2025/01/24 17:00

高橋健太郎x山本浩司 対談連載

『音の良いロック名盤はコレだ!』 : 第11回

お題 : ザ・ローリング・ストーンズ『Let It Bleed』(1969年リリース)

オーディオ評論家、山本浩司と、音楽評論家でサウンド・エンジニア、そしてOTOTOYプロデューサーでもある高橋健太郎の対談連載。本連載では、音楽、そしてオーディオ機器にもディープに精通するふたりが、ハイレゾ(一部ロスレス)音源と最新オーディオ環境を通して、改めて“音の良さ”をキーワードにロックの名盤を掘り下げてみようという連載です。毎回ロックの名盤のなかから「音の良さ」で作品を選び、解説、さらにはそのアーティストの他の作品、レコーディングされたスタジオや制作したプロデューサー / エンジニア、参加ミュージシャンなどの関連作品など、1枚の「音の良い」名盤アルバムを媒介にさまざまな作品を紹介していきます。

第11回は1969年リリース、数あるザ・ローリング・ストーンズのアルバムのなかでも、代表作といわれることも多い、まさにロックの古典中の古典『レット・イット・ブリード』を音の良い名盤としてとりあげます。

本連載11枚目の音の良い“名盤”

ストーンズ独特のスタイルの端緒となった名盤をDSDで聴く

本記事でフィーチャーされている楽曲のプレイリストはコチラ、ぜひ聴きながらお読みください

高橋:この対談連載はアメリカン・ロックの名盤を取り上げることが多かったんですが、2025年はブリティッシュもやりたい。ということで、山本さんに相談したら、今回はローリング・ストーンズの『レット・イット・ブリード』(1969年)がいいんじゃないかという話になりました。山本さん、それはどんな理由からですか?

山本:個人的に『レット・イット・ブリード』からの『スティッキー・フィンガーズ』(1971年)、それから『メイン・ストリートのならず者(Exile On Main St.)』(1972年)あたりのストーンズを一番よく聴いたというのもあるんですが、オーディオ・マニア的な観点からいっても、この時期のストーンズの魅力は大きいんですよ。マニアは初期のモノラル盤にこだわりがある人が多いですが、僕はグリン・ジョンズが関わっていたこの時期のサウンドに惹かれていて、彼の話もできるといいなと思ったんですよ。

高橋:なるほど。『レット・イット・ブリード』は2002年にSACDが出て、僕はそれを買ったんです、ロックのSACDに飛びついて買ったというのは、『レット・イット・ブリード』が最初だったかもしれない。

山本:そうそう、このSACDはフラット・トランスファーを謳ってたと思うんですが、ナチュラルな良い音だった。今回、OTOTOYで販売されているDSD版も聴きましたが、これも良かったですね。トランスペアレントというか、空間の中に楽器が息づいている感じがして。

高橋:2002年に最初のSACDが出て、2019年に50周年のボックス・セットが出て、そこにもSACDが2枚含まれていました。OTOTOYで売っているDSD版はその2019年版のリマスターのDSDなので、最初のSACDとは少し音が違うとは思いますが、基本的には派手さを狙ったものではいない、ナチュラルなサウンドですよね。

こちらは50周年ボックスの24bit/192kHzヴァージョン

編集部註 : 『レット・イット・ブリード』のハイレゾは、文中にある2019年のDSD(DSF 1bit/2.8MHz)と24bit/192kHzの他に、同50周年の24bit/96kHz版。さらには2014年リリースのDSD(DSF 1bit/2.8MHz)24bit/176.4kHz24bit/88.2kHzなどが存在する。

山本:「DSDって音は滑らかだが、何か力強さには欠けるよね」みたいなことを言われがちなんですが、全然そんなこともないですね。

高橋:「ストーンズを聴くのにDSD?」と思う人もいそうですけれど、『レット・イット・ブリード』はスタジオのエアー感とか、そういう部分にサウンドの魅力があるので、むしろ向いていると僕も思います。もちろん、24bit/192kHzのきりっとした音も良いですけれど。

山本:これ1969年ですよね。 グリン・ジョンズはその頃、ツェッペリンのファーストも録っている。

高橋:はい、ツェッペリンのファーストも当時ストーンズが拠点としていたロンドンのオリンピック・スタジオで、グリン・ジョンズが録っています。オリンピック・スタジオはこの時代のロンドンで最も尖った、新しいサウンドの追求の場だった。ビートルズはアビー・ロードで録音していましたが、EMI所有のスタジオは機材も古かったり、規律もうるさかったり。

山本:エンジニアが白衣を着ているという(笑)。

高橋:そう、それで実験的なことがやりにくかったり。だから、ジョン・レノンなどはオリンピック・スタジオを使えるストーンズを羨んでいて、夜になると、毎晩、オリンピックにやってきて、入り浸っていたという。

山本:ストーンズの連中と色々語り合ったり、実験したりしていた。

高橋:ストーンズもこの頃は転機だったんですよね。ブライアン・ジョーンズが抜けて、直後に死んでしまって。その後、ミック・テイラーがギタリストとして加入しますが、『レット・イット・ブリード』はその狭間の時期で、キースが一人でギター弾いている曲が多いんですよね。 1曲目の「ギミー・シェルター」などは、僕が若い頃はリード・ギターはミック・テイラーが弾いているんだと思っていたんですが、すべてキースが弾いてるとその後に知って、びっくりしました。

山本:なおかつ、この『レット・イット・ブリード』は「ギミー・シェルター」みたいなキャッチーな曲もありますけど、アコースティックな曲も多いじゃないですか。そのへんもあって、空間性の豊かな音が作られているのかなと思います。

高橋:ストーンズの音楽性って、ひとつにはブルーズの影響というのが強くあって、ブルーズのカバーもたくさんあるけども、その一方でヒット曲はポップな曲、「テル・ミー」とか、「シーズ・ア・レインボウ」とか、その両極に触れるみたいなところがあった。その中間でストーンズらしいアーシーなロックンロール、今では誰もがストーンズ独特のスタイルとして思い浮かべるものを生み出すまでには、それなりに時間がかかったと思うんですよ。それが形になりだしたのが『レット・イット・ブリード』で、確立されたのが『スティッキー・フィンガーズ』だと僕は思っています。

ライ・クーダーからの影響

山本:なるほどね。

高橋:それで今回、作ったプレイリストには僕はライ・クーダーの曲を入れてるんですが。

山本:はいはい、ライはこの頃、ストーンズに呼ばれて、セッションしてた。

高橋:ギターがキースひとりになっちゃって、もうひとりギターを入れてみたいってことで呼ばれたのかもしれませんが、結果的にはライは1曲マンドリンを弾いてるだけです。ただ、のちにライを加えたセッションが『ジャミング・ウィズ・エドワーズ』というタイトルで発表されています。

山本:そうですよね。これもオリンピック・スタジオ録音ということは、ライはロンドンまで呼ばれた。でも、「ラヴ・イン・ヴェイン」でマンドリンを弾いているだけ? 本当は他の曲でもギターを弾いてる?

高橋:それはないと思います。ライとセッションした後、キースがライのスタイルを真似て、自分で弾いたというのはある。それでライは怒って「盗まれた! ストーンズの「ホンキー・トンク・ウィメン」の原型はオレが作った」みたいなことを言っていた時期があって。

山本:そこがこのアルバムをめぐるストーリーの面白いところですね。

高橋:でも、『レット・イット・ブリード』の時点ではそれは「カントリー・ホンク」というカントリー・スタイルの曲です。たぶん、ジョニー・キャッシュの「ホンキー・トンク・ガール」にヒントを得て作られたと思われる。が、その後に「ホンキー・トンク・ウィメン」としてリリースされたシングルでは、キースが変則チューニングのエレクトリック・ギターを弾いていて。

山本:これはオープンGですか?

高橋:そうです。キースはライから習ったようですが、でも、別にライが発見したってわけじゃない。ジョニ・ミッチェルなんかも使ってるチューニングで珍しいものではない。それより随所にSUS4のコードを入れながら、リズム・ギターを弾くってスタイル。これはライの影響が強いでしょうね。『スティッキー・フィンガーズ』以後、このSUS4を使ったコード・ワークが完全にキースのスタイル、というよりストーンズのトレードマークみたいになる。「ブラウン・シュガー」とか「スタート・ミー・アップ」とか、イントロからSUS4のコード使う曲多いですよね。

山本:そうですね、言われてみれば。

高橋:そこにライ・クーダーの影響があったのは間違いない。ということで、今回のプレイリストにはライの曲を2曲入れてみました。ライの初期のアルバムからキースの共通点が分かりやすい曲を。

山本:やっぱり、この時期のストーンズはアメリカのアーシーな音楽に接近したかったんでしょうね。

高橋:そうですね。それで『スティッキー・フィンガーズ』ではアラバマ州のマッスルショールズ・スタジオに行って、そこで「ブラウン・シュガー」を生み出している。自分達のブリティッシュ・ビートやロンドン・ポップと、憧れてきたアメリカのブルーズの間で、自分達の新しいスタイルを生み出したのがこの頃だった。

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