愛すべき邪気のないアウトサイダーたちよ、永遠に──シャムキャッツ解散に寄せて
2009年のデビュー以降、作品ごとにさまざまな音楽性に挑戦し、オルタナティヴ・ロックの可能性を探り続けたシャムキャッツが解散を発表した。昨年10周年を迎え、新木場スタジオコーストでのライヴを超満員のなか成功させ、さらなる活躍を期待する中での一報。彼らからの報告を受け、デビュー前からシャムキャッツの活動を見続けていた岡村詩野と、OTOTOY編集部鈴木によるコラムを掲載。ぜひ彼らが残したたくさんの名曲とともにお楽しみください。
彼らにとって最後の作品となった『はなたば』も配信中
シャムキャッツ解散〜永遠に終わらないポップ・ミュージックなどない〜(text by 岡村詩野)
センチメンタルに綴ろうと思えばいくらでもできる。おそらく彼らの音楽を一度でも聴いて、一度でもいいなと思ったことがある人なら、程度の差はどうあれ、このコロナ禍における「解散」という二文字に対し言うに言えない感傷がついてまわることだろう。それは、とりもなおさず、彼ら4人が実際の家族と変わらぬ…… あるいはそれ以上に親密なコミュニティたる関係性を築いていたから。そして、そこにファンやリスナーもまた、決して馴れ合いにならない有機的な繋がりで関わっていた。だからこそ、ややペシミスティックで厳しい言い方をすると、「ある家族の終了」たる“現実”にみな心が折れ砕けてしまったのだと思う。
だが、彼らの解散を受け、ここでわたしが書き残しておきたいと思ったのは、そうした感傷的な「あなたとわたしのシャムキャッツ」ではない。彼らが遺してきたすばらしきポップ・ミュージックについて。そして、そんな彼らの音楽をもってしても未来永劫続かせることなどできなかったという事実だ。永遠に終わらないポップ・ミュージックなどどこにもないのである。
「シャムキャッツの解散」のニュースを知り悲嘆にくれるリスナーの反応を見てふと思い出したのは、60年代終盤に突如訪れたロックの理想主義の崩壊だ。1969年にアメリカはニューヨーク郊外で開催された〈ウッドストック・フェスティヴァル〉をピークに、時のベトナム戦争や人種差別に対する抗議運動と平和主義のスローガンが一気に衰退していったことは音楽史の大きな出来事の一つとして知られている。衰退・崩壊のきっかけはほかでもない、昨年話題を集めたクエンティン・タランティーノ監督による映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でも描かれた女優シャロン・テートの殺害や、ローリング・ストーンズのライヴにおける黒人青年の刺殺(「オルタモントの悲劇」)といった衝撃的な事件だ。無慈悲な死を引き起こしたこれらの出来事が集中した1969年を境に、ロック・ミュージックの力で時代が変えられるかもしれない、というヒッピー思想~フラワー・ムーヴメントは脆く崩れ落ちていく。ピースフルな思想に基づく音楽が無力であることを、おそらく当時の若者たちは無残にも突きつけられたはずだ。
無論、シャムキャッツのライヴの現場はいつだってチアフルだ。客席でのいがみ合いや喧嘩など起ころうはずもないし、昨今のSNS上に散見されるマウントとりあいのギスギスしたムードも皆無。昨年12月13日に新木場スタジオコーストで開催されたワンマン・ライヴも、デビュー10周年という大義名分など不要とばかりのいつものパフォーマンスが、なんら変わらないその日常感であるがゆえに大きな喝采を集めた。お客さんもスタッフも一体となってみながハッピーな空気に包まれていることが、シャムキャッツというバンドのシャムキャッツたるゆえん。あの日、あの場所にいた誰もがそう感じたはずだろう。「オルタモントの悲劇」どころか「スタジオコーストの歓喜」である。
それはポップ・ミュージックの「陽」であり「動」の部分を確実に表出させていた。「シャムキャッツがいれば大丈夫」とでもいうような暖かいムードが、私たちにポップ・ミュージックの未来をぼんやりと夢見させていたと言ってもいい。
しかし、そこから半年、永遠に終わらないポップ・ミュージックなどどこにもない、ということを彼らは身を以て伝えた。それどころか、ポップ・ミュージックは徒花であり、あるいは幻想かもしれない、と彼らは解散という行動によって潔く言い放ってのけたのだ。解散コンサートなど一切なし。メンバー4人のコメントは発表されたが、終わりを迎えたことの清々しささえ感じさせた。このあとベスト・アルバムが出るようだが、最後にギフトとして作るというより、当初から予定していたかのようにあっさりとリリースする気もする。
だが、それこそが彼らがすばらしいポップ・ミュージック・バンドだった証ではないだろうか。彼らのこうした非情とも言えるジャッジメントから感じられるのは、ポップ・ミュージックも人間の生命と同じ、リミットがあるからこそ光り輝くものだというテーゼだ。たしかに彼らの解散は惜しい。ある面では、わたしも「ある家族の終了」たる“現実”に気持ちが砕けてしまった一人だし、メンバーから一足先に連絡をもらった際、「解散」という言葉は多くの人から集中力を奪い取ってしまう、別の方法はないものか、ととっさに慰留を進言した立場だ。だが、「その日」を迎えるまでの間に、これこそシャムキャッツの作品が長くポップ・ミュージックとして輝き続けるための判断だったことに頭が下がるようになった。
何度でも繰り返そう。永遠に終わらないポップ・ミュージックなどない。いや、むしろ終わることだけがポップ・ミュージックの真理かもしれない。シャムキャッツはきっとそこをわかっていた。なぜなら、彼らの作品の多くは、実のところ全く「優等な曲」ではなく、瞬発力や偶発性に端を発したような「奇妙な曲」が圧倒的に多いからだ。永続性、普遍性を無視したような、これほどストレンジな曲を作るバンドがずっといつまでも続いていくはずがない。
たとえばシャッグス、シルヴァー・アップルズ、レインコーツ、ジャド・フェア、ダニエル・ジョンストン、スティーヴィー・ムーア……。彼らはポップだとかロックだとかバンド・サウンドというフォルムからどうやってもハミ出てしまう、独自のタイム感を持ったアーティストたちだが、シャムキャッツもある時期まではこうした先達にも似たニッチな側面がかなり極端に前に出ていたバンドだった。ヴォーカルの夏目知幸がまだ早稲田大学の学生だった頃に、はじめて手渡してくれたデモ音源CDRを聴いたときの印象はいまも忘れていない。「ヘンな曲、ヘンなリフ、ヘンなリズム」。だが、ただそれだけの手応えが強烈な破壊力をもって伝わってきた。いまでも手軽に聴ける曲だと、ファースト・アルバム『はしけ』の1曲目“忘れていたのさ”や、セカンド・アルバム『たからじま』の1曲目“なんだかやれそう”の、暴走するトロッコのような制御不能のスカスカバタバタのリズムと、音程やピッチを右に左にと徹底的に無視する自由なヴォーカル、アート・リンゼイやアンディ・ギルのように超絶鋭角なギターのフレーズ。あれこそが、本来、シャムキャッツの邪気のないアウトサイダーぶりを伝える本質だ。
ところが一方で彼らは自分たちの中に潜むポップな側面に準拠する優しさ──それはサービス精神と言ってもいいのかもしれないが──も持ち合わせていた。あるいは、キャリアに従って自然と裾野を広げ深化していくことを楽しむような知性もあった。2014年のアルバム『AFTER HOURS』前後には、1980年代初頭のポストカード・レコードやチェリーレッドといったポストパンクと紙一重の時代の初期型ネオ・アコースティック・サウンドを想起させる音作りにシフト。しかしながら、依然としてヤング・マーブル・ジャイアンツやモノクローム・セット、あるいはドゥルッティ・コラムあたりさえ視野に入れていたような音作りより、ポップで親しみあるメロディがフォーカスされるに至り、持ち前のアウトサイダー・アート的な側面以上に、フレンドリーな隣のお兄ちゃん的ムードがバンドを支配するようになっていく。もちろん、それもまた彼らのベースメントにある引き出しだったわけだが、いま思えば、あのあたりから「永遠に終わらないポップ・ミュージックなどない」というテーゼが彼らの周辺にチラついていたのかもしれない。
活動後半に入ってからアジアへとツアーに繰り出すようになったり、わけてもギターの菅原慎一が台湾のアーティストたちと交流を深めるようになったときに、わたしは彼らが再びアウトサイダー的な側面を見せるようになるかもしれないと感じていた。シングルとしてもリリースされた『はなたば』収録の“我来了”の、ヴェイパーウェイヴ的でさえあるチープな音作りとPVは、国内のどこにも居場所を求めないような痛快さを伝えてもいたし、そのニヒリスティックな居心地の悪さが「奇妙な曲」と感じた彼らへの第一印象をフラッシュバックさせていたからだ。尤も、彼らはその最終盤のカケラにもしがみつくことはしなかったのだが。
シャムキャッツの「解散」はたしかに、かつてロックの理想主義の崩壊がそうであったように、わたしたちを残酷なまでに「現実」へと引き戻させた。しかしその「現実」とは、本来ポップ・ミュージックが持つ美しい命題に他ならない。ポップ・ミュージックは生暖かい夢物語の上で永続的に成り立つものなどではない。彼らは「あなたとわたしのシャムキャッツ」のようでいて、「誰も追いつけない孤高のシャムキャッツ」だった。夢は覚めるから美しい。ポップ・ミュージックは終わりがあるから白眉なのである。
だからわたしは「ありがとう」や「さよなら」といった感傷的な言葉は決して言わない。しいて言うなら、「終わり? ま、そりゃそうだよね」。2020年7月。今日もポップ・ミュージックは世界のあちこちで鳴っている。
素朴な生活に寄り添う、花のような音楽(text by 鈴木雄希)
思えば僕がはじめて彼らの音楽を聴いたのは大学2年生の頃。当時していたアルバイト先の音楽に詳しい、僕にとってはちょっとしたお兄さん的存在の先輩に「鈴木くん、このバンド好きだと思うから聴いてみなよ」と言われて休憩中に、“なんだかやれそう”(『たからじま』収録)を聴かせてもらったのが最初だ。「なんだかやれそう」という根拠のないけど確信的な自信と、無邪気で遊び心がある、ある種パンキッシュさを感じるその歌にガシッと胸を掴まれたのをいまでも覚えている。
その後にリリースされた『AFTER HOURS』では、メロウでトーンダウンした曲や、ネオアコっぽい楽曲が並び、『たからじま』とはまったく異なった魅力を放つ作品だった。ある街のキャラクターを3人称視点で綴っていく、いわゆるストーリーテリングなリリックも当時の僕にはとても鮮やかに感じた。
素朴でありながらも彩り豊かなサウンドにのせられる、ユーモラスでありながら素直でもある言葉とメロディー。「夕方には愛しいあのこに会える」(“MODELS”)や、「耳たぶに触れた最初の日のこと / いつも残ってるよ」(“あなたの髪をなびかせる”)、「そばに来なよ マイガール / それがいいさ マイガール」みたいに、日常のなんでもない幸せを見つめ、物語にしてしまう、その感じ。無邪気に音楽を鳴らして歌っているかと思えば、不意に確信を突いてくるその感じ……。これがずるいくらいにかっこよかった。シャムキャッツの歌を聴いていると、そこまで刺激的でないと思っていた自分の人生も、これはこれでいいのかもな、と思える。僕にとってはそれがある種の救いだったのかもしれない。
言葉が彼らが残した作品は、これからも僕に寄り添って、小さな幸せや彩りを与えてくれるだろうし、僕の人生に花をさしてくれるだろう。そう、シャムキャッツが残した音楽があるからこれから先も大丈夫だ。
編集 : 鈴木雄希、安達 瀬莉
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PROFILE
メンバー全員が高校三年生時に浦安にて結成。
2009年のデビュー以降、常に挑戦的に音楽性を変えながらも、あくまで日本語によるオルタナティヴ・ロックの探求とインディペンデントなバンド運営を主軸において活動してきたギターポップ・バンド。サウンドはリアルでグルーヴィー。ブルーなメロディと日常を切り取った詞世界が特徴。2016年からは3年在籍した〈P-VINE〉を離れて自主レーベル〈TETRA RECORDS〉を設立。より積極的なリリースとアジア圏に及ぶツアーを敢行、活動の場を広げる。代表作にアルバム『AFTER HOURS』『Friends Again』、EP『TAKE CARE』『君の町にも雨は降るのかい?』など。
2018年、〈FUJI ROCK FESTIVAL ‘18〉に出演、5枚目となるフル・アルバム『Virgin Graffiti』を発売した。2019年、盟友、王舟を共同プロデュースに迎え、EP『はなたば』をリリース。12月には新木場STUIO COASTにてデビュー10周年記念公演〈Live at Studio Coast〉を開催。2020年7月、解散を発表した。
【公式HP】
http://siamesecats.jp/profile/
【公式ツイッター】
https://twitter.com/s_cats