戻った理由? 「当時付き合っていた女の子が京都に居たから」──あら恋ベスト・アルバム発売記念アラフォー対談!!
叙情派シネマティックDUBバンド“あらかじめ決められた恋人たちへ”が今年2017年、活動20周年を迎えた。これを記念して20周年記念ベスト『あらかじめ決められた恋人たちへ- 20th BEST -』をリリース。あら恋の軌跡を、ぜひハイレゾで堪能して欲しい。
そして今回、あら恋リーダーの池永正二と旧知の仲でもあるシンガー・ソングライターのゆーきゃん、Limited Express (has gone?)のギタリストでオトトイ編集長も務める飯田仁一郎の3人による対談をお届け。彼らはもうすぐ40歳(アラフォー)。ちょうどボアダムス等の関西の盛り上がりと関西ゼロ世代の狭間の時期に関西で切磋琢磨し、のちに同時期に東京に上京、そして今は各々の道へ…… 気づけばベテランとなった彼らが、今何を思い活動を続けているのか。
この記事は、今からミュージシャンを目指すもの達、そして現在音楽家を目指している者達に大きな光りを与えることだろう…… か?
今年活動20周年を迎えたあら恋のベスト盤!
あらかじめ決められた恋人たちへ / あらかじめ決められた恋人たちへ- 20th BEST -
【配信形態】
ALAC、FLAC、WAV(24bit/48kHz) / AAC
>>>ハイレゾとは?
【配信価格】
アルバム 2,700円(税込)
【収録曲】
1. ヤナガ
2. Back
3. 前日
4. Fly feat.吉野寿(from eastern youth)
5. 迷いの灯
6. ラセン
7. 翌々日
8. ハウル風
9. トカレフ
10. gone feat.曽我部恵一
11. res
12. CALLING
対談 : 池永正二(あら恋) × ゆーきゃん × 飯田仁一郎(リミエキ)
あらかじめ決められた恋人たちへ
2017年、活動20周年を迎えた叙情派シネマティック・バンド。通称“あら恋”。
リーダー・池永正二(鍵盤ハーモニカ、Track)のソロとしてスタートし、現在は劔樹人(Ba.)、クリテツ(テルミン、Per.)、オータケコーハン(Gt./from LAGITAGIDA etc.)、GOTO(Dr./from DALLJUB STEP CLUB etc.)、ベントラーカオル(Key./fromクウチュウ戦)、石本聡(DUB P.A.)を加えた7人編成。各メンバーは別バンドでの活動やプロデュース業にも携わる異能集団。
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20周年特設サイト
池永正二(あらかじめ決められた恋人たちへ)
1997年 「あらかじめ決められた恋人たちへ」活動開始
2007年 東京に上京
2017年 活動開始20周年を迎え、新録音のbestアルバム『20th BEST』リリース。20周年記念ライヴ・イベント開催。
ゆーきゃん
シンガーソングライター。
USガレージ・フォーク / サッドコアの影響を受けた音楽性と、日本語の豊かな響きを生かした文学的な歌詞を武器にした、唯一無二な空気感をもつ弾き語りを身上とする。京都にて2002年より続くDIYフェス「ボロフェスタ」主催者のひとり。
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ゆーきゃん
1999年 京都にて、SSWとして活動を開始
2008 東京へ移住
2010年末 京都へ帰る
2013年 さらに故郷・富山に戻る。現在は金沢のバンド"noid"にも所属(主に作詞を担当)
Limited Express (has gone?)
2003年、US、ジョン・ゾーンのTZADIKから1st albumをリリースし、その後紆余曲折ありながら、5thアルバム『ALL AGES』まで到達。現在は、LessThanTVより音源をリリースし、ジャンルレスでギャーギャー騒いでいる。
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飯田仁一郎(Limited Express (has gone?) G,VO)
2000年 Limited Express (has gone?)を京都で結成
2007年 東京に上京
2017年現在 東京在中 OTOTOY編集長 / SCRAP取締役 / BOROFESTA代表等……
上京
飯田仁一郎(以下、飯田) : この三人は同じような時期に関西から上京してきたという共通点があります。30歳前後でなぜ上京を決めたのか、東京で何を思ったのか、そして東京に残った人も地元に帰った人もいて、それぞれ今どう過ごしているのか。20周年を迎えたあら恋のベスト・アルバムの特集と言いながら、そんな話をできればと思っております。最初に上京したのが僕で、2007年ですね。
ゆーきゃん : 僕がきっと最後じゃないですかね。時期的には2008〜9年。
池永正二(以下、池永) : 俺は多分その間くらいやな。やっぱりバンドだけでは食べていけなくて、働きながら音楽できたらいいかなと思ってたんですけど、働いてた会社が業務縮小で人が減っていって、色々と考えなきゃいけないタイミングだったんです。ちょうどその頃、舞台「パンク侍、斬られて候」の演出を山内圭哉さんがやってて、劇伴の仕事をやらせてもらったんです。映画も好きやったし、劇伴もやりたいと思ってたから嬉しくて。そしたら山内さんが「音楽で食ってくんだったら東京来いよ。今うちの上が空いとるから」って言ってくれて。
町田康原作のSFスペクタクル時代劇。
川下大洋、後藤ひろひと率いるユニットPiperの一員であり、ミュージシャンの顔も持ちながら、さまざまなジャンルの舞台に立つ山内圭哉が脚本、演出、主演を務めた舞台。池永はこの舞台の音楽を担当。
飯田 : 山内さんがキーマンだったんですか。
池永 : そう。山内さん自身もThe Jizz Monksってバンドをやっててハードコアが好きな人で、よくしてもらってました。そのタイミングがなかったら東京には行けてなかったと思うし、本当にありがたいです。
飯田 : それまでも東京に行きたいなとは思ってた?
池永 : いや、そういう話になってから行きたいって思いました。
飯田 : そこで明確に音楽で食べていこうと思ったんですか。
池永 : そうそう。だから俺の大きな動機としては仕事かな。作曲の仕事とか大阪でもあるんだろうけど、なんだかんだで東京がメインじゃないですか。悲しい話やけど。それが1番大きい。飯田くんは?
飯田 : 僕はバンド(Limited Express (has gone?))が一旦解散して、それまで全力をかけてやってたものがなくなって、モチベーションの行き場がなくなったんですよね。それと、バンドと並行してずっとCD SHOPで働いていたので、何か音楽の仕事ができないかなというのもあって、半ば東京に救いを求めて、仕事と音楽活動の両軸で出てきました。
ゆーきゃん : 皆いろいろ考えてたんやな。僕は西部講堂を追い出されて行く場所がなくなったから。2007年、西部講堂最後の年のボロフェスタで、今や懐かしのBBSが大炎上したんです。野外ステージが使えなくなったことをアナウンスしたら、誹謗中傷がすごい湧き上がってきて。イベントに対する苦情だけじゃなくて「売名行為」とか「拝金主義のクソイベント」とか、挙げ句の果てには「そもそもお前らの音楽なんてかっこよくないんじゃ! 」みたいなことまで。
池永 : ボロカス言われたんや(笑)。
ゆーきゃん : 今twitter経由で入ってくる情報なんかにはもともと感情がくっついているような気がするんですけど、当時は2ちゃんねるやミクシィの時代で、誰かに対する悪意が表に出て来にくかったと思うんですよね。悪口がネットの裏側に埋蔵されてたというか。でも実はこの街の人は僕らのことをそういうふうに思ってたんだっていうのを突きつけられて、ものすごいショックで、疑心暗鬼になってしまって。京都のミュージシャンだと思っていたけど、ここは僕の街じゃないんだなと。かといって地元に帰るのは逃げて帰る感じがして抵抗があったから、次行くなら福岡か東京かなって。
池永 : 福岡っていう選択肢もあったんや。福岡、イイよね。でも何かがなくなるって大きい。バンドがなくなるのもそうだし。
ゆーきゃん : あとはやっぱり諦めたくないって気持ちもあった。まだ自分には何かできるだろうっていうことを東京に探しに行ったんだろうと思います。
飯田 : 音楽でってことだよね。
ゆーきゃん : うん。音楽にまつわる何か。実際2007年に〈NOISE McCARTNEY RECORDS〉からアルバム(『sang』)を出していたし、行ってみるのも悪くないかなと思ったというのもありますね。
NOISE McCARTNEY RECORDS
くるりが主宰するレコードレーベル。
国内外問わず、くるりのアンテナに引っかかったアーティスト、楽曲を世の中のリスナーに届けることをコンセプトとしている。
当時の関西
飯田 : 当時の関西(2007年〜2008年)は、僕らよりちょっと下のゼロ世代と言われるところだとあふりらんぽ、ズイノシンやオシリペンペンズ等が勢いよく来てるタイミングだったと思うんです。上の世代のBOREDOMSとか、関西のアンダーグラウンド・シーンの動きももちろんあって、その間の層として僕らやFLUID、あとはヨガタイランドやP-shirts等がいて、いろんな世代のバンドが群雄割拠してる、おもしろい時期でもあった。
ゆーきゃん : そうですね。僕らはすごいプライドを持っていたというか。関西がおもしろいって頑張って言ってたような気がします。
飯田 : そもそもボロフェスタはフジロックを観て、関西でこんなフェスができないかと思って始めたからね。池永くんは当時の関西をどう見ていたんですか。
池永 : みんな好き勝手やってるイメージ。いがみ合ったりしてる部分もあったけど、今思えば楽しくやってたなと。「これおもろいやろ!」のやり合いというか。すごく原始的っていうか小学生的なんだけど、その関西特有の高め合い、レッドラインを越えてズンズン極端に極めていく感じがすっごくおもしろかったな。あと関西に限らず、東京でも全世界でも全人類がそうだと思うんですけど、どっかのシーンが盛り上がったり、誰かのバンドが売れたり、自分よりも高い評価を受けていたりした時の嫉妬はありました。
飯田 : あった。今よりは確実に嫉妬は多かったですよね。
池永 : 「俺のがすごい!」ってね。嫉妬しないと原動力にならないというか。
飯田 : 僕にとっては上京後の〈less than TV〉の存在って大きくて。バンドの行き場がなかったときに、〈less than TV〉周辺の人たちの、余計な力が入ってない、パンク / ハードコアの売れないのがかっこいいんだっていうスタイルに直面して、ひとつ肩の荷が下りた。東京に来て1番いい出会いをしたなと思ったところですね。
less than TV
谷口順が主宰する天衣無縫の至宝レーベル Less than TV
日本中を地下通路で繋ぎ、爆音を響かせ、世界を揺らすアンダーグラウンド・ナチュラル・リバーブ・マシン
less than TV特集はこちらから
池永 : そうやんな、飯田君は片意地張ってたイメージあったもん。なんか喋りやすくなった(笑)。
飯田 : ははは(笑)。上京してからバンドのメンバーが変わったりもして、幻影のようにあった売れることへの執着みたいなものは自然になくなっていったかな。あとは仕事がおもしろくなってきたことも、考え方が変わっていった要因かもなと思いますね。音楽はかっこいいものとしてやりたいし、シーンを盛り上げたい。でも仕事も頑張ってやりたい。そのバランスをとりながら、自分たちの音楽のスタイルがこの10年くらいで少しずつ今の形になっていったんだと思います。池永くんはどうですか。
池永 : やっぱり躍起になってましたよ。事務所もレーベルも何もない状態で30歳超えて東京出てきてるわけやから。周りは売れてる人、多いし。かといって、何をどうしたらええかも分からんし。でも自然と大阪に帰りたいとかはあんまり思わなくって。僕は基本、場所はどこに居ててもいいんで。
ただ東京は人口が多い分、自分のやりたい事が広がるきっかけが多くある場所で、知り合って話せばやっぱり楽しい。音楽や映画の仕事をしている人って、みんな音楽も映画も好きなんよね。そんな事、普通の職種ではまず有り得ないから。音楽好きってクラスに1人いるかいないかやん。共有する事が良い事だとは思わないけど、共感できれば嬉しい。嬉しいと笑うでしょ。笑うと楽しいんです。合わんとこ突っつくより、そうやって倍音を奏でるところを増幅させる事ができれば良い作品になるし。だから、しんどい時もあるけど基本、楽しんでやってます。
東京は流れが早すぎて溺れた
飯田 : 作曲仕事が増える一方で、バンドとしてのあら恋はどういう存在になっていったんですか?
池永 : それはもう昔から変わってなくて、それこそライフワークかな。仕事は仕事って割り切ってないし、あら恋も仕事なわけだから、割り切るも何もね(笑)。どちらも良い作品になれば広がっていくし、広がっていかなければそれだけの作品なわけで、でも何年後かに認められるって事もあるから。リアルに。ほんと毎回ベストを尽くさないと。少なくとも自分の中で「やりきった」って納得いくまではやらないと、ちょっとした後悔のスキマはどんどん大きくなっていってそんな人になるからね。だから、あら恋も作曲仕事もどちらも掛け合わさって、掛け算でやっていきたいです。
飯田 : ゆーきゃんはどうですか?
ゆーきゃん : 東京は流れが早すぎて、溺れたみたいなところがあります。
飯田 : その表現がわかる人たくさんいると思う。「僕も溺れてます」って人。
池永 : 「溺れてる」って言いかたが悲しいわ。せめて「もがいてる」とか。でもゆーきゃん、溺れてたかな? どっちかというと川岸で観てたほうじゃない? 「今日も川は流れてるなー」みたいな。
ゆーきゃん : 拾われた場所がSunrain Recordsだったので、基本はオルタナ、アンダーグラウンドに足を置いてたけど、運営会社はショービジネスもやってたから、とても断絶されてるなと。音楽をライフワークでやっていきたいって人たちの泥臭い世界と、「何年で売れなかったら辞めます」っていう人がいるきらびやかな世界。どっちもかっこいいんですよ。そのことはお互い認め合ったりもしてる。でも、壁は薄いくせに、ドアを開けたら全然温度が違うみたいな。それを感じてわりと嫌になった。
Sunrain Records
高円寺北口駅前のCDショップ。
ゆーきゃんや吉田肇(PANICSMILE)らも勤務していた。
2009年12月13日をもって閉店。
飯田 : 温度差が?
ゆーきゃん : 「お前はそっち側だ」って言われるのが嫌で。どっちだってええやんって思ってたけど、断絶にNOと言うためには自分自身が光を放ってないと説得力がないのに、光が足りないと思って。
池永 : 光って?
ゆーきゃん : 俯瞰してみたときにこの人はどれぐらい人気があるかとか、存在感があるかとか、発言力があるかとか。例えば、曽我部恵一さんがCCC(CITY COUNTRY CITY)をやってる、ああいうポジションにならなければ僕のやりたいことは出来ない。けど、そこまで登っていくには凄い遠いなと。
池永 : 東京はわかりやすいよね。やってる人がたくさんいる分、すごい如実に「あ、これ無理や」って気付かされる。
飯田 : ゆーきゃんは東京に出てきてどれぐらいでそれを感じたんですか?
ゆーきゃん : サンレインが閉まるときに、振り返って気づかされたかな。居場所がないなら自分で作ればいいというのは今でも一貫して思ってるんですけども、2年ぐらい夢中にやってきたサンレインがなくなって、自分の墓がどの辺に建つのかを考えたときに、東京にはどこにもないなと思って。リキッドルームにもシェルターにもない。モナレコードにも七針にもない。そう思ったら心細くて。
ただ東京に居てよかったと思うことは、東京に居たからこそ、地方が見えるようになった。地方の音楽やシーンがいかに人に愛されていて、人に支えられていて、価値のあるものなのか。サンレインはCD-Rも扱ってたから全国からそういうものがたくさん届いてて、盤面にマジックで殴り書きしてあるようなものがめちゃくちゃ良かったりするんです。今はsoundcloudやYoutubeで聴ける時代だけど、わざわざ音源をお店に送りつけるっていうエネルギーはかけがえのないものですよね。
飯田 : 地元の富山じゃなくて京都に戻ったのは?
ゆーきゃん : 当時付き合っていた女の子が京都に居たから。
飯田 : ガクッ!
ゆーきゃん : 京都にサンレインの在庫を持って帰って、ライブハウスnanoの上の部屋を借りてオンラインのレコ屋をやってたんです。タワーレコードには置かれないような、ナタリーに載らないようなローカル・シーンを表に出していきたいというか、地方の小さなシーン同士を結びつけるメディアとしての役割が自分にはできるんじゃないかと思ってやってたんですけど、それだけで食っていくには難しくて。
自分の音楽に関しても、後から出てくる京都の若いバンドに追い越されていくというか、僕らのトレンドがこの街のトレンドになるようにと思っていたのに、いつの間にかご意見番的なポジションに置かれて、古い世代扱いされて、自分たちも作っていたはずの流れの中にいないことがもどかしくて。足元が全然しっかりしてなくて、自分がどんどん煮詰まっていくなと思っていたら、彼女が出ていくわけです。
飯田 : なんかゆーきゃんの人生相談みたいになってきた(笑)。
ゆーきゃん : そこで自分に何ができるかを考えた結果、人の話を聞くのが好きだったなと。自分の次の世代にアドバイスしたり、後押してあげたり、転びそうな時に支えてあげたりすることが自分に向いてるのかなと思って、富山県で就職活動をすることにしました。
飯田 : 富山に戻った大きな理由はやっぱり教師になることが決まったから?
ゆーきゃん : あと富山が自分が生まれた街で、ルーツとかホームタウンとかそういうものをもっと大事にするべきだと思い始めて。今までは「東京じゃどんなおもしろいことができるだろう」とか「京都をおもしろくするためにどうしたらいいだろう」とか考えてたけど、富山に帰るときには「この場所のために自分ができることはなんだろう」って思うようになった。
むしろ歳をとった40代からこそ本番
飯田 : 上京の動機、上京後のそれぞれの活動や想いを聞かせてもらいましたが、今現在はどうですか。僕は東京のスピード感がすごく性分に合うんです。挑戦できる街だし、蠢いてるおもしろいことを具体化していくことを必死でやってやろうと思ってる。ひらめいたことを瞬時に実行に移すことが世界をちょっと変えてったりするのかなと思えたし、やり続けていけば今が未来にもつながっていくと思うんです。
池永 : うん。世界を変えていくのは小さいところからだと思うし、言ってみれば世界を構成してるのは俺らやんか。別に誰かが世界を構成してるわけじゃなくて、1人1人が集まったものに世界っていう名前がついてるだけ。自分の活動が世界を変えていく1要素になるって別に大きいことでもなんでもない、普通のことだと思うんです。まあ、自分1人が居なくなっても普通に世界は動いていくんだけどね。そういう虚無チックな話はお酒飲みながらワイワイ話す方が楽しいんで。どっちにしても、だからこそいいものを、グッとくる瞬間があるものを作っていきたいし、今も作っている感じかな。
俺、アーティストになりたいんです(笑)。って、冗談ではないんですが、見た目とかキャラとか物語とかパフォーマンスよりも、ライヴ含めて作品で勝負してるのがアーティストだと思っていて。つまりはグッとくるものを見せれるかどうかっていう部分ですね。新しいおもしろいものって、組み合わせで作られることが多いらしく、だったら経験やひきだしの多い40年生きてきたおっさんの方がおもしろいもん作れる可能性はあるんです。だから映画でも文学でも、むしろ歳をとった40代からこそ本番なんです。でもバンドって人気稼業な部分があるので、若い煌めいているバンドの方が人気が出るのは当たり前なんだけどね。もうちょい映画みたいに、作品的な部分での楽しみ方にも目を向けて欲しいなーと思います。
飯田 : 池永くんって3.11以降に考え方変わった?
池永 : そりゃ変わったでしょ。あれだけ地面が揺れてさ、原発があんなことになってるってなったらもう変わらざるをえない。体験したもので変わっていかないとリアルじゃないというか。ゆーきゃんもそうやんか。東京~京都~富山って体験していって。あと、大きい流れって怖いと思った。大きい”集団”ってもの自体が。余裕がなくなって周りが見えなくなった時のあの大きい集団意識というか、他を認めない感じ。不安からくる信じて疑わない状態。主義を持つのは良いんだけど、それで他を認める余裕がなくなるというか。切羽詰まってるから当たり前なんだけど、でも他人と自分は違うのも当たり前だからね。意見の言い合いは良いんだけど、違うものを排他していく、排他するために攻撃していくのはあかんと思う。攻撃しあって勝つのは大きい方だから、じゃあ俺はその”反”でいきたいと思った。
飯田 : 反?
池永 : 反。反抗。ロック自体そうやん。反抗するのがかっこいいってロックが好きになったわけで。反といってもわかりやすいレジスタンスとかじゃなくて、大多数に惑わされずに自分の場所を選ぶってことね。自分にしかできないことが自分の武器になると思うんで。あと案外ネットも個じゃなくて集団化していってるような気がしていて。会って喋ったら案外そうでもないんだけど、それがネットの言葉だけだとある側面のアーカイブになってきて、どんどん差が出来ていくわけでしょ。喋ったら「そんなもんだよね」で済むことだってあるのにね。ちょっとネットに依存し過ぎてて危険なんちゃうかなーって思う。もう抜けられないでしょ。電車乗ったらみんなスマホ見てるやん。スマホ見てる人を見てる方がおもしろいよ。見すぎると捕まりますが(笑)。だから、それこそ反ネットで。反スマホ、しかも反人間っていう(笑)。
飯田 : ゆーきゃんは今どうですか。
池永 : 高校の先生? 中学やったっけ?
ゆーきゃん : 高校です。高校生おもしろいですよ。昨日できなかったことが今日できるようになっていたり。
池永 : ゆーきゃんはあんま変わらないよね。先生やりながらでもゆーきゃんはゆーきゃんで、ゆーきゃんの活動の延長線上に先生ってあるんだろうなと思う。別に歌うだけが歌うことじゃないっていう言葉がすごいハマるなと思った。
飯田 : 僕も全く同じことを思いました。やっと居場所を見つけたんだなと思って。愚痴も文句も減ったし、やっと自分が満足できる場所に行ったんだなと思ったときにこの対談をやるべきだなと思ったんですよ。三者三様の経験を話すことで、どんな道だってありだぜっていうことがこの対談で伝わればいいなと。
別に後悔ないでしょ?
池永 : 何やってもなるようになるし、なるようになったところが1番落ち着く場所だし、それに後悔ないやん。そう、後悔してそうな人って後悔してる顔をしてるというか。ゆーきゃんスッキリしてんの。めっちゃスッキリしてて。ゆーきゃんぽいの、今でも。だからそれってすごい良いことだと思って。
ゆーきゃん : かっこいいって自分に対して思ったことがほとんどなかったんですけど、最近は自分の「生き方」については、わりとかっこいいと言ってもいいんじゃないかなって。というか、生き方がかっこいいと思えるようになるっていうのが結構大事かなと思うようになった。
池永 : 卑下はしてないってことだよね? 今が1番良いでしょ?
ゆーきゃん : 今良いです。
池永 : なんか俺も飯田くんもそうやんな。別に後悔ないでしょ?
飯田 : ないですね。
池永 : 細かい後悔はいっぱいあるけど、なんかおおまかにみたら別に、なるべくしてそうなったなと。後悔せんようにしようって後悔してないわけじゃなくて、自然に今のほうがいいと思えてるよね。
ゆーきゃん : 僕、今人を相手にする職業だから、目の前の相手にしてあげられることを考えていて、今がなかったら未来がない、今を一生懸命やるっていうことが未来を切り開くことなんだなとすごく感じてます。すごく現実的な仕事に就いて、でも昔よりも日々抱えてることがロマンチックになってる。
池永 : 40代でロマンチックっていいな。
ゆーきゃん : だからSSWとしても多分変わっていくんだろうと思います。その時その時、歌いたいように歌うんやろなと。京都から富山に帰るとき、バンヒロシさんが「歌ってないときが、いちばん歌ってるときなんやで」って言わはって。
だから最近は、音楽自体に関わる時間は確かに減っているんですけど、自分の中にあるものは変わってないし、やっぱり歌ってるんやとおもう。こうやって生きていけると思う。
池永 : 絶対先生やってたら歌詞変わるもんな。今の歌、聴いてみたいもん。
飯田 : 自分が変わっていってるから自然に出てくるものも変わるだろうと。まさにフォークシンガーの基本ですよね。でもそこに行ってなかったもんね。自分の場所がなかったときは。
ゆーきゃん : 自分のキャラみたいなものに囚われてて。
池永 : もう本当にどうでもええってわかったよね、そんなこと(笑)。
photo by 大橋祐希
DISCOGRAPHY : あらかじめ決められた恋人たちへ
DISCOGRAPHY : Limited Express (has gone?)
DISCOGRAPHY : ゆーきゃん
INFORMATION : あらかじめ決められた恋人たちへ
LIVE SCHEDULE
〈20周年記念ライヴ・シリーズ〉
■第1弾「残像の夜に vol.4」対バン企画
2017年7月1日(土)@新代田FEVER
出演 : あらかじめ決められた恋人たちへ / MOROHA
■第2弾「Mixing vol.2」映画と対バン企画
2017年9月6日(水)@渋谷WWW
その他INFO
映画「武曲 MUKOKU」(監督:熊切和嘉、主演:綾野剛、村上虹郎)
2017年6月3日(土)全国ロードショー
音楽 : 池永正二
主題歌 : 「Fly feat. 吉野寿(from eastern youth)」あらかじめ決められた恋人たちへ
公式サイト : http://mukoku.com/
「Fly feat.吉野寿"(映画主題歌Ver.)」を映画公式サイトにて無料ダウンロード実施中!
INFORMATION : Limited Express (has gone?)
LIVE SCHEDULE
〈LIVE JUNK〉
2017年5月5日(金・祝)@渋谷 TSUTAYA O-Nest
出演 : Limited Express(has gone?) / PANICSMILE、DMBQ
転換ACT : 黄倉未来
開場 : 18:30 開演 19:00
料金 : 前売 2,800円 当日 3,300円
Limited Express (has gone?) OFFICIAL HP
INFORMATION : ゆーきゃん
LIVE SCHEDULE
〈WaikikiRecord 18th ANNIVERSARY PARTY-Guaranteed to Make You Feel Good!-〉
2017年5月6日(土)@Shibuya TSUTAYA O-NEST
出演 : ELEKIBASS / ワンダフルボーイズ / Schroeder-Headz / 空中カメラ / 103CA / ジャパニーズCLUB / ゆーきゃん / ぽわん / PARIS on the city! / DJ 623(Claudine!!) / mskz(weehicks / Syncopation) / OKUDA
詳しくはこちら
〈めざめ×aka rui heya〉
2017年6月24日(土)@富山 中央通 HOTORI × ほとり座
出演 : ダスティン・ウォング&嶺川貴子 / ゆーきゃん あかるい部屋バンド × 藤木卓 (花人) / DJ 空中水泳
その他INFO
〈イメージフォーラムフェスティバル2017-タンジブル・ドリーム / 触れることのできる夢-〉
Bプログラム 「奇遇な風景たち」にて
「マドラグ(西陽の国) 」2017年 / 5min / 音楽 : ゆーきゃん / 映像 : 林勇気
が上映。
2017年4月29日(土) 13:45〜@[東京]シアターイメージフォーラム
2017年5月4日(木) 16:45〜@[東京]シアターイメージフォーラム
2017年5月16日(火) 13:45〜@[京都]京都芸術センター
2017年6月2日(金) 13:50〜@[福岡]福岡市総合図書館
2017年6月21日(水) 14:50〜@[愛知]愛知芸術文化センター
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