自分の真ん中は“歌う”ことーー森山公一(オセロケッツ)、1年半のソロ・アルバム・プロジェクトがついに完結! 待望のアルバムをハイレゾでリリース
2014年1月から毎月シングルをOTOTOYでハイレゾ配信し、YouTubeにもMVを発表とコンスタントに活動を続けてきた森山公一のソロ・アルバム制作プロジェクトが、ついに完結。オセロケッツでデビューして以来、The Ma'amでの活動や他アーティストへのプロデューサー業など、ジャンルレスな活動から生み出された楽曲から伝わるのは“歌”への強い思い。初のソロ・アルバムを作るために始まったプロジェクトが1年半後に完成を迎えた今、本人にインタヴュー。スタートからゴールまでを振り返ります。
デジタル・ブックレットつき!
森山公一 / Record!(24bit/96kHz)
【配信形態】
(24bit/96kHz)WAV / ALAC / FLAC / AAC : 単曲 249円(税込) / まとめ購入 2,500円(税込)
【Track List】
01. のようなもののようなもの / 02. また会ったね、ロンリネス / 03. ええもん悪もんどうでもええもん / 04. 人間はじめ / 05. ドヴォニール / 06. キノコノコ / 07. The Akantare / 08. プレイポッサム / 09. SUITE:9 to 11(sister Aseptic) / 10. SUITE:9 to 11(FuFu) / 11. SUITE:9 to 11(ROPE) / 12. シガントヒガント
>>16bit/44.1kHzはこちら
※ファイル形式について
※ハイレゾの再生方法
INTERVIEW : 森山公一
「オセロケッツの森山公一」と言っても、随分知らない人が増えてきた昨今、特集ページを組むのは難しいかな… と思ってた。『Record!』を聴いて、レコード屋根性が溢れ出た。そこには、良いメロディと良い歌しかなかった。この音源を広めようとしないで、何がバイヤーだ。話題ばかりを先行させて、何がメディアだ。だから僕は、森山公一に一緒に走りましょうと伝えた。今回は、そんな心を動かせるアルバムを創り上げた森山公一の湧き出た『記録』。
インタヴュー&文 : 飯田仁一郎
曲がどんどん変化していったので、楽しかったです
――ファースト・アルバム『Record! 』が出来て、今は、どんな気持ちでしょうか?
森山 : アルバム、可愛らしいですね。
―― (笑)。この1年半で、森山さんがやってきた活動があるじゃないですか。例えばハイレゾで毎月1曲出す、YouTubeでどんどんPVを発表するとか。非常にモダンな活動だなと思ったんです。なかなか同世代の方たちには、森山さん(森山は2015年現在42歳)の1年半やってきた活動が、理解できないんじゃないかなと思ってしまったんですが。
森山 : そうですね。1年半やってきましたが「これはどういうことなんや」ってずっと言われてましたね(苦笑)。
――それにはどんな意志や意図があったんでしょうか?
森山 : 〈analog〉っていう雑誌でオーディオ・アクセサリー関連の方とお仕事をさせてもらった時に、色んな音を聴かせてもらったんです。で、ハイレゾを聴いた時にアナログに近いなと思ったんですね。
――もともとアナログの人ですもんね?
森山 : そうなんです。レコードが好きだから今回のタイトルも『Record!』にしちゃったくらいですから。
――でもCDとDVDで出したのはなぜでしょう?
森山 : 今回のアルバムは色んな形態で出したいなと思ったんです。僕がお金持ちだったら全部の形態で一気に出したと思いますけど、そんなんじゃないので(笑)。だからアナログでは、だせなかった…。 このプロジェクトは、エンジニアの渡辺正人くんと、プロデューサーの毛利泰士くんと僕の3人で始めたんです。あとから、ビジュアル関係でお世話になった阿萬智博さんの4人でやることになったんですよ。
――映像もかなり力を入れていましたね。
森山 : 映像は、以前一緒に仕事をしたアニメーターの彼なら無理聞いてくれるかな、ってことで始めたんですよね。それで小出し作戦を思いついて、通常の音よりはハイレゾだったり、映像作品にしていったほうがインパクトがあるかなと思って。
――実際やってみてどうでしたか?
森山 : このやり方じゃないと出来なかったアルバムだと思いますね。「今月こういう曲だから、来月はこれにせぇへん?」っていう風に、曲がどんどん変化していったので楽しかったです。
――この作り方をやってみて、森山さん自身に変化はありましたか?
森山 : どうだろう。その前にカントリー期を挟んでいるので、それが僕自身に制限をかけていましたね。
――The Ma'amですよね?
森山 : The Ma'amでは、歌い方も曲の構成もカントリー・ミュージックの制限や枠組みの中で楽しんでいたんです。それらを無視して何をやってもいいってなった時に、久し振りに歌もので自分らしくやってみようって思って。あとオセロケッツの時に「どこそこで流れてるような曲にしてくれ」とか「売れる曲を作ってくれ」とか言われていたんですが、そういう制限もなかったので、実は、最初、何をどうやったらいいかわからなかったんです(笑)。でもやってるうちに感覚を取り戻していきましたね。
こんなに個性のあるメロディー・ラインをかける人やったんやって思いました
――なるほど。なぜこのタイミングでソロ・ファースト・アルバムを出そうと?
森山 : 大阪へ帰った時に、前から仲の良かったライターの呑み仲間と飲んでて。その時に彼が「次何歳になるんですか? 」「40歳やで」って言ったら「40歳で、このままプロデュースとかやり続けていたら調子に乗って終わりますよ! 」って言われたんですよ(笑)。
――そんなこと言われたんですか(笑)。
森山 : 「プロデューサーとか学校の先生とかもいいけど、あんたは自分のことやりなさい」って。後輩なのにね(笑)。「じゃあ、やる! 見とけよ!」っていうのがきっかけです。
――結構思い切ったんですね?
森山 : そうですね。お金のこととか、時間のこととか、プロデュース業やっていたらだいたい読めるじゃないですか。やりたいことをやるとしたら、お金も時間も随分かかるから勇気がいりましたね。
――ちなみに、大阪に帰ったのはなぜ?
森山 : 親父が癌になったんですよ。もう末期癌だったんですね。余命半年って言われたんですよね。だから帰ろうかと思って、ある方に大阪で月1くらいで仕事ないですかねって、月1の仕事を見つけていただいて。そこから半年も経たないうちに地震がありました。
――3.11が?
森山 : そう。その時僕の子供は4歳と1歳とかかな。その後、色んな噂流れるじゃないですか。やれ、食べ物がどうとか。僕一人だったらいいけど、嫁はんも子供のことも気になるし、そうこうしてるうちに親父も死んだんですね。
――なるほど。
森山 : もう帰ろうって思ったんです。都落ちですよ。でもレコーディングはデータを飛ばしてできる。それに東京の仕事って1個取れるとでっかいんですけど、割と理不尽なことを言われたりする。でも、やりたくない仕事も受けないと家賃も高いわ、物価も高いじゃないですか。ずっと仕事してるけど、この仕事本当に好きかなって思ったりね。
――それはプロデュース業ですよね?
森山 : プロデュース業ですね。アニメだったりアイドルが多い。そういう仕事は、本人と会うのは楽しいんですけど、仕事に追われ過ぎてしまって。そこがでかかったかも。
――仕事がある生活=充実した生活ってわけではなかったんですね。
森山 : そうですね。音楽を聴く時間、映画を見る時間とか、子供との時間も大切ですから。
――なるほど。ちなみにオセロケッツは、今はどういう状態なんですか? 今はやってない?
森山 : やってないですね。僕が大阪で、ギターの丸山茂宏くんは広島にいて、ベースの中井英行くんとドラムの松崎智浩くんは関東で、バラバラですね。ドラムの松崎くんはThe Ma'amでもドラムをやってもらってるから、たまに会うんですよ。彼はカントリー界で売れっ子ドラマーなんです。でも他のメンバーとは全然会ってなくて。
――The Ma'amでカントリーをやろうと思ったのはなぜ?
森山 : オセロケッツ時代に色んな人から、「お前ら一体何をやりたいんだ」って言われたんですね。僕はその質問の度に、お前それ同じ質問ビートルズに言えんのかって思ってましたけど(笑)。僕らは何がやりたかったかって、普通にロックをやりたかったんですよね。
――はい。
森山 : でも皆があまりに聞いてくるから、僕も次やる時はジャンル言えるやつやろうって思ってたんですよ。なんでもよかったんですけど、色々考えた結果、アメリカン・ルーツ・ミュージックをやろうって。ちょうど、オルタナ・カントリーなんて言葉も、広まってきた頃で。
――ウィルコとかその辺の世代ですか?
森山 : そうです、ウィルコとかジェイホークスとかの世代です。オセロケッツの時からそういうのをいっぱい聴いていて、次やるならカントリーかもなと思ってたんですよね。
――今作は、かなり歌に寄ったという感じがありますね。ロックはロックですが、ジャンルよりもそれを感じましたね。
森山 : そうですね。今回しつこいくらい歌いましたね。
――素晴らしいメロディーだと思います。
森山 : 嬉しい。まさに飯田さんが言ってくれたように、毛利くんに「そこに戻りましょう。あなたの真ん中にあるものをやりましょうよ」って言われて。
――森山さん的に自分の真ん中はどこですか?
森山 : メロディーと、声。デビューの前はそれしか自信なかったんですよね。
――戻ったことで、どんな変化がありましたか?
森山 : こんなに個性のあるメロディー・ラインをかける人やったんやって思いました(笑)。
――丁寧なメロディーだなと思いました。いい意味でシンプルだとも思いました。
森山 : 本当ですか! 嬉しい。それは嬉しいです。確かに削ぎ落とした感はありますね。削ぎ落とすっていうのはカントリーをやってから得たのかも。
いちいちびっくりしてましたもん
――今回プロデューサーに毛利泰士さんを入れてるじゃないですか。なぜこの方と一緒にやろうと思ったんですか?
森山 : 出会いは15年くらい前のオセロケッツの「恋愛」っていう曲があるんですけど、その録音にシンセサイザー・プログラマーとして彼はやってきたんですよ。その後、彼は坂本龍一さんのところにいくんですが、当時まだ彼は24歳で、僕は初めて現場で会う同い年だったんですよね。
――そうだったんですか。
森山 : 強烈な印象でしたね。僕らが猥談してる時にパソコンいじってすごいことしてるんです。それで尊敬してしまって(笑)。そのあとは、結構離れていた期間もあって、僕がライヴ・ハウスのブッキングをしてる時に、毛利くんのやってるバンド出てよって電話して、また繋がっていったんです。
――なるほど。
森山 : 東京で結構しんどい仕事を受けてて、担当のレコード・メーカーに、めちゃくちゃ理不尽なダメ出しをされて、これ一人では対応できないなって思って、毛利くんに手伝ってくれへん? って。その仕事のこなし方がもう大人だし速いし絶妙にいいとこ突いてきて、その作業を見てるうちにこの人と何かやりたいなって思ったんですよね。それはなんとなくソロやなって思ってたんですけどね。
――毛利さんの一番の魅力はどこですか?
森山 : アレンジのセンスもですけど、音の作り方ですね。シンセサイザー・プログラマーなのに、「打楽器は生で録るんや」って。そういうのがたまんなかったですね。
――プロデューサーを入れようと思った理由は? プロデューサーがいなくても森山さんはひとりでもできるじゃないですか。
森山 : ひとりでもできるけど、それだと完成が見えてるから面白くないんです。
――もう少し具体的に言うと?
森山 : 自分のやれることってわかってるじゃないですか。僕以外の人が入ってきて初めて面白いものができるってのは経験値でもあるんですよ。
――想像できるものは面白くないと?
森山 : うん。できた時に、自分で作ったものってそんなにびっくりしない。
――今作の出来上がってきた音源は、びっくりするものになったっていうこと?
森山 : なりました。いちいちびっくりしてましたもん。
――それはどんな部分?
森山 : アレンジ面、サウンド面ですね。ほとんどのデモを弾き語りで、毛利くんに送ったんです。あと僕なりの参考資料をつけて。もちろん会いにも行きましたけど。
――エンジニアの渡辺さんとの出会いは?
森山 : コメントも書いていただいた漫画家の浦沢直樹さんが音楽もやられていて、僕もそこでベースを弾いてて。その時のアルバムを和久井光司さんがプロデュースされてたんですよ。渡辺くんがそのアルバムのエンジニアとして入ってて、それで出会ったんです。彼も同い年で意気投合して。
――その人たちの世代に共通にあるものってなんでしょうか。
森山 : 難しい質問ですね。うーん、斜に構えた反骨精神じゃないですか。
――斜に構えた反骨精神…?
森山 : “オラー”っていう感じの反骨精神ではないんですよね。せやけど、ちょっと上の奴に対して、なんやコイツみたいなのを斜に構えながら思ってるというか。ただひっくり返す勇気はあんまりない (笑)。
――そうなんですか?
森山 : そんな気がしますね(笑)。
――「ドヴォニール」のPVは本当に素敵でした。PVは、映像作家の皆様が、相当頑張ってくれたんじゃないですか?
森山 : 大感謝ですよ、皆さんには。「ドヴォニール」はPEASっていう関西を代表するアニメーション会社の中村古都子さんが作ってくれたんですよ。
――どれもだと思うんですけど、特におもしろかったPVはどれですか?
森山 : 「また会ったね、ロンリネス」ですかね。これは、コウタくんっていう、元々はオセロケッツのファンだった子に頼みました。彼は今テレビ局のディレクターになっているんですけど。「また会ったね、ロンリネス」はリリック・ビデオにしたいっていうのだけ言っていたんです。もうほとんどあの状態で返ってきて雰囲気ええし、切ないなーって。「これなんなん?」って言ったら、彼離婚してるんですけど「新婚旅行の映像です」って(笑)。すっごいことするなあって。でもちょっとわかりづらいって言ったら前後がついて。これ言っていいんかな? 嫁ちょっと映ってたりとか(笑)。
――え? そうなんですか(笑)。
森山 : そう、振り返ったりとか(笑)。
――今作は、1年間で作ってきた順番に曲が入っているアルバムじゃないですか。聴き直してみた時、どんな気持ちになりましたか?
森山 : 最後まで曲順どうしようって悩んだんです。入れ替えることも1回考えたんですよね。聴き返してるうちに、僕も毛利くんも渡辺くんも「これええんちゃうんかな?」って、共通意見になったんです。聴いたらアルバムっぽいよって。
――確かにアルバムっぽいですよね。最後に僕からの感想なんですけど、このアルバムの話を森山さんから連絡もらって、正直最初どうしようかなって思ってたんですよ。やっぱり、僕らとしては売り上げに繋げていかないといけないから。でも、このアルバムを聴かせてもらった時に、「これ、やらなあかんな」って思ったんですよね。伝えないといけない。こんな素晴らしい歌い手がいるんだってちゃんと伝えたいなと思いました。
森山 : ありがとうございます! 僕も嬉しかったです。
ソロ・アルバム・プロジェクト配信曲
LIVE INFORMATION
『Record!』発売記念ライブ
2015年7月3日(金)@心斎橋JANUS
2015年7月11日(土)@渋谷dB.Y.G
PROFILE
森山公一
1973年12月11日、大阪市東成区生まれ。1992年、大学時代に結成したバンド、オセロケッツのソングライター / ヴォーカリストとして、1997年にメジャー・デビュー。深い音楽的バックグラウンドをポップ・ミュージックのフィルターを通して厳選焙煎、練られたアレンジと共に多くのグッド・メロディを世に放ち、2004年の活動休止までにシングル10枚、アルバム3枚、ミニ・アルバム2枚をリリース。2011年には初のベスト盤『THIS IS BEST』発売に伴い7年ぶりの復活ライヴを、翌2012年には11年ぶりのワンマン・ライヴを地元大阪にて開催。同日に8年ぶりのアルバム『oseROCKets』をリリースした。自身も2002年にソロ・シングル『ドンマイ~Look on the☆Brightside☆~』、2007年には坂本サトル(JIGGER’SON)、浅田信一(ex.SMILE)と共に、ユニット“浅森坂”としてアルバム『浅森坂という坂がある』を発表。他にも楽曲提供&プロデュース、マニアックな執筆活動など、幅広い分野で活躍している。なお、並行して2006年にはカントリー・ロック・バンドThe Ma'amを結成。現在までに2枚のアルバムをリリースし、精力的に活動を続けている。
>>『Record!』特設サイト
>> 森山公一オフィシャルサイト