2022/01/31 17:00

高橋健太郎x山本浩司 対談連載

『音の良いロック名盤はコレだ!』 : 第4回

お題 : ドゥービー・ブラザーズ『Livin' on the Fault Line』

オーディオ評論家、山本浩司と、音楽評論家でサウンド・エンジニア、そしてOTOTOYプロデューサーでもある高橋健太郎の対談連載、第4回。本連載では、音楽、そしてオーディオ機器にもディープに精通するふたりが、ハイレゾ(一部ロスレス)音源と最新デジタル・オーディオ環境を通して、改めて“音の良さ”をキーワードにロックの名盤を掘り下げてみようというコーナーです。

毎回1枚の作品をメイン・テーマに、そのアーティストの他の作品、レコーディングされたスタジオや制作したプロデューサーやエンジニア、参加ミュージシャン繋がりの作品などなど、1枚のアルバムを媒介にさまざまな作品を紹介していきます。第4回はドゥービー・ブラザーズ、1977年の作品『Livin' on the Fault Line』をフィーチャー。

今回も最新のデジタル・オーディオ機器にてテスト・リスニングしつつの音楽談義。今回はシンプルな手軽なネットワーク・オーディオ構成の基幹として主流になりつつあるネットワークプレーヤー+プリメインアンプ=“ミュージック・ストリーマー”と呼ばれるカテゴリーの機器のなかから、LUMIN「M1」を利用しての「音の良いロック名盤」談義となりました。

改めて“聴く”、マイケル・マクドナルドの存在感

今回、進行用にふたりが用意したプレイリストはコチラ、ぜひ聴きながらお読みください

山本浩司(以下、山本) : 今回の「名盤」は、ドゥービー・ブラザーズの『Livin' on the Fault Line』、邦題『運命の掟』です。マイケル・マクドナルド体制のドゥービー・ブラザーズの幕開けと言ってもいいアルバムですね。まずこれを健太郎さんが選んだのがちょっと意外でした。

高橋健太郎(以下、高橋) :そうですか。このアルバム、ここ2、3年よく聴いているんですよ。リリースされた1970年代後半、当然ドゥービー・ブラザーズを聴いてはいましたが、わりとサラっと聴いていたんですよね。個人的にはスティーリー・ダンの方にハマっていたから。ところが、サンダーキャットの『DRUNK』(2017年)への客演などがきっかけになって「マイケル・マクドナルドって実はすごいんじゃない?」と考えるようになって。それで改めて1970年代後半のドゥービー・ブラザーズを聴き返してみて、この『運命の掟』の面白さに気づいたんです。本作の後に『Minute By Minute』(1978年)という大ヒット・アルバムがあってそっちの方が有名なんだけど、いまの耳で聴いてみたら『運命の掟』の方が断然クールだなと思ったんですよ。



山本 : そうなんですよね、今回ハイレゾファイルで聴き直してみて、ぼくも同じ思いを持ちました。『運命の掟』『Minute By Minute』ともにリアルタイムでレコードで聴いていたんですけど、『Minute By Minute』の方がわりとわかりやすいポップな曲が多く、『運命の掟』は音楽的にも斬新で、プログレッシヴ。それから音もこのアルバムのほうがいいですね。ダイナミックレンジが広いし、音の広がりも素晴らしい。

高橋 : 『運命の掟』より前のドゥービー・ブラザーズは、トム・ジョンストンというギタリストをフロントに置いた、いわばギター・バンドでした。それが、このアルバムからマイケル・マクドナルドというキーボード奏者を前面に立てた体制のバンドになったわけです。トム・ジョンストンはこのアルバム録音途中に抜けちゃいます。マイケルのスティーリー・ダン時代の同僚ジェフ・バクスターが先にドゥービー・ブラザーズに加入して、彼に誘われるようなかたちでマイケルは前作の『ドゥービー・ストリート(原題 : Takin' It to the Streets)』(1976年)からドゥービーズに加わることになったようですね。ジェフ・バクスターはジャズやフュージョンのセンスを持っためちゃくちゃ上手いギタリスト。『運命の掟』冒頭の”You’re made that way”は、ジェフ・バクスターとマイケル・マクドナルドの共作。この二人の書いた曲ならではの面白さがあります。とてもフレッシュで、トム・ジョンストン時代との別離を高らかに宣言しています。


山本 : 元スティーリー・ダンの僚友ならではのサウンドと言ってもいいかもしれないですね。

高橋 : そう思います。『Minute By Minute』はより売れる音を目指して、オーバーダビングをすごく多くやった痕跡があります。それに比べると『運命の掟』の方がバンドの生演奏の生々しさがあって、そのあたりが音の良さにつながっているのではないかと。

山本 : なるほど。ドゥービー・ブラザーズの歴史を振り返ると、デビュー・アルバムが1971年で、その翌年1972年にはセカンド・アルバムの『Toulouse Street』とシングル”Listen To The Music”が発表されています。当時中学生だったぼくはラジオでこのシングルを聴いてイッパツでこのバンドが好きになりました。この頃は健太郎さんがおっしゃったように勢いのあるギター・バンドで、そのサウンドはとても乾いていてワイルドな魅力があった。そしてウエストコーストのバンドならではヌケの良さがあって。

高橋 : ”Listen To The Music”とか、その次のアルバム『The Captain And Me』に収録されていた“Long Train Runnin'”で、リズム・ギターの練習を死ぬほどやるというのが当時のアメリカン・ロック好きの定めでした。

山本 : (笑)。『The Captain And Me』の発売は1973年。1980年代前後に六本木とか新宿のディスコにたまに行ってたんですけど、“Listen To The Music”とか““Long Train Runnin'”がかかるとえらい盛り上がってましたね。ブラック・ミュージックが中心のディスコでもこの2曲はウケが良かった。

高橋 : 当時、僕は真夜中にFar East Network(編注)をずっと朝までかけっぱなしにしてたんですが、ドゥービー・ブラザーズのこのへんの曲がとにかくたくさんかかっていました。"China Grove"(『The Captain And Me』収録)とかもね。それからもう1曲ヘヴィローテーションだったのが”Black Water”(1974年の『What Were Once Vices Are Now Habits~ドゥービー天国』収録)。

編注 : FEN / 極東放送網。第二次世界大戦終戦後、占領下の日本でスタートしした在日米軍向けのラジオ放送。戦後の日本の音楽好きにとって、あるときまではリアルタイムで海外のポップ・ミュージックをチェックできる貴重なメディアでもあった。1997年にAFN(American Forces Network、アメリカ軍放送網)に統合・改称されている。

山本 : ”Black Water”ってシングルで全米第1位になったんじゃなかったかな?

高橋 : そうそう。地味な曲なんだけど、夜中にラジオで流れてくると痺れるんですよね。僕は高校生の時にそういうのを聴いて、大学に入ってから本格的にエレキギターを弾くようになってバンドを始めた。当時、イギリスのロックが好きな人がディープ・パープルをやる感覚で、アメリカン・ロック好きはトム・ジョンストンとパトリック・シモンズ時代のドゥービーズが定番でしたね。そしてドゥービーズは、マイケル・マクドナルド加入後の70年代後半にジャズとかAORの要素を加えて、また大成功するわけです。

山本 : ぼくはトム・ジョンストン時代のドゥービーズが好きだったので、マイケル・マクドナルドが入った最初のアルバム『Takin' It to the Streets』は、当初違和感を抱きました。でも聴いているうちにだんだん好きになりましたね。70年代後半はいわゆるフュージョンとか、ちょっとジャジーでソウルぽいものが主流になってきた時代でもありましたし。

1971年のファースト・アルバム
1972年リリースのセカンド
1973年リリースのサード
”Black Water”を収録の1974年作

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