「音楽を立体にして、豊かにする」──スカート澤部渡が語る、ポップ・ミュージックのパースペクティヴ
〈カクバリズム〉所属の澤部渡によるソロ・プロジェクト“スカート”が、ロングセラーを続ける前作『CALL』より1年半ぶりとなるアルバム『20/20』をポニー・キャニオンからリリース! 2016年11月に発売されたシングル「静かな夜がいい」、2017年1月クールで放送されたテレビ東京ドラマ『山田孝之のカンヌ映画祭』エンディングテーマ「ランプトン」、2017年4月に公開された映画『PARKSパークス』の挿入歌となった「離れて暮らす二人のために」などを含む全11曲は、新たなポップ・ミュージックの担い手としての風格を感じさせる1枚となっている。OTOTOYではリリースを記念してシングル『静かな夜がいい』に引き続き、ライター・岡村詩野によるロング・インタビューを掲載。この作品を辿る”地図”として、アルバムと共に楽しんでいただきたい。
メジャー・デビュー作となる充実の1枚を好評配信中!!
スカート / 20/20
【配信形態】
ALAC、FLAC、WAV(16bit/44.1kHz) / AAC / MP3
【配信価格】
単曲 257円(税込) / アルバム 2,057円(税込)
【収録曲】
01. 離れて暮らす二人のために
02. 視界良好
03. パラシュート
04. 手の鳴る方へ急げ
05. オータムリーヴス
06. わたしのまち
07. さよなら!さよなら!
08. 私の好きな青
09. ランプトン
10. 魔女
11. 静かな夜がいい
INTERVIEW : スカート
スカートの音楽性を語ることについては、これまでもう何度も何度も悩まされてきた。澤部渡がなんの留保もなしに素晴らしいコンポーザーであることはわかっている。世界的に探しても、ポップスの歴史を継承しそこに忠実であろうとする姿勢と、それでもリスナーを欺こう…いや、惑わせようとするようなクレバーさを兼ね備えている作り手は20代の彼の世代ではとても珍しい。そもそも、ポップだキャッチーだと言われているスカートの曲を、カラオケででも鼻歌ででもいいが、ガイド旋律なしに歌ってみるといい。いかに繰り返し聴き込んでいたとしても、それをメロディだけで再現することがどれほど難しいか。なのに、なぜだろう、澤部渡の曲は一つもオブスキュアではなく、むしろクッキリとポップ・ミュージックの歴史の中央に位置している。そして、聴くたびに、澤部渡が自身のために作った極めて作家性強い曲なのか、あくまで聴き手の思惑を捉えたものなのか、そこがどちらかわからなくなってしまう。「静かな夜がいい」と思っているのは澤部なのか、それとも私やあなたなのか、顔の見えない誰かなのか。
スカート、メジャー・デビュー作『20/20』。作り手として視界良好であることを自覚し迷わず完成させた、ポップスとして強烈なインスピレーションを放つ作品だ。おなじみのバンド・メンバーたちに加え、KIRINJIの弓木英梨乃らも参加。日本のポップスの内側へ、外側へとコミットしていこうとする澤部渡の目線の先にあるものを問うた。
インタヴュー&文 : 岡村詩野
写真 : 大橋祐希
『CALL』を作ってもう手詰まりだと思ったのかもしれない
──まず、最初に、今回一つ節目の作品ということで改めて確認させてもらいたいことがあります。澤部さんは、伝統的にあるポップスを発展させていく意味においてスカートは歴史のつなぎ目にいる、という感覚はありますか?
澤部渡(以下、澤部) : はい、そうですね。
──それと全く新しいものというのはどういう風に距離がとっている感じですか?
澤部 : でも何が新しいのかすらも分かってないような状況なので、だから自然と距離と取っているというよりかは自然と置いて行かれている感じなんですけど。僕とか新しい流には乗れてないじゃないですか(笑)。いまなんのムーブメントがあるのかっていう状況も把握してないくらいなんで。そもそも“トラップ”って言葉を先月知ったくらいですから(笑)。
──かといって時代とかけ離れたところにいる自覚があるわけでもない。
澤部 : でもないですね。
──でも最先端という自覚もない?
澤部 : ないですね。
──それでも、スカートがこんなに瑞々しいポップスをやれているというという事実。では、澤部さんは何を指針にして活動していると言えますか?
澤部 : それはやっぱり影響を受けてきた自分が大好きなポップスを指針にしてますね。そこへの忠誠心というかね。山下達郎さんも仰ってましたけど、ロックンロールの忠誠心という言葉があって、僕にはロックンロールがあんまりないのでそういうことはいえないんですけど、僕が影響を受けてきたポップ・ミュージックというものには正直でありたいなとは思いますね。
──その忠誠心がブレたことは?
澤部 : ないと思うんですよね。あったのかもしれないですけど、多分ないんじゃないかな。
──では、これまでその忠誠に対する達成感を得たことはありましたか?
澤部 : 何度もこれ以上のものは作れないと思いました。
──前作『CALL』でとくにそれがあった?
澤部 : そうなんですけど、でもよくよく考えたらずっとその繰り返しなんですよね。いままで。『エス・オー・エス』ってアルバムをつくったときには「花をもって」が自分のなかではすごい好きで、これを超える曲はできないんじゃないかなと。「ハル」もそうですけど。で、そうしたら今度は「ストーリー」ができちゃったりして。で、その次に「月光密造の夜」ができちゃって、「サイダーの庭」ができたり。すると今度は「シリウス」ができちゃって、「CALL」ができちゃって。もうダメ、もうダメ、これ以上いい曲書けない! の繰り返しなんですよ。
──そうやって続いてきていると。
澤部 : ギターを持って、なんとなく書こうと思うとできちゃう。というか書かざるをえない気持ちになるときがどうしてもあるんですよね。そういうときにこう自分の頭のなかにあるポップ・ミュージックをなんとか具現化しようといままでやってきたんだろうなと。
──どんどん次々と節目になる曲が産まれていくわけですね。では、産まれていくたびに変わっていったところがあるとするとどこですか?
澤部 : やれることが少なくなっていく(笑)。
──はははは。ひとつ達成したら塗りつぶすイメージ?
澤部 : 多分最初に与えられた地図があったとして、行った途中を塗りつぶしていったとして。『CALL』のときに、最初にもらった地図は全部塗っちゃった感じがしたんですよね。でも他の地図もないこともないよ、みたいな感じがあったりとか。国ごとに塗ってるけど、市区町村もあるよ、みたいな。細分化しているのか、より広い視点になっているのかは自分のなかでは掴みきれてないですけど、とにかく、ある種のスタンプラリーは終わった感じはあったんですよね。自分が昔思い描いてたレコードみたいなものは『CALL』でもう作れたし。
これ以上、自分がやる意味あんのか、ぐらいの時期はありました。かといってやめるとも思わなかったんですよね。昔、(漫画家の)森雅之さんと飲んだとき、今後どうするの? って聞かれて、僕が「まあなんとかなるでしょ」って言ったら「その通りだ。なんとかなると思ってればなんとかなるんだよ」って言われて。それに非常に勇気づけられまして。ずっとなんとかなるだろと思ってやってきたんですよ。だから、なんとかなるだろっていう精神で今回のアルバムもできたと言えばできてて。っていう話をすると軽薄に聞こえますけど。
──なるほど。『エス・オー・エス』の最初の頃から地図を塗りつぶしていく作業をやっていたってことですか? 気がついたら、塗りつぶしていく作業をやってた感じですか?
澤部 : うん。もしかしたら塗りつぶしていく作業じゃなくて、単純に『CALL』を作ってもう手詰まりだと思ったのかもしれない。
──それくらいの完成度だった?
澤部 : 満足度はすごい高かったんですよね。でも満足度が高かった分、もっと売れると思ってたけどそんなに売れなかったんで(笑)。といっても過去最高のセールスだったし、いまもジワジワ来てるんですけどね。
──では、その塗りつぶした最初の地図はどういう地図だったと思いますか?
澤部 : これは自分のなかでもすごい漠然としたものなんですよね。多分、多分ですよ。自分がスカートってバンド名を名乗ったこと、多重録音を選んだこと、下手したら音楽大学に進んだことっていういろんな条件付けを、例えば賃貸サイトでいろんな条件にチェック入れていく感じでどんどん狭まっていった視界のなかの地図だったのかなとも思ったんですよ、『20/20』を作りはじめて思ったのは。もともとそういう狭いところで音楽をつくってるという自覚はあったので、そういうどんどんいろんな条件付けを自分のなかでしていって、これはできない、ああいうことはやっちゃダメだ、こういう曲はできればつくりたくない、みたいな風に、カスタマイズされた地図だったんじゃないかと思います。
──それは以前に誰もやっていない独自のポップ地図でしたか?
澤部 : いやいや。
──では、自分のなかでは理想的な最初の思い描いていたスカートのポップ図が完成されたと?
澤部 : ある種のね。いまやれる最大限の理想。いままでやってきたことの地続きの理想という意味ですけどね。もっと突飛なことをやっても良いとしたら違う理想はたくさんあるんですけど、いろんな理想のなかの1つを獲得してしまった感じかな。
──突飛というのは、自分のなかの引き出しとして?
澤部 : 他の人ではなくて、自分のなかのカスタマイズのチェックで外してしまったものとかもそうですけど。
──澤部くんの系譜の前にある人達、先輩に当たる人たちの系譜に、そうやって描いてきた自分の地図はどういうものとして置かれていましたか?
澤部 : 難しいですね。でも継承と発展という意味では、僕は意識的な面で言えば、やっぱり先輩たちの後ろをしっかり付いていくという意識はあったので。でも他の先輩たちが地図をカスタマイズしてたかっていうのがわからないんでなんともいえないんですけど。
──でも先輩たちもカスタマイズしてたから歴史の系譜に入ってきたんだと思いますよ。
澤部 : うん、先輩たちもそのときどきにやれることをしっかりやった結果、残るレコードができてると思うんですよね。だからそういう意味では、自分が進んできた道っていうのはまだ途中ですけど、いまのところはそんな極端に変な悪路を来てたわけじゃなかったというかね。でもやっぱりワイルドサイドではあったのかもしれないとは思いますね。
──ワイルドサイド?
澤部 : わかりやすいことをやらなかったとか、自分に似合うものをやらなかったとか、あえて自分の視野を狭めていくっていうことがもしかしたらある種ワイルドサイドだったんじゃないかなみたいなね。
何かを撹乱してやろうって気持ちはやっぱりある
──澤部さんはものすごく自分自身に高いハードルを建てていたと思いますよ。それがワイルドサイドという意味なのかはわからないですけど。
澤部 : 割と高いハードルを横目に昼寝するタイプなので。ハードルは自分で建てるんですよ。ハードルを自分で建てて、高いハードルを見てよし!って満足するタイプ。で、そのハードルを超えるための努力はしないタイプです僕は。ただ、ハードルを超えるだけがすべてじゃないと思うんですよ。ハードルを建てるまでに至った心境とか、なぜこんなに高いハードルを建てたのか、そういうほうに自分は目が行くのかな。
──それは、ハードルを建てるまでが作品になっていくということですか?
澤部 : そう。だから飛び越え方とかは考えないんですよ。結果というか。
──コンポーズのプロセスありきであると。
澤部 : だって、僕、ほんとに音さえ出てればなんでも良いと思ってたタイプの人間なんで。
──良い曲であればなんでも良い的な感覚。
澤部 : そうそう。曲のキャラクターがしっかりしていて、そこにめがけて全員が足踏みを揃えていればなんでも良いと思ってたんですよね。それって、たぶんリスナーの感覚じゃないですか。リスナーの感覚とソングライターの自分と、そのソングライターの自分を曲を聞くリスナーの自分との対比というか。そこでどういう音を聞くのが気持ち良いとか、そういうことは考えられるんですけどね。
──それはどこにアングルに置いて良しとしてきたかに繋がってきますよね。リスナーとして良い曲という感覚がすべてだというアングルは、それはそれですごく尊いです。
澤部 : 僕は割とそこなんですけど、それに気づいたら、そこにストイックな人間だったんじゃないかと思うようになってきて。そういう意味での視野の狭まり方は意図してない狭まり方だったんで、それに驚いてた時期っていうのが最近ですね。
──最近? 今作を作り終えた後ですか?
澤部 : 後です。厳密に言うと、カクバリズムに入って、毎回ライヴを見てくれるスタッフがいたりして、もっとこういう風にしたほうが良いって言われるようになってからですね。
──ファンとか、昔から見てた人たちからも言われなかった?
澤部 : 言われない。「今日も最高でした」って言われて、「そ〜お?」とか照れてた(笑)。でも、例えば、パーカッションの音が抜けるにはベースとの関係性がどうとかって言われて、ああ、なるほどなあって。そんなこと気にしてなかったから。
──気にするようになってから変化は?
澤部 : まだないです。ほんとにここ最近のことで。しいて言うならエフェクターが変わったとか。
──それは次の作品くらいに現れるであろうということ?
澤部 : まだわからないですけどね。逆にそういうのが自分のなかで鬱陶しいと思ってしまったとしたら、もっと内面に潜るようなアルバムをつくるかもしれないし、バンドをブラッシュ・アップしていってそれが良い方向に出たら、そういう内容にもなるんだろうし。まだわからない部分が多いですね。でも、今回のアルバムはまだ『CALL』までと地続きではあります。
──地続きといえば、去年EPで出した「静かな夜がいい」が今作に入るとは思っていませんでした。「静かな夜がいい」はそれだけに今作と前作とが接合するということを伝える重要曲ということにもなります。
澤部 : そうですね。「オータムリーヴス」だけ『CALL』の制作が終わった後に、姫乃たまさんがやってる僕とジョルジュに描き下ろした曲で、すごい気に入ってたんで自分で取り上げたんですけど、それと「魔女」以外は「静かな夜がいい」の後に作った曲です。
──では、「静かな夜がいい」を作ってからのソングライターとしての変化はどういう形で現れましたか?
澤部 : 自分に何か課題を課すっていうのが楽しくて。あのEPに入っていた、「いつかの手紙」と「おれたちはしないよ」とかそれぞれ自分のなかでテーマがあって曲を書いてたんですね。で、テーマを設けて曲を書くようになったっていうのは、『CALL』のころみたいに何も考えないで曲を書き出して、それが良いものになるっていう幸せな時期が終わってしまったという焦りからそういう作り方をしてたんですけど。その「静かな夜がいい」の後に、そういうテーマを設けなくても曲がふっとできるようになってきたんですね。そういうモードになって、「視界良好」ができたり「パラシュート」ができたり、「さよなら! さよなら!」ができたりしていくのが、ある種の手応えだったり成果なのかなとか。それくらいEPとしての『静かな夜がいい』はまた新しいチャレンジだったんですよね。それからもう一つ、今回のアルバムで重要なのが、「離れて暮らす二人のために」と「ランプトン」の存在なんですよ。この2つはオーダーものじゃないですか。
『静かな夜がいい』リリース時のインタヴュー
https://ototoy.jp/feature/2016112600
──はい。前者は映画『PARKS パークス』の挿入歌、後者はテレビドラマ『山田孝之のカンヌ映画祭』エンディング・テーマですね。
澤部 : これが実はすごい重要なんです。『静かな夜がいい』では自分がクライアントになって曲作りをしたなかで、次はほんとのクライアントができた。そうなっていくなかで、自分の作家性を改めて見つめ直す機会ができたのがすごい大きかったんだと思います。
──客観的にコンポーザーとしてのポジションで書いた曲だと。
澤部 : 向こうからこんな感じで、っていう細かい指定はなかったですけど、自分のメロディとコードの感じを整理できたんですよね。それがこのアルバムに関しては大きかったと思います。『静かな夜がいい』と今作を作るうえで、『CALL』というすごい自画自賛してしまうようなアルバムを作ってしまったからにはとにかく次は頑張って年内に出さなきゃと思ってたんですけど、そこで曲出しみたいなことをはじめてやったんですよ。今までは、曲ができた! 良い曲たくさんできた! じゃあ録音しよう! だったんですけど、今作はそうじゃなくて、アルバムを作りたい。そのうえでどういう曲を作ろう、どういう曲を選ぼう、って考えてて。だから無意識にクライアントの要望を落とし込めたんだと思うんですよ。こういうアルバムだから、こういう曲を考えなきゃっていうのを、前みたいに悩まなくなった。何にも思い浮かばないから、何か課題を課してつくるみたいなことをしなくても良くなった。
──それは豊かな状態にまたなってきているということ?
澤部 : もちろんもちろん。やっぱりアルバムができあがって、すごい良いアルバムができたなと素直に思います。『CALL』の次によくこのアルバムができたなという達成感はすごいあります。しかも短期間で。「やれるじゃん、自分」て素直に思いました。
──実はスカートに対する私自身の評価というのが、ずっとどこに基点を置いていいのかわからないままだったんですよ。顔が見えない職業作家のような側面が強く感じらる一方、猛烈に作り手としての鼻息が荒い音楽家という側面もある。また、ラフなバンド・サウンドをライヴで聴かせる人懐こさもある。だから正直どこに評価の軸を置けばいいのか分からない感覚が、ずっとありました。すごくいい。いいんだけど、本当にこの「いい」は、自分が「いい」と思っている定義としての「いい」なのかな、とか。
澤部 : ああ、でもそれはめちゃくちゃ嬉しいです。継承と発展って言いましたけど、そのなかで何かを撹乱してやろうって気持ちはやっぱりあるんですよ。だからどういうところで評価していいかわからないっていうのは僕にとっては実は嬉しいことなんですよね……良いんだけどどこに焦点を当てるべきかわからないという感じなんですかね?
──そうです。聴くたびに違う。だから、澤部さんには今も時々イジられますけど、スカートの一番最初のアルバムに対しても、私はすごく素っ気ない評価をしてしまったわけです。私の力不足もあったとは思いますけど、1、2回聴いたくらいでは絶対に理解できないくらい奇妙な作品だったから。その後も、嫌ほど聴いてきたんだけど、例えば何度聴いてもそらで歌えない。作りだから当たり前とはいえ、よく澤部さん歌えるなと思うんです。なんでこんなに歌いにくいんだろうなと思うわけですよ。
澤部 : はははは。
──自分で歌いにくい曲を作っている実感はあるんですか?
澤部 : あります。難しい曲だと思いながら歌ってます。結果的なんですけどね。「ランプトン」の歌入れは本当に苦労しました。なんて難しい曲を作ってしまったんだって後悔しました。
──譜割りも変だけど、リズムの動きがものすごく突飛。にもかからわずキャッチーに思わせる曲なんですよね。
澤部 : 得てしてポップスってそういうもんだと思う。誰でも歌えるものに対する反抗心があるかと聞かれたらいままで意識してかったんですけど、どこかしらにあるかもしれないなと思いましたね。僕、石川さゆりさんの「天城越え」がすごい好きなんですけど、すごい難しい曲なんですね。それでなんであんなに難しい曲なんだろうと思ってたら、当時カラオケ・ブームがあって誰でも歌えるようになって、石川さゆりにしか歌えない曲をつくるんだみたいな気持ちが制作陣にあったらしくあんな曲になった話を聞いて、僕は難しい曲を書くぞみたいな意識はないんですけど、ポップスの宿命として、何かの記名性を本人の歌声じゃない部分で求めるというのはある種の伝統だったりするのかなと思ったりしたんですよね。「君は天然色」もそうですけど、あの曲も譜割りめちゃくちゃなんですよ。あそこまでめちゃくちゃなこと僕はやってないですけど、例えばクレイジーキャッツの「ハイそれまでョ」ってブリッジのパートがすべて違うんですよ。音楽を立体にして豊かにするというのは、そういう細かい部分に実はあるんじゃないかと僕は思ってるんですよ。だから、僕の曲にはそういうのが出てるのかな。
──言語化するのが難しい音楽ですよね。
澤部 : そういう音楽がすごい好きなんですよ。yes, mama ok? もそうですけど。XTCとかスパークスとかも。
──今作ものすごいアルバムだと思うんですよ。良い曲なんだけど、これは普通に純然とポップスですねと言っていいのかわからないポップスになっている。
澤部 : 僕自身、このアルバムは新しいようには見えない、新しいスカートなんですよね。だからこそいままでのメンバーが必要だったし、前作のエンジニアの葛西さんが必要だったし。前作のジャケットを描いてくれた久野さん(映像作家:久野遥子)が必要だったということなんですよね。なんというかね……語るの難しいな…。
──自分でも言語化するのが難しい。
澤部 : もちろんもちろん。やっぱりいままで自分が好きだったポップス、ロックって謎の部分がすごく多いんですよ。謎の部分があるから、耐久性も強い。あれはどういうことなんだろうと思ってもう1度聴くと、わかったような気持ちになりながら、今度は別のところが謎に思えてくる。それがポップス、ロックが背負うべき宿命だと思うんですよ。その謎、暗号を持ってる人がいれば、解いて先に進むべきだし。
──暗号はどういうふうに得るもの?
澤部 : そればっかりはもうその人が持ち合わせた感覚だったり、誤解だったりだと思うんです。誤解がやっぱりポップス、ロックには重要だと思っていて。どう誤解されるか、どう誤解するかでも、継承の1つだと考えてます。
窓が2つ大きくあるだけで、バンドの見え方って変わってくる
──誤解ってことは正解があるわけじゃないですか。でも良い意味で曖昧模糊とするために、余地を残すには何が必要だと思いますか?
澤部 : 例えば構造にほんの少し手を加えたりだとか。唄うべきはずのBメロを歌わないで間奏にしちゃうだとか。あくまで提案するだけなので、自分がつくったものに、誤解の導線を貼ってるっていうのもまた違う話しじゃないですか。あくまで自分が昔謎に思った部分を何かの形で具現化して発展させることだと思ってて、それはいままで聴いてきた音楽の延長ですね。すごい良いメロディなのに1回しか出てこない、みたいな。すごい良いイントロのコード進行なのに、これもイントロのここしか使われないの? みたいな。そういうミクロの部分、人によってはどうでも良いと思われてしまうところをよく見た結果だろうなと。それが計算ではなく自然に出るんですよね。そこは昔からよく出ます。
──リスナーとしての体験によるものだと考えますか?
澤部 : それか、根底の部分からどう欺いてやろうと無自覚で考えてるかどちらかですね。
──無意識で考えてるんじゃないんですかね。変なメロディ、奇妙な構造、展開の曲が多いと思いますよ。
澤部 : そうですね。自分でもそう思う時がたまにあります。自分ではどう言えば1番気持ち良いかしか考えてないつもりなんですよ。自分が思い描くポップスを目指すなら、どこがいらないとか、どこが必要なのか考えてるだけであって、そこに欺いてやろうという気持ちはない。
──発注して書く曲でもそういう感覚は出てくるものですか?
澤部 : この間OTOTOYさんに配信してもらったnegiccoのKaedeさんの曲は、レコード・リリースを最初に聴いてたんで、絶対に4分以内というのまず決めて。でも暗い曲が良いからバラードにして、どういうふうにしようかなと思って。それで極端に繰り返しのない作品になったんです。でも、作っているときは短い曲にしたいからってぐらいの軽い気持ちなんです。できあがったものを見て、やっぱりいつも通り変なものになったなと思うんですけど。
──では、そのポップスの誤解が最も顕著に出ているという意味で、この新作の1番の特徴となってるのはこのアルバムではどこだと考えますか?
澤部 : 本来だったら、「視界良好」とか言うべきなんでしょうけど、今回の曲づくりで最も愛せるという意味で気に入っているのは、実は「パラシュート」なんですよ。この曲は結構目まぐるしくギターのコードが変わって、オンコードだったりするんですけど、そういったなかでとても短くまとまってて、なおかつアウトロになくても良いものが入ってるのが、自分にとってのある種のポップスなんですよ。ポップ・ミュージックというかね。
──耐久性に関しても「パラシュート」は、ふるいにかけても確実に引っかかる曲だと?
澤部 : 僕はそう思うんですよね。後々効いてくると思うんですよね。この曲が意外と後々聴いてくると思うんです。なんで急に手拍子とか、リコーダーが入ってとか。
──そういう細かな点でいうと、私は今回のアルバムでは、「わたしのまち」のグロッケンのアイデアが、曲構成の中でとても大きな意味を持っていると思っています。
澤部 : あの曲は……これはあんまり言いたくないんですけど、自分のなかで最も冒険したのが「わたしのまち」なんですよ。何を冒険したかって、A→B→A→Bの繰り返しになってるんです。単調な繰り返しっていままでほとんどやってなくて、この曲だけ全部自分の録音なんですよ。ドラムも他の曲と質感を変えるために、シンバルの位置を逆にしてるんです。それはなでかっていうと、叩いている側の目線の耳で聞こえてる音の配置にしてて。
──ドラムのポジションから聴こえるということ?
澤部 : そう。リズムボックスを鳴らして、非常にフォーク・ソング的な、牧歌的な風景を歌い、そこにシンセ・ベースを持ち込み、あくまでメロディは2拍3連符を基調に動くっていうすごい実は歪なことをやってるんですよ。これをどうポップスに聴かせるかっていうので重要だったのがグロッケンだったんですよね。音数を増やせば増やすほどやかましく聴こえちゃう楽器じゃないですか、グロッケンというのは。だからすごいポイントで鳴ったりするんですけど、大きな間合いをとって、いかにギリギリポップスを保つかみたいな実験をしたつもりの曲が実は「わたしのまち」なんですよ。ただこれって、それが誰にも伝わらない。し、なんだったら墓場までもってく話しなんですけど。
──グロッケンを入れるというアイデアは最初にはなかったんだ?
澤部 : なかったです。作っていくうちに必要だと思うようになって。ポップス的な部分を出すために。ポップスというか、もしかしたら作っているときはもう少し儚げにしたほうが良いかなくらいの感じだったのかもしれないですけど、結果的に自分のなかではそれがポップスたらしめる部分の1つになったなという思いがありますね。グロッケンの良いところって1つの音の効果がデカイ。だから大きく動かしたりしても良いし、少しずらせば何かそこにしっかり意味ができあがるというか。そういうのがグロッケンが好きな理由なんですよね。
──グロッケンはジャストに乗せると楽団ぽくなるじゃないですか。
澤部 : そうそうそう。ただ、もう、直感的にグロッケンだと。グロッケンの良いところって鳴らしたら減衰するまで手で抑えるしか止めようがないんですよ。ピアノだったら手を離せば止まるし、ギターだったら左手の力を緩めれば自然と消えるんですけど、グロッケンは鳴らしたら最後。減衰するまでその音が鳴り続けるのが魅力なんですよ。音色以外でいえば。そこに何か意味合いがあるなと思ってますね。
──ものすごく文学的な鳴らし方でもある。
澤部 : ふふふ(笑)。すごい、「音さえ鳴ってりゃ良い」とうそぶいてた自分が恥ずかしいんですけど(笑)。
──ということは、もうすでにこのアルバムでそういうことを試しているわけじゃないですか?
澤部 : まあまあ(笑)。あれも本当はそういう風に見せたいってだけだったんです。もうこうなっちゃったら言いますけど。
──他にも音の鳴り方とかが活かされた楽曲ありますか?
澤部 : 「離れて暮らす二人のために」ですね。いままでスカートって漫画で例えるとどうコマ割りを変えるか、映画でいえばどうカットを割るかってことばっかり考えてたんですけど、あえてそうじゃない、どっしりとした視点というのを「離れて暮らす二人のために」のアレンジに持ち込んだつもりなんですね。長回しで1曲聴かせるということを意図的にやったのは、「離れて暮らす二人のために」が最初かなと。ギターと歌ではじまって、そこにドラムとベースがいきなり入ってきて、サビの前に良いエレピが入ってくる。もう(佐藤)優介が良いエレピを弾いてくれたんですよ。サビの1小節前のフレーズで一気に視界が開くみたいなのは、めちゃくちゃ上手くいったなと思いますね。
──普通に誰かに楽曲提供するのとは感覚として違うところが働きました?
澤部 : もちろんもちろん。作品に寄り添うってことをいままでそんなにしてこなかった。例えば、歌手にどういうことを投げかけるかみたいなことはやってたと思うんですけど、作品に寄り添うことをあんまりしたことがなかったんで。そういう意味では、「ランプトン」はすごい作品に寄り添った曲になったとは思いますね。「離れて暮らす二人のために」ももう映画のなかでこのヴァージョンが流れてたんじゃないかくらいの気持ちになるくらい、『PARKS パークス』という映画に寄り添ったアレンジ、録音になったと思ってます。
──映画のなかに自分の歌が入るのを経験して、これからそれが自分の曲づくりにどう変化をもたらすと思いますか?
澤部 : 僕は今回のアルバムで本当に嬉しく思ったのは、社会性の獲得なんですよ。楽曲の。それが幾つかの曲ですけど、自分の意図しない、意図してても、社会性を獲得するというのはやろうとしてもできないことなんですよね。いままでのスカートに足りないものがあるとすれば社会性。
──どこに1番でてますか?
澤部 : やっぱり「ランプトン」と「離れて暮らす二人のために」ていう曲は、社会性という意味では大きな役割を果たしていると思います。そこで窓が2つ大きくあるだけで、バンドの見え方って変わってくると思うんですよ。で、しかもそこにポニー・キャニオンていう社会性がつくわけですし。
──その社会性という意味は、他者とコミットする、接点という意味?
澤部 : そうそう。『CALL』でもできてるんですけど、カクバリズムという大きな社会性。で、今回はポニー・キャニオン。ポニー・キャニオンの社会性とカクバリズムの社会性って全く違うんですよ。カクバリズムって音楽が好きでたまらない人たちの社会性じゃないですか。だから窓の大きさで言えばカクバリズムのほうが絶対大きい。そこから差す光のほうが絶対に暖かいんですよね。ただそこに、ポニー・キャニオンの目線として単純に何かを求めてスカートに好きなようにレコードを作らせてしまった。ようやくスカートがスカートになった気がしたんですよね。自分のなかで。いままでのスカートって本当に自分だけのものだったんですよ。
──でもそんなふうに聴こえない瞬間がいっぱいあった。だからすごくいいと思いつつ、言語化する時に評価のポイントが難しかったんだと思っています。
澤部 : それは上手く誤魔化したんだと思います。
──(笑)
澤部 : 本当に自分が聴きたいものだけをつくってきたのが『CALL』まで。いまの話を聴いて気づきました。自分だけが聴きたいものをつくったのが『CALL』まで。『20/20』というのはもしかしたら漠然と、他の人が聴いても心地良いものができたのかなという社会性の獲得でもあるかもしれないといま少し思いました。昔から開こう開こうとしててできてない連続でもあったので。だって、今回も、本当に「わたしのまち」の話とかするつもりなかったんですよ。ある程度の線引をしているつもりがあって。
──誰相手にも?
澤部 : 誰相手にも。メンバーにも言わないもん。この曲にはこういう意味があって…っていうのを本当に分からないそうにしてるときにだけ言う感じですね。自分が考えてること、どういうことをやりたいかってことは言っても分かってもらえないんじゃないかと思っちゃう。それが友達の少なさに出てますね(笑)。
LIVE SCHEDULE
20/20 VISIONS TOUR
2017年10月21日(土)@愛知・TOKUZO 終了
時間 : OPEN 17:30 / START 18:00
出演 : スカート / バレーボウイズ
2017年10月29日(日)@東京・WWW X
時間 : OPEN 17:00 / START 18:00
出演 : スカート / 台風クラブ
2017年11月26日(日)@札幌・SOUND CRUE
時間 : 17:30 / START 18:00
出演 : スカート / 柴田聡子
2017年12月1日(金)@福岡・INSA
時間 : OPEN 18:30 / START 19:00
出演 : スカート w/ Guest Artist
2017年12月3日(日)@広島・4.14
時間 : OPEN 17:30 / START 18:00
出演 スカート / Homecomings
2017年12月6日(水)@大阪・Shangri-La
時間 : OPEN 18:30 / START 19:00
出演 : スカート / トリプルファイヤー
2017年12月20日(水)@宮城・仙台enn 2nd
時間 : OPEN 18:30 / START 19:00
出演 : スカート w/ Guest Artist
ツアーの詳細、その他のライヴ情報はこちら
PROFILE
スカート
どこか影を持ちながらも清涼感のあるソング・ライティングとバンド・アンサンブルで職業・性別・年齢を問わず評判を集める不健康ポップバンド。強度のあるポップスを提示しながらも観客を強く惹き付けるエモーショナルなライヴ・パフォーマンスが話題を呼んでいる。2006年、澤部渡のソロ・プロジェクトとして多重録音によるレコーディングを中心に活動を開始。2010年、自身のレーベル、〈カチュカサウンズ〉を立ち上げ、ファースト・アルバムをリリースした事により活動を本格化。さまざまな形態でライヴを行ってきたが、現在は佐久間裕太(Dr)、清水瑶志郎(Ba)、佐藤優介(Key)、シマダボーイ(per)をサポート・メンバーとして迎え活動している。発表作品に『エス・オー・エス』(2010年)、『ストーリー』(2011年)、『ひみつ』(2013年)、『サイダーの庭』(2014年)がある。12'single 『シリウス』(2014年)が〈カクバリズム〉での初のリリースとなり、続くアルバム『CALL』(2016年)が全国各地で大絶賛を浴び、晴れて初のシングル『静かな夜がいい』(CD+DVD)を昨年11月にリリース。今年に入り「山田孝之のカンヌ映画祭」のエンディング曲と劇伴を担当。さらに映画「PARKS パークス」に挿入歌の提供や出演している。今年のFUJIROCKに初出演し多くの観客に迎えられながら素晴らしいライブを展開。10月にリリースする新作アルバム『20/20』にてメジャー・デヴューが決定した。多彩な才能にジャンルレスに注目が集まる素敵なシンガー・ソング・ライターであり、バンドである。
スカート Official HP http://skirtskirtskirt.com/
アルバム特設サイト https://twentytwenty.ponycanyon.co.jp/