
2011年3月11日以降、OTOTOYでは『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』と題し、音楽やカルチャーに関わるもの達が、原発に対してどのような考えを持ち、どうやって復興を目指しているのかをインタビューで紹介してきた。
大友良英、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)、山口隆(サンボマスター)、Alec Empire(ATARI TEENAGE RIOT)、平山“two”勉(Nomadic Records) 、小田島等(デザイナー/イラストレーター) 、PIKA☆(TAIYO 33 OSAKA/ムーン♀ママ/ex.あふりらんぽ)。様々な立場を持ちつつも、復興に全力で、そして真摯に取り組むその話に、我々は何度勇気づけられたことか。
そしてちょうど1年を迎える今回は、箭内道彦へインタビューを敢行。2011年3月17日に彼から1本の電話があった。『猪苗代湖ズ』というバンドの『I love you & I need you ふくしま』という音源をリリースしたいから、OTOTOYで配信リリース出来ないか? 快諾したものの、当時はまさかこの曲が、至る所で聞こえてくるようになり、5000万円程を売り上げ、そして紅白歌合戦で歌われるなんて思いもしなかった。今になってみれば、「NO MUSIC, NO LIFE.キャンペーン」や東京メトロの「マナーポスター(家でやろう)」等のヒット広告を生み出した人。広告的手法でどうすればこの曲が話題になるのか、そして多くの売り上げを義援金として福島に送ることが出来るのかを、ちゃんと分かっていたように思う。一人一人の気持ちで復興は行われる。と共に、多額のお金がいることも事実で、ずっと復興支援をしていく上で、彼のような人間がいることは、とても力強いことのように思う。
(インタビュー : 飯田仁一郎(Limited Express (has gone?) 文 : 水嶋美和)
第八回 : 箭内道彦(クリエイター/猪苗代湖ズ) インタビュー
――箭内さんって小田島等さん(イラストレーター/デザイナー)とお知り合いですか?
箭内道彦(以下、箭内) : うん。
――前にこのコーナーで小田島さんに話を伺った時に、「NHK紅白歌合戦に猪苗代湖ズで出た時の箭内さんの顔が印象的だった」と話していたんです。箭内さんは今の日本のバックにある巨大な力のことを知っていて、そこに対して怒っていたんじゃないかって。
箭内 : はは、それは深読み(笑)。ありがたき深読みですね。
――紅白歌合戦に出た時の箭内さんの気持ちを聞かせて頂けますか?
箭内 : 夏ぐらいから猪苗代湖ズのメンバーに「大晦日に予定を入れるな」って言っていて、でももちろんその時にNHKから打診の話があった訳ではないんですよ。出たかったんですよね。3月の震災以降、福島に少しでも多くのお金を送るために半分我を忘れて動いてきました。でも、福島の今を伝えることと忘れないでいてもらうことに対しては広告屋としての冷静な目も持っていて、2011年の完成形であり集大成となる最大のメディアはNHK紅白歌合戦だと思ったんです。

――では、広告媒体としての紅白歌合戦だった?
箭内 : うん。でも誰がどう頼んでも出たくて出れるものではないじゃない。瞬間視聴率が40%で、それは日本の5000万人近い人が見てたってことで、そこで初めて猪苗代湖ズのことを知る人もたくさんいるだろうし、福島に送るお金を増やすことができる。歌う前にどんなMCをすればお茶の間を一瞬凍りつけることができるかも計算してた。とはいえ、空気を壊しすぎてはいけない場所なので、その中で精いっぱいやれることをやる。小田島さんがその時の僕の顔を見てそう思ったのは、そこの葛藤が見えたからかもしれないですね。あとね、あの演奏の後、僕以外の3人は号泣してたんですよ。
――へえ。
箭内 : でも僕にその感覚は訪れなかった。
――なぜですか?
箭内 : 気持ちが裏方に回ってたんですよね。3人はミュージシャンだけど僕は違うからさ。じゃあ何で僕があの中にいるのかって問われれば、同時に裏方として猪苗代湖ズを広告していたからなんですよ。
――「I love you & I need youふくしま」をいろんな場所で聴くようになりましたが、そこについてはどう感じてましたか?
箭内 : 色々な使われ方をしたよね。驚いたのは右翼か左翼かはわからないけど街宣車で使われてたこと(笑)。
――すごいですね(笑)。
箭内 : この曲がお金を生むように、この曲を大事に思ってくれる人なら誰でも使っていいですよって意を込めてJASRACに登録しなかったんだけど、その反面、曲が独り歩きし始めているのも感じ始めました。
――それはいつ頃から?
箭内 : 6月くらいですね。ある人がこの曲を聴いて「福島に残ってがんばれって言われてる気がする」と言っていて、それがすごいショックだったんですよ。僕は福島から逃げるなとも思ってないし、福島に人を閉じ込めたいなんて微塵も思ってない。でもやっぱり曲の使われ方や各々の解釈によって、そういう風に受け止められてしまうこともあるんだなと。避難してる人がこの曲を聴くと非難されてる気がする。すごい苦しかったって。そこで、あの曲で日本をひとつにしたり、福島をひとつにするのは不可能なんだって思い知りました。
――音楽の捉え方は人それぞれですもんね。
箭内 : そうそう、自由なんだよね。そこの難しさを感じながら大晦日のNHKホールのスタジオに立ってました。

――その難しさについて、具体的に聞かせてもらえますか?
箭内 : 何で日本はこんなにバラバラになっちゃったのかな。脱原発とそうじゃない人との間にある溝とか、Twitterの中でお互いの行動や考え方を否定し合ってるのとか、戦う相手ってそこなの? って思うんです。宇宙からUFOが攻めて来たレベルのことが今起こっているのに、日本人同士がこんなに喧嘩しているのはまずいですよね。今自分が歌っていることで福島のことを伝えるのに貢献は出来ているだろうけど、いい反応ばかりでないこともわかってたし、小田島さんが言った僕の顔が印象的だったというのは、そこの淋しさも現れていたからかもしれない。もちろん、無駄なことをやったとは思ってないですよ。
――箭内さん自身は、原発反対の運動に関してどう思いますか?
箭内 : 僕は日本から原発がなくなることは素晴らしいことだと思うし、そこに協力したいと思ってます。でもその原発事故があった福島で暮らしている人がまだ200万人いる訳じゃない。そこから離れられない理由もそれぞれにある訳で、「逃げてない奴は自業自得だ」なんて言う人たちに賛同はできない。福島に残ることを選んで今日を生きる人たちのことは誰が励ますんだ。俺が担当しなきゃって思ったんです。
――箭内さんがミュージシャンとしてだけではなく広告屋の目ももって猪苗代湖ズで「I love you & I need youふくしま」をリリースした時、その目的はお金を作ることだったんですか?
箭内 : そうですね。震災以降いろんなミュージシャンとメールでやりとりしてたんだけど、みんなどうしていいかわからず無力感を感じていた。その気持ちって今、日本中に蔓延してるんだろうなって思ったんです。そこを何とかしたかった。というか、その無力感はあなただけじゃなくてみんな持ってるものなんだよっていうのを伝えたくて、3月13日からUstreamの放送をうちの会社の4階で始めたんです。日替わりで菅波栄純(THE BACK HORN/福島県須賀川市出身)や猪苗代湖ズのメンバー、高橋優や物資を被災地に運んだ帰りのTOSHI-LOW(BRAHMAN)なんかと。怒髪天の増子さんも電話で出てくれたり。
――そんな中で「I love you & I need youふくしま」をレコーディングしたいと言ったのは、山口隆さん(猪苗代湖ズ/サンボマスター)なんですよね。
箭内 : 「とにかくお金を送りたいんだ」って。都合が良かったのは、「猪苗代湖ズ」もあの曲も震災後に作ったんじゃなくて、元々あったということ。だから3月17日から名古屋でレコーディングして3月20日から配信開始というあのスピードで出せたし、僕らが先陣切ることで他のミュージシャンも動きやすくなったと小林武史さんも言ってくれたんで、意味のある動きだったと思います。

――昨年、5000万円近い売上を福島に届けて、ある程度の目標は達成できてましたか? それとも足りてなかった?
箭内 : 足りないと思います。一億円が目標で、「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」の収益と、3月14日に立ち上げた「THE HUMAN BEATS」っていうメッセージサイトへの、斉藤和義さんも協力してくれた寄付金と、「月刊 風とロック」を発刊しなかったことで生まれたお金や、福島から宮城、岩手、全国へとつないでいく「予定」シリーズの配信収益などの総計で、9300万円くらいにはなってるんですよ。だから3月までには一億円になるかなと思っているんですけど(取材日/2012年2月17日)、そこを達成したからってただの自己満足ですからね。僕、3月14日の時点で銀行に「一億円貸してください」ってお願いして、断られてるんですよ。そこが出発点だったから、今思えば今の形でお金を集められて良かったなとは思います。たくさんの人たちの思いと力で。紅白に出ることの意味のひとつも、CDが売れてより多くの義援金にすることでしたし。でも、次に気にしなきゃいけないのはそのお金が誰に届くのかを把握することですよね。
――箭内さんはどういう理由で、どこにお金がいくようにしていますか?
箭内 : 僕が信頼している福島の人に相談して最も公正だといわれている福島県災害対策本部を寄付先にしました。斎藤和義さんはギターをオークションで売って、そのお金でギターをたくさん買って福島の学校に送るそうです。それもそれでいい支援だなと。お金だけじゃない、支援を長続きさせるための第二段階に突入したんだなって。あと、全然関係ない話してもいい?
――もちろん、どうぞ(笑)。
箭内 : 去年の5月2日に行われた「Rock’n’Roll Show Love & Peace」って忌野清志郎さんのイベントで、ステージの転換中に清志郎さんに向けた著名人のコメントが流れてて、基本的にみんな「Love & Peace」って言うだけなんですよ。でも黒柳徹子さんだけがものすごく長く喋ってて(笑)。
――(笑)。
箭内 : 清志郎さんに謝ってるんですよ。あなたが原発反対ってずっと昔から言ってたのに、私たちは聞く耳を持たなかった。その事を、今、本当に謝りたいって。もちろん清志郎さんが原発はいらねえと歌っていたその先に福島の原発事故を見据えていたかはわからないけど、黒柳さんの懺悔にハッとさせられた瞬間でした。今の原発反対活動については、声を荒げるのでなく、もっともっと上手なやり方があるんじゃないかなって思うんです。「原発反対」って強い言葉ひとつじゃなくて、やさしくコミュニケーションをとりながら効果的に届ける方法が。ただ、僕はまだ脱原発のところまでは辿り着けてなくて、とにかく今は福島に残ってる人たちのことを考えなきゃと思っているところです。
――箭内さんは今、原発への向き合い方を探しているところですか?
箭内 : 探してはいますね。もちろん、僕は原発なんていらないと思うし全部止まればいいと思う。原発反対のために力強く活動してくれている人にも感謝してる。ただ、福島にいる人にとって、デモのシュプレヒコールはものすごく辛いものなんです。その間を埋めるメッセージがあればいいと思う。

――原発問題はすぐには解決しない。その中で、今福島に必要なものって何ですか?
箭内 : いろんな人と話すけど、全県民に聞いた訳じゃないから本当に必要なものはわからないです。でもやっぱり一番多いのが、「何もしてくれなくていいから忘れないでください」ってことですよ。
――それは、事故のことを?
箭内 : そうですね。福島のことを。紅白歌合戦の演奏前のMCでもそのことは言いました。福島の人たちはちゃんと声に出して言ってます。それに傾ける耳を持ってほしい。そのためには福島の中に若いリーダーが登場して、福島の行政の機能をどんどん整えてくれれば福島は変わっていくと思う。
――箭内さんは「I love you & I need youふくしま」を通して、福島の人たちにどうなってほしい?
箭内 : そこはあえて決めていません。それぞれ判断してほしいとすら思ってない。「福島が好き」って気持ちを心のどこかにそっと置いておいて欲しいだけなんです。「明日から何かが始まるよ 君の事だよ」って素敵なことを歌ってるように聞こえるんですけど、「何か」としか言ってないんですよ。その「何か」を見つけなきゃいけないのはその人それぞれであるっていう… ある種残酷な、厳しい歌なんですよね。「福島においてきたんだ」っていうのも、僕らみたいな福島を出た人間が言う言葉ですよね。夢をもって福島を飛び出した人ともとれるし、避難を余儀なくされた人ともとれる。色んな意味を含んでるし、色んな立場に立てる歌なんです。山口くんが書いた詞なんだけど、うまくできてると思います。
――これから支援を続けていく上で、箭内さんのモチベーションは今どんな感じですか?
箭内 : 支援はしたいんだけど、そんなに自分に蓄えがある訳じゃないし、自分が倒れて会社を潰してしまっては何も支援出来なくなるし、支援しすぎたために会社を潰してしまっては福島の人に余計な心配をかけてしまう。そこはすごく難しいところです。今年の箱根駅伝で優勝した東洋大学のエース柏原竜二選手がいわきの出身だったり、横浜DeNAベイスターズの監督の中畑清監督も福島の矢吹町出身だったり、西田敏行さんだったり、猪苗代湖ズだったり、広告屋としての自分だったり、福島出身の人間が全国で頑張って輝いているんだっていうのをきちんと見せることも大事だと思っています。だから自分が潰れちゃってはだめだと思っています。

――忘れられないようにすることが、今、一番大事ですからね。
箭内 : そうですね。いい人が出てくる県だと全国に思わせるのも一つの仕事だなと。
――日常の仕事と支援を両立させることってすごくエネルギーがいることで、みんな息切れしがちですよね。失速していくのも仕方がないことかもしれません。でも一方で、福島の人たちは淋しい思いをするかもしれない。
箭内 : 僕が何て言えば福島の人は心強いと思ってくれるのか。それは、今だけじゃなく継続的に福島を支援することを約束することだろうなと思って、だから僕、その頃は「福島と結婚します」って言っていたんですよ。だから一日でも長い支援のために健康に気をつけて長生きしますと。そして復興をこの目で見届けるために。
――いつぐらいまでそう言っていました?
箭内 : 5月頃ですね。でも僕はもともと約束ってすごく嫌いで、約束恐怖症ゆえに結婚もしてないし、簡単に会社を作っては解散したり違うものを作っちゃったりするんだけど(笑)。だからモチベーションという言葉はちょっと違うんですよね。自分をそこに閉じ込めておくために作った約束と暮らしていく覚悟かな。でも、幼稚園に演奏しに来てくださいって手紙がたくさん来るんです。もちろん全部に行く訳には行かないし、行ったところと行かなかったところがでてくるとまたややこしい。何とかしてあげたいけど、頼り合ったら両者とも不幸になる気がして、すごく難しいです。僕自身、「LIVE福島」とかでミュージシャンにどれぐらい甘え続けていいのか迷っています。それこそ声をかけたら怒髪天なんて一生来てくれちゃうような人だからさ。
――いろんな難しさが、さらに交錯してるんですね。マスコミに対しての憤りは感じますか?
箭内 : うーん… 喧嘩し合ってることに対する憤りはものすごく感じるけど、憤りから喧嘩を売ったり買ったりに発展してしまうから、そこを繋いだり包み込む動きが出来たらいいと思います。今は新しい社会を作っているところなんだけど、僕にせよ、小林武史さんにせよ、いとうせいこうさんにせよ、ゴッチ(後藤正文/ASIAN KUNG-FU GENERATION)にせよ、大友良英さんにせよ、みんなそれぞれに考えは違うし受け持つ担当も違う。それでいいと思います。担当の違う者同士が互いを尊重して時々話し合ったりすれば、また何かが前に進むかもしれないしね。
――新しい社会というと?
箭内 : っていうと大きい話になっちゃうんですけど(笑)、僕は今までかなり古い社会を生きて来たのかもしれないって思ったんです。阪神淡路大震災の時に一体自分は何をしたのか。いくら寄付したのか。現場には行ったかなって考えると、多分何もにしていない。震災後、仕事で沖縄に行ったんだけど、沖縄はずっと前から大きな問題を抱えている。そういう場所に対して、どれだけ自分のこととして感じることが出来ていただろうって。違う街のことでも自分たちのことのように感じて優しく心配し合える。そういうことがこれから必要なのかなと思った。

――なるほど。福島の話に戻りますが、福島は今後、どうやって復興を目指していけばいいと思いますか?
箭内 : … 本当に難しいですね。除染をどうにかして進めてほしいのと、福島に実際に住んでる人に、何が力になるのかを教えてほしいですね。お金なのか、音楽なのか、本当に必要なものが何なのかを。是か非かは別として、大阪の橋下市長のようにいちいちテレビに出て来るうるさい人が福島にいて、福島の内情をちゃんと全国に伝えてくれれば何かが変わるのかもしれない。「じゃあお前がやれ」って言う人もいるんだけど、僕は政治家にはならないので。
――さきほど言っていた「若いリーダー」ということですね。
箭内 : そうです。5、6月あたりに自分がその位置に立つことを一瞬だけ考えたことがあったんですけど、「箭内さんがいなくなったら日本の広告はどうなるんだ」って熱く言ってくれる人もいて、思い直しました。
――震災後、音楽ではすぐに猪苗代湖ズとして動きだしましたけど、広告ではどうでしたか?
箭内 : 広告は音楽より出番が後でしたね。CMは結局全部ACになっちゃったし。CMってああいう時に流せないものを作ってるんだなって思った。広告単体で何かが出来たらすごくいいと思うけど、やっぱり猪苗代湖ズがここまでいろんな人に認知してもらえたのって僕が広告で学んだことや、そこで鍛えられた技術、育てて来た人脈があったのが大きくて、志や思いのあるものに寄り添うことで広告は初めてその力を発揮することができるんだなって… 今は思います。僕は紅白も広告だと思ってるし、「LIVE 福島」も福島の今を伝えるための広告だと思ってる。広告ももしかしたら形が変わっていくのかもしれないですね。
――どういう風に変わっていくのでしょう。
箭内 : 物の売れ方が変わってきてるから、自ずと広告の作り方も変わってきています。みんな同じ商品でも、こっちを買った方が環境にいいよ、世の中により役立つよってものにお金を使おうとしている。消費にもストーリーを求め始めている。それに伴い、広告自身もストーリーを持ち始めている。あと、震災直後に九州に行った時にみんな笑ってて、「東日本はこんなに大変なのに何だよ」って思っちゃったんですよ。でもそれでいいんですよね。西日本まで暗くなられちゃ日本まるごと真っ暗になるので。そこを広告の明るさをもって、生活や消費を健全な形で支えることも大事ですよね。だから、僕はこれからも目の前の商品を広告し続けていくんだと思います。
――話が変わってしまうんですけど、震災以後、土地ごとの意識の断絶が気になるようになったんです。僕の実家は兵庫なんですけど、そっちでは震災よりも紀伊半島の台風のことの方がリアルだった。西と東で直面している問題が違うんですよね。その溝は何とかならないのかなあって考えていて。
箭内 : その溝を埋めるのは、地方出身者の役割じゃないかな。東京で楽しい思いしてんだから、その分故郷に何らかの形で返しなさいよってね。
――箭内さんにとって、東京は楽しいところですか?
箭内 : やっぱり僕はそう思う。東京の楽しさがばれちゃったらみんな東京に集まっちゃって、日本のバランスがおかしくなるとすら思ってるよ。だからこそ、東京に出てきてる地方出身者の責任ってすごく大きい。たとえば兵庫の声が東京に届かないんだったら、東京にいる兵庫の人が東京でその声をキャッチして届ける使命があるんじゃないかと。このコーナーにしても、OTOTOYさんが発信基地になってくれればいいよね。
――頑張ります。
箭内 : こちらこそ、また新曲が出た際はよろしくお願いします!
(2012年2月17日取材)
箭内道彦 PROFILE
福島県郡山市出身。クリエイティブ・ディレクター。1964年生まれ。主な仕事に、タワー・レコード「NO MUSIC,NO LIFE.」、ゼクシィ「Get Old with Me.」、東京メトロ「TOKYO HEART」「TOKYO WONDERGROUND」、サントリー「ほろよい」、ケイリン2011、グリコ「ビスコ」、桃屋「味付搾菜」「辛そうで辛くない少し辛いラー油」など。また、同郷のアーティストたちと4人で組んだバンド「猪苗代湖ズ」で、その収益全額を福島県の義援金にすべく『I love you & I need you ふくしま』をリリース。「だっぺズとナンバーザ」名義で『予定~福島に帰ったら~』にも参加。サイト『THE HUMAN BEATS』では、被災地への声と被災地からの声を、地元新聞社福島民報と協同し、避難所の壁に貼り出している。
>>猪苗代湖 official website
>>「予定」 official website
>>THE HUMAN BEATS website
支援の輪を広げる『I love you & I need youふくしま』と『予定』シリーズ
連続記事「REVIVE JAPAN WITH MUSIC」
- 第一回 : 大友良英インタビュー
- 第二回 : 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)インタビュー
- 第三回 : 山口隆(サンボマスター)インタビュー
- 第四回 : Alec Empire(ATARI TEENAGE RIOT) インタビュー
- 第五回 : 平山“two”勉(Nomadic Records) インタビュー
- 第六回 : 小田島等(デザイナー/イラストレーター) インタビュー
- 第七回 : PIKA☆(TAIYO 33 OSAKA/ムーン♀ママ/ex.あふりらんぽ) インタビュー
OTOTOY東日本大震災救済支援コンピレーション・アルバム
『Play for Japan 2012 ALL ver. (vol.1-vol.11)』
『Play for Japan 2012 First ver. (vol.1~vol.6)』
『Play for Japan 2012 Second ver.(vol.7~vol.11)』
『Play for Japan vol.1-Vol.11』
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