2011.06.11「SHARE FUKUSHIMA@セブンイレブンいわき豊間店」レポート
忘れもしない、3月11日(金)14時46分...
東日本大震災が起こり、東京でも震度5の揺れがあり、帰れなくなってOTOTOYで一晩を過ごした。その後、福島原発では大事故が起こり、自分達の考え方や生活も大きく変わってしまったけれど、家や家族を失った人々の悲しみを思うと、「まだまだ、何かやらなくちゃ...」そう思い続けている。
今回は、メディアジャーナリストの津田大介氏の呼びかけにより6月11日(土)に行われたイベント、『SHERE FUKUSHIMA』の舞台周りのサポートのため、福島県いわき市を訪れた。
津田大介は、震災後、得意なTwitter等を駆使して、現地の状況を伝え、復興を目指している。イベント・オーガナイザーとしての経験は少ないにも関わらず、声をあげて先導した彼の思いに引っ張られ、多くの人間がこのイベント『SHERE FUKUSHIMA』のために動いた。
渋谷慶一郎、七尾旅人、YDM、伊藤ガビン、戸田誠司等...
当日ゴミ拾い等のボランティア活動を行った東京のバス・ツアーでの来場者も、彼の動きに賛同した人が多く「日帰りでも役に立つ事があるのならと思ってやってきました!」という声もいくつか聞いた。
OTOTOY号の同乗メンバーは、OTOTOYの簑島亘司とヒップランドミュージックの粟生田悟。会場のセブンイレブンいわき豊間店で、カメラマンの佐々木亘と合流する。現地入りは、イベント前日10日の22時。辺りは真っ暗。鉄骨と屋根しかないセブンイレブンいわき豊間店。怪しげなカッパの人形が多く置かれ、鉄骨も散らばっており、とても不気味。明日は、これ等の撤去をまずはやらなくちゃいけない。下見のたった1時間に、地元の警備の方、さらには警察もやってきた。話によると、火事場泥棒が多く、警備を強化しているらしい。粉塵が多く、息が苦しい。
下見後、いわき市にある粟生田悟の実家に向かう途中で沿岸部をいくつか見て回る。1階部分の高さの津波だったのだろう。1階がぶち抜かれてもたっている家々が多く見られる。地域一体は、人の気配がなくゴーストタウンのようだ。一瞬で街を消し去る津波の威力を改めて感じた。
朝8時、現場に到着。セブンイレブンとのやりとりがそれほど上手くいってなかったようで、当日になって急遽下見で決めたステージの場所を変更。セブンイレブンの中に来場者を入れるはずだったのが、セブンイレブンをステージにして、車の往来のある道路を挟んで向かい側が客席となった。
しかも雨が降っている...
リハーサルをしながら、U-stream、ニコニコ動画、DSD録音等の準備...
やることは山積みで、信じられない程多くのトラブルがやって来たのだけれど、PAの金森祥之のおおらかな人柄やスタッフの大活躍もあり、なんとか30分押しで客入れまで持っていく。
本番が近づくにつれて、なんと天気は回復してきた! ボランティアを行った東京のバス・ツアーでの来場者や、地元の人たちもどんどん集まってくる。
14時30分、津田大介の挨拶の後、七尾旅人と渋谷慶一郎が呼ばれ演奏が始まる。
14時46分、黙祷。七尾旅人と渋谷慶一郎が再スタートする。テープ・アーティストYDMが、その音楽にのりながら、色とりどりのカラフルなテープをどんどん会場中に貼っていく。
目の前には鉄骨と屋根だけのセブンイレブン、150m後ろには海が広がり波の音が聞こえる。渋谷慶一郎の繊細なピアノ。七尾旅人の力強い声。そして張り巡らされるテープ... 来場者は、混沌を感じながら思いを巡らしている。
あの日の事、
流された家々、
地震、
津波、
原発、
家族、
被災地、
これからの事...
皆の巡らす思いが、どんどん会場をヒートアップさせていく。セブンイレブンと来場者の間を通る車が、更に混沌に拍車をかける。
七尾旅人の「圏内の歌」のフレーズ
「こどもたちだけでも どこか遠くへ 逃したい」
そのフレーズが皆の思いとして天に昇っていく。
ラストは、七尾旅人×渋谷慶一郎の「Rollin' Rollin'」で終了。津田大介が登場し、セブンイレブンの金成伸一店長を呼び込む。セブンイレブンの近くには、彼が購入した大きなゴジラや、カッパの置物、そしてモンゴルの伝統的な移動式家屋「ゲル」等も並んでいる。鉄骨と屋根しかないセブンイレブンで地元の人のために移動販売をしようと言い出したのも、彼である。このイベントを開催するにあたっても、地元やセブンイレブン本社からは様々な反対もあったようだ。けれど、たとえ反対されたとしても、自分の信じる復興のやり方を突き通すこと。何もやらないより、やったほうがいい、そんな強い意志を、彼のスピーチから感じることが出来た。
最後に、津田大介の「この経験や思いを共有していくことで世界が変わっていく。ほんとにやろうと思えば出来ちゃう時代になったんだなと感じた。」という言葉で締められ、皆で写真をとってこのイベントは終了した。
たった2週間前に決まって、超ドタバタのイベントではあったが、それでもこのイベントが成功したのは(しかも晴れた)、参加者の皆が、参加する事に受け身ではなかったことだ。東京からのバス・ツアー代1万円の中には、義援金も入っているし、ボランティアをする行程もツアーに組み込まれていた。多くの経費は、津田大介含め皆が持ち出しを覚悟していた。もちろんOTOTOY号もだ。
その受け身でない姿勢があってこそ、多くのトラブルを乗り越える事が出来たのだと思っている。本当にやろうと思えば出来ちゃうから、みんなやったらいい。震災から3ヶ月。被災地は、お金も人もまだまだ足りない。まだ募金箱を撤去しちゃいけない。まだ義援金をつくることをやめちゃいけない。決して自分達だけが日常に戻っちゃいけない。そして、音楽やアートは、今から必要になってくる。
今からでも遅くない。
なにかやろう。
(text by 飯田仁一郎(Limited Express (has gone?) / OTOTOY / BOROFESTA...)
イベント開催によせて text by 津田大介
僕がこのセブンイレブンいわき豊間店を知ったのは、福島県を取材中の5月中旬のことでした。ツイッターでいわき在住の人たちから「いわきの被災地取材するなら豊間のセブンイレブン見た方がいいよ」と教えられた僕は車を飛ばし、セブンイレブンに向かいました。
「つらいことはたくさんあるけど、ここで楽しいことをたくさんやって、楽しいことでつらいことを上書きしたいんだ」
セブンイレブンの金成店長が突然のアポなし取材に来た僕に言った一言です。お店の取材を終えたあとも、この一言が僕の中で強く印象に残っていました。
震災後、渋谷慶一郎さんと七尾旅人さんから、別々に、まったく同じオーダーをもらいました。それは、「福島の被災地を見て、その場で音楽を奏でたい。でも、自己満足でやるのではなく、僕らが向こうで音楽を奏でる必然性を作ってほしい」というものでした。
金成店長を取材後、いわき出身で現在も在住しているアーティストのYDMさんに会い、どのような形なら渋谷さんや七尾さんの求めている形のライブイベントができるか相談しにいきました。その話し合いをしている最中に、「あれ? よく考えたらライブをあのセブンイレブンでやってしまえばいいんじゃないか?」という天啓が降りてきたのです。
翌朝、セブンイレブンに向かった僕は金成店長にライブイベントの構想を告白。店長は二つ返事で「面白いね! やろうやろう!」と快諾してくれました。
そうして始まったのがこの「SHARE FUKUSHIMA」です。
今回のイベントのコンセプトはシンプルです。一流のアーティストたちが共演するパワーを具体的に被災地の復興につなげる。そして、イベントをきっかけとしてセブンイレブンいわき豊間店を「楽しいことが集まる場所」にするということです。
限られた時間の中で、準備もまだまだ十分ではありません。イベントがどういう形になるかは自分でもわからない部分がありますが、それでも成功させたいと思っています。ぜひ、多くの人に実際に現場に足を運んでもらって「楽しさでつらいことが上書きされる」瞬間を見てもらいたいと思っています。
SHARE FUKUSHIMA 参加メンバー
■アーティスト : 渋谷慶一郎、七尾旅人、YDM
■音響 / サウンド・プロデュース : 金森祥之(Oasis sound design Inc.)
■演出 / ビジュアル・プロデュース : 伊藤ガビン、戸田誠司
■舞台監督 : 飯田仁一郎(Limited Express (has gone?)、ototoy)
■写真 : 新津保建秀
■ウェブ・サイト制作 : ふるたあさほ(ASABOX)
■プロデュース : 津田大介
■主催 : SHARE FUKUSHIMA制作委員会
SHARE FUKUSHIMA web site