勝手に生きてるだけ、でもやれる限り“ぶっ放し”たい──eastern youth、3年ぶりのアルバム『2020』
1988年の結成以降、轟音をかき鳴らし続けるロック・バンド、eastern youthが3年ぶり18枚目となるアルバム『2020』を完成させた。2019年は17年ぶりとなる日比谷野外大音楽堂での単独公演を敢行、30年間走り続けてきたバンドの歴史を総ざらいするような名曲の数々を披露し、全国各地から集まったオーディエンスを大いに湧かせた彼ら。そうしたターニングポイントを挟んで生み出された今作『2020』は、アルバム・タイトルやジャケットの赤が示す様に、“今”を生き抜くためのギラギラとしたエネルギーが詰め込まれた、これぞeastern youthという1枚に仕上がっている。OTOTOYでは今作の独占ハイレゾ配信が決定、予約受付を開始するとともに、吉野寿(G、Vo)へのインタヴューを掲載。まだ梅雨も明けないころ、雨が降る荻窪にて話を訊いた。
3年ぶりとなる待望のアルバムを独占ハイレゾ、ブックレット付属にて配信!
予約販売についてはこちらをご確認ください
INTERVIEW : 吉野寿(eastern youth)
昨年の素晴らしい日比谷野音での単独公演以降、ライヴの本数が減っていたので「これは次のアルバムへの準備期間に入っているのかな」という期待を持ちつつ、年末にはNUMBER GIRLとの対バンを含む〈極東最前線〉を5月に開催することも発表し、2020年のeastern youthをとても楽しみにしていた。しかしコロナウイルスの影響で〈極東最前線〉をはじめ、出演予定だったイベントは全て中止に。けれどもやはり自分が期待していた通り、こうした状況下でも新たなアルバムの制作は進んでいた。しかし、今作ほど難産だったアルバムはなかったという。吉野自身としても最後のアルバムを出す気持ちで作ったと語ってくれたが、アルバムからはそんな雰囲気を微塵も感じさせないような力強さに満ちている。これまでeastern youthは何度となく僕らのケツを蹴り上げてくれたけれど、今作の一撃は強烈だ。キーワードは“ぶっ放す”、今こそ、その“存在”を取り戻せ!!
インタヴュー & 文 : 高木理太、飯田仁一郎
写真 : 大橋祐希
この歳まで生きてきて、なにをいっておきたいか
──まずは、2019年9月28日日比谷野外音楽堂でのライヴについて訊かせてください。あの日のライヴは、本当に素晴らしくて感動しました。
いつも以上に嬉しい気持ちで演奏出来ましたし、あたたかく迎え入れてもらえたなと。演奏もそんなにしくじらなかったですし(笑)。
当日のライヴレポートはこちら
──体力的に大丈夫か!? なんて心配してしまうくらいに最後まで飛ばしたセットリストでした。勝手に村岡(ゆか)さんが入ってからの曲がメインになるんじゃないかと思っていたんですよ。
自分たちがどうというより、みんなが聴きたいだろうなという曲をやろうと思って。で、村岡さんはもともとeastern youthのファンですから、自分が聴きたい曲をどんどん選んでくれて(笑)。実は、まだまだ練習していた曲もあったんですよ。全部は演奏できませんでしたけど、なるべく詰め込めてやれたかなと。
──野音以降はあまりライヴがありませんでしたが、アルバムはその後徐々に制作を始めていったんでしょうか?
本格的に曲を作り始めたのは11月くらいからですね。
──レコーディングは?
4月の頭です。3月いっぱいはひどかったですね、追い込みが。史上最高に地獄でした。体調崩しましたもん。
──eastern youthのレコーディングは、いつも追い込み型…
今回ばっかりは死ぬんじゃないかと思いました。
──具体的にはどの辺がキツかったんでしょうか。
曲はできない、まとまらない、歌詞が書けない、演奏もできない、間に合わない! みたいな。月曜から金曜までフルでぎっしり、それを1ヶ月間やっていました。
──本作は、過去一くらいの難産?
でしたね。もう才能の枯渇ですよ。最初が何もないわけですから、こんな感じかって手探りでやっていくんですけど、技術もなかなかアイデアに伴ってこなかったりで。まあ村岡さんはバカテクなんでなんでもできますけど、俺とタモはなかなかできることの引き出しが少ないんで。どうするんだってなってたら締め切りが迫ってきちゃったって感じでしたね。
──それは新しいアルバムを作るなかで、手癖的なもので収めたくなかったってことですか?
単純な曲なら手癖でもいいんですけど、それはいままで散々やってきているのでそう簡単にはいかないんですよね。コロナとか全然眼中になくて、そういうことを言いたいわけでもないし、この歳まで生きてきて、なにをいっておきたいかっていうことを考えましたよね。それを延々やっていたら煮詰まって追い詰められちゃって。
──村岡さん、田森さんも今回は苦戦したんですか?
村岡さんは素晴らしかったですよ、なにもいうことなし。俺とタモが半殺しだった(笑)。まあ俺が無茶なことばっかりいうから、村岡さんも苦労されたみたいですけど、だからっていうことはなかったですね。逆に「村岡さん! 何か助けを! 助け船を俺たちに!」みたいなね(笑)。
──なるほど(笑)。田森さんが苦労するのっていつもなんでしたっけ?
いつもですね。なかなか曲を覚えるだけで… 歳取ってくるとなかなか覚えられませんよ(笑)。で、1曲で変に拍子が変わったりするんで、どっかでごちゃごちゃになっちゃって。だからいつも限界ギリギリ、いっぱいいっぱいですね。
──勝手に田森さんは飄々と作られているのかなと。
今回は、タモが一番苦戦したんじゃないかな。やりたいこととできることのすり合わせなんですけど、そこで今回は特に苦戦したって感じです。
希望があるようなタイトルをつけるくらいならこれが全部言い表す
──でもアルバムを聴かせていただいて1番最初に感じた印象は、今のお話にあったような煮詰りは全く感じなくて、スコンと抜けた感じの曲が並んだアルバムだなと思いました。
それはアルバムを作り始めた最初からそうしたいと思ってました。ドロッとさせるのは簡単で、難しいとは分かっていてもとにかくスカッとさせたかったんですよ。
──それはなぜ?
この先アルバムを作る機会はそんなにないわけですから。これで最後のアルバムっていう気持ちで作りましたよ。
──なるほど。
ぶっ放しとかないと後悔するというか、遺恨が残ると思って。根っこにあるものだけにする、引いて引いて引き算して、削って削って骨だけにしたかったんですよね。そんな風になったとは思います。だから変な狙いとか計算とか、媚とか虚栄心とか、そういうのは極力排除できたとは思います。
──それはどういうところに現れていますか?
52歳の「ジャーン! ワァー!」をしっかり鳴らすんだっていう気持ちで臨んだところですかね。
──例えば、1曲目"今日も続いていく”の最後の節のちょっとリバービーになって一気にいく部分とかですかね?
そうです。バンドを始めたころのようにとにかく大きな音を鳴らして、ジャキジャキの音でぶっ殺すっていう気持ちですよね。
──難産だったこのアルバムで、1番時間がかかったのはどの曲ですか?
4曲目の“雑踏に紛れて消えて”ですね。これ単純な曲に見えてちょっと複雑な節なんですよ。タモはこれを覚えるのが大変だったみたいです。小節が3つだったり4つだったり、変な作りになっていて覚えるのに時間がかかってましたね。だけど複雑さをアピールしたいわけじゃなくて、パッと聴き単純にしたいんですよね。そのまんまふつうに8ビートじゃなくて、少しずつズラして作っていくと、あとでその辺が効いてくるっていう。
──このアルバムのリリースまでにシングル「時計台の鐘」も出しています。この曲を入れなかったのはなぜですか?
あれはあれ、アルバムはアルバムですからね。だから一切シングルの曲を入れることは考えていませんでした。10曲作るんだ、10曲録るんだって。
──アルバムのタイトル『2020』は最初から決めていたんですか?
録りながらです。だんだんコロナがひどくなってきて、緊急事態宣言が出て、オリンピックも絶対できないだろうと思っていたんで、これはもう『2020』しか考えられないなと。ほかに代わる言葉もないし、もったいつけて希望があるようなタイトルをつけるくらいならこれが全部言い表すんじゃないかなと。
──今回のアルバムのリリースは、もともとこのタイミングだったのでしょうか?
はい。コロナのせいでなにかスケジュールが変わったりっていうのはなかったです。
──結果的に、コロナの影響は、吉野さんにとってはどうなんでしょうか?
失業してますからね。この有り様ですよ。
──以前もバンドで集まってガッと詰めないと曲ができないっておっしゃられていたじゃないですか。だからコロナの間はどう過ごされていたのかなと思って。
3月までは毎日西荻窪にあるスタジオの狭い8畳で曲作りしてましたよ。で、4月は録音で。それが終わって5月になって失業って感じです。まあもともと銭になることはやってないし、ライヴでもなんでもやれば収入っていうかお金になりますけど、アルバムは出してみないとわからないし、今のところは制作費を払ってお金は出ていってるだけですから。今年に入ってからはソロで配信ライヴをやったのでそのお金が入っただけで、それ以外は何もないです。蓄えを切り崩して生きてますよ。
──なるほど。配信ライヴはいろいろな人たちが試行錯誤をしていますが、吉野さんはやってみてどうでしたか?
俺は意外とひとりでも盛り上がれるんですよ。ただ反応がないんで、それは詫びしい気持ちにはなりましたね。本当はなんか面白いこととかいいたかったんですけど、喋ることもないし、独り言みたいになっちゃうしっていう。まあ、ぶつぶついいながらやりましたけどね(笑)。でもそれでいいんじゃないかなと思って。全然不愉快じゃなかったですよ。
──じゃあ意外と性に合ってたわけですね。
全然いけます、バリバリやれますよ! ちゃんと見てくれる人がいるならいくらでもやります。まだやってない曲も山ほどありますし。時間気にしなくていいなら10時間でもできますよ。
──バンドでやるのとは全然違いますか?
全然違いますね。バンドは俺だけでやってるわけじゃないから、一緒に練習して準備もしなきゃいけないし。ひとりは適当にやっても出来上がりますけど、バンドはちゃんと流れを決めて、合わせて、型にはめないとものにならないので、バンドで配信やるっていうのに対してはどうなんだろうっていうところはありますね。ひとりは「お前もひとり、俺もひとり」みたいに見れますけど。否定してるわけではなく、バンドでも機会があればもちろんやりたいですけど、ちょっとどうしたものかなとは思っていますね。
むしゃくしゃするし、やってやろうぜみたいな気持ちはあります
──長いeastern youthの歴史の中でも、ここまでライヴができない状況はないですよね。
ないですね、若いころから毎月1回はやってましたから。でも、できないものはしょうがないですよ。あんまりライヴができなくてウォーって感じでもないんです。そうなったらひとりでスタジオに入ってギャーギャーにやってますから。だから止まってる感じはあんまりないですね。アンプやギターをバラバラにして組み立てたりとか、パソコンで曲を作るのを勉強したり毎日やってて実は忙しいんですよ。1銭にもならないですけどね(笑)。
──それってこのアルバムには生かされてるんですか?
アルバムにはなにも生かされてないです、録音が終わって、晴れて失業者ということになってからです。でもせっかく時間があるんだから覚えないと取り残されると思ってDTMを。ちょっとわかってきましたよ。最初は「MIDIってなに!?」ってなってましたけど(笑)。
──ではソロの作品がそういう宅録として出るかもしれないですね。
もちろん考えてますよ。あとは通販の発送作業は自分でやってるんでそれがありますね。大変なんですけど、これも明日に繋がる仕事ですから(笑)。
──新しいことにも取り組みつつ、やるぞ! という気持ちになってるんですね。
そもそも切羽詰まってるのはいまに始まったことじゃないんですよ、ずっと切羽詰まって生きてましたから。コロナくらいで驚きませんよって感じですね。ちょっと風が吹いたらすぐ倒れるような生き方ですよ。だからコロナっていう世の中すべてを包み込むような風が吹いてますけど、俺にとってはいつも通りです。コロナとかなくてもダメになるときはダメになりますからね。だからそれほど驚いてないしへこたれてない。ずっとへこたれてますから。ただ収入がなくなって、予定がなくなったし、立てられない。いよいよ来るべき時が来たと思いました。100歳まで生きたとして、100歳でバンドできるかってなったら難しいし、いつまでやるのかってなってもそんなのわからないじゃないですか。体が動くまで、幸いまだ体がガタガタなわけじゃないから、また状況が許せばやれるだけやったらいいんじゃないのって思います。だからそんな感じで今やれることやろうと思いますし、それが配信とか、DTMだってそうですし、ひとりでスタジオに入りまくるのだってそうですよね。
──なるほど。逆に吉野さん自身は変わっていなくても、周りの変化には思うことはありますか?
みんなコロナで疲弊してきて神経質になってきてて、世の中のギスギス感は強くなってますよね。嫌な世の中になってきたなと。
──こうした世の中だからこそ、いまはこれまでよりもさらにeastern youthの音に感情移入できるように感じているんですけど、いまだからこそバンドとしての“なにか”っていうのはあったりしますか?
求められることとか力になれることがあれば何かできればいいんですけどね、気持ちとしては。だけど、人の役に立つためにやってるわけじゃないので。どういう風に世の中に役立っていくかっていう考え方は嫌いなんですよ。役に立つと善、役に立たないと悪みたいな考え方って。だからやれることをやれるときにやるっていうだけで、「いまこんな大変な時だからこそなんにもいわないの!?」っていう期待が高まるほど、いいたくなくなるんですよ。
──確かに欲しがってますね。
そんなのひな鳥じゃないんだから自分でなんとかしてくれって俺は思うんですよ、勝手に生きてるだけですし。でもぶっ放したい気持ちはありますね、音で皆殺しみたいな。だから配信でもなんでもいいんです。ぶっ放したいことはぶっ放したい。むしゃくしゃするし、やってやろうぜみたいな気持ちはありますね。“発露”っていうんですかね、自分も含めてみんな縮こまっちゃって見てられないじゃないですか。だからこそやるぞっていう気持ちはありますよ。
──では今回の作品が最後のアルバムっていう気持ちではなく、まだまだその先を期待してもいいですよね?
それは俺にもわかりません(笑)。五里霧中ですから、人生。明日どうなるかわからないし、そうやって生きてきて、そういうやつがやってるバンドなので。やれればやるし、やれなきゃこのままおさらばだと思ってますよ。
編集 : 安達 瀬莉
『2020』のご購入はこちらから
過去作はこちらにて配信中!
新→古
PROFILE
eastern youth
吉野寿 : エレキギター、ボイス
村岡ゆか : ベースギター
田森篤哉 : ドラムス
1988年 札幌にて、吉野寿、田森篤哉、三橋徹により結成
1991年 バンド上京に伴い三橋脱退
1992年 二宮友和加入
2015年 二宮脱退
2015年 村岡ゆか加入
何がなにやら暗中模索で今日も迷走中
【公式HP】
http://www.hadashino-ongakusha.jp/
【Twitter】
https://twitter.com/ey_chan