別に狙ったわけでもないんですけど、流れでハマった感じですね。
──“大阪・関西万博エキスポ~港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ”の原曲はダウン・タウン・ブギウギ・バンドの大ヒット曲ですが、嘉門さんの原点にはこういうロックバンドの曲もあるわけですか。
基本的にはフォークシンガーの人たちに影響を受けてますけども、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドはデビュー直後から見ていて、宇崎(竜童)さんのことはいまだに一番かっこいいなと思うぐらい影響を受けてますね。“港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ”は構造と構成がすごくよくできていて、ドラマチックじゃないですか?その形をそのままお借りできてよかったです。“港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ”って、僕が弟子入りしていた笑福亭鶴光師匠のカバーがあるんですよ。今はちょっと埋もれてるんですけど(1975年のLP『鶴光のかやくごはん』に収録)。
──そうなんですね!それは知りませんでした。
(鶴光師匠の口調で)〈一寸前なら覚えてますけどな 一年前だとちょっとわかりまへんな〉〈アンタ あの娘のなんだんねん〉って、全部大阪弁でやってるんですよ。弟子の頃にそれを聴いて「これはこれで面白いな」と思いながら、“港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ”はずっと僕の中にあったんです。今回は完全にカバーの形ですけども、20年ぐらい前には、“宅配便の兄ちゃんは見ている”っていう、“港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ”にすごく似たメロディーの曲を作って、宇崎さんに「偶然、似た曲が出来てしまいました」って報告したんですけど(笑)。そういう歴史も要所要所にありますね。
──そういうときは、作っているうちに似てくるんですか?それとも最初から意識して似た曲を作る?
それで言うと、以前出した “HEY!浄土”なんかは、構成とコードは“ヘイ・ジュード”(ザ・ビートルズ)に似てるけど別曲なんですよ。ただ、“ヘイ・ジュード”の持っている世界観で、現世からあの世を歌うという趣旨の総合的なものなので。それは曲によるので一概にどうとは言えないんですけど、あの曲みたいな曲っていうイメージを持って作ることも多々ありますね。
──浄土とジュードっていう言葉の響きから、単なるダジャレじゃなくてちゃんと歌に繋げていくところに、嘉門さんが長年活躍してきたセンスを感じます。日常的に頭の中で言葉とメロディーを考えているんじゃないかと思いますが、しんどいときもあったんじゃないですか?
そうですね。1994年なんか、毎月CDを出していたんですよ。あのときはもう、だいぶ消耗しましたね。「もうない、もうない!」って思うんだけど、次の曲を出さなあかんから。でもそこで無理やり生み出したやつが結構面白かったりするんですよ。自然には湧き出るものだけが良いもんではなくて、「もうない!」って思いながら地面を掘ったらそこからまた湧水が出てくるっていうことはあるので、どっちがいいとは言えないですね。
──世の中の動きからモチーフを得るのが嘉門さんの作風ですよね。今回だと、“インバウンドブルー”は今東京に住んでいる人はとくに感じてる内容だと思います。これは歌詞のモチーフとちょっとドン・キホーテのBGMっぽい曲調が繋がったわけですか?
ドンドンドン……そうか、そうやったんや!?今日は新たな発見が多いわ(笑)。

──いやいやいや(笑)。外国からの観光客の方々がよくドン・キホーテに行くから、そこを繋げているのかと思いました。
そういえば前に、イベントでみんながドン・キホーテの替え唄をやるときに、お手本をやったことがあったんですよ。それがどっかにあったんやね……いや、最初からありました、自分の中に。
──本当ですか(笑)。
(取材を通して)ようやくこのアルバムのコンセプトがわかってきた(笑)。もちろんレコード会社の人とかプロデューサーとかはわかってやってるんやけど、当事者はわからなかったんで。
──実際、“インバウンドブルー”はどうやって生まれた曲ですか。
プロデューサーさんが時代のことをすごく意識されてる方で、たまたま90年にも一緒に“無敵の海外旅行”っていう、日本人がパリとかに行ってブランドを買い漁ったりするっていう曲を一緒に作ってきたので、それが現在になると逆になるっていうことですよね。
──そういう過去に書いた曲との関連も多いアルバムなんですね。
他にもその要素はありますね。“理想のタイプ”が、“ハンバーガーショップ~カフェチーノ篇~”の2コーラス目になっていたり、“言うたらアカンがな”は、“イランこと言わんでええねん!”が(笑福亭)笑瓶ちゃんのフィルターを通してまた蘇ったり、そういうことですね。
── “言うたらアカンがな”は、笑瓶さんの口癖だったんですか?
そうそう。みんなが集まったらいっつも“言うたらアカンがな”って一晩の間に100回ぐらい言うんですよ(笑)。