2011年3月11日以降、OTOTOYでは『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』と題し、音楽やカルチャーに関わるもの達が、原発に対してどのような考えを持ち、どうやって復興を目指しているのかをインタビューで紹介してきた。
そして今回、自身のバンド、ASIAN KUNG-FU GENERATIONだけでなく、音楽フェス「NANO-MUGEN FES.」を主催、レーベル&音楽ウェブ・サイト「only in dreams」を運営、そして新聞「FUTURE TIMES」を敢行し、震災後、最も発言が注目されるミュージシャン後藤正文に遂にインタビューをすることができた。
僕自身も、バンドLimited Express (has gone?)や音楽フェス「BOROFESTA」、レーベル「JUNK Lab Records」、そしてwebメディア「OTOTOY」を行っていることもあって、彼は同志であり、彼の活動は、指標であった。特にTheFutureTimesは、2011年夏に創刊準備号、そして冬に創刊号が発行され、切り口が未来のエネルギー施策や未来への生活の提案等、批評や否定だけになっておらず、それこそ本企画『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』で最もやりたかったことで、何度も読み返したものだ。
震災から1年が過ぎ、『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』も遂に9回目を迎えた。彼と話して共通していたことは、我々には我々の立場で出来ることがまだまだあるってことだった。別れ際には、やり続けること、動き続けることを誓い、強く握手を交わした。
(インタビュー : 飯田仁一郎(Limited Express (has gone?) 文 : 水嶋美和 写真 : 藤森沙羅)
第九回 : 後藤正文 インタビュー
――僕がこの企画を始めたのは、震災後、あるアーティストのライヴを見に行ったことがきっかけだったんです。ステージ上から「原発反対! 」って叫んで、お客さんも「原発反対! 」って答えてコール&レスポンスが起きて、それ、何か違うなって。原発の問題は昔から訴えられ続けていることなのに、今に至るまで何も変わっていない。震災後だけのムーヴメントにするんじゃなくて、未来の話を具体的に話していかないと、こりゃだめだなと思ったんです。後藤さんはニュース・ペーパー「FUTURE TIMES」の編集長を務めていらっしゃいますが、これを始めようと思ったきっかけを教えてください。また3.11以降、後藤さんの心には、どのような動きがあったのでしょうか。
後藤正文(以下 : 後藤) : 震災が起こる前から、自分たちが暮らしている社会が明らかに行き詰っている感覚があったんですよね。それは僕たちの暮らしというより、世の中の成り立ち自体に。そして震災が起こり、やっぱりどう考えてもおかしいと。そこに一石を投じるには何をすればいいのかを考えていて… 例えばデモ。今でこそいろんな人が参加し始めて開けたものになってきたけど、震災以前は社会に対して声を上げること自体が特別なことだったし、どんどんやった方がいいんだけど、僕としては「違うやり方も考えた方がいいんじゃないか」って気持ちが当時はあって…。とにかく何かやらなくちゃ、やりたいとは前から思っていました。
――何かやらなきゃ、何かやりたい、と思い始めたのは震災以降?
後藤 : 震災以降は、特に強くなりました。震災以前は日記に書いていたんですよ。原発に関しては青森県の六ヶ所村の問題から知って、ASIAN KUNG-FU GENERATION(以下、アジカン)のツアー中に現地まで説明を聞きに行ったんですよね。
――「六ヶ所村ラプソディー(鎌仲ひとみ監督によるドキュメンタリー映画)」がきっかけになったと。
後藤 : そうです。それから祝島の上関原発の問題を知って、これはちょっと見過ごせない事なんじゃないかと思って日記に書いたんですけど、「お前らミュージシャンも電気を使ってんだから、そんなこと言うなら全部アコースティックでやれ」みたいなことを言う人も出てくるわけ。それを言われると「まあ、そりゃそうだよな」って少しは思うんだけど、そういう極論でなくて、もっとまともな議論をしたいというか、それぞれ意志表明をできるようにならなきゃいけないという気持ちもあったし…。 その時にもっと強く意見を言えなかったことは、今になって後悔しているんですよ。以前は、やっぱりネガティヴなリアクションがとてつもなく大きくて、避けてしまっていましたね。今と震災前じゃ、「NO NUKES」って叫んで応援してくれる人の数が違うでしょ? 以前は「原発が危ないわけねーだろ」って反応でしたから。だから、言い方、伝え方を変えなくてはと思って慎重に書いていました。
――ニュース・ペーパーという方法を思い付いたのはいつ頃だったんですか?
後藤 : 震災が起こる少し前、音楽史の本をよく読んでいたんです。僕たちは西洋から文化を輸入してロックをやっているわけだけど、日本語を使って邦楽としてやる上で、これからどう活動していくのが自分たちの文化を作ることなのか、アイデンティティーを保つことなのか、そういうことを考えていて。そして本を読み進める中でポップ・ミュージックの成り立ちに行き着いて。ポップ・ミュージックの初期のひとつの形って中世の荘園を転々とバイオリンを弾いて回っていた吟遊詩人なんですよね。彼らは「どこの荘園ではこんな事件があった」「あの辺では戦の準備が始まっている」「どこそこでは何が流行っている」とかを歌い語りながら、ニュース・ペーパー的な役割も果たしていた。ポップ・ミュージックにはそういう機能があったんです。じゃあ、これを模倣してみよう。ポップ・ミュージシャンが時を経て、同じ役割を担おうとするのも面白いんじゃないかと思って。
――媒体が紙であることにこだわりはありますか?
後藤 : 紙やメディアに記すことの意味については、ずっと考えているんです。音楽も同じで、例えばOTOTOYで音源を買えば、CDよりいい音質で音楽を楽しめるじゃないですか。じゃあCDで出す理由は何? メディアを実体化することの意味は何だ? という問いが僕の中にずっとあって、その答えは、インターネットより肉体性をもって実生活に飛び出すことなのではないかと。ネットでは検索エンジンにひっかからないと情報を集められなかったり、それなのに目の前の情報に飛び付かないと追いつけないほどのスピード感があったり、広がりがないというか… バグが少ない感じがするんですよね。実体としてある物の強さって、そこにある、否応なくある、というところにある。例えば誰かが喫茶店で「FUTURE TIMES」を読んで、広げたまま店を出ちゃう。次にその席に座ったアジカンのことを全然知りもしないおじさんが、たまたまエネルギーの記事を目にして、「これ、使えるな」と思って手にとる。そういうことが起こり得るのが面白い。実際、南相馬で林業をやっている人がペレットストーブ(木質ペレットを燃料とするストーブ)の記事を読んで「これは私たちでも出来るんじゃないか」と検討を始めたそうで、これってネットの中だけだと起きないことですよね。完全に音楽の現場を跳び越しちゃっている。音楽をやっている人の記事には、やっぱり音楽好きしか集まらないんで。
――僕がこの連載記事を始めた時に読んでもらいたかった人は、やっぱり音楽好きだったんですよ。OTOTOYには音楽好きが集まるはずだから、その人たちにまず伝えたいと。後藤さんの考えは、そのもう一歩先なんですね。
後藤 : さっきの吟遊詩人の話とも繋がるんですけど、僕には「越境せよ」というテーマがあるんです。音楽に関しても、ジャンルを渡り歩いていかないと蛸壷になってしまうという危機感があるんですよ。アジカンは日本語でがっちりやっているから邦楽ロックってことになりますよね。お客さんもみんな邦楽ロック好きばかりが集まっちゃって、閉じてくるんです。そうなると面白くない。世の中は常に整理されようとしているから、そこに抗っていかないといろんなものが閉じていくように感じるんですよ。アジカンとしては、「NANO-MUGEN FES.」で抗って、細分化を拒んでいます。何においてもそうなんだけど、ヒップ・ホップやロックンロールやジャズが生まれた時って、何かを越境して文化が衝突した時ですよね。僕たちがやっている事はもっと狭いことかもしれないけど、それでもジャンルを越境していく意識がないと、音楽が死んでいってしまう。「FUTURE TIMES」においてもその意識はありますね。
――「FUTURE TIMES」の編集部はどうやって作ったんですか?
後藤 : Twitterで人を集めましたね。「俺、新聞作ろうかなー」ってつぶやいたら、わーっと反応が来て、取材で知り合った編集者の方が来てくれたり、会ったことのないイラストレーターの方もレスをくれて、作品を見せて頂いて良かったから声をかけていくとか。デザインはアジカンを一緒にやり始めて、途中で抜けてデザインの道に行った大学時代の友達にお願いして、第一号の表紙のイラストは中村佑介にお願いして。
――テーマは後藤さんが考えるんですか? 編集部で話しあって決めるんですか?
後藤 : 何となくのテーマは僕が持っていきますけど、まあみんな考えてることはそんなに違わないので。でも「やりたいことがあったら言ってくださいね」とは伝えています。一号に掲載された岩手のページはスタッフの意向で作られたものですしね。その辺の感覚はバンドをやっている感じと近いです。コンポーザーとして最終的なミックスを見るというか。
――後藤さんがこういう活動をするのについて、バンドのメンバーの反応はどうですか?
後藤 : どういう趣旨で始めたのかちゃんと説明したし、みんなわかってくれています。「FUTURE TIMES」の活動はアジカンのスケジュールの網目を縫ってやっているので、スケジュールをちょっと動かしてもらうことはあるけど、基本的にバンドに負担はかけてないので。
――「FUTURE TIMES」では後藤さんもインタビューされていますが、テーマはやはり「未来」ですよね。後藤さんは今がこのまま未来に続いたら、どうなると思いますか?
後藤 : とにかく、放射性廃棄物の問題が気になっています。たった一カ所、フィンランドにオンカロという核の処理場があるけど、それもまだ動き出している訳じゃない。「INTO ETERNITY : 地下深く 永遠(とわ)に ~核廃棄物 10万年の危険~」(監督 : マイケル・マドセン)という映画にも出てくるんですけど、核廃棄物が無害になるには10万年かかる。10万年もあれば、その間に誰かが核廃棄物を解決する技術を開発するだろうっていう楽観的な思想に基づいて動いているんですよ。いろんな人の話によると、人類が言葉を発明して5千年強だと言われていて、5千年経ってもまだ正しく扱いきれていないじゃないですか。例えば、ラテン語を自由に扱える日本人がどれだけいるんだって話。現在の英語のような共通言語であったラテン語も、今では一般人には理解できないわけです。となると、もう、想像が及ばないですよね。想像もできない10万年後のことを前提にして物事が進められているんです。コストの面でも換算されていないんだから、これからどこかの世代が割を食う確率が高い。まあ、単純に言えば年金みたいなことをやってしまっているんですよね。もっとスケールがでかくて、もっと未来のことを考えていない、今生きている人たちだけの分配しか考えられていないやり方。これを続けていくと、とんでもないことが起きるんじゃないかって思います。
――実際に、起こりましたしね。
後藤 : 起こりましたね。そして同じものが日本中にありますね。使用済み燃料棒も原子炉の中に入っていれば、プールに入れておくよりは多少マシだろうけど、使い終わったら出さなきゃいけないわけでしょ。なら、もうなるべく原発を新設するのを止めて欲しい。僕が期待しているのは、どうにか原子力を使わないエネルギーに移行していけないかということ。仮に原子力を使い続けるならば、大量に出てくるプルトニウムとかを何らかの方法で無毒化するとか、放射能をなくすとか、分裂させるとか、そういうことを行えないと、この問題は未来永劫続きますよね。あと、人間が起こすヒューマン・エラーも怖いですよね。ああいう事故が起こって、責任が誰にあるのかがわからなくて、どうしようもなくなって、それを整理しないままもう一度使うっていうのは、筋道として危ない。
――後藤さんが今、可能性を感じてるエネルギーはありますか?
後藤 : 農業や林業に可能性があると思います。ツアーを回ってればわかるけど、使われてない田畑が全国にどれだけあることか。
――農地を使ったエネルギーというと?
後藤 : というか、やっぱり生活ってものに根ざして考えるのであれば、グリッド自体を狭めた方がいいんじゃないか、という話ですね。例えば大分でとれた海産物を東京で食おうとしたら、そりゃ色んなエネルギーを使うでしょってこと。地産地消って理にかなっていると思うんです。その考えが大きく広がっていけば、東京で使う電気を青森や福島から持ってくるってどういうことなのか、どれだけムダなのか、意識しやすくなるだろうし。これらは知識人たちからの伝聞でしかないので、僕はドンと「これが正しい」とは言えないんですけど。産業って本当に大きいから、ミュージシャンの知識で産業が使っているエネルギーまでをどうまかなっていくかを考えるのは難しい。でも、ミュージシャンであると同時に僕らも一人の生活者ですから、望んで選んで進んでいくのが正しい道筋ですよね。ただ、今一番問題なのは自分達でエネルギーを選べないことですね。異常ですよ、選べないっていうのは。
――そうですよね。いくつかの電力会社が独占してしまっています。
後藤 : ドイツやスウェーデンの方式のように、自分がどこの電力会社からエネルギーを買い、それによって技術者にお金が落ちて、新しい技術が開発されることを知るみたいな仕組みになって欲しい。あと、みんな単純化するのは止めた方がいいと思います。例えば「東京電力は全員悪い」みたいな考え方は、絶対におかしいから。東京電力の中にも真面目に働いている人はいるし、新しいエネルギーを研究している人もいるだろうし、その人たちを責めるのと経営の責任問題を追及するのとはまったく別ごとなので、こんがらがらないで欲しいですね。
――Twitterで炎上しているのを見ていると、それは感じますね。
後藤 : ひとつであることの不気味さをすごく感じます。今言った考え方の話もそうだし、だから、発電方法もひとつだと不気味なんですよ。いろんな意見や方法があって、それぞれに良い点、悪い点があって、抱えている問題についてはみんなで考えていかなきゃいけない。例えば原発がなくなったら、「原発で働いていた人はどうなるの?」「その人たちの生活のことは考えてるの?」とかいう人がいますけど。
――うん。
後藤 : だったら「日本から一気になくなった炭鉱の街のことはどう思ってるの?」「それを復活させることについてはどう考えるの?」「夕張市が破綻したことについてどう思うの?」と訊いてみたい。でも… エネルギーの産業って実は今考えているようなことが繰り返されてきて、トレンドが変わる度に人の考え方やライフ・スタイルごと変えなきゃいけなかったんじゃないかと思うんですよ。そういえばこの間、恵比寿の写真美術館にフェリーチェ・ベアトが撮影した江戸時代の写真を見に行ったんです。そこで思ったことなんですけど、江戸の町は発展していたけど、田舎の方の日本人は西洋の人から見れば未開の部族みたいだったろうなって(笑)。でも、そういう時代があったということをもう一度振り返って直視した方がいい気がする。1860年代頃からものすごい勢いでここまで来て、便利なことが当たり前みたいな顔をして生活していますけど、日本人は長らく未開の部族みたいな生活してきたんだよって。
――震災から、もう1年以上経ちましたよね。僕は行動する人と静観する人で分かれ始めているのを感じます。最初の1年は危機感をエネルギーにして活動を続けてこれたけど、同じ意識のままこれから続けていけるかというと、ちょっと難しい。意識を変えないと続かなくなってきたところがあったんですよね。後藤さんはこれからも「FUTURE TIMES」を続けていく上で、どういう方向に舵を取ろうと思っていますか?
後藤 : 権威のないところで何が出来るか、というのは最初からコンセプトとしてあります。結局、国の歴史は国が作るんですよ、どこへ行ったって。権力が編纂するから、僕らには作れない。僕らが作っているのは民俗史なんです。民話です。柳田國男なんです(笑)。
――なるほど(笑)。
後藤 : エネルギーの話じゃなくてもいい、未来に繋がれば。でも、今やっていることは未来に繋がると思います。世の中は個人の集積でしかないので、一人一人の意識が高まらない限りは何も変わらないと思うんです。個々の意識を少しずつ変えていくことが、今、僕たちにでき得ること。原発をなくすというところまでは直接的に担えないと思えます。だから、「花や実の部分までは手が届かないから、まずは土をやろう」みたいなイメージ。それをじっくり続けていくこと。10年続けたら何か変わるかもしれない。アジカンの「NANO-MUGEN FES.」も含めて、この抗い方には実感があるんです。僕らがフェスをやることで、アジカンの周辺には洋楽も邦楽も好きな人は増えてきましたからね。
――話を聞いていると、アジカンの活動も「FUTURE TIMES」の活動も、後藤さんにとって、表現活動としては同列なのかな、と。
後藤 : 10~20代は自分とバンドが一体で「これしかない」みたいな気持ちだったんだけど、歳をとってくると、徐々にセパレートしていきますよね。色々と自分で考えを進めていくうちに、ひとりの表現者として色んなところで面白いことをやりたいと思うようになった。もちろんバンドは好きでやっていることではあるんだけど、アジカンだけをやらなきゃいけないなんて誰にも決められたくない。
――「FUTURE TIMES」や「NANO-MUGEN FES.」は外側のオーディエンスに「こんな考え方もあるよ」「こんな面白い音楽があるよ」と提案する役割があって、アジカンの活動はそれとはちょっと違うのかな、とも思ったのですが、どうでしょう。意識は違いますか?
後藤 : アジカンは一番大きい装置ですからね。僕が今持っている中で一番大きいロボットだから、それに乗るときにはやはり気合いを入れないと。その大きさを、やっと面白がれるようになってきた。
――今まではそうは思えなかった?
後藤 : やりづらいと思うこともあったんですよね。インディー・ロックの現場では必要以上にビッグ・ネーム扱いされて煙たがられることもあったし、かと言って芸能寄りの現場に出ていけば「知らねーよ」って顔されるし。何だこれって(笑)。最近はそれを気にしなくなってきた。俺はやりたいことをやればいいし、誰に何と言われてもいいや。つまり、お前自意識過剰なんだよって(笑)。
――ふふふ(笑)。なるほど。
後藤 : 売れるか売れないかは大した問題じゃない。その核にある… 何だろう、言語化するのは難しいんだけど、その「一体何だろう」ってことに向き合ってさえいればいいと思うようになった。そういうのを気にしていると、置いてかれちゃうんですよ。例えば「FUTURE TIMES」で坂本龍一さんと対談させていただいて、表現者としても芸術家としても考えたくもないぐらい先にいる方じゃないですか。でも、坂本さんや先人たちが見ている場所があって、そこに僕も辿り着きたい。でも、それは誰かに褒められることではないんですね。だから、周りに何を言われようと「別にいいです」って感じ。
――震災や原発事故ももちろんそうだし、「FUTURE TIMES」を出したり、もっと前の「NANO MUGEN FES.」を始めたこともそうだし、色んな出来事がある中で、楽曲は変化しますか?
後藤 : 変わってはいると思いますが、バンドって面白いもんで自分の思い通りにはならないじゃないですか。だから、いかにメンバーと化学反応を起こしていくかってことだけかなと思います。
――まだバンドの化学反応を楽しめているんですね。すごい理想的だと思います。
後藤 : 楽しい… うーん、難しいですよ。メンバーとのビジョンも全く同じではないわけだし、それに対していちいち怒って「俺について来い」っていうのも僕は違うし。だったら考え方の違う彼らと何を一緒に作れるのかなって。そういう作業を経て、アジカンはポップ・ミュージックになるんだと思います。この間口の広さを与えてくれるのは彼らなんです。だから彼らとじゃなきゃできない。例えば僕がソロ曲を作ったところでアジカンみたいに色んな人に聞いてもらえる曲にはならないですよね。ビートルズもあの4人だからよかったわけで、ポール・マッカートニーなら知らない曲もいっぱいあるもの。
――ビートルズも早くに解散したし、昨年末でムーンライダーズも活動を休止した。でも、後藤さんが他にも色々活動している中で、まだアジカンがに化学反応と言える感じが、とてもいいと思いました。僕もバンド(Limited Express (has gone?))をやっているから分かるけど、すごく大事なところですよね。
後藤 : 最近、ミュージシャンが「1つのことだけに寄りかからない」ってことを意識し始めている気がするんですよ。
――それは、どういうところに?
後藤 : 飯田さんだって、バンドとは別にOTOTOYという場を作っているじゃないですか。それで良いと思います。バンドにはバンドの面白みがあって、楽しんでくれる人がいて、でもOTOTOYみたいに人が集まって会社を作っていくのも一つの表現としてあって、それに対して面白がる人もいる。いろんなところでいろんなことをやっている人を、僕は尊敬しながら、且つ心のどこかで張り合っているんです。
――張り合う気持ちは大事ですよね! 僕らも30代になって社会を意識し出して、でもミュージシャンであることは根底にあるじゃないですか。20代の頃って自分も周りもあまり考えなかったけど、今は社会との関わり方を考えるようになって、未来をちょっとだけ想像できるようになってきている。後藤さんはこれから、ミュージシャンとして社会にどう関わっていきたいですか?
後藤 : もう少し怒った方がいいと思っているんですよ。僕たちの世代には何も用意されていなかったということを。この社会には空洞があって、この社会を作った人たちは高齢者への入り口に立っていて、否応なく僕たちより先にいなくなっていく。その時にまだ、自分たちの世代が空洞だったら嫌じゃないですか。どんな業界を見てても思いますよ。上の人たちがとにかくつっかえています。だから、自分たちが活躍できる場を、自分たちで作っていかなきゃいけない。みんながそう思って動き出したらいいなと思うんですけど、実際のところ「NO NUKES」「NO WAR」という太文字だけでは世界は何も変わらないので。
――そうなんですよね。
後藤 : 僕たちがやっていること、音楽ほどプライベートなものは無いと思うんです。なぜなら、聴くことを誰かに肩代わりしてもらうことはできないから。だからこそ、人のプライベートな部分に訴えかけられる。そこから土を耕したり、種を撒いていきたいなと。そして、ひいては、社会が豊かになればミュージシャンにとっても幸せな時代が来るんじゃないだろうか。いい音楽を鳴らして、そこに対する拍手も今よりもっと大きくなるんじゃないだろうかという期待もある。だから話を戻せば、全部自分のためにやっています。この社会の不寛容さが解きほぐされて行けば、もっと瑞々しい芸術が世の中に出てくるはず。それはリスナーとしての自分も楽しいし、作品を作る上でも刺激になる。濃いやりとりをできるようになると思います。だから、ニュース・ペーパーを作ることも音楽活動もちゃんと繋がった上でやっているんです。全部自分に絶対返ってくると思います。
(2012年4月7日取材)
後藤正文 PROFILE
1976年生まれ。ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル&ギターであり、全ての楽曲の作詞と ほとんどの作曲を手がける。これまでにキューン・ミュージック(ソニー)から6枚の オリジナル・アルバムをリリース。2010年にはレーベル「only in dreams」を発足し、 webサイトも同時に開設。また、新しい時代やこれからの社会など私たちの未来を 考える新聞「The Future Times」を発行するなど、 音楽はもちろん、ブログやTwitter での社会とコミットした言動でも注目され、後藤のTwitterフォロワー数は現在158,000人を超える。
>>ASIAN KUNG-FU GENERATION
>>THE FUTURE TIMES
>>only in dreams
ASIAN KUNG-FU GENERATION、2012年第1弾シングルが完成!
初のベスト・アルバム「BEST HIT AKG」リリース後に行われた久々のアリーナ公演も、全会場チケット即日完売!熱狂的な盛り上がりを見せた。
2012年の活動に期待が高まる中で届けられたシングル「踵で愛を打ち鳴らせ」は、 リズム隊が生み出す新たなダンスビートの上を“喜怒哀楽”をモチーフにした後藤の歌が跳躍する。そのメロディから、言葉から、アレンジから、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの現在がヒシヒシと伝わるメッセージ・ソング。
力強い疾走感に満ちたc/w曲「リロードリロード」も必聴!
連続記事「REVIVE JAPAN WITH MUSIC」
- 第一回 : 大友良英インタビュー
- 第二回 : 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)インタビュー
- 第三回 : 山口隆(サンボマスター)インタビュー
- 第四回 : Alec Empire(ATARI TEENAGE RIOT) インタビュー
- 第五回 : 平山“two”勉(Nomadic Records) インタビュー
- 第六回 : 小田島等(デザイナー/イラストレーター) インタビュー
- 第七回 : PIKA☆(TAIYO 33 OSAKA/ムーン♀ママ/ex.あふりらんぽ) インタビュー
- 第八回 : 箭内道彦(クリエイター/猪苗代湖ズ) インタビュー
OTOTOY東日本大震災救済支援コンピレーション・アルバム
『Play for Japan 2012 ALL ver. (vol.1-vol.11)』
『Play for Japan 2012 First ver. (vol.1~vol.6)』
『Play for Japan 2012 Second ver.(vol.7~vol.11)』
『Play for Japan vol.1-Vol.11』
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