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DE DE MOUSEが新作をHQDで発表! ロング・インタビュー掲載!
DE DE MOUSEが、自身が立ち上げた「not」レーベルから、2年半ぶりとなるフル・アルバム『sky was dark』をリリース。FUJI ROCK FESTIVAL'12への出演、プラネタリウム・ツアー全7公演がソールド・アウトなど、レーベル独立後も活躍の幅を広げ続けるDE DE MOUSE。OTOTOYでは、今作『sky was dark』を24bit/48kHzの高音質WAV音源で配信! 更に、ロング・インタビューを決行! 新たな境地へたどり着いたDE DE MOUSEの今を感じてほしい。
自主レーベル初の音源を高音質で
DE DE MOUSE / sky was dark(HQD ver.)
【販売価格】
単曲 200円 / 2,000円
【特典】
アルバム購入された方には、DE DE MOUSE本人が書いた短編小説が描かれているデジタル・ブックレットが付いてきます!
INTERVIEW : DE DE MOUSE
当時働いていた京都のTSUTAYA西院店で入荷したDE DE MOUSEの自主制作シングルCD-R『baby's star jam EP』は、店内でかければかける程売れ、爆発的ヒットを飛ばした。買っていく層は、見るからの音楽好きなわけではなく、PUFFYやUAと一緒に買っていくのが印象的だった。その後、RAW LIFEでの伝説のライヴ、そしてExT Recordingsより1st アルバム『tide of stars』、avex entertainmentからメジャー・デビューと、彼はどんどん大きくなった。そして、メジャーという枠にもおさまりきらなくなった彼は、自主レーベルと自主イベント「not」を立ち上げ、あまりにも自由で物悲しい、そして心の隙間に入り込む名作『sky was dark』を発売する。(なんと、OTOTOYでは高音質で発売!!!) 「baby's star jam」もRAW LIFEでのライヴも最高だったけど、断言しよう。DE DE MOUSEは、いつでも今が一番面白い。彼はどこまで大きくなるか? 正直、更なる未来が楽しみでならない。
インタビュー & 文 : 飯田仁一郎(Limited Express(has gone?)/ OTOTOY編集長)
原稿協力 : 熊切貴浩
写真 : 畑江彩美
「遠藤大介」がやってきてくれたことが、今の「DE DE MOUSE」に繋がっている
——今作『sky was dark』はどのようにして生まれたのでしょうか。
まず、今回は本当に自分が好きなものを作ろうと思ったんです。例えば前作は、2010年の時代性もあったと思うんだけれども、ファンに向けてのものというか、結構“DE DE MOUSE”というものを意識して、「“DE DE MOUSE”ってこういうものだろ? 」と思いながら作ったところがあって。でも、その後活動していく中で、「DE DE MOUSEの音楽の本質ってそれとは違うよな? 」ということに気づいたんです。前作はメロディーやリズムがたくさん乗ってたし、たくさんの情報をギュッと圧縮した感じだったんですけど、今作はそうじゃなくて、自分が好きなものや惹かれてたものだったりだとか、自分が魅力的に感じるものを、そのまま表現したい気持ちがあって。元々、郊外の街に合うBGMのような音楽を作りたいという気持ちがあったんです。
——「DE DE MOUSEの音楽の本質」とは、どのようなものでしょうか。
自分のルーツ的なもので「おしいれのぼうけん」という70年代くらいの絵本があるんです。保育園でいたずらした子供二人が押し入れに閉じ込められるんだけど、その押し入れの向こうにはトンネルが繋がってて、そのトンネルを抜けると、誰もいない大都会みたいなところに繋がってて、そこでねずみばあさんというねずみの親分と、二人で協力して戦う、みたいなお話。その中の都会を描写した一枚絵が、ものすごく鮮烈な記憶として残っていて。首都高みたいなものがあって、遠くにビルがあって、実際は鉛筆みたいなもので書いてるから白黒なんだけど、「この街灯はオレンジ色なんじゃないかな? 」って感じさせるような、そんな一枚絵なんです。それがすごい強烈で、「こんなところに行きたい」という感情を抱いたことが強く心に残ってるんです。僕は多摩ニュータウンが好きで、足を伸ばし始めた頃に、その「おしいれのぼうけん」の一枚絵の記憶とすごく被ってきたことがあって。 好きな場所を歩いたりしてた20代前半の頃の記憶、個人的な記憶を思い起こさせるような曲が、このアルバムにはコンパイルされています。だから今まで以上にパーソナルなアルバムになっていると思いますね。
——なるほど。
あと、ここ5年位の活動の中で、自分は「DE DE MOUSE」っていうプロジェクトと、プライベートな「遠藤大介」っていう人物というものを、シーム・レスに両方共存して活動してきたと思い込んでいたんだけれども、ここ半年ぐらいで、実はこの5年間は「DE DE MOUSE」としてのみ生きてきたんだな、っていうのをすごく感じさせられて。
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——それは何かきっかけがあって?
みんな僕を「DE DE MOUSE」というアーティストとして接してくれてる、と感じることがすごく多くて。今年の6月くらいにラジオの収録で一緒になった方が6、7年くらい前の知り合いで、久しぶりに会ったんです。他にも当時の知り合いが来てたんですけど、彼らは僕が「DE DE MOUSE」として活動する前から知っている人たちだったから、アーティストとして接されるのがすごく新鮮で。そのときに、僕は「DE DE MOUSE」になってから、「遠藤くん」ではなくて「デデくん」とか「デデ」という呼び方をされてきて、自分でもそれが普通になっていることに気付いたんです。だから自分は今「DE DE MOUSE」として生きていて、「遠藤大介」というパーソナルな部分は置きざりにしているなと感じたんです。
——今作でそのパーソナルな部分にフィーチャーしたのは何故なのでしょうか。
僕はすごくダメな20代を過ごしてきたと思っているから、あまり目を向けたくはなかったんだけれども、 どうして今回こういう作品を作ったのかを考えたときに、その頃の「遠藤大介」っていう存在がやってきてくれたことが、今の「DE DE MOUSE」や作品に繋がっているんじゃないかなと思ったんです。だから一度そこをきちんと見据えないと、この先に行けないんじゃないのかな? と思って。そういう意味合いで作った作品なんじゃないかな、と今は思っています。
「遠藤大介」の頃はすごく憧れが強かった
——今作は「多摩ニュータウン」がキーワードになっていますよね。「遠藤大介」と「多摩ニュータウン」の結びつきについて教えてください。
もともと学生時代から「耳をすませば」がすごく好きだったんです。素敵な街だなと思っていて、その舞台が実在する街だということを知ってからはそこが何処なのか知りたいと思うようになりました。当時はインターネットとかも普及していなかったから、中々分からなかったんですけど、22歳の頃に、偶然仕事で一緒になったギタリストにその話をしたら、その街が聖蹟桜ヶ丘だっていうことを教えてくれて。実際に行ってみたらまさに映画に出てきた通りの町並みだったんです。そのときの景色が、今くらいの時期の、秋晴れで、みんなキラキラ輝いてるような感じで。そういった印象がものすごく強く残ってるんですよね。最初はその辺りの町並みを歩いていたんだけれども、同じところを歩いていてもだんだんつまらなくなるから、いろいろ足を伸ばしてみようと思うようになって。京王線は調布で路線が聖蹟桜ヶ丘方面と橋本方面に分かれるんだけれども、今度は橋本方面へも行ってみようと思ったんです。
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——そこから多摩ニュータウン方面へ行き着くわけですね。
そうそう。あの場所の人工的な美しさにすごくハマってしまって。僕、つげ義春とか水木しげるとかもすごく好きなんですけど、彼らの作品もだいたい調布が舞台になってたりするんですよ。そういう流れもあって、京王線沿いや多摩川が好きになって、よくバイトの帰りに行ったりしてました。当時は大田区に住んでいたので、今思えば別の世界に足を踏み入れる感じを体験したかったんだろうな。自分が育ったのが群馬県の片田舎で、ブラウン管越しに見る世界にすごく人工的な美しさを感じていて、都会に対する憧れがあったんですけど、実際に新宿とかに来てみると、テレビとかと全然違って臭いし汚いし、「東京って結構汚いなあ」なんて思ったりしていましたね。でも郊外の多摩ニュータウンとかを見つけたときに、自分が子供の頃に思い描いてた人工的な美しい姿みたいなものと重なって、自分が求めてたのってこんなところだったんだなって思ったんです。
——その頃はもう音楽活動をしていたんですか?
そうですね。でも、2000年から2005年くらいまでの間は、自分の殻を破ろうとしてたんだけど、自分の殻を破る為にやらなきゃいけないことや見据えなきゃいけないことをするのが億劫だったんですよね。「それをやらなくても殻は破れるはずだ! 」って信じてて。努力しなきゃ殻なんて破れないのに(笑)。「DE DE MOUSE」っていうプロジェクトを始めたのは、そこからの脱却みたいなところもあるんですよね。2005年から数えると7年間くらい「DE DE MOUSE」という存在として活動してきたけど、実はそれ以前の「遠藤大介」という存在が礎としてあったんだなと思っています。
——なるほど。その当時って『tide of stars』はまだ出来てなかった?
「baby's star jam」っていう、『tide of stars』の一曲目の雛形みたいなものは既に出来ていたんだけれども、それは全然違う形としてあって、それが特別に自信のある曲かっていうと、全然そうではなかったです。当時はAphex TwinやSquarepusher、WarpやRephlex辺りのレーベルの音にすごく影響を受けてて、ああいうトリック・スターみたいなものになりたいっていう憧れがすごいあったんです。当時は「自分はすごい出来てる」っていう自信があったんだけれども、それは自分が外に出て行かないから自信を持っていられただけで、一回外に出て行ったときに、「もしかしたら自分よりすごい奴なんていっぱいいるんじゃない? 」と感じさせられることが何回かあって。あと、当時はまだデビューしてCDを出せば生活できると思っていたし、そういう音楽事情なんてものも知らなくて。ただ作ってCDを出せば、自分はすごいって認められるんだ、って気持ちだけで動いてて。でも実際はそうじゃなかった。メジャーとかインディーとか、仕組みがたくさんあって、CDを出していても普通に仕事してる人なんか山のようにいて。そういうことを知ってしまって、すごくショックを受けたりもしましたね。今となっては当たり前のことだと思いますけど(笑)。
——そこから外へ向かっていくことになったきっかけはあったのでしょうか。
world's end girlfriendとか、Joseph Nothingとか、COM.Aとか、その辺のアーティストと知り合うようになっていくうちに、「あ、やっぱり自分てすごくないんだ」って気づいたんです。当時、ROMZのアニバーサリー・イベントが代官山UNITであって観に行ったりしてたんだけれども、ああいうすごいサウンド・スキルを持っている人たちと張り合うのはもうやめよう、って思って。僕はAphexみたいなものになりたくて、そういうものに影響を受けて、音楽をやり始めたんだけれども、自分にはそこに才能がないと見切ったんです。それがまあ、「DE DE MOUSE」というものに、「baby’s star jam」という曲に繋がってくるんですが。
——詳しく教えてもらえますか。
その頃「baby's star jam」をライヴ・バージョンでやったんです。そしたら終演後に「あの曲すごい良かったよ」とか言われて。自分としては、他のハードな曲のほうが手間もかかってるし、かっこいいでしょ? って思ってたんだけれども、あの曲いいねって言われるのは「baby’s star jam」で。そのときに、そうか、みんなこういうのが好きなのか、って気付いたんです。確かに僕はAphexとかSquarepusherとかが好きだったけれども、彼らが生まれ育った広陵とした大地の、広くて何も無い、ああいうところと違って、自分の育ったところは、目の前にはすぐに国道が走っているし、すぐ裏は畑だし、海外に比べると、日本はどうしても箱庭感があると思うんですよね。こういうところから出て来たわけだから、それは張り合おうとしてもしょうがない。だったら、そういう自分が生まれ育ったドメスティックな感じを、いかに出していくかということにシフトしていかないと、説得力がないんじゃないかなって思うようになって。じゃあ、割とこういうメロウな感じなものをみんなが好むんだったら、それで作ってみようかなっていう感じで『tide of stars』の雛形みたいな曲がいくつも出来上がりました。そこからライヴ活動とかするようになっていくうちに、DJ MIKUに出会って、「うちからCD出さない? でも、君まだこの曲ミックスも含めて弱いから、もっといい感じにしようよ」って言われたんです。実は、彼にそれを言われていなかったら、「遠藤大介」からはもしかしたら脱却できていなかったかもしれなくて。
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——すごいですねそれ。
MIKUさんは80年代初頭から活動していて、テクノとかミニマルとかをずっとかける人で。一応ミックスして持っていくと、キックが弱い、現場指向の人だから、やっぱりこのキックだと海外のアーティストに負ける、キックの強さをもっと出してこい、って言うので、いろいろやったりとか。そんな流れの中で、ちょっと近くの人にも聴いてもらって、客観的な意見をもらっていくうちに、例えばミックスだったりとか、アレンジだったりとか、やっと自分で詰められるようになってきて。ライヴとかやりながら、『tide of stars』に入っている曲とかいろいろ作りながら活動して、とりあえず今の自分はこれだから、これをコンパイルして出したい、ってなったときに、MIKUさんのところに持って行っても、ミックスの方向性の違いで一年ぐらいまたかかってしまうかもしれないと思って。だから、MIKUさんには少し自分に時間をくださいと。それでもう少し自分も活動して頑張って、そこでまたMIKUさんが僕のことに興味を持ってくれたら、そのときにまたリリースさせてください、と自分から言って、とりあえず一旦リリースというものを流してもらって、それで活動を続けていったって感じですね。
——そのときは「遠藤大介」?
そのときは「DE DE MOUSE」。周りもみんな「デデ」とか「デデくん」て言ってくれてて。外に出る自分を作るときに「DE DE MOUSE」っていう名前をつけてやろうとしてたから、すごくちょうど良くて。別にみんなからそう呼んで欲しかったからつけたわけではないんだけれども、みんな必然的にそう呼んでくれてたのが、自分の中で、ダメだった「遠藤大介」からの脱却みたいなところと、上手く時期的に重なって。「遠藤大介」の頃はすごく憧れが強くて、自分がいる立ち位置と自分の持っているものとは全然違うところで、やりたいこととか、理想みたいなものを持ってて。実はそうじゃないんだよ、っていうのが、「DE DE MOUSE」になったことで、ようやく分かったんです。
景色に合う音楽を自分でも作ったほうがいいんじゃないか
——なるほど。そこからは、多分みんなが知ってるストーリーですよね? 永田さんとの「baby's star jam」がドンと売れて。
色んなDJがヘビー・プレイしてくれましたね。色んな人にCD-Rを渡していくうちに少しずつ広まっていって、ある日静岡のPERCEPTO(younGSounds・モリカワアツシ主宰レコード店)から突然メールがあって、CD-Rを買い取りたいと。やけのはら君経由で教えてもらったらしくて。「デモも送ってないのにいいんですか? 」って聞いたら、「やけ君が言うのだから間違いないです! 」って言われて(笑)。一応デモも含めて11枚CD-Rを送って、自分のなんて置いてもらっていいんだなんて思ってたら、一週間くらいで全部なくなっちゃったからバックくださいって連絡が来て。そこがスタートだったみたいなところがありますね。少しずつ少しずつ現場でやっていくうちにライヴの物販でも売れていくようになって。ちょうどその頃、京都のTSUTAYA西院店の森田さんから突然連絡が来たりもしてね。「CD-RなのにTSUTAYAで売れるの? 」って驚きました(笑)。
——まだそのCD-R持ってますよ(笑)。ちょっとだけ元に戻るんですが、多摩センターっていう場所は、自身の音楽的欲求とは結びついていたんですか?
そのときはただ単純に自分の憧れだったんですけど、街が好きだって思ったのが初めてで。ここはすごくいろんな発見があるなって思いながら歩いてたんです。当時はそういう街とか景色がすごく美しいと感じて、感動することがすごく多くって。全てがきらきら輝いて見えるって思ったときに、やばい、おれ死ぬのかなって思って(笑)。まあ、死ぬなら死ぬで、とりあえず、この自分が感動した場所とか気持ちっていうのをしっかり胸に留めておこうみたいなのを感じたりしながら、その多摩の郊外の街を散歩しているのがすごく幸せな感じで。そのときは自分の音楽とはかけ離していましたね。基本はいつも何も聴かないで歩いてたんだけど、ときどき聴いて歩くっていうときも、 自分の好きな音楽と自分がやりたいかっこいい音楽というのを当時は分けて考えてて、例えば、ユーミンとか、キリンジとか、ちょっとしたゲーム・ミュージックだったりとか、ちょっと郊外感を感じるような、昔でいうニュー・ミュージックみたいな感じのものを聴きながらいつも歩いてて。そのうちにいつか、「あ、この景色に合う感じの音楽を自分でも作ったほうがいいんじゃないか」とか考えるようになったんです。それが「baby's star jam」から続く曲の雛形のアイデアになっています。
——去年から今年にかけてやっている、Drumrolls編成でのライヴを観ていると、郊外の街というよりも、まさにAphex Twinとか、ああいうものをやりたいのかなって思ったりするのですが。
ここ2年間くらい本当にライヴ活動だけをずっとやってきて思ったのが、3rdのときはライヴでも、リスニングでも、両方いけるものにしたい、っていうのがあって。キャッチーではあったんだけれども、本質的に伝えたい芯がどこだかっていうのが見えづらかったんじゃないかなと思ってて。その3rdからの反動かもしれないんだけど、次はもっと伝えたいことが明確にわかる作品を作りたいと思うようになったんです。そのときに、別にライヴのときはライヴ用にしちゃえばいいんだから、別にライヴと音源っていうのをあわせる必要ってないな、と。だから今作とライヴは別に考えていますね。
——なるほど。
自分はビート・ミュージックを一回諦めたとは言っても、やっぱりその辺の音楽がすごく好きだったから、すごい聴いてたし、デビューしてから3年くらいの中で自分のサウンド・スキルも上がってきて、もう一回やれるんじゃないかっていう自信が実は出てきていて。ただポップで媚びるようなことだけやってるんじゃないですよって、アピールの場所を作ろうってはじめたのが「not」っていうイベントです。
今作が出来上がって、またスタート地点に立った
——いろんなことをデデさんはやりますが、お客を飽きさせないように、自然としてるのかもしれないですね。
それもありますね。あと、やっぱり同じことをしたくないというのがあります。例えば、深夜イベントに自分一人出る場合は、DJという名目だけれども、ミックスとかエディットとかそういうことしかやらないですが、出来るだけ毎回変えるようにもしてますし、それ以外にも、Drumrollsとか、ドラムと二人でやることもあるし、もう少しわかりやすく見せたいときには、キーボードやサックスを入れて「バンド」感を出したりして、臨機応変にやっています。活動していく上でも、例えばDJだけやっていたら、クラブ・シーンからしかイベントのオファーは来ないけれども、できるだけいろんなイベントのジャンルを自分で押さえて、ロックから何から、そこに向けて見せれておければ、いろんなところから新しいオファーも来るわけで、それが実際、今のライヴ活動にも繋がってて。だからこそ、常に、新しいことというか、自分が面白いと思うことを考えていかないといけないわけで、時間がない中いろいろ準備をしなきゃいけないから、大変と言えば大変かもしれないけれど、それが刺激にもなってるし。いろいろな編成でやるから、お客さんでも、DE DE MOUSEはこのライヴ形態は好きだけどあれは嫌いとか、今回はドラムと二人でやるから行かないとか、そういうの聞いたりするしね(笑)。
——いろいろなことをやってるからこそ、今回の作品のようなものが出たときに、リスナーにはより響きますよね。
だから、ライヴだけ観てて、それまでのDE DE MOUSE超アゲアゲだった、みたいな人が聴いたときに、「あれ? 」と感じるとは思うんだけれども、「ごめん、ライヴでアゲアゲだけれども、アゲアゲなものを家で聴いても疲れるじゃん? 」みたいな(笑)。これまではダンス・ミュージックでいたいって気持ちがあったし、みんなもダンス・ミュージックとして見てくれてるから、それはそれでありがたいんだけれども、自分の本質が実はそこじゃないっていうのが、今回の作品を作ってすごくわかったから、じゃあ、そのまま出せばいいんじゃない? ってなったんです。
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——お話を聴いていると、自身がやりたいこと、スタッフとやりたいこと、「not」でやりたいこと、っていうのをある程度経験して、すごくDE DE MOUSEが強靭になったような印象を受けました。
結構、今までの自分の活動自体が、常に自分に対しての反発だったんですよ。でも、去年一年間「not」とかいろいろやってみて、すごくいろいろ整理することが出来ましたね。今僕に必要なのは、やっぱりメロディーとかコードとか、そういうものなんだなって今回すごく感じていて。実はこのアルバムの前に一枚アルバムを作ってるんですよ。
——へえ!
だから実質、僕の中では今回のアルバムは5枚目なんですよ。3rd出してすぐに4枚目のアルバムの制作にとりかかって。そのきっかけは2009年のTAICOCLUBで観たSquarepusherで、すごく感銘を受けたんです。すごくトリック・スターのイメージが強くて、「ライヴをやるにしても、みんなが期待するような曲は一切やらないだろうな、でもおれは全曲聴いてるから全部わかるぜ! 」って思いながら挑んだんだけれども、最初から最後まで分かりやすい形でみんなが求める曲しかやらなくて。ヒット曲オンパレードというか。結局、ひねくれたように見えても、みんなすごく素直にビジネスやってるんだな、っていうのを感じたら、もっと自分に素直に表現がしたいなと思って。次の作品は自分が憧れていたものを一回自分の中でやろう、という気持ちがあったから、これはavexでは出せないなと思って、じゃあavexからも抜けよう、ということにはなったんだけど、そうやって一枚分くらい作ってできたのが、中途半端にDE DE MOUSEで、中途半端にハードなものだったんですよ。
——なるほど。
メロディーの上でも中途半端で、リズムの上でも、ハードなんだけれども、多少ポップさを意識してしまっている、っていう感じがすごく中途半端で。それで、アルバムの最後に一曲だけ違う感じのやつを入れれば、なんとか治まるかなって思って作ったのが、今回の一曲目の「floats & falls」っていう曲なんです。これを作ったときに、自分のモードがすごく変わったのが自分でわかって。そのときに、こんな中途半端なもの出してもダメだから、これはゼロに戻そう、と思って。「floats & falls」を作ったことによって、一回白紙に戻して。じゃあここから、いろいろ時間がかかるかもしれないけど、いろんなことをしながら、少しずつやっていけばいいや、って思ったのが2010年の秋くらいで。そういう感じで、一旦自分の中では憧れに対しての作品を作ろうとはしたんだけど、「DE DE MOUSE」で作り始めてしまって。そこから活動していく中で、やっぱり考えてしまうこともあったんだけれど、だからといって、それを全て取っ払って作品を作るとしたら、「DE DE MOUSE」というこれまでやってきたフォーマットも壊さなきゃいけないし。 やっぱりライヴに来てくれる人とか、CDを聴いて感想くれる人とか、そういうのを見てると、これを壊すのは今じゃないなって感じて。今はまだ「DE DE MOUSE」でやる必要が自分にはあると感じて、そこからまた作ったから。結局出す上では4枚目だから4枚目なんだけれども、その辺の葛藤が少しありました。
——プラネタリウム公演というものがあるじゃないですか。あれも一つ、ここ1、2年の特徴だなって思っていて。DE DE MOUSE×プラネタリウムというだけで、ビタッとくると思うんです。実際、デデさんの中では、あの公演はどういう位置づけになっているんですか?
プラネタリウムでやるっていうのは昔からアイデアがあったんだけれども、時間や貸し出しの制限があったりして中々実現しなくて。去年の秋ぐらいに、スタッフから王子にある北とぴあっていうところが自由に使えるからライヴやらない? みたいな感じで話をもらって決まりました。実は『sky was dark』、曲は八割くらい出来てたんだけど、当時まだアルバムのタイトルとか作品の世界観とかが全然まとまってなくて。プラネタリウムをやるっていうときに、プラネタリウムでやるのなら、12月、クリスマス、と連想していったときに、自分の中で次のアルバムの方向性が決まったんですよ。『sky was dark』っていうタイトルも最初はそうするつもりはなかったんだけど、そのプラネタリウムの話をスタッフとかとしている中で決まっていって。プラネタリウムでやるっていうのがなかったら多分この『sky was dark』は違う作品になってたと思います。自分の中で点と点が線で結ばれた感じがあって。実際にやってみたときに、今の自分の中で一番これがぴったりな形、自分が見せたいイメージを見せられる形だと思ったんです。例えばライヴとかだと、踊らせるとか、派手にしなきゃいけないとか、そういった要素が強いし、あと映像が強くなっていったりしても、もっと純粋にメロディーとか、音楽を聴かせられるライヴ形態というのは、実はあまりなくて。やっぱりその辺を強くしてやっていきたいっていう気持ちがすごく強かったから。そのときにプラネタリウムっていうのがぴったりあてはまったんです。
——今回、OTOTOYで高音質配信を行うことで、デデさんには新しい可能性を見てもらえたらなと実は思ってて。“安い”“速い”“便利”とは違って、“高音質”というのは初めてCDにはない価値がついたなという風に思ってるんです。デデさんとプラネタリウムと同じくらい、デデさんと高音質ってすごく未来があるというか。
今回その高音質をやるということで、ちょっとマスタリングをし直したんですよ。CDとMP3と高音質の3形態でマスタリングして。高音質配信をするってなったときに、やっぱり高音質で聴くわけだから、 CDと同じ16bitで出しても仕方ないって思って。ちゃんとしたオーディオのスピーカーとかで聴いてもらうときには、ピークをつっこんだものよりも、ちゃんとダイナミクスが残っているもののほうが、断然奇麗に聴いてもらえるし、気持ちよく聴けるだろうな、って思ったんです。 今回のOTOTOYの高音質配信では、自分が理想のマスタリングを施したものが出せると思ってて、これはこれで、本当の『sky was dark』が聴いてもらえると思ったんです。自分の中で高音質配信というのは、CDにするときのマスタリングで妥協してしまった部分を、妥協せずに出せる、これから作品を作っていく上でも、本質の音を聴かせられるフォーマットだとは思ってます。
——最後に、これからの展開やヴィジョンを教えていただけますか?
既に制作に入っています。作ってるけれども、出来上がるのがいつかはわからない。半年先かもしれないし、5年後かもしれないし。そこは分からないんだけれども、常に、出した作品を通過点にできるようにはしたいと思っています。僕の中では『sky was dark』はもう終わってしまった作品なので、通過点でしかないんです。『sky was dark』の先にあるものを、というのを考えてレコーディングは始めてて。3rdを作ったときに一度限界を感じたんですよ。でも今作が出来上がって、またスタート地点に立ったな、って気持ちがあるので。 ここからまた自分の新しい可能性が見えたと思っています。 別に流行に乗るわけでもなく、マイペースにいけたらいいなと。ライヴは本当にそのときにしかできないものをやるので。いろいろな展望はあるんだけれども、そのうちの一つとして、DE DE MOUSEの世界というのものを、ひねくれてもいいけど、もう少し素直に伝えていけたらいいなと今は思っています。
RECOMMEND
Ex Boys(DE DE MOUSE+CHERRYBOY FUNCTION+やけのはら+永田一直) / PLAYS
ExT Recordings5周年記念アルバム。クラブ・アンセムにもなった数々の名曲、セッションによって生まれた新曲をDE DE MOUSE、CHERRYBOY FUNCTION、やけのはら、レーベル・オーナーでもある永田一直の4人によるスペシャル・ユニットEx Boysでリアレンジ、リミックスを施し、そのニュー・レコーディング・バージョンをノン・ストップ・ミックス。
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SUNNOVA / Flip Stoner
ヒップ・ホップにも聞こえ、エレクトロニカかもしれない。だけどダブである。決定的なものは一つもなくリスナーに委ねているのは、彼のアイデンティティによるものかもしれない。「どこかで見た事のある景色だ。」そう思うこともあれば「いまだ知らぬ発見の連続」かもしれない。
LIVE INFORMATION
『sky was dark』 release tour
2012年11月2日(金)@新潟The PLANET
2012年11月9日(金)@神戸varit
2012年11月10日(土)@名古屋 池下CLUB UPSET
2012年11月16日(金)@高知CARAVAN SARY
2012年11月17日(土)愛媛 松山Bar Caezar 2012年11月25日(日)@京都METRO
2012年11月30日(金)@大阪CONPASS
2012年12月1日(土)@豊橋GREEN STONE CAFE
2012年12月14日(金)@福岡Early Believers
DE DE MOUSE day all stars session -4th album『sky was dark』release party-
2012年12月6日(木)@赤坂BLITZ
SHIBUYA FASHION FESTIVAL VOL.2
2012年10月20日(土)@渋谷 SHIBUFES PARK(宮下公園)
open : 12:00
live : DE DE MOUSE / GAGLE / JESSE / LEF!!! CREW!!! / STERUSS / TICA / シシド・カフカ / バンドじゃないもん!
ELECTRONIC TRIBE HALLOWEEN PARTY 2012
2012年10月27日(金)@代官山 UNIT/SALOON/UNICE
open / start : 23:00
live : TAKKYU ISHINO(DENKI GROOVE/lnk/JPN) / DJ NATURE a.k.a DJ MILO(ex. The Wild Bunch/UK) / DE DE MOUSE(JPN) / FORCE OF NATURE(mule musiq/JPN)
ノウギョウ×オンガク わをん
2012年10月28日(日)@千葉 横田ファーム(旧チャイルドの庭)
open : 10:00 / start : 12:00
live : the chef cooks me / QUATTRO / 磯部正文&平林一哉 / フタリロストインタイム / FREE THROW / DE DE MOUSE + his drummer / Predawn / The keys / 岩崎愛
DJ : TGMX / タロウサイファイ / 関山雄太
neutralnation2012
2012年11月11日(日)@新木場 STUDIO COAST
live : WIRE (UK) / DE DE MOUSE + Drumrolls / LITE / にせんねんもんだい / eli walks / ペトロールズ / UHNELLYS / jemapur / Quarta330 / notuv / trorez / madegg / Go-qualia
instore event(ミニ・ライヴ&サイン会)
2012年11月23日(金・祝)@タワーレコード新宿店 7Fイベント・スペース
PROFILE
DE DE MOUSE
織り重なり合う、計算しつくされたメロディと再構築された「歌」としてのカット・アップ・サンプリング・ボイス。 流麗に進む和音構成と相交わりから聞こえてくるのは、煌びやかで影のある誰にも真似出来ない極上のポップ・ソング。沁み渡るような郊外と夜の世界の美しい響きから感じる不思議な浮遊感と孤独感は、多くのクリエイターにインスピレーションを与えている。 ライヴ・スタイルの振れ幅も広く、ツイン・ドラムで構成されリズムの高揚感を体現する。DE DE MOUSE + Drumrollsや、縦横無尽に飛び回るDJスタイル、即興とセッションで繰り広げるDE DE MOUSE + his drumner名義に、映像を喚起させるDE DE MOUSE + Soundandvisions名義など、多種多様のステージングを展開。FUJI ROCK FESTIVALやTAICOCLUB、RISING SUN ROCK FESTIVALにSonarSound Tokyoなど多くのフェスティバルにも出演。イギリスやフランス、ドイツなど海外遠征も盛んに行っている。 近年では実験的な試みを体現する主催イベント"not"や即日完売が恒例となっているプラネタリウムを舞台にした公演を開催し、イベントの演出やその完成度が、各方面から多くの注目を受ける。ファッションやアニメ、ゲームなど他ジャンルからの支持も強く、作品、グッズ、イベントに至る全てのプロデュースを手がけると共にファッション・ブランド等とのコラボレーション・ワークも数多く行なっている。 2012年にnot recordsを始動。10月にはアート・ワークのラフから執筆、PVのディレクションまで自身でこなした約2年半ぶり4枚目のオリジナル・アルバム『sky was dark』を発表。