前作リリースから3年のあいだにメンバーの脱退、ヴォーカル、福島康之ののどのポリープの手術、両人とも子どもを授かるという大きな節目を迎えたバンバンバザール。彼らが14枚目のオリジナル・アルバム『ラブレター』をリリース。
盟友おおはた雄一と共作した「赤いギター」には、福島康之の地元の英雄、仲井戸 'CHABO' 麗市、ジャジーなラヴ・バラード「ハーモニー」には、「こんな気持ち」以来14年ぶりのデュエットとなる宍戸留美がそれぞれ参加。「シーサイド・クルーザー」では、インターネット上でファンもレコーディングに参加するという前代未聞の発想で結実。全編「うた」への回帰を感じさせる『ラブレター』。幸せだけじゃなく、絶望だけじゃなく、その狭間を行き来する人間が愛おしい、渾身の9曲が収録されている。
OTOTOYでは、『ラブレター』をHQD(24bit/48kHzのwav)の高音質で配信。さらにはそのなかから「走れ! ハイエース」をフリー・ダウンロードでお届けする。
結成23年、愛車ハイエースで旅するように全国を回ってきた彼らは、いま一度「本当にいいものを求めて作る」というクリエイティヴに立ち返っているという。自分達がちゃんといいものを作れば、おもしろいと思うことをすれば、周りは支えてくれる。理想論のようだが、彼らを見ているときっとそれが真実なのだと思わせてくれる。それだけの実力がバンバンバザールにはあるのだ。そんな彼らのあたたかさ溢れるインタビューとともに、人情と音楽への愛に溢れた『ラブレター』をたのしんでほしい。
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HQD(24bit/48kHzのwav)の高音質で配信!!
バンバンバザール / ラブレター
【配信形態】 HQD(24bit/48kHz) 、mp3
【配信価格】
HQD 単曲 200円 / アルバム購入 1,700円
mp3 単曲 170円 / アルバム購入 1,500円
【Track List】
01. ラブレターが聞いて呆れるぜ / 02. STORY ABOUT YOU / 03. 赤いギター / 04. ハーモニー / 05. やどかり / 06. アーリーバード / 07.走れ!ハイエース / 08. シーサイド・クルーザー / 09. 友よ
INTERVIEW : バンバンバザール
インタビュー : 飯田仁一郎(OTOTOY編集長 / Limited Express (Has gone?))
文 : 櫻井希、梶山春菜子
自分たちのやりたいことや生業を、自分たちで考えて作っていくやりかたを10年以上やってきた
——4年前の『SIDE B』をリリースしたときから、いろいろな変化があったみたいですが、やはりメンバーの脱退が一番大きかったのかなと思います。バンバンバザールとしては、どう変わりましたか?
福島康之(Vo, G)(以下、福島) : ギターの富永(寛之)くんはひとりでやりたいという思いがおそらく大きくなってきて、『SIDE B』を作っていたころにも、レコーディングにあまり参加してなかったんです。実際にギターを弾いて参加しているけど、クリエイティヴな部分では噛み合ってなかった。彼の本当の心情はわからないけど、仕事っぽく音楽やっていくのも辛いし、お互いのために無理に続ける意味もないかなと思って、こちらから「もういいんじゃないかな」と伝えました。ふたりになってからは素のかたちで音楽を続けていっている感じですね。
——“仕事っぽく音楽をやる”とは、どういうことなんでしょう? バンドのメンバーに対して求めることは、サポート・メンバーに対してとは違うわけですよね。
福島 : 一緒に音楽をやるという意味では、サポート・メンバーも、もう10年くらい一緒に演奏してきてはいるので、普通のバンドより多くの時間を過ごしていると思うんです。それはそれでバンドといえばバンドだと思うんだけど。バンドのメンバーとはクリエイティヴな活動を一緒にやっていきたい。サポート・メンバーに表面上“降格”するようなかたちも、少し違うなと思ったんですよね。
——福島さんがバンド・メンバーに求めるところ、クリエイティヴなところってどういうところですか?
福島 : バンドって、家族っぽいというか、結婚と似ているところがあるんですよね。食べていくのも含めて、自分たちがどうやっていくかっていうのを、一生懸命お互いにああだこうだ言いながら決めていく感じが。
——福島さんが言うクリエイティヴなところっていうのは、もう音楽だけじゃなくなってますよね。
福島 : 多分そうだと思う。演奏するだけだったら簡単にできると思うんだけど、イベントを作ったりするのも含めて、バンドとしてのありかたも考えたいかな。周りの人にも、バンドのやりかた自体が社会実験みたいだねって言われて(笑)。確かにそうかもしれないなって思った。自分たちのやりたいことや生業を、自分たちで考えて作っていくっていうやりかた。それをもう10年以上、ずっとやってきたので。
——なるほど。
福島 : もともと、好きな音楽を売れるようなかたちで作るというところから離れて、自分たちの好きなかたちで出すっていうやりかたをしているんですよ。例えば、CDを買ってもらうっていうことも、もしかしたらただ音楽を買ってもらうのとは違って、僕らの考えかたにお客さんも少しずつ共感してもらいながら、見守ってくれているのかなと思うんですよね。音楽を通じて、どうやって自分たちは生きていくのかというところに。
自分たちがおもしろいことをやっていくところに対して、投げ銭してもらうみたいな感覚
——実際、その社会実験をやってみて、どうですか? 生業としては、なんとかなっているという感じですか?
福島 : 4枚目のアルバムのとき、HOME WORK(バンバンバザールが所属する自主レーベル)を立ち上げて、はじめて自分たちで原盤を持って、ヴィレッジヴァンガードに持っていったんですよ。それまでは古くさい曲のカヴァーとかもやりながら、アルバムを作ってたんですけど、フル・オリジナルのアルバムははじめてだった。それまではUK(プロジェクト)とかから出していたりして。
——メジャーの経験はいつだったんですか?
福島 : ちょうど同じくらいの時期でしたね。ちょうどお客さんが増えだしたころで、自分たちでPVを作ったら、そのPVがおもしろいということでテレビの制作会社の人の目にとまって、テレビのタイアップで使いたいと言われて。
——それはどの曲ですか?
福島 : 「新宿駅で待ってた」という曲なんですけど。完全に自分たちで作っていたから、1ショットでもいいからメーカーと契約できないかということで、人づてでビクターと2年契約を結んだんです。一応アルバムを出すまでの契約だったんですけど、どうもやっぱり苦しくてですね。
——苦しいというと?
福島 : 音楽的環境というんですか、たまたま音楽の話をできる人が全然いなかったんですよね。いい曲をつくったところで周りに評価できる人がいないんだったら、うまくいったって違う方向かもしれないし、やめようと。なので、結局契約も半年で打ち切ってもらったんですけど、自分たちでやるようになったタイミングで、急にお客さんが増えだしたんです。
——自主的にヴィレッジヴァンガードに置いてもらったこととか、メジャーのときにプロモーションで回っていたことが、うまく噛み合ったと。
福島 : そうですね。人からしたらどうかわからないですけど、僕らの中では相当ブレイクした感じがあったんです。実際自分たちで原盤も持っていて、流通業者もほとんど流していなかったので、実売数を僕らしか知らないような状況で。「これだったらオリコン載ってるんじゃないの?」みたいな、ファンの人と僕らの中で、異様に盛り上がった感じだったんですよね。
——しかも、1999年って言ったらCDもまだ売れる時期ですよね。バブルでCD最盛期で、バンドも勢いがあったときに、自分たちでやってたっていうのがバンバンバザールの原点なんですね。黒川さんはこの頃から加入されてました?
黒川修(B, Cho)(以下、黒川) : 僕はその直後に入りました。お客さんがどかどか増えているのを見ていたころですね。最初、僕が福岡にいたころ、バーで演奏しているのを見ていたのが、どんどんライヴ・ハウスの規模も大きくなっていって、スタンディングになって、パフォーマンスも大きくなってきて、「おお、なんかバンバンがすごいことになってきたな」みたいな。ちょうどそういうふくらみを見ていた感じです。
——その感覚はすごくわかります。バンドやってた人が1番プロモーションとはなにかがわかってる。集客がないと苦しいっていうことを知ってるかどうかが、プロモーションに頭がいくかどうかなんですよね。
福島 : 「これ聴いてください」ってヴィレッジヴァンガードに持っていったことと、テレビに出させてもらったことと、どっちのほうが届いてるのか考えたときに、結果的に自分たちでやったことのほうが届いてたから、力点をどっちに置くかっていう選択に入っちゃったんですよ。自分たちでやったほうがクオリティあげられるんじゃないかと。お客さんにスポンサーになってもらうみたいな感覚も、そのときにわかったんですよね。CDを買ってもらうってことは、音楽を好きになってもらう以上に自分たちがおもしろいことをやっていくところに対して、投げ銭してもらうみたいな感覚。
——黒川さんは加入してどうでした?
黒川 : 正直、おもしろいのかどうかもわからない状況でした。メジャーにいった時期に誘われて、チャンスだから人生をかけてみたいと思って、会社を辞めたのに、加入したらもうメジャー・レーベルをやめていたんです。それで特に説明もなく、「メジャーは関係ないんだ、そんなんじゃないんだ」と言葉少なに言われて、「わかりました」と(笑)。
一同 : (笑)
ものを作るエネルギーをとっておくために、やるべきことをやっていこう
——先程、福島さんが「気づいた」っておっしゃってましたけど、D.I.Yがいいと思ったのが相当早かったんですね。
福島 : レコード会社に行ったときに、これだけ多くの社員が音楽にまつわる産業で食べている事実が、音楽への熱に比例していなかったんですよね。どう考えても、この人はいらないっていう人がたくさんいたから、「これは多分違うわ」って… そう、気づいちゃった。こんな感じで続けてると、音楽自体の中身も薄くなって、絶対衰退していくと思ったんですよね。これは相容れないし、違う尺度でやっていこうと思っちゃいました。
——それまで生業をしていくために自分たちでやってきたことは、具体的にはどんなことですか? これをやってるから食えてるみたいな。
福島 : 収入のバランス的にはCDが6割、ライヴが4割かな。ライヴに関しては47都道府県駆け回るので、大きなプロモーションだと思ってます。小さなキャパのライヴ・ハウスでやることも含めて。いろんなところに行くこと自体が、種を蒔いて水をやるっていうことだと。
——人の繫がりが活動をどんどん広げていると。
福島 : メディアの人と知り合うとよくわかるんですけど、人が動いているんですよね。いまOTOTOYさんにいる人が、例えば5年後には違う場所にいて、また出会うみたいなこととか。ひとりひとりと知り合ったことで、その人が動いて次の場所と繫がるっていうことを何度も経験しているんですよ。点が面になっていくみたいな。
——バンバンバザールって、年何本くらいライヴやってるんですか?
福島 : 150本くらいかな。1つの都道府県で2、3カ所回ることが多いですね。地方イベンターみたいな人に、「場所さえあれば機材も全部持っていくから、あとはチラシまいておいて!」って感じで。
黒川 : 30kmずつくらいにとまれる場所があるんですよ。さらに各地に僕らがポスターとかステッカーを貼って、足あとを残していくので。「どこに行ってもバンバンのステッカーが貼ってある」って随所で言われますね。
一同 : (笑)
黒川 : それはアーティスト側からしても、バンバンここにも来てるのかってなるんですけど、お客さんからしても同様で。平たく言えば、各地ですでにプロモーションが済んでる状態なんですよね。
——自分のバンドが、以前世界中をまわったあとに、ドラムが辞めたんですね。そのとき「いままで良い経験させてくれてありがとう。けどこれでわかったのは、僕は旅芸人になりたいわけじゃない。そういうバンド生活がしたいんじゃない。」と言われたのがすごく印象的だったんです。そういう意味ではバンバンバザールには、覚悟があるという感じですか?
福島 : 旅芸人として暮らすことは、イコール肉体労働であり、プロモーションだと思っていて。それは、創作と相反するところにあるんですよね。肉体労働すればするほど創作のエネルギーが減っていくのがよくわかるんです。体力の低下とともにね。なのでここから先は、ものを作るエネルギーをとっておくために、やるべきことをやっていこうっていうふうに、シフトしたいかなと。もちろん、ライヴはすごくおもしろいし、大事なことだって思ってます。人前で演奏しない限りは音楽じゃないですからね。
——いままではどういうふうに、ものづくりとライヴ活動の線引きをしていたんですか?
福島 : 仕事になっている部分は、ライヴのブッキング、プロモーション、CDの制作がメインですよね。ものづくりの源にあるのは僕のハートのところにあるので、それを確保しないとな、というところで。富永くんがいる最後のころは、現場に行ってどんどん演奏をやっていこうって方向に進んでいたので、それでいうと、だいぶベクトルがちがってきていたんですよね。僕もその時点で「旅芸人になりたいわけではない」って思っていたかもしれない。これをずっとやっていても先がないとはわかっていたから。
——10代や20代のころは、売れる、食べることが目標の人がたくさんいるけど、音楽を続けていく人は、どこかで売れるっていうことから目標を変えないといけなくなるじゃないですか。バンバンバザールが次の目標を決めたタイミングはありますか?
福島 : 最初は、バンドを長く続けたいっていうのが目標だったんですね。周りはバンドブームの時期だったから、その時期にアコースティックの楽器を持ってバンドというかたちをとってる人はいなくて、こういう形だったら長く音楽ができるかもしれないと思ったんです。でもそのころの僕は、まったく食べていこうとは思っていなかったかもしれないですね。ちょっとお客さんが入りだしたころにメーカーの人が来て「君たちいいねえ」みたいに声をかけてもらうことがあったんですね。どんなバンドでもあると思うんですけど(笑)。そのときに「武道館が見えないね」って言われて、俺らは腹抱えて笑っちゃって。「見てないですよ! 」って(笑)。わりとそのころからちゃかしてるところがあって。目標は大きく持ってなかったですし、バンドがおもしろくて、マニアックなことを自分たちなりにやれてればいいやみたいな感じでした。ただ、4thアルバムの『4』を出したとき、自分が作った曲を全部並べて出してみたいっていう願望だけだったんですけど、それが売れたことで、自分でいいと思っていることをちゃんと押し出せば、世の中はわかってくれるんだって気付けたんですね。実は俺たちマニアックじゃないかもと思った。普通に聴いてもらえる可能性があるなら、これを仕事にしていくのもいいかもしれないなと。これをつくっていたころ、メンバーと一緒に住んでいたんですね。ツアーで年の半分ぐらい出てるから家賃もったいないやって言って一軒家を借りて。その場所があったおかげで、みんなで話ができる状況があるっていうのは、こんなにいいことなんだって思った。一緒にいて、同じ感じでやると、いいものができるってことを体現しちゃったんですよね。それでどんどん自分たちでやっていくことのおもしろさを覚えていっちゃったというか。
東京の人が力まずに言ってる愛情や怒りとかが表に出てるような作品になってる
——当初の「長く続けたい」というのはいまも変わらずモチベーションのひとつ?
福島 : そうですね。ただ、いまでいうと、一周立ち返って、もっといいものを作りたいというところにいっているかもしれないです。
——そうやってクリエイティヴなところに、さらに向かっているのはなぜでしょう?
福島 : 自分のなかでハードルがあがっているのかもしれないですね。最初のころは「これぐらいできればおもしろいや」とか、「自分たちでやってるんだからこれぐらいで十分だよね」みたいなとこもあったけど、いま、DIYでやるにしても、「本当にいいものを求めて作ったほうがいいよね」と思っている。もっとみんなができないことを、自分たちだからできる感じにしたいねって思ってますね。
黒川 : 同感です。それは作品のなかで変化が出てきているし、最終的に人前での演奏自体も変わっていると思います。演奏が変わると、これからのリーダーのアウトプットも変わると思うし。曲調が違うというわけだけではなくて、セッションの会話の仕方が変わったんですね。前は飲み会みたいなトーンだったけど、いまはサシで、カフェで話すみたいな、トークの密度があがったような気がする。クリエイティヴに向かってるというのが発端だと思うんだけど、最終的にはバンドの音が変わって、バンドのキャラが変化するんじゃないかなと思ってます。僕がバンバンバザールを最初観たときは九州だったんですが、九州の人ってラヴ・ソングは声を張るんですよ。でもリーダーはぽそっと。「好き」とも言わなずに「好きなんじゃないか」って思わせるような歌をうたってたんですね。これ東京の人だろうなってそのとき思って。バンドが楽しい曲調が多いから表面的に見るとわいわいやってるんですけど、その奥にある、東京の人が力まずに言ってる愛情や怒りとかが入ってるなってそのとき思ったんですけど、それがいま表に出てるような作品になってると思います。
——おふたりとも子どもができたのは関係あると思いますか?
福島 : あるかもしれないですね。根を下ろしたいみたいなことも、家庭を作るということと関係あったと思うので。同じようなことにあるかもしれないね。
——子どもができたから、もっと稼がないとっていうんじゃなくて、クリエイティヴな方向に向かったっていうのが、すごくすてきな話ですね。
福島 : 体感として、いいもの作らないと先に続かないっていうのも、長くやっててよくわかってるので。
——ポリープはもう大丈夫ですか?
福島 : 大丈夫です。それに、いい時間でしたね。10年間体が覚えてしまっているくせを、「半年で忘れるようにしてください」ってお医者さんに言われたんです。そのくせのまま使うと、またすぐに痛めるから、忘れて、新しい楽器を使っているように意識してくださいと。その時期に身体のこととか、ちゃんと考えないと、またいいものができないとかがわかって、考えさせられたので、ゆっくり時間を使えた時期でした。
——半年は歌えなかったんですか?
福島 : ライヴはやっていたんですけど、さっき言った「仕事」の部分はやめていたんですよね。活動は止めないで、オファーは受けるけど、自分たちからは動かなかった。クール・ダウンしながら、次の展開を考える時期になってこのアルバムに繋がったんですよ。そのあいだにね、黒川くんも子どもを授かったんですけど。
黒川 : そうですね、オフの間に専念したらできた(笑)。
一同 : (笑)
——チープな質問かもしれないですが、「バンバンバザールを聴いて元気が出ました! 」という人は本当に多いんじゃないでしょうか。
福島 : それは本当にうれしいですね。意外と中身はしみったれたのが多いんですよ。だから逆にサウンドは明るく。
——でもうじうじしてるっていうんじゃなくて、しみったれているけど、江戸っ子っぽいなって思うんですよね。
福島 : いろいろ生活していく上でのもやもや感というのは、どんな人も消えないので。かといって、暗い顔して外に出ている人をみたら嫌じゃないですか。チープな言いかただけれど、「楽しくやろうぜ」みたいなことを音楽で表現してて。そういう、自分のなかの大事にしようって思っているキーワードっていうのを、誰かにっていうよりは、自分で忘れないようにって思って書いてるところがあるかもしれないです。
LIVE INFORMATION
【「ラブレター」発売記念サマー・ツアー】
7月26日(金)@川越 tricycle cafe
7月27日(土)@入間 so-so
7月28日(日)@高円寺 JIROKICHI
8月2日(金)@下北沢 風知空知
8月3日(土)@浜松 エスケリータ 68
8月14日(水)@仙台 WATERR
8月18日(日)@札幌 edit
8月20日(火)@釧路 ガソリンアレイ
8月21日(水)@帯広 BbM7
8月22日(木)@札幌 dixie roux
8月25日(日)@小樽 すかんぽ
8月26日(月)@函館 The Beats
【「ラブレター」発売記念 〜うたのラブレター・ツアー〜】
10月11日(金)@岡山 MO:GLA
10月12日(土)@福岡 Gate's 7
10月15日(火)@広島 クラブクアトロ
10月17日(木)@大阪 シャングリラ
〈編成〉
福島康之(vo,gt) / 黒川修(Ba)
佐藤克彦(Gt) / 小林創(Pf) / 新井武人(Acc) / 大澤公則(Dr,Perc)
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11月11日(月)@名古屋 得三
11月12日(火)@京都 磔磔
11月14日(木)@神戸 チキンジョージ
11月15日(金)@渋谷 クラブクアトロ
〈編成〉
福島康之(vo,gt) / 黒川修(Ba)
佐藤克彦(Gt) / 小林創(Pf) / 新井武人(Acc) / 朝倉真司(Dr,Perc)
【イベント】
8月4日(日) 西院ミュージックフェスティバル
8月23日(金) キムチキャッツ CD 発売記念2マン勝負!
10月14日(月) SAGASTOCK
勝手にウッドストック 2013
【日時】2013年9月21日、22日、23日
【場所】神奈川県相模湖畔 みの石滝キャンプ場
【出演アーティスト】
吾妻光良 & The Swinging Boppers / アノアとペロ / イノトモ / うきぐも / カンザスシティバンド / こまっちゃクレズマ-1 / コロリダス / SASAKLA / ザッハトルテ / チャラン・ポ・ランタン / 塚本功 / 堂島孝平 / とんちピクルス / ナオユキ / 中川敬(SOUL FLOWER UNION) / 中山うり / ネタンダーズ / ハッチハッチェル / パイレーツカヌー / バンバンバザール / Hot Rod Cats / Mooney & Speedy / リクオ / Rockin' Enocky
>>勝手にウッドストック 2013 official HP
PROFILE
バンバンバザール(Ban Ban Bazar)
福島康之(Vo, G)、黒川修(B, Cho)
1990年結成。ストリートの演奏がきっかけでギタリスト吾妻光良氏に見いだされ、1stアルバム「リサイクル」でデビュー。JAZZ、JIVE、JUMP BLUES、FOLK、COUNTRY、LATIN、HAWAIIANなどオールドタイミーで様々なルーツの香りのするGOOD MUSIC作品をこれまで発表し続けている。バンバンバザールは現在、福島、黒川の2人を中心にメンバー、音楽性、演奏スタイルともに常にフレキシブルであるものの、結成以来一貫して「ライブ!」生の音楽にこだわった活動をし続けている。もちろんまさに日本全国またにかけたツアーもライフワークとなった。
2002年より既成の音楽イベントに飽きたらず、シーンの交流をはかるため、キャンプ場を借り切っての屋外イベント「勝手にウッドストック」を毎年開催、ステージ設営、フード、運営までしっかりこだわり数多くのアーティスト、ファンと一体化した盛り上がりを見せている。自らのレーベル「HOME WORK」を立ち上げ、アーティストのCDプロデュース、活動のサポート、2006年よりFM NACK5で「GOO GOO RADIO」のパーソナリティも務め、まさにGOOD MUSICの種をまき続けている。