音楽を聞く事は、一種の旅であると鈴木惣一朗は言った。前作『花音』から今作『cilencio(静寂)』は、イタリアからポルトガルを経て南米へ。前作からの3年間、今の音楽事情への葛藤を乗り越え産み出した音楽旅行への切符。様々な国の音楽を飲み込んだ鈴木惣一朗率いるワールド・スタンダードの新作について、鈴木惣一朗にインタビューした。
インタビュー : 飯田仁一郎
文 : 内田武瑠
「迷宮にざわめく雑多な音の中から鈴木惣一朗が見つけた『シレンシオ』の道は、後から来る人への貴重なガイドとなるだろう」 - 細野晴臣
ロング・セラーとなった、ビートルズのカヴァー集「りんごの子守唄」や「雪と花の子守唄 -バカラック・ララバイ集-」のプロデュースで知られる鈴木惣一朗率いるワールド・スタンダードが、3年間の長期レコーティングを終え、新作『シレンシオ(静寂)』を完成させました。OTOTOYでは、CD収録曲の中から10曲に、CD未収録の「逝く夏」を加えた全11曲をオリジナル・ヴァージョンで販売します。祈るように語りかけるポルトガル語の柔らかな響きをどうぞ。
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静寂っていうのはココロの状態であって、サウンドの事じゃない
——ジャケット、とてもいいですね。
鈴木惣一朗(以下 鈴木) : うれしいです、ありがとうございます。北澤君って青年にやってもらったんだけど、元々ジブリにいた人で「ファンです! 」っていきなり自分のイラストを持って売り込みに来たの。イラストを見たら、ワールド・スタンダードのメンバーみんなの似顔絵を描いて来てくれて。まぁみんなジブリというか、動物になっちゃってたんだけどね(笑)。それで、制作中はシャット・ダウンしてる状態だったんだけど、北澤君には時々会ってて、アルバムのイメージを伝えたりしてた。アルバムは「厳しさと柔らかさ」みたいなイメージを持ってる事も話して…。それで神父をモチーフにして、神父が投げた帽子が鳥になって月に向かっていって、ひとつの銀河になるっていうストーリーを二人で考えて、じゃあジャケットは縦に長い見開きの構図にして、満月も入れようって。それだったら、ぼくは「満月」と「銀河」っていう曲も作るよってどんどん広がってゆきました。
——製作中にですか?
鈴木 : そう。だから彼は使われてないワールド・スタンダードのアウト・テイクも殆ど聞いてると思う。途中あまり人に聞かせてなかったんだけど、北澤君には聞かせてて。何度も描き直してくれたんだよね。今度ライブがあるんだけど、その時にはジャケットをアニメーションで流そうと思ってて。この前、下絵を見たけど、既にいい感じになってました。
——色々と同時進行だったんですね。
鈴木 : そうですね。ただ『シレンシオ(静寂)』ってタイトルはもう決まってたかな。前作の『花音』っていう作品を作った後に、休暇でマカオに行ったんですよ。そしたらカジノだらけで(笑)。カジノと教会しかないみたいな感じ(笑)。ウォン・カーウェイの映画みたいに、雨がしたたってるスラム街の横にポルトガル式の世界遺産の教会があって、マカオは「煩悩と信仰」みたいなテーマが自分の中できちゃった。目的は世界遺産の教会を全部見ようと思ってて、どこでも「SILENCIO! 」って書いてあるんですよ。「静寂に! 」って意味なんだけど、観光客が結構うるさい(笑)。でも、僕的な解釈で、静寂っていうのはココロの状態であって、サウンドの事じゃないんじゃないかなって思いました。ガヤガヤしてるんだけど、誰も咎めないんですよ。そこにいる人達の気持ちは落ち着いてるっていうか、静けさってのは本来そういう意味なのかなって。だから『SILENCIO』っていうアルバム・タイトルをお土産で貰って帰って来たみたいな。その頃、音は既に3分の1は録っていて自分のノートに「次回作は、SILENCIO / WORLD STANDARDに決定! 」って書きました。
——音はもう既に録られていたんですね。
鈴木 : テストみたいな形で新しい音は録ってたんですよ。前作の『花音』の制作が終わった段階ですぐ制作に入りたくて細野(晴臣)さんに直談判して。「早すぎるよ」って言われたんだけど、すごくいいアイデアがあったので「リリースの予定も決まってなくていいので制作に入らせてください」って。その頃すでにアルゼンチン系は聞いていて、今のアルゼンチンのシーンが少し見えていたので、『花音』はイタリアがテーマで、次はちょっとスライドしてポルトガルから南米へみたいなラインを、ワールド・スタンダードなら自然にできるんじゃないかなって思ったんです。それがぼんやり見えていた状態だったんです。だから入り口はスッと入れた感じ。入ってからは色々大変だったけど。
——その入ったきっかけはなんですか?
鈴木 : グスタボ・サンタオラージャ(Gustavo Santaolalla)です。アルゼンチン、ブエノス・アイレスの人でファナ・モリーナ(Juana Molina)のデビュー時のプロデューサーだったひと。映画音楽の代表作は「バベル」「21グラム」「ブロークバック・マウンテン」。彼のチャランゴの響きに導かれて。タンゴのハウスみたいな事もプロデュースしたりしてる人で、アカデミーも2度受賞してます。ハリウッドではしっかり認知されてる人だと思う。でもこの人のやる事はいつもチャランゴだから、凄く不思議な存在だなぁ… とずっと思っていて。ノンサッチから出してるソロ作品『ロンロコ』も、チャランゴで全てできてるし。グスタボを深く聞いてくうちに、エグベルト・ジスモンティ(Egberto Gismonti)が来日したりして響き的に繋がってくるわけです。アルゼンチン、改めてなんか面白い世界だなぁって思い始めて。その時にはそれが今のアルゼンチンのシーンと繋がってるとは思わなかったんですが、すぐにジスモンティ周辺の人脈とキー・パーソン/カルロス・アギーレ(Carlos Aguirre)やアカ・セカ・トリオというグループにぶつかっていった。そしてミナスのセルジオ・サントス、エドゥアルド・マテオっていうウルグアイの音楽家とか。ブラジルからスライドすると俄然面白いなって思ってました。それまでにアルゼンチン音響系は聞いていたんですが、ファナが唯一好きだった。アレハンドロ・フラノフ(Alejandro Franov)っていうフィクサーも好きだった。でも、その後のアルゼンチンのシンガー・ソング・ライターのシーンが見えた時点でぼくの「ものづくりの火」がついた。「雪の降るまちを」をカルロス・アギーレがやったらどうなるんだろう… とか考え始めた。一回アルゼンチン経由でジャパネスクを感じるみたいな作業で、どんどんワープしてゆきました。新鮮だったんです。
——さっきおっしゃった「入ってからは色々大変だった」とは、どういう事ですか?
鈴木 : 大変だったていうのは、音楽的なことでもあるんだけど、途中でレコーディングを中断したんですよね。半年間位かな。CDは作っても売れないってガヤがもの凄く多くなっちゃって、皆が口々に「CDは売れない」「これからはライヴだ」って言い出して。ぼくも毎日の様にダウンロードして聞いてる人なんですけど、ただ自分にとって凄く大事なものはパッケージとして買います。まぁそういう部分では作り手とリスナーの気持ちがまっ二つになっちゃってるんです。でも本来、僕は録音芸術がやりたくてこの業界に入ったので、アルバムを作るコツだったり、性質みたいなものは分かってるつもり。アルバム一枚で、ひとつの旅に匹敵するものなんです。僕の音楽を聞いて、他の知らなかった音楽に出会ってまた旅が始まれば良いなと思います。細野さんのアルバムやヴァン・ダイク・パークスの『ディスカバー・アメリカ』というアルバムがあって、僕は何度も聞いて育ったんです。一枚のアルバムで色んな所に行ける。細野さんのアルバムを聞いて、アラン・トゥーサンの所に行けたり、マーティン・デニーの所に行けたり。ヴァン・ダイク・パークスだったらカリプソのマイティ・スパロウという音楽家だったり、ローウェル・ジョージのところへ行けたり。つまりアルバムの中には音楽の楽しさがいっぱい潜んでいると思う。アルバムやCDは情報ではなくて、一回聞いて捨てようってものじゃないはず。ジャケットのクレジットを何度も見たり読んだりするもの。僕のアルバムもそうであれば良いなって思う。でも制作途中、これ一体誰が聞くんだろって思っちゃって、それが半年位あって辛かった。必死で録音してもCDなんて将来無くなっちゃうんだなって。そういうことでレコーディングのモチベーションがぐっと下がったんです。でも、そんな時に『Luz De Agua』などアルゼンチンのいいアルバムに次々出会って。それをどんどん聞き進めているうちに寂しくなくなっていったんです。こんないいアルバムを作ってる人達がいて、その音からは集中してレコーディングしている様子が凄く感じ取れた。それがカルロス・アギーレを筆頭とした仲間達だったり、セバスチャン・マッキとか… とにかく色々いるんですけど、そういう人達がいいアルバムをたくさん作ってるんですよ。なんかそういうのを聞いてたら孤独じゃないって元気が出てきて、レコーディングを再開したんです。
——彼らがやっている音楽を聞いて新しいと思いましたか?
鈴木 : 新しいというよりかはちょっと古い(笑)。例えばアギーレだって4、5年前のアルバムを今みんな良いって言い始めてて、微妙に古い盤をみんなが良いって言ってるんですよ。ぼくはそこがゆるくていいな、と思ってました。渋谷のカフェ文化みたいなブラジルの学習が一通り済んで、ボサノヴァ以外を聴こうとすると、必ずミナス的な深いものにぶつかると思うんです。ミナスっていうのは新しくなんてない。伝統的でオーガニックでネイチャーな感じなんですが、そのミナスの音楽が実はブラジルのコアな魅力だったり深い所だと思うんです。そこはリズムの世界じゃなくて、ハーモニーとか美意識の世界で「光、風、水」とかのテーマが多いんです。アルゼンチンの今のシーンのひともミナス的でリズムレスで、それはワールド・スタンダードの音楽の形に近いと思えました。僕は本来ドラマーだけどワールド・スタンダードではリズムは入れなかったりしますし。ギターを弾きながらリズムを感じさせるって言うのがずっとやってるテーマだから…。
——ドラマーなのにリズムをあまり入れないのは、初期からのテーマでしょうか?
鈴木 : ドラマーなので、リズムがどれほど強烈なものかは分かってるつもりだし、リズムで自分より上手い人が沢山いるのも分かってるつもり。でも、リズムの概念を持ちながら、ドラムではなく鍵盤弾いたりギター弾いたりすると「自分の音楽」になる。ワールド・スタンダードになる。初期のその感覚は今でも大事にしています。僕がドラムを叩く時は、基本的にドラムはうるさいものだと思っているので、布を被せたりわざと鳴らさないように古っぽくしたりします。塩をかけたり砂をかけたりね。土とかごしごし擦り付けて振動を抑えてわざとならなくしたりね。ドラムに限らず楽器は鳴らないと「くる」んですよ。鳴ると「こない」。今のJ-POPは僕にとっては強烈過ぎる作り方で「ドラムは鳴る方が良い」「フィルが沢山ある方が良い」っていうプラスの信仰に包まれてる。でも僕はフィルはひとつの方がかっこいいって思うし、なければそれで良いんじゃないかって思う。ぼくのドラムは静かって言われるけど、叩く時に一つのヒットにしても考えてヒットしてるから、コントロールしてるから。ドラムがすごく鳴っているけど静か、気持ちいいっていう音楽は素晴らしいと思います、ツェッペリンのボンゾとか最高です。悪いドラマーはうるさい。無駄な事ばっかりして、ただうるさいだけ。静けさって心の状態の事だと思うしね。それと、盛り上がるなって事は細野さんから教わった事で、以前、東京シャイネスの時にスタジオでもライブでも「盛り上がるな」って言われてました。僕はノッてくると頭振っちゃうんですよ。そうすると細野さんが「鈴木君頭動いてるよ」って注意されるんです(笑)。結局DVDとか見ると頭振っちゃってるんですけどね(笑)。だけどクールにやってる方が音楽的、見てる方としても盛り上がる。ジェームス・ブラウンのドラマーは二人いるんですけども、凄いクールにストイックにやってて、それで盛り上がってるんですよ。それがかっこいいんです。ジャズもそうだけど、ロックでもクールにやる事でもっとホットになるっていう事を細野さんが教えてくれたんだなって思います。
貧しい国の音楽は豊かに聞こえる
——今回3年かかったというのは、中断した半年間があったからですか?
鈴木 : もちろん中断した半年間の事もありますね。あとは… 家でほとんど録音してたんですよ。ヴァイオリンとかクラリネットとか、音の殆どがそうかな。家にいる時間を確保する事が出来たので、ちょっとじっくりやってやろうかなと思いましたね。結局20曲位やったかな。時間がかかったのはその分録ってたっていうこともありますね。アウト・テイクは山ほどあって、半分くらいは落とそうと思ってましたから。
——曲のアイデアが浮かんだ時点でメンバーを選んでいくのですか?
鈴木 : ワールド・スタンダードは今、メンバーがパーマネントになったので、一応全員何となく呼ぶんです。で、様子をみんな見てるみたいな。急に呼んで、やってもらったりね。「アヴェ・マリア」とかはそうしましたけど、他は少し違って、曲ができたら家に2、3人呼んで、ベーシックをやってもらって、その2、3人が終わったら入れ替わりでまた2、3人来る感じでダビング。9人全員来ちゃうと家がギュウギュウになっちゃうから。
——曲ができた時点で、楽器のイメージはできていますか?
鈴木 : 弾いてもらうフレーズみたいなものはありますけど、それだけだと面白くないので「他に何かない? 」って。でも一つのフレーズって次のフレーズを予兆させていくので、やってるうちにアイデアがどんどん出てきますよね。そういう時はやみくもに入れて、後で整理しますね。だから結構ミックスが大変。トラックが60トラックに膨れ上がっちゃって、それがいい事だとは思わないけど、今回はちょっとやってみたかった。出来上がった音は徹底的に音数が少ないけど、マルチ見たらぎっしり詰まってるみたいなね(笑)。音の陰影を見る為に音をドッサリ録っておいて、最後にバッサリ切るみたいな。曲そのものも切っちゃうからね(笑)。録っていくうちに最初は良いと思ってたものが時間が経つにつれて変わっていきますし、結局は落ち着く所に落ち着きますから。
——ポルトガル語の魅力は何かを教えてください。
鈴木 : 日本人って、言葉だったり歌詞の意味を問うというか、言葉を大事にする民族だと思うんですよ。でもその分、リズムとメロディーとハーモニーに弱い。そういう意味では洋楽の方がポップスの構造的には遥かに勝ってると思うんですね。今のJ-POPに関しては歌詞がブログ的。女性はやはり、ものがたり好きですし。男性はリズムとハーモニー。僕は歌謡曲で育って思春期には洋楽世代なので、日本語の美しさも好きだし、英語で歌詞が分からないことにも馴れてる。だからポルトガル語でもハングルでもいいんですが、響きが気持ちいいものに何の偏見もないんです。
——『シレンシオ(静寂)』で鈴木さんが表現したかった事はなんですか?
鈴木 : 音源の中にヒントを入れてあるので、それを紐解いてくれたら良いなって思う。ぼくがどうして今こんなアルバムを作ったのかっていうね。だけどそれを声高にしないで封じ込めたので、それが何のメッセージなのかっていうのは聞いてる人が感じる事なんだと思います。でも作りながら思ったのは、アルゼンチンもポルトガルも非常に景気が悪いんですよ。ギリシャもそうですが国が破綻している。そして日本も景気がずっと悪い。で、その国の景気が良い時に聞かれる音楽と景気が悪い時に聞かれる音楽ってそれぞれあるんです。気づいたのは今まで僕が好きになった音楽って、全部景気が悪い国の音楽なんです。言い換えると、その厳しさとそれを癒していくような柔らかい音楽が好きということ。景気が悪いときに無理に派手で強い曲を作っても意味がなくて、人生は素晴らしいと… それを包みこむような曲が自然に生まれる。それって極端にいえば、讃美歌とかゴスペル、ブルーズなんじゃないかなって思う。アルゼンチンにもその空気と信仰は強い。マカオに行った時にもそう思いました。でも、あそこは好景気なんです。海とかどんどん埋め立てで潰してるし、行った時に圧倒されました。人口的に作られたアミューズメントがあって、その横に水たまりのあるスラム街があって、ホームレスが横たわっていて、その横にポルトガル式のきれいな教会がある。ぼくは観光で気楽に歩いてるだけなんですが色んな気持ちになりました。その時に、マカオの音楽ってあるのかなって思ったら全然ないんですよ。ここに音楽は必要とされてないんじゃないのかなって思った。これをいうと語弊があるかもしれないけど、貧しい国の音楽は豊かに聞こえるもの。それは憂いだったり、貧しい事への埋め合わせでこころに深いものを欲するんじゃないかなって思うんです。よい音楽はそこに宿る性質がある。
——以前、中島ノブユキさんにどんな音楽の聴き方をしていますかと訪ねたら、自分は定点観測だよとおっしゃっていたのですが、鈴木さんはどのように音楽と出会って、それをどのように聞いていますか?
鈴木 : 中島君と変わりないかもしれないですね。昔から独特なミュージシャン・ツリーをよく書いてたんですよね。誰かキーになる人を書いて、更につなげてツリー状にする事を中学の頃から黙々とやっていました。妄想で必ずつながっていると思ってたら、やっぱり当たってたとか。今はMySpaceやYou Tubeがあるから、一晩で沢山の情報が得られます。色んな人と人とのつながりが見えるし…。そうすると今まで全然関係ない人が繋がっていたりして、最後にはいつもやっぱりそうかって思うんです。でも、最近はそうした情報をあえてネットで見ないようになってきました。これだけ沢山の情報があるっていう事は、情報が無いって事に等しいと思うんです。膨大な情報の前でみんな呆然としてるというか。萎えているというか。僕はネットが無い時代に、レコード屋さんと仲良くなって、友達とわずかな情報を交換して、音楽誌を隅まで読む事しかできなかった。でも、昔と今であんまり変わりはないというか。当時ある意味、今よりも沢山の情報を持っていたように思えるんです。ネットに頼らない音楽の嗅覚って無意識下にすごい情報を握っているというか。直感で良いなと思ってネットで調べてみると、必ず自分の直感通りのミュージシャン同志の繋がりがあるから。だから、その嗅覚がなかったら沢山のネットの情報は無いって事に等しいと思うんです。
——次回作について、今の時点で考えていることはありますか?
鈴木 : 去年、中村八大、いずみたく、ハマクラさんのレパートリーのコンサート(『スタンダードナンバー』)をやったのですが、すごく大きな経験だったので、日本の作曲家にもう一度触れ合う事をやっても良いかなって漠然と思ってます。その時期が遂に来たのかな、と。
PROFILE
ワールド・スタンダード(鈴木惣一朗)
1959年生まれ。83年にインストゥルメンタル主体のポップ・グループ World Standardを結成。細野晴臣プロデュースでノン・スタンダード・レーベルよりデビュー。95年、ロング・セラーの音楽書籍『モンド・ミュージック』で、ラウンジ・ミュージック・ブームの火付け役として注目を浴び、97年から5年の歳月をかけた『ディスカヴァー・アメリカ』3部作は、デヴィッド・バーンやヴァン・ダイク・パークスが絶賛。近年ではビューティフル・ハミングバード、中納良恵やハナレグミ等、多くのアーティストをプロデュース。
[メンバー]
鈴木惣一朗(ギター、パーカッション)
安宅浩司(バンジョー、スティール・ギター、ベース)
伊賀航(ベース、チェロ)
藤原マヒト(アコーディオン、シンセサイザー)
武嶋聡(クラリネット、フルート、サックス)
田中佑司(ヴィブラフォン、ピアノ、エレピ)
神田智子(歌、ピアニカ)
中島久美(ヴィオラ、ヴァイオリン)
信太美奈(コーラス)
LIVE "土曜日の団欒"
- 2010年11月13日(土)@VACANT
開場 16:00 / 開演 17:00
新たな世界水準
青柳拓次 / まわし飲み
LITTLE CREATURES、KAMA AINA等で活躍する青柳拓次の最新作。青柳拓次名義では約3年ぶりのリリースとなる今作は、彼が旅を通して感じたことを綴った全篇日本語詞による独特の世界観に、中国古筝、二胡、篠笛、太鼓等の楽器が自然に調和した、アジア発のニュー・スタンダードとも言うべき作品。前作『たであい』が「静」だとしたら、今作『まわし飲み』は「動」のアルバム。彼ならではの視点で捉えた「和」を表現した、2曲のカヴァーを含む全14曲を収録。
ヘナート・モタ & パトリシア・ロバート / In Mantra
デュオ通算6作目となる本作は、自身初のライブ・レコーディング作品。インドの聖句<マントラ>にオリジナルのメロディをのせ、演奏した内容で、新曲も5曲収録。共演にショーロクラブの沢田穣治(contrabass)、UAのプロデュースで知られるヨシダダイキチ(sitar)を迎え、既発曲も全く新たに生まれ変わった。同コンセプトの前作『サウンズ:平和のための揺らぎ』は、「東京のほとんどのヨガスタジオに置いてある。ヨガで一枚のアルバムが有名になることは珍しい(ソトコト誌)」と音楽にとどまらない注目を集める二人。これまでの音楽的成果と、現代に生きる感性が結実した、キャリアの最高傑作を生み出した。
Jim O'Rourke / All kinds of People 〜love Burt Bacharach〜
天才Burt Bacharachが創造した音楽宇宙を、アヴァン・ポップスの異端児Jim O'Rourkeが東京/USのミュージシャン達と解き明かす。Jim O'Rourkeと11人のヴォーカリストとの巨大なジグソー・プロジェクト。20世紀アメリカを代表する作曲家、Burt Bacharachをめぐるエクスペリメンタル・ポップ・アルバム「All Kinds of People〜love BurtBacharach〜」。2つの類いまれな才能が生み出すサウンドとは?今、まさに歴史的瞬間が訪れようとしている。