音楽×映像×小説──あらかじめ決められた恋人たちへ、3つの視点から紡ぐトリニティ・アルバム
結成25周年を迎えたエレクトロ・ダブ・ ユニット、あらかじめ決められた恋人たちへ(通称、あら恋)が、15分超の長尺曲2曲を含むアルバム『燃えている』をリリース。今作は、そのサウンドに紐付く形で、映画監督・柴田剛が参加した映像作品と、作家・シンテツによる書き下ろしの小説が公開されており、音楽、映像、小説の3つの視点から物語を多角的に紡いだ作品に仕上がっている。あら恋は、なぜこのような作品を世の中に出そうと思ったのか、そして、どのような経緯で作り上げたのか。今回、グループの中心人物である池永正二に話を訊くと、混沌とした現代に対する真摯な想いがそこにあった。
3つの視点から紡ぐトリニティ・アルバム
今作のサウンドに紐づいたMV及び小説はこちらから
INTERVIEW : 池永正二(あらかじめ決められた恋人たちへ)
あらかじめ決められた恋人たちの新作のタイトルやリリース形態(小説や映像)を見た時に、心の底から向き合いたいと思った。音楽は、セールスとかユーザビリティとかそういうことじゃなくて、やっぱり作家の全身全霊の表現であって欲しい! そんな彼らの気合いを強く強く感じたからだ。音楽×映像×小説だからこそ見えてくる2022年の今を、心ゆくまで堪能して欲しい。
インタヴュー : 飯田仁一郎
文 : 西田健
写真 : タイコウクニヨシ
いろんなイメージを膨らませられるものを作りたい
──今回のアルバム『燃えている』は、あらかじめ決められた恋人たちへの音楽と、映画監督・柴田剛さんが参加した映像、そして、作家・シンテツさんの小説という3つの視点から作品ができあがっています。なぜ、このスタイルに挑戦しようと思ったんでしょうか?
昔からやりたかったんです。音楽って映像に乗せると違った感じ方がするし、小説で読んだら、小説なりの言葉で違う風に感じると思うし。音楽だけで聴くのとは、イメージが変わる。そんな触れ方によって感覚が変わるようなものを作れたらいいなと思って、今回挑戦しました。
──体験としては、音楽だけを聴いたパターン、映像に合わせて聴いたパターン、小説を読みながら聴くパターン、その3つで見える景色が変わったらいいなということなんですね。
そう、それをやりたかった。制作の流れは音楽がほぼ完成してから、この音楽から浮かぶものを制作して欲しいと小説と映像をお願いしました。
──そもそもなぜこのようなコンセプトになったんでしょう。
いま、端的に短く分かりやすいのが良しとされがちじゃないですか。15秒で伝わるのが良いみたいな。でも世の中って端的じゃないじゃないですか。むちゃくちゃややこしい。だったらそれをちゃんといろんな角度から多角的に感じるような作品を作りたくって。今、一方向に自分の意見を固めてしまいがちな風潮があるような気がしていて。敵か味方か、みたいな。そういうのは、やっぱりちょっと怖いなと思っています。コロナ禍になって、戦争が起きたりしているいま、意見を言いづらい雰囲気があるし、分かりやすく典型的に分断も起きている。昔だったら笑い話で済んでたものがそうではなくなってきている。状況が状況なんで仕方ないんでしょうけど。そんないまだからこそ、いろんなイメージを膨らませられるものを作りたいと思っていて。ほんとイメージは大切だと思うんです。
──なるほど。
これまでは、話が合わなくても「そんなこと思ってんねや。なんでかもうちょっと聞かせてや」みたいなそういう話がすごく楽しかったんです。自分のイメージも膨らんでいくし、思いもよらない話を聞くと刺激を受けるんです。いまは、あんま踏み込めないです。お互い探り合いみたいな。変な事を言ったら敵とみなされそうで。戦時中か!って。でも、ライヴなんかで「このバンドかっこええよな」みたいな、同じものを見て同じように一緒に楽しめたら、少しはそういう変な緊張感も緩むのかなと思っています。そういう遊びの部分が音楽の重要なところだと思うし。もしかしたら、ライヴができなかったから余計にそう思っているのかもしれないです。ピタっとライヴがやれなくなる状況っていうのが、はじめてのことだったので。
──今作は、どの曲から作っていったんですか?
もともと“東京”というタイトルの曲を作りたかったんですよ。自分の身近な恋人や生活を東京という街に落とし込んで描く“東京”もあると思うんです。そういう東京も大好きなんですが、あら恋でやるとしたらやっぱもうちょっと違う角度の、東京の街を何らかの感情に寄せるんじゃなくて、東京の街そのものを音楽として作りたいなと思いました。
──東京に対してはどんなイメージがあるんですか?
“TOKYO NOBODY”という写真集を見て、コロナ禍だったのもありガッツリハマったんです。僕の思う東京に近いというか、ものすごく刺激を受けて。俺も音楽で東京を作ろう!って思いました。でも作り始めたは良いものの、東京っていうタイトルがでかすぎて、途中でタイトルを変えたくらい。逃げました(笑)。でも、時間を置いてもう1回聴いてみたら東京っぽいなと思って、結局“東京”になりました。
──“東京”のMVはどうやって作っていったんですか?
iphoneで撮ったんです。iphoneだからどこに行く時も常備しているので「撮影するぞ」って意図もなく、日常の延長線上で撮れるんです。だから「あ、なんか東京っぽい」って思ったらすぐ撮って。日々、自分のアンテナに引っかかる東京を撮り溜めていきました。加えて柴田君とも撮影は行きましたけど、そっちは柴田君の東京感かな。ここやばいんだよって解説してもらいながら。東京そのものの持つ深い念の感知力は柴田君の方が強いので。
──“東京”のMVを青いトーンに揃えた理由はあるんですか?
コロナ禍で見た、人のいない東京のイメージってこの色味なんです。海の底みたいな。なんか美しいでしょ。意味合い的には絶望で虚無なんですよ。でも、だから美しいんです。柴田君とはそれこそ理想は高くタルコフスキーみたいなん撮りたいな、とは言ってました。風景だけで物語を作るみたいな。あら恋も歌ではなく演奏だけで物語を作っているので、風景だけのMVとフィットするかなと。