2015年、ceroの新作を聴かなきゃ何を聴く? 岡村詩野が切り込む『Obscure Ride』インタヴュー&配信
ついにきた!! コンテポラリー・エキゾチカ・ロック・オーケストラ、ならぬコンテポラリー・"エクレクティック・レプリカ"・オーケストラ、新生ceroが生み出したサード・アルバム『Obscure Ride』。ライヴ・サポートだけではなくレコーディングにドラムの光永渉(チムニィ)とベースの厚海義朗を迎え、ブラック・ミュージックへの傾倒を顕にした今作。どの1曲をとっても興奮を感じずにはいられないが、その先鋭さ、ここに行き着くまでの道程についてはインタヴューにて。前アルバム同様、録音・ミキシングはエンジニアの得能直也とともにメンバーも自ら手がけ、そのアイデア、センスを如何なく発揮。さらにマスタリングにはUKメトロポリス・スタジオの巨匠、スチュアート・ホークスを迎え、その音像すらも気持ち良い!
これをいま聴かないでどうする! 2015年を象徴する傑作の誕生。さあ、音に、そして彼らの声に耳を傾けてみては?
cero / Obscure Ride
【Track List】
01. C.E.R.O / 02. Yellow Magus(Obscure) / 03. Elephant Ghost / 04. Summer Soul / 05. Rewind Interlude / 06. ticktack / 07. Orphans / 08. Roji / 09. DRIFTIN' / 10. 夜去 / 11. Wayang Park Banquet / 12. Narcolepsy Driver / 13. FALLIN'
【配信価格】
単曲 257円 アルバム 2,469円
※アルバム購入の方には歌詞ブックレット(PDF)が付属します
【配信形態】
16bit/44.1kHz WAV / ALAC / FLAC / AAC、mp3
INTERVIEW : cero
サポート・メンバーとして厚海義朗(ベース)、光永渉(ドラム)が加わってからのceroが、いわゆるインディーポップ・バンドという枠の中には収まることができなくなってきていることは恐らく多くの人が気づいてきていたことと思う。ブラック・ミュージックーーわけてもR&B、ソウル、ヒップホップの要素を、かなり具体的に解析、実践化した成果が『Yellow Magus』『Orphans』という2枚のシングルに徐々に現れるようになっていたことから、次はいよいよ、もともとのバンド名の中に潜ませた単語“Rock"が意味を持たなくなるのではないか。そこまで予感していた人も少なくなかったはずだ。
果たして届いた『Obscure Ride』は、いみじくも1曲目「C.E.R.O」で“Contemporary Exotica Rock Orchestra"から
“Contemporary Eclectic Replica Orchestra"へと宗旨替え(?)を宣言したように、16ビートのグルーヴをヒューマンな揺らぎを捉えながら形にした大傑作だ。ただし、忘れてはいけないのは、これは彼らにとってあくまで“レプリカ=写し"であること。黒人でも白人でもヒスパニックでもない、黄色人種である日本人の目線から向き合ったブラック・ミュージックであるということを前提としていることは本作を聴く上で重要な事実だ。そこが彼ら自身わかっているからこそ、ceroというバンドは強い。レプリカであることのユーモアを彼らが掲げている以上、ceroはceroであり続けることができるのだ。そう、再び、“Rock"に戻るときが来ようとも。
高城晶平、荒内佑、橋本翼の3人に話を訊いた。
インタヴュー&文 : 岡村詩野
写真 : 外林健太
もう3つバンドを作っては解散させているようなもんなんですよね、ceroって
——『Yellow Magus』がリリースされたときにお話を伺った際には、厚海義朗さん(ベース)、光永渉さん(ドラム)とライヴをするようになり、メンバーと合わせた7人編成での曲作りを視野に入れるようになってから、意識も作業の方法も大きく変化してきた、とのことでした。厚海、光永両氏がブラック・ミュージックに精通していることから、バンドの方向もおのずとそちらにシフト、裾野が広がってきた結果が『Yellow Magus』だったと。そこから今回のアルバムに向かうまでの話をまず訊かせてください。その後再びシングル『Orphans』のリリースをはさみ、アルバムの作業というのはどのあたりから自覚して進めるようになったのですか?
髙城晶平(以下、髙城) : 計画自体は漠然としていて、いつ出すとかそういうを決めずに、合宿という形で3回か4回、レコーディングをしました。とりあえず、新曲をどんどん作って、コンペ的に出し合おうと。で、ボツにはせずにライヴでやってみる、というようなことを去年1年間やったんです。「Orphans」もそういうなかから出来た曲ですね。最初の合宿は去年の3月だったんですけど、1回の合宿につき3曲くらいずつあげていく感じで、2度目か3度目の合宿で「Orphans」ができてきて。最初はシングルにする予定もなかったんですけど、ライヴでやったら反応が良かった。なので、「これはもう1枚シングル出してもいいんじゃないか、『Yellow Magus』からあいちゃってるし」って感じで出して。そこからアルバムへの流れができてきたって感じでしたね。
——なぜ合宿を利用して作業するスタイルでいこうと思ったのですか?
髙城 : とりあえずその時点で、自分たちのこれまでのキャリアの中で作ってきた曲っていうのはほぼ消化していたんです。こまごまとは残っていますけど、1回一区切りついた感じがあったので、変えたかったというのはありました。また同じようにダラダラとポンポン曲を出していくやり方だと雑多なものになっていきそうだったから、合宿という節目のあるやり方で作っていって、同時に出していく、みたいな方が絞れるんじゃないかと。実際に、合宿を細かくやることで、メンバー同士、どういうことをやりたがっているのかとか、どういう方にいきたがっているのか、というようなことも1回1回確認しあえる。で、それならこういう一手が、こういうBPMの曲が必要かな… って感じで帳尻を合わせながら作っていける…… アルバムという一塊に向けてフォーカスさせていけるのかなあって思って。合宿って言っても、本当に寝泊まりしてやったのって最初の1回だけだったんですけどね(笑)。寝泊まりもできる藤沢のスタジオで。でも、寝泊まりすると飲んだりするので睡眠時間がなくなって、かえって効率悪いなってことになって、2回目からは都内で2日、3日ガッツリと集中してスタジオに通ってやりました(笑)。
荒内佑(以下、荒内) : 前のアルバムも、その前のアルバムも雑多というか…… うん、色んな曲が入っている作品だったので、やっぱりフォーカスさせていきたかったというのはありますね。
髙城 : いろんなところに手を出していくような方向性は前回で一区切りしたんでね。20代から作ってきた曲に引っ張られながら… っていうのが前回のアルバムまでだったとしたら、ジャスト30歳の人間が今、構築して作るアルバムっていうのが今回ので。過去作にあまりとらわれずに新規でフォルダを作る感じが良かったのかな、と思いますね。ceroに第一期、第二期、第三期というのがあるとするなら、第一期は柳(智之)くんがドラマーで普通にバンド然とした4ピースだった時で、第二期はあだち(麗三郎)くんがドラムで、僕がベース、ヴォーカルで… という編成の時。それが『My Lost City』のときですね。あのころはどの曲も僕がベース、ヴォーカルでむりくりやっていたんですけど、それはそれで楽しくて。自分たちでできる範囲でアンサンブルを作っていこうとしていた時期ですね。でも、「Yellow Magus」ができたときにはもうその第二期のアンサンブルでは対応できなくなってきていた、おっつかなくなってきていたから、曲に合わせてceroというフォーマットを変えていこうということになって、で、みっちゃん(光永)と義朗さん(厚海)を新しく迎え入れることで、また血が新しくなった…。そんな感じで、もう3つバンドを作っては解散させているようなもんなんですよね、ceroって。
——作品を出すごとに、その都度その都度、新しいバンドのフォルムも提案する結果となっているわけですが、そうした経緯からどういうことを実感されますか?
髙城 : 昔からceroってバンドは楽曲に引っ張られて技術やアイデアが向上するみたいなところがあって。これは無理かなあ、ライヴで再現できるのかなあ、みたいなところを考えながらなんとか合わせていくような感じでずっとやってきたんだなってことですよね。先に曲を合宿で作り、それをライヴで演奏して追いかけ、また合宿で新しい曲を作り、またそれをライヴでおっかける、みたいな。この1年は、実際にそういうことをやりながらバンドを向上させるような1年だったので、どうしても2年とかそれくらいの時間は必要だったのかな、と思いますね。で、今回、次の向上のきっかけを作ってくれたのがやっぱり「Yellow Magus」だった。あの曲を荒内くんが出してくれたのは本当に大きかったと思います。
荒内 : 2012年に『My Lost City』を出して、それまで作った曲を消化したところだったわけですけど、そのころ、僕があだちくんのバンドでピアノを弾いていて、そこのリズム隊だったふたり(光永、厚海)がブラック・ミュージック… ジャズとかファンクの現場でやってきたプレイヤーでありリスナーだったことから、頭の中では理解していた感覚をどう実践するのかってことを教えてもらったり刺激を受けたりしたんですね。例えばロバート・グラスパーのようなクロスオーバー・ジャズ系のアーティストはどうやってああいう演奏をしているんだろう? みたいな疑問を実践で理解していくことですよね。それによって、ああいう感覚を自分たちの作品にも呼び込めるんじゃないか? って。そこから、じゃあ、もう、ちょうど作っていた「Yellow Magus」を一緒にやってみようよってことになった。そこからですよね。バンドがまた向上して次に向かっていったのって。
髙城 : 思い返してみれば、3年前の暮れに、出演者を発表しないシークレットなイベントとして、とんちレコードのお祭りがあったんですね。そこに僕らも隠し球として“ceroあだち麗三郎セクステット"で出演したんですよ。そこで、お互いの曲を演奏したりして。あだちくんが作った「ベルリンブルー」とかもそのとき一緒にやったんです。あのときが転機だったと思いますね。前からビデオくん(VIDEOTAPEMUSIC)から“あだち麗三郎クワルテッットと合体した方がいい"って言われてたんですよ。「そら確かにそうだなあ」って思っていたんですけど、実際にやってみたら本当に良かった。荒内くんが“あだカル"のメンバーだったことから引き寄せたことなんですけど…… あだちくんももともとはceroでドラムを叩いていたわけで…… そこからですね。
橋本翼(以下、橋本) : そうか、あの(とんちの)時にはまだ「Yellow Magus」はなかったっけ…。
髙城 : うん、まだなかった。
荒内 : でも、一緒にやってみてすごく感触が良かったんだよね……。例えば、ロバート・グラスパーのライヴを見た時って、彼はステージから降りて客席でお酒飲み始めたりして、まるでコンダクターのような感じだったんですよ。ああいうのを見ていると、まあ、僕らとグラスパーを比べるのもおこがましいですけど、僕らも一人一人がコンダクターみたいな感覚があるから、どこか近いところがあるのかなって感じたりもしたんですよね。
髙城 : ceroってカメレオン的なバンドでもあるしね。色々とりこんで色々と染まってみる、みたいなところがあるのも1つの接合点になっていたのかもしれないですね。現行のジャズと混ざり合う、みたいな。
人によっては「それこそが上澄みを舐めてるってことだよ」って言うかもしれないですけど、でも、それを今やる必要が日本の音楽にはある、と思った
——ロバート・グラスパーがそうですけど、昔ながらのブラック・ミュージック特有のマスキュリン、マッチョさ、あるいはセクシャリティを過剰に出すパフォーマンスや歌詞がceroにはほとんどないですよね。ブラック・ミュージックの持つ柔軟性と高い気品、気高さの方に意識を向けている、そんな印象です。今回のアルバムを聴かせてもらって感じたのもそこでした。
髙城 : それは嬉しいですね。
荒内 : そうそう、親近感がわくのは、グラスパーってよくJ・ディラのTシャツを着てるんですよ。本当のBボーイなら絶対に着ないんですよ、J・ディラのTシャツなんて(笑)。グラスパーって育ちがいいんでしょうね。それなのにヒップホップに憧れてストリートぶってる。でも、音楽的には真摯にヒップホップに向き合っていて、ジャズでそれをどう解釈するのかに挑戦しているわけで。そういうところがおもしろいなって。親近感わきますね。
——ceroの場合、同じく音楽的に真摯にヒップホップやR&Bに向き合い、さらにそこに日本人としての… というアングルも加わりますね。
髙城 : その距離感が何よりも重要だし、気を入れないといけないところですよね。特に日本のヒップホップには、他ジャンルに対してある意味排他的なところが少なからずあると思うんです。だからこそ、生半可な気持ちでヒップホップに参入してしまうことは絶対にできない……。そこをどうリスペクトした上で、上澄みを舐めるだけじゃなく、真に迫るにはどうしたらいいか……。そこらへんはすごく気を遣ったところではありますね。やっぱり音楽が持つ思想って無視できないじゃないですか。レゲエだったらラスタファリとか、アフロ・ミュージックだったらエチオピアに帰ろう、みたいな思想とか。でも、そういうのを抜きにして、音楽として向き合って、抽出して、自分たちの音楽に入れていく…… みたいなところ。そこが今回のアルバムで1番意識したところでしたね。ま、人によっては「それこそが上澄みを舐めてるってことだよ」って言うかもしれないですけど、でも、それを今やる必要が日本の音楽にはある、と思ったんですよ。そんなことをやってる人ってあんまりいないから。
——しかもそれを打ち込みではなく生演奏でやり遂げようという志です。制作段階でそこに迷いはなかったのでしょうか。
荒内 : 「Roji」なんかはギリギリまで悩んでたよね。打ち込みのままでいくか、生でいくか。
髙城 : そうだね。
荒内 : 「Summer Soul」なんかはデモの内容が良かったので打ち込みで十分いいかと思ったりしたんです。でも、自分一人でやった打ち込みだと自分の想像の範疇で収まっちゃう。バンドだと上手くいってもいかなくても、完全に制御できないってところがおもしろい。打ち込みを使って100%イメージ通りのものができたとしても、いまのceroだったらサポート含めてメンバーに一回投げる方が音楽的な豊かさが得られるんです。
髙城 : 制作のプロセスで言えば、全曲打ち込みのヴァージョンはあるんです。1度全部ビートメイクをした上で投げる、という。実際に出来上がったものは完全にフィジカルですけど、実はそこに至るまでの段階を踏んでるんですね。まさに、J・ディラからグラスパーに至る流れですよね。でも、この作業をやったことはとても大きくて、口じゃ説明できないところとかありますからね。特に僕なんて、感覚で打ち込んだものをみっちゃんに聴かせて、それを生でやってもらう、というようなやり方をするんですけど、みっちゃんはどちらかというと楽理肌のドラマーなので、ひとつのループを「ここで揺れてるのか」ってちゃんと理解した上でその場で叩いたりして、義朗さんと合わせたりしてるんです。そういう現場を合宿で何度となく見ていると、ちゃんと理論的なところに落とし込んでるなって思うんですよね。そういうのを見ると、このプロセスは必要だなって感じますね。まあ、荒内くんなんかは僕よりもっと理論を理解していると思いますけど。
橋本 : 僕はあんまりビートのことに強くないというか、特に集中して聴き込んでこなかった分野なんで、デモは僕も作っていたんですけど、あまり決め込まないで、「ここだけはこうしてほしい」ってみっちゃんと義朗さんに伝えて、あとは任せて。それで「あ、こんな風にできていくんだな」って楽しんでやってた感じですね。デモはAppleのロジックのソフトに入っているリズムのループをそのまま使いました。1番最後に作った「DRIFTIN'」って曲のリズムもループで作ったんですけど、逆にみっちゃんがそれを完コピして叩いたりして。
——橋本さんはミックスをやる目線があるから、ミックス作業を想定して曲を作ったりもするのですか?
髙城 : ああ、それは割とやってたよね。はしもっちゃんがディレクションするときって、割とミックスを想定した指示だなあって思う。
橋本 : 素材をもらうイメージが強いのかも。素材をもらっておいて後から仕上げる、みたいな。
髙城 : まあ、僕なんかミーハーっぽいところがあるから、ちょっといいな、と思う音楽を聴いたらすぐ自分たちでも試してみたくなるっていうのはあるんです。R&Bやヒップホップを聴いて、あ、やりたいな、みたいなね。覚えているのは、ホセ・ジェイムスのアルバムが出たときに、荒内くんがツアーに向かう車での中でそれをかけて……。
荒内 : あれ、岡山で買ったんだよね。
髙城 : で、「あー、この流れ、やっぱりキてるね〜」って感じで話して、バンド内のヴァイブスが調整されていくみたいなね(笑)。そういうことがたびたびあったよね。そういうなんてことのない会話のはしばしから方向性が決定づけられていったし、自分も曲を作るようになったってところはありますね。で、そこと時を同じくして、ceroとあだち麗三郎クワルテッットとの共演が起こったりして…… こりゃいけるぞ! って感じで転がっていったんですよね。