10周年を経てたどり着いた、新たな音楽との向き合い方──BRADIOがロング・インタヴューで語った『Joyful Style』に込めた想い
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届いたBRADIO最新のニュー・アルバム『Joyful Style』を聴かせてもらった。中盤、“愛を、今“から“ケツイ“の流れで、この苦しい時代に真行寺貴秋の直球のメッセージが刺さり、不覚にも涙が止まらなくなった。新型コロナで常に不安がつきまとう今こそ、バカみたいに笑えて、楽しませて、踊らせてくれて、そして気持ちを代弁してくれるBRADIOの音楽が必要だ。BRADIOと一緒の時代に生まれて良かった。
インタヴュー : 飯田仁一郎
文 : 西田健
写真 : 大橋祐希
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「音楽をやりたい」という思いが沸々と積み重なっていった
──BRADIOにとっては、2020年、そしてなかなかコロナの収束の見えない今(4月)まで、どんな状態でしたか?
真行寺貴秋(以下、真行寺) : もともとは、10周年のツアー〈BRADIO 10th Anniversary Hall Tour〉の予定でした。15箇所ぐらい予定していたんですけど、年はじめのツアーも最後の2公演がなくなっちゃって。そこから予定していったものは、ほぼ崩れています。2020年12月12日のパシフィコ横浜での10周年記念ライヴを軸として目指していく1年で、回りの状況を見ながら途中で配信ライヴもやったりしたんですけど、探り探りな感じで。
──配信でライヴをやってみてどうでしたか?
真行寺 : 最近やっと配信に慣れてきたけど、去年1年は、探っている感じでフィットした感じはなかったかもしれない。配信では決していままでのようにはならないので、「いままでと違うものってなにかないのかな」とプラスに考えて、ようやく2021年になってそれを形にする作業みたいなのがはじまってきたのかなと。
──この時期にアルバムをリリースされるということは、2020年は制作を主に?
大山聡一(以下、大山):元々2020年は10周年だし、年の頭にホールツアーをやって作品を出しつつ、最終的にパシフィコ横浜での10周年記念ライヴに向かおうというプランニングだったので、アルバムももっと早いサイクルでリリースする予定でした。実は、2019年にはアルバムに向けて動きはじめていました。でも、ツアーが途中で止まってしまい、誰も先の展開がわからない状態になったので、リリースの予定も遅らせようという話になりました。
──リリースを遅らせようと思ったのはなぜでしょう?
大山:当時は、元々決まっていたタイミングに出すことに意味が見いだせていなかったんですね。ライヴができないという事実に想像以上にくらっちゃって、最初の時期は制作にシフトするのが難しかった。普通なら、この時間を使ってより制作しようってシフトするタイミングなんですけど、最初の時期は腰が上がらなくて。アウトプットするべきものが全く見当たらないぞみたいな気持ちというか。それっぽいオケは作れるんですけど、何を思ってアルバムを作るんだろうと。乗っていた車が急に壊れたような感覚になりましたね。
──そこから制作のモードに入っていったきっかけは?
大山:とにかく完全に停止しないように「ツアーができないなら配信をやってみよう」とか「こういう風にデモを作ってみたらどうだろう」とか、チームでミーディングを定期的にしました。そこで、母体の船の底力を感じたというか。たぶん個々には食らっていたと思うんですけど、その底力やアイディアがあったからこそ制作に本腰をいれることができた感覚はあった。だから、結果的に生々しい作品になっていった気がします。
──制作していくなかで心境は変化しましたか?
大山 : 例えば、ずっと風呂に入れなくて汗だくの状態でフラストレーションが溜まっていったものを、このアルバムを作ることによってシャワーを浴びて洗い流すことができるような感覚になりました。「バンドをやりたい」とか「音楽をやりたい」みたいな欲求がどんどん止まらなくなってきて、自ずと制作に向かっていった。いままで、いい音楽を作らなきゃいけないみたいな使命感があったんですけど、でも今回は「音楽をやりたい」という思いが沸々と積み重なっていった感じ。
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──なるほど、酒井さんは2020年を振り返ってみてどうでしたか?
酒井亮輔(以下、酒井):僕も似たような感じで、ツアーがなくなってからはずっと家にいる状態でした。5月ごろに気持ちが沈んじゃって2〜3週間くらい楽器にさわれなくなりました。このままだとメンタルがやばいなと思って、これまで読んだことのない本を読んでみて「音楽とは」とか「バンドとは」とか根本的なことを考えるようになったんですよ。他に稼ぎたかったら、もっといろんな方法があると思うんですけど、「なんで音楽をやるんだろう」と考えたときに、それは単純に音楽が好きなだけじゃなくて、今までやってきたメンバー、お客さん、チームと一緒に居たいからなんだなと気づけました。
──酒井さんにとってバンドはどういうものだという結論に至りましたか?
酒井:家族みたいな存在。居心地もいいし、切磋琢磨もできる環境なんです。あとは友達と話していた時に出た、「バンドは大人の部活だよね」という言葉にグッときました。学校の部活じゃない感じが好きなのかもしれない。
──そのなかで、音楽をやりたいと思った理由はなぜ?
酒井 : モテたいとか目立ちたいとか、いろんな理由で音楽をはじめると思うんですけど、自分は「音楽をやりたい」と思ってはじめたので、バンドをはじめたころの自分に戻れた感覚があります。なおかつ、音楽ができる環境がこういうコロナ禍の状況でもあるのであれば、そのことに感謝するべきだと思って。あとは、こういう時代だからこそ、ちょっとでも音楽で人々の心を豊かにして背中を押せる存在になれるのであれば、頑張りたいと強く思いましたね。
──そういう決意を今作から感じました。作詞を担当している真行寺さんは昨年の4月、5月をどのように過ごされたんですか?
真行寺 : 自分を見つめ直す期間でした。基本あまのじゃくなので、僕はケツを叩かれても、あんまり人に言われたことをやりたくなくて、そうとう厄介な性格なんです。コロナ禍でコミュニケーションが直接取れないなかで思ったのは、結局僕は媒体でしかないんですよね。僕が書いたというより、周りの人との会話やみんなの声がこの歌詞になったという思いがアルバム全体に表れています。いままで「君はこう思っているけど、他の人から見たらこうだよ」っていう意見に対して、自尊心が削られていった感覚があったんです。でも今回からは他の人の声がスッと入ってくるようになりました。
──それはなぜなんでしょう?
真行寺 : 例えば、“愛を、今”の歌詞は、デモの段階では、「いい歌詞が書けたな」と思っていたんですけど、メンバーに「ちょっと違うな」って言われて。そこで「僕は歌詞を雰囲気で書いていたのかな」って気づいたんですよ。それからは自分の内を出せば出すほど「いいじゃんその歌詞」みたいな反応が返ってきた。そこで、そのことが僕という存在を否定しているのではなくて、僕という存在を導いてくれていることに気付けました。今回、内にこもって自分を見つめる時間があったのは、いい時間だったのかなと思います。
──そういう心境の変化を与えてくれたのは誰だったんでしょう?
真行寺 : メンバーとチームです。僕はひとつのことしかできないので、周りの人が道にいろんな目印が置いてくれて導いてもらった感覚があります。
──大山さんからみて歌詞は変わったと思いますか?
大山:毎回アップデートしているなと思ってはいるんですけど、今回はアルバムを通して歌詞がすごくいいなと思います。基本的に貴秋は哲学を歌にしているっていうことをずっとやっている人なんですよね。ただ、想いはすごく強いけど普段から何を言っているのかわからないことがあって(笑)、それが伝わらないともったいないと思うんです。解説を入れてくれると「なるほど。そんなことを考えていたんだ。」と思うんですけど、それでもわからないみたいなことがあった。今回の歌詞はカッコつけずに「Aと言いたいんです、だからAだと言います」みたいな表現があって。もちろん、“愛を、今”みたいなメッセージが最重要な曲がそういうシンプルなスタイルになるのはもちろん、意外とサウンドが前に出てくるような曲でも、ドンとやっている感じがして、それがすごく良いなと思います。