彼らを聴いて、馬鹿になるほど笑え!!!ーーPANICSMILE、年表とともに振り返る21年の歴史。吉野寿、中尾憲太郎からのメッセージも到着!!!

縫い目が粗くも美しいパッチワークのような曲展開と事故が連続多発したような、せわしさと緊張が混じり合ったグルーヴ。常にミュータント過ぎるサウンドを放ち続けるバンドPANICSMILEが、長い充電期間を経て新メンバーとの初アルバムをリリース。今年で結成21周年を迎えるも、どんどん生まれ変わっていく姿から目を離さずにはいられない。また今作とともに、吉田肇(Vo、Gt)が主宰し、長年インディーズ・シーンに密接してきたレーベル<Headache Sounds>の名物コンピ『Headache Sounds SAMPLER CD』のVol.5も合わせて配信開始。
このたびOTOTOYでは、編集長であり、古くから吉田肇を尊敬するLimited Express(has gone?)の飯田仁一郎が年表とともに、バンドの21年間と“これから”を紐解いた。 また、吉野寿(eastern youth)、中尾憲太郎(Crypt City、ex NUMBER GIRL)から、今作へ寄せた熱いメッセージとともに作品を楽しんでいただきたい。
大規模なメンバー、パート・チェンジ以降初となるPANICSMILEの最新アルバム!
※2014/07/10(木)18:00~2014/07/17(木)24:00までフル試聴可能!!
吉田肇による主催レーベル、Headache soundsのオムニバス・アルバム
※2014/07/11(金)18:00~2014/07/18(金)24:00までフル試聴可能!!レーベル Headache Sounds 発売日 2014/01/01
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※ 曲番をクリックすると試聴できます。
吉田肇によるHeadacheSounds SAMPLER CD volume FIVEの全曲紹介レビュー
01. 左右 / 河童
2013/3/11月曜日18:30から3時間かけて確か3曲、2テイクずつ録音されたうちの1つです。バックだけ録りボーカルをダビングしたテイクとボーカルも演奏も一緒に録ったテイク、結局一緒にせーの!で録った方がかっこ良かった。それでコレが収録されました。ギターの桑原さんの最後のたたみかけるボーカル、かっこいいですね。バスドラム、シンバル、ベースを一緒に演奏する花池君とギターボーカルの桑原さんのデュオ。編成も音も言葉も彼らだけのパンク・ソング。
02. SOSITE / ハキダメに鉛
2013/3/10日曜日18:30から3時間。ほとんどワン・テイクで4曲くらい録ったうちの1曲。この曲はオムニバス提供用という事で2つのテイクから選んだかな、勢い良い方を。小松さんのドラムの音を天井の高いリボレZスタジオで録ってみたかったのです。最初の一音でミックスイメージまで一気に決まりました。加倉さんの残酷な天使の様なギター・サウンドと低く響くタム、バスドラム。これ以上にないインスト・ナンバー。インストってひょっとしたらリスナー自身が瞬時に主役になる音楽なのかなっていつも思います。
03. ENERGISH GOLF / Debug
2013/3/13水曜日19:30から3時間で3曲ほど録りました。この盤には2曲入っていますが、実は1曲フリー演奏の小作品のデータがぶっ壊れてしまい、、、泣く泣くボツにいたしました。軽快でダンサブルで、とは正反対のネバりッ気充分のブルースダンスナンバー。現代池袋を代表する最高のダンス・バンドですよエネゴルは。
04. JIMSY / nanda?!
2013/3/15金曜日20:30から3時間、ちょっとした機材トラブル等もあり1曲のみ録音。コーラスやパーカッションにもこだわりましたね。彼らはベースレスで生ドラムとシンセ・ベースによるリズム・セクション、キーボード、そしてギター2本とボーカル。デモでもらったライブ音源を聴いただけで好きになったバンドです。XTCと同じ時代にいたって不思議じゃないタイムレスポップバンド。
05. tnwh / 音楽は武器
2013/3/14木曜日20:30から3時間で5、6テイク録ったでしょうか。ボーカル込みの完全一発録り。ちょっとずつフリーなところがあって、一番面白いのを選んだと記憶しています。わたしには全テイク面白かったですが。グッドマンでブッキングをやっていた頃、難波ベアーズの三沢君からの紹介で当時は大阪からライブをやりに来てましたね。「音楽はぶきぃーっ」っていう高木君の歌に「ブギーっ」を感じます。
06. アーバンダンス / ホーリーマウンテン
2013/3/12火曜日10:30から3時間でこの1曲を収録。いやー名曲ですね。このバンドのリズム隊のアタック感とグルーヴが好きでXTCの後期の感じに似ていて優しいビートっていうか。でも跳ねてる。その上の佐野君のメロディーの抑制の効いたわくわく感がイギリスっぽい。こんなバンドやってみたいってずっと思い続けるだろうな。突然段ボールの共演で出ていてUFO CLUBで発見しました。
07. Zeeblebuzz A Knot / PASADENA
2013/3/13水曜日17:30から3時間でこの1曲を1テイクで、そしてちょっとしたフリー演奏を録りました、そのフリー演奏はエネゴル同様、データがぶち壊れました・・・ごめんなさい。ボーカル、ギター共にダブル、しかもベーシストがドラムを叩き、それのプレイバックに合わせてベースをダビング、という変則録音。いやそのせいか良いグルーヴ出てます。ESGとかいた頃のNYを彷彿させるミュータントディスコなテイクです。
08. ソコラノグループ / モアフリクション
2013/3/13水曜日21:30から3時間、鋭角轟音トリオの2曲録ったうちの1曲。ここの安田君のドラミングも部屋鳴りと合っていて、実は全バンド同じドラムなんですが叩く人によってこんなに違うんだ、と楽しめるのも実はこの盤の面白さ。この3人特有の間とその行間のグルーヴをばっちり録りました。息づかいかな。収録しなかった曲もえらいカッコいい曲でした。
09. デマゴーグ / REACTION
2013/3/16土曜日10:00から3時間、2曲録ったうちの1曲。どちらもえらくかっこ良くちょっと選ぶのを躊躇しました。そして実は彼らは10年くらい前に福岡でpanicsmileのライブ時にわたしにデモテープを渡したそうで、すっかり失念していたわたしは謝るしかなかったのであります。そんなオモシロ話しと関係無く、すごく博多を感じる疾走感とギターサウンドの原田君は実は関西出身なのでした。ジャンクでサイケデリックでプログレッシヴ。サイバーなパンク・ナンバー。
10. BOSSSTON CRUIZING MANIA / ある朝の夢
2013/3/3/14木曜日22:00から3時間でボーカルも含めた1発録りでした。ボストンの前作も録りましたが、正反対の反射音をなるべく収録した音作りです。ビートも珍しくシャッフルしていてキャプテン・ビーフハートみたいです。こういうガレージ・パンクみたいな鳴りも似合うのがボストンのシブいところ。ドンゴドンゴドンゴ、フロアタムの響きがトライバル。バウワウワウみたいかも。
11. H Mountains / ビートルズ
2014/3/11月曜日21:30から3時間、ギターが3人いるので大変だったかも。今回ほとんどが1発録りですから。マウンテンズはミニアルバムを録った後のこのレコーディングになり、この曲も初聴き。バックトラックだけ録っている時点では、おっレッチリ?みたいなオーソドックスかつミクスチャーなファンキーナンバーが始まったのですが、歌入れでビックリでした。とても凄い歌詞です。もう小学生です。これライブでやってるのだろうか・・・
12. FALSETTOS / newborn baby
2013/3/14木曜日19:30から3時間で収録後奏部分を長めに演奏してもらいフェードアウト処理いたしました。メンバーのお子さんが参加していてほのぼのしてましたね。でもそのほのぼのを吹き飛ばす残酷ギターソロ、いかしてます。このバンドは下北沢THREEの星野君に紹介してもらい、1発で好きになった女性4人組バンド。最近のポストパンクというより、90年代のポストパンクサウンドでしょうか。ふんわりグランジィなところ、ふんわりローファイなところ、今居ない感じ。
13. トリプルファイヤー / ちゃんとしないと死ぬ
2013/3/15日金曜日23:30から録音開始。次やったら殴るも録ったかな。とにかく終電も過ぎ、アキバの満喫に泊まった記憶が。ボーカルとバンド演奏、同時録音。全員ヘッドフォンでの演奏でしたが「わーやりやすいーライブもこれだったらいいのになー!」とみんな喜んでいました。ライブ沢山やってるんだし、どこかでやってみたらどうだろうか。この曲アルバムテイクもわたしが録りましたが、是非聴き比べてほしいNO.1曲です。
14. tnwh / 停電ロック
2013/3/14木曜日20:30からのテイクの一つ。この曲も、一切の無駄が無いというか、ギターの音さえ打撃系音で、ボーカルも「消灯ー!」って打撃系で、すっかすかの極みであります。「音楽は武器」同様、何テイクかある中一番イケてる歌で選びました。
15. panicsmile / The Parade
あれ?いつ録ったかな、、しかし場所は今回の全バンドと同じ、秋葉原のスタジオリボレ(グッドマンの下です)のZスタジオ。このオムニバス用に書き下ろしました、ライブでは1度も演奏していません。そういう曲が入っていてもいいですよねえ、わたしの中では新作INFORMED CONSENTからあえてオミットした歌メロがある曲で、次作のアルバム、こんな曲が増えてたりして(笑)イントロから本編へのアレンジはスウィートジェーンを意識したんですが・・・あれ?
16. ENERGISH GOLF / Spring Sale
2013/3/13水曜日19:30から3時間で3曲ほど録ったうちの1曲。この曲も小気味良い良い。録音中、すでにコレがエンディングナンバーだな、と決めておりました。初めてエネゴル聴いた時、DECPRGのコンセプトでブルースをやってるようなバンドだな!って衝撃受けました。この曲は細野晴臣とかのトロピカルセンスも思い出しますね。
吉田肇によるディスク・レビュー
ヘッドエイク主催の月刊イベント「CHELSEA-Q」('94〜'97)に出演していた福岡のバンドを中心にコンパイルされた「volume one」と「volume two」は1997年にリリースされました。人間、number girl、ロケットメン、TR、SNOPPY、ザ・ハッスルズ、FIELD等の名曲が収録され2枚に分け発売されています。2000年にはvolume 3にあたる「STRANGE CIRCUS V.A.」がP-VINE recordsよりリリースされ、福岡のバンド蝉、三重人格ノ犬、ロレッタセコハン、危危と裸裸(オオクボ-T+石橋英子)の他に東京のルインズやBOAT、PIGMEN、向井秀徳+PANICSMILE等を収録した2枚組みでした。また2004年に再びヘッドエイクからリリースされた「volume 4」はデラシネやネハンベース、六畳人間、worst tasteといった東京のライブハウス秋葉原CLUB GOODMANに当時出演していた若手バンドを中心に収録されています。今回、最新作となる「volume FIVE」は東京で6回開催された月刊ライブ「Headache sounds SAMPLER live」に出演したバンドの中からジムシー、左右、SOSITE、トリプルファイヤー、ソコラノグループ、アーバンダンス、FALSETTOS、ENERGISH GOLF、Zeeblebuzz A knot、デマゴーグ、H.Mountains、PANICSMILEを収録、前作同様PANICSMILE吉田が全曲録音とミックスを担当しています。
オムニバスアルバムの良さ、とは何なんでしょうか。多くのお客さんはライブ会場の物販などでもオムニバス作よりそのバンドの単体作をお求めになります。同じ40分の収録時間でも好きなアーティストの曲だけが40分間楽しめる方を選ぶのはごく自然な事ですね。筆者が高校生の頃溝が擦り切れるくらい聴いたオムニバス作で「BURNING AMBITIONS」というPUNKのオムニバスがありましたが、これはその後のPUNK盤買いの良いガイドとなり、タイトルは忘れましたがラフトレードのオムニバスや4ADのオムニバス等、海外のアンダーグラウンドの様子が伝わってくるようなコンパイルに当時は大変刺激を受けましたした。またその盤でしか聴けない曲・テイクはもちろん、単体作と同じテイクが入っていても曲順が違う(他のアーティストと並んでいる)というところでかなり楽しめました。アルバムを流れで聴く、という事ですね。音楽業界(的な世界)ではオムニバスは売れない、というジンクスがあるようですが1曲の重みが今と昔では違うんでしょうか。いや、そうではないはず、と思い、まだまだこのシリーズは続いていくと思います。
タワーレコードやHMV、アマゾン等の大手ショップまで流通が回るかどうかは未定ですが、確実に各バンドの物販には年内中に並ぶ予定です。是非聴いてみてください。
INTERVIEW : 吉田肇(PANICSMILE)とともに振り返る21年間(年表付き)
PANICSMILEの新体制のレコ発を見てきた。全国の新しい音楽を創ることに躍起になっているバンド達の100万光年先にいってしまったサウンドは、PANICSMILEの進化系だった。ミドル / ローがしっかりしてて、色んな所が歪に飛び出た重戦車のようだった。理解不能! 意味不明! まぁ、いっか... あまりにも変態過ぎて、笑うしかなかったwwwwwwwwwwww
インタヴュー & 文 : 飯田仁一郎(Limited express(has gone?) )
【 PANICSMILE結成 】

1992/11/01
PANICSMILEの前身バンド結成
1993年
吉田 : ボーカルギター / 鳥井 : ベース / 大石進 : ドラムのトリオになりバンド名をPANICSMILEに改める
ギターに阿蘇ミユキが加入に4人編成に
ギターが保田憲一に交代
1994年
3、4曲入りのデモテープを数種類制作・販売
ーー「1992年に前身バンド結成」とありますが、この頃はまだPANICSMILEではなかったんですね。
吉田肇(以下、吉田) : 福岡女子大でライブが決まっていて、Echo & The Bunnymenの「ザ・カッター」、Metallicaの「エンターサンドマン」、尾崎豊「15の夜」をやったんですよね。
ーーえ? 尾崎豊ですか?
吉田 : そう(笑)。ベーシストがメタル好きで、ドラマーが尾崎好きで、俺がエコバニ好きだったから、一人ずつ好きな曲を持ち寄ったんです。でもオリジナルをやらなきゃなと思って、その3人で曲を作りはじめて、ビブレホールでライブをするようになって。
ーーいつからPANICSMILE名義で活動するようになったんですか?
吉田 : PANICSMILEっていうようになったのは1993年の頭くらいだったかな。
ーー名前の由来は?
吉田 : 特に何の理由もなくて。名前が決まらないまま活動しはじめていたんですけど、ライブの日取りだけ決まっていて「(ライブハウスのスケジュールの)入稿に間に合わないから急いで! 」って言われて、「えーっと… 」とか言いながら出てきた名前です。あ、でも頭文字がPのバンドにしようとは思ってましたね。
ーーなんでですか?
吉田 : 俺のCD棚P列ばっかりなの。Public Image Ltd、The Pop Group、Pavement、Pixies、Plastics、あとPortisheadとか。好きなバンドの多くの頭文字がPだったから、タワレコとかで自分達のCDもP列に入りたいと思って。ちょっとした願掛けみたいな感じで(笑)。
ーー前身のバンドからメンバーの脱退や加入があり、1993年に初期PANICSMILEのメンバーが定まりますね。
吉田 : ベーシストが辞めて、ギタリストだった鳥井君がベースとして入って。そこに更にギターでミユキちゃんっていう女の子が入ったんですけど、ツアーとか行っていたの、彼氏に怒られたみたいで「辞めてもいいですか」って連絡がきて。その話を電話でしていたときにやっさん(保田憲一)が隣にいて。

ーー保田さんとは元々お知り合いだったんですか?
吉田 : 大学の友達でした。俺が大学に入ったのが89年で、やっさんが翌年に入ってきたんですけど、同じデザイン科で、そこから仲良くしていて。ミユキちゃんを紹介してくれたのもやっさんで、横にいた彼に「彼女、バンドやめるってよ」って言ったら「じゃあ俺が入ります」って言って入ることになりました。
ーー92~93年頃の世間の状況はどんな感じだったのでしょうか。
吉田 : 俺らはブランク・ジェネレーション感がでかいというか、宝島とかキャプテン・レコードみたいなインディーズ・ブームがあって、イカ天(※ 三宅裕司のいかすバンド天国)っていう地上波のテレビ番組が始まって、「まだ続くの?」っていう流れの最中かな。ブランキー(・ジェット・シティ)、たま、人間椅子やジッタリンジンとかが出てきて、世の中的にはインディーズブームの最中だった頃で、でもかなり傍観してましたが。
ーー福岡のシーンはどんな状況でしたか?
吉田 : その頃Be-1グループはグラム~ハードロック、ヴィジュアル系辺りのバンドが盛んで、マルコシアス・バンプとかがツアーで来てたんじゃないかと。ハードコアや当時多かったミクスチャー系のバンド、あと蝉や人間をはじめとするオルタナティヴバンド、ニューウェーヴバンドはビブレホールに出ていたと思います。
【 PANICSMILEのサウンドの背景】
ーーその頃から1st『E.F.Y.L』のようなジャキジャキのサウンドだったんですか?
吉田 : いや、最初はしばらくカバーをしていたんですよ。レパートリーの半分位がカヴァー。ビートルズもストーンズもカヴァーをやっているしいいかなと思っていて。PANICSMILEと名乗るようになってからやってたカヴァーは矢野顕子と大瀧詠一と…
ーーえ、ちょっと待ってください、矢野顕子?
吉田 : 矢野顕子はミユキちゃんが居た頃にね。「春咲小紅」のカバーをしてました。あとはYMOやゴダイゴとか。そういうのが好きだったから、その曲をバッキバキのディストーション・ギターで爆音でやってました。
ーー全く想像がつかないですね(笑)。大瀧詠一のパンク解釈?
吉田 : そうそう、全部ビッグマフ(※ギターの音色を歪ませるエフェクター)をかけて。この間当時のカセットが出てきて聞いてみたけど… あれは門外不出の品です(笑)。その頃なんで歌謡曲にビッグマフをかけてやってたかというと、俺、Dinosaur Jr.やTeenage Fanclubが大好きだったんですよ。
ーーなるほど! 吉田さんのルーツは、J・マスシスだったんですね。
吉田 : ダイナソーってポップだけど、グワーッと感情的に弾いてて、それが格好良いなと思ってて。あと当時(ブラッドサースティ・)ブッチャーズの7inchとかイースタン(・ユース)のアルバムを買ったりして、彼らにもその格好良さを感じてたんです。唄心ある曲を歪んだギターで絶叫する様子に俺は「それだ! 」となって、しばらく歌メロがちゃんとあってコード・ストロークにディストーションをかけるようなスタイルでやっていたんです。

ーーPANICSMILEの独特の隙間のある音になったのはいつ頃なのでしょう。
吉田 : やっさん加入後もしばらくは歌メロがある曲をやっていたんですけど、やっさんが使ってたギターがオリジナル・チューニングで。完全にどう弾いていいかわからないチューニングにしていて、それをもっと活かしたほうがいいねって話になったんですね。それまでは俺が歌がある曲を作って持っていってたんだけど、やっさんのギターを活かそうと思ってジャムってみたらそっちのほうが面白くて、「うわ、これ聞いたことないな! 」って。
ーーじゃあ実は保田さんがPANICSMILEの影の仕掛人なんですね。
吉田 : そうそう。ムスタングを2~3台並べて「曲によって変わるんスよ!」とか言ってた(笑)。それまではイースタンとかPIXIESとかブッチャーズに影響を受け た曲を作りつつ「コンセプトが人の真似っていうのもなあ」という罪悪感みたいなもの常にあって。だけどやっさんのギターに着目したら、そこから『E.F.Y.L』 に入ってるような曲ができていきました。だからその頃はダイナソーとかの影響を受けて歪ませて絶叫している曲と隙間があるおかしな曲が混ざっていますね。
【 地方でのライブ~HeadacheSoundsとチェルシーQ~上京 】
1996年
京都にて謎のワンマンライブを敢行
大阪ファンダンゴにてグラインドオーケストラ、ナスカカー等と共演
1998年
メンバー全員で東京に移住
ベースの鳥井が脱退→ベースレスのトリオ編成に
ーーこの「1996年・京都にて謎のワンマン・ライブを敢行」って何ですか?
吉田 : 磔磔にブッキングお願いしますってテープを送ったら「来てええで」って連絡があって、当日行ってみたら「ごめん、今日対バンが見つからなくて、出演君らだけやから」って言われたんですよ(笑)。お客さんは、PAと俺等のスタッフ入れて3人...
ーーそれは辛い!
吉田 : 磔磔広いしね(笑)。
ーー「1997年・旧新宿ロフトの通常ブッキングに出演」とありますが、この頃はもう頻繁に東京に来ていたんですか?
吉田 : そうですね、シェルターとか20000vとかに出ていました。20000vばかりだったかな。福岡にKIRIHITOを呼んで早川さんと友達になっていたこともあって、東京来なよって呼んでくれて。
ーーもうひとつ、吉田さんの活動の軸となるHeadache Soundsについて聞かせてください。
1993年
向井秀徳、ミスカズアキとHeadacheSoundsを結成
1994年
月刊オールナイトイベントCHELSEA-Qをスタート
・DJとバンドが交互に出演する深夜イベント。天神のライブハウス、ハートビートを中心に毎月開催。
1996年
人間(現:◯菌marukin)とPANICSMILEのスプリットCDを制作・リリース
1997年
Headache Sounds SAMPLER CD vol.1を制作・リリース
KIRIHITOをCHELSEA-Qに招聘
1998年
PANICSMILEの1st作『E.F.Y.L』を制作・リリース
Headache Sounds SAMPLER CD vol.2を制作・リリース

吉田 : 1990年からビブレホールで働いていて「なんで福岡ローカルのレーベルがないんだろう」と考えるようになったんです。俺、ファクトリーとかラフ・ トレード(・レコード)とか好きで、福岡にも格好いいバンドが沢山いるのに、なんで先輩たちは自分達で全国に発信しないのかなって疑問があって。だったら福岡発信のイベントをやればいいじゃん、流通もやり方がわからないけどとにかく作って売ればいいじゃん、と思ってHeadacheSoundsを結成したんです。その後、マンスリーのオールナイト・イベントとしてチェルシーQを始めました。
ーーチェルシーQは、突然段ボールやギターウルフなど錚々たるメンツを呼んで、40回以上開催しているんですよね。
吉田 : 月刊イベントだったので3年以上やっていたんですけど、ああいうのって段々集客が落ちてくるもので。丁度その頃にナンバーガールのデビューが決まったこともあって、向井(秀徳)君となんとなく気まずくなって(笑)。お互い一本気なところがあったというか、向いている方向がズレはじめたというか。その頃(中尾)憲太郎は俺の家に住んでいたから「吉田さん、向井君と仲直りしてくださいよ~」って言われたりもしました(笑)。

ーーそんな中、1998年にはPANICSMILE全員で上京します。
吉田 : 丁度チェルシーQラストの頃に同郷のモーサム(トーンベンダー)や椎名ちゃん(椎名林檎)もデビューが決まって。俺らはデビューとか契約とかではなく、今まで積み上げてきたものをいかに流通に乗せるかとか、プロモーションのやり方かとかを体験しにいこうって話をしました。行ってみないとわからないなと思ったんですよね。その頃東京にはKIRIHITOが居て、「あんな格好良いバンドがいる街ってどうなってんだ」みたいな思いもあって。単純にそれだけで引っ越しました。
ーーKIRIHITOの存在が大きかったんですか?
吉田 : 上京前にツアーで東京に来たとき、早川さんに「明日恵比寿のみるくでライブあるから観にきなよ」って誘われて行ってみたら、見たことのない光景が広がっていたんです。世界と直結してるというか、「こんなおしゃれな街のおしゃれなクラブで、こんなアヴァンギャルドでジャンクなバンドが演奏できるなんて! 」って、嬉しくて。嬉しさのあまり暴れすぎて、その後お客さんに怒られたんですけど(笑)。
ーー(笑)。
吉田 : だから、メジャーデビューとか、それはそれで凄いことだと当時リスペクトしていたんだけど、違うやり方に興味津々でね。世界に直結するってイメージも、具体的ではなくて漠然としているんだけど、その開放感というか、ありえない曲とオリジナリティをクラブでぶっ放してもちゃんとお客がいるっていう状況が素晴らしいなと思って。当時みるくにはアートっぽい感じやメインストリームとは無縁の音楽の楽しみ方があって、福岡では絶対体験できないことだったし、東京のクラブでカルチャーショックを受けたことが、上京を決めた大きなきっかけになったかな。
【 ゴッド・マウンテン~4期メンバーへ 】
1999年
GOD MOUNTAINから主催のホッピー神山プロデュースによる2nd『WE CANNOT TELL YOU TRUTH,AGAIN』をリリース
2000年
ドラムの大石が脱退
石橋英子が加入、保田がベースに転向、JASON SHALTONがギターで加入
P-VINE企画でBOAT、デートコースペンタゴンロイヤルガーデン、PANICSMILEライブを行うat渋谷クアトロ
ーー上京直後に鳥井(泰伸)さんが脱退しますが、翌年にはゴッド・マウンテンから2nd『WE CANNOT TELL YOU TRUTH,AGAIN』をリリースしますね。
吉田 : ホッピー(神山)さんに声をかけてもらったときには鳥井君が抜けることが決まっていたんです。「すみません、メンバー変わるんで音も変わっちゃうんですけど」って話をしたら「全然いいよ、他のメンバーが3人いるなら新しい音録ろうよ」って言ってくれて。で3ピースの 曲を作って、ホッピーさんプロデュースでリリースしました。ゴッド・マウンテンって憧れのレーベルだったんです。KIRIHITOの1stを出してるし、 京都のスクリーミング・ピンチ・ヒッター、あとはGROUND-ZEROとかがいて。もともとPINKの大ファンだったし「ホッピー神山から電話かかってきた!やった! レコードにサイン貰おう! 」って舞い上がりました(笑)リリース後はゴッドマウンテンのマネージャーさんに、DRIVE TO 2000とかにも出してもらったりしました。そんな中でドラムの大石(進)さんが辞めることになって、ドラムを探しているときに石橋(英子)さんが前にいたバンドのpuff puffを辞めたって話を聞いたので、すぐ誘って、入ってもらうことになりました。

ーーこのメンバー・チェンジは大きかったのではないでしょうか?
吉田 : そうですね、手探りでした。やっさんと3人でスタジオに入るんだけど、大石さんと鳥井のクセが体に染み付いているから、勝手がわからなくて。女の子だから音も小さくて、今までのような爆音では作れないなと。その後ジェイソン(シャルトン)が加入して。彼とは20000vで対バンしてたんだけど、そのあと日本人と結婚して日本にきてるって話をきいて、ギターで誘うことにして。3人で試行錯誤してたんだけど、ジェイソンはバークレー音大でちゃんと勉強していたからか、俺とやっさんのめちゃくちゃなアンサンブルの間を埋めて、不協和音でもポップに聴こえるようにしてくれるんですよ。クラシックとジャズを専攻してた人で、とにかくすごい。で、俺はというと、ディストーションやめてクリーントーンで音量下げてのセッションになったので、今までみたいにワーッと絶叫 するわけにもいかないでしょ。だからだんだん歌い方がわからなくなってきて(笑)。
ーー(笑)。
吉田 : そこで石橋さんに「ちょっと歌ってみる? 」って聞いたら二つ返事で「いいよー」って。そしたらあの人、変な拍子叩きながら歌えるんだよね。ドラムの拍子と歌の拍子、合ってないの。すごいよね。
ーー4th『GRASSHOPPERS SUN』を聞いたときの衝撃はすごかったですよ。サウンドの変わり方に驚きました。
2002年
P-VINEから4th作「GRASSHOPPERS SUN」をリリース(録音・ミックス:AxSxE)
NUMBER GIRL が解散したため向井秀徳+PANICSMILE+菊池成孔の編成でライブを行うat 渋谷AX
吉田 : 3rdの『10songs,10cities』は、メンバー・チェンジをして3ピースで作っていた曲にジェイソンがギターを入れたようなアルバムなんですけど、『GRASSHOPPERS SUN』は最初から4人で作ったアルバムだったので、変態度が違うかもしれない(笑)。
ーー(笑)。本当に変態度数MAXな作品だと思います。
吉田 : 『GRASSHOPPERS SUN』を出すことになるP-VINEの担当の又場さんには福岡に居る頃から声をかけてもらっていて、当時はゴッド・マウンテンが決まっていたから断ったんだけど、4枚目はP-VINEからリリースすることが決まって。又場さんはその頃DCPRGを手掛けていて、菊地さんはティポグラフィカやGROUND-ZEROで知っていて、色んなことをやっている頃だったんですけど、何故かウチらと菊地成孔とを一緒くたに推してくれたんですよね。その又場さんの作戦は凄く嬉しかったです。忘れもしない、初めてクアトロでライブをやったのはBOAT、DCPRG、俺らってメンツで(笑)。
ーーすごいメンツ! 2000年ですか。
吉田 : しかもBOATは又場さんが知り合いじゃなかったから「吉田くん声かけてよ! 」って言われて、その時初めてAxSxEくんに声をかけたんです。その後ライブをみたAxSxEくんが「(音源)録りたいね! 」って言ってくれて、『GRASSHOPPERS SUN』を録ることになったんです。
2004年
P-VINEから5th作「MINIATURES」をリリース(録音・ミックス:AxSxE)
2005年
自主制作によるライブ盤「EATS TOKYO ALIVE!」をリリース
2006年
PERFECT MUSICから6th作「BEST EDUCATION」をリリース(録音・ミックス:AxSxE)
ーー2004年には5th『MINIATURES』をリリースします。
吉田 : 4人でライブを重ねているうちに、ドラムの音量が段々大きくなってきてたんですよね。石橋さんも過渡期で、歌うマイクにスネアの音が入るとPAの人に「なんとかならないですか? 」って言われちゃうから、ドラムの音量を下げるしかなくて。それにイライラしてるうちに思いっきり叩きたくなったみたいで、爆音ドラムに変わってドッカンドッカンやるようになった。それにあわせて俺もリフを変えていって出来たのが『MINIATURES』ですね。ジェイソンも水を得た魚のように弾きだして、それまでの2作は小さい音でピコピコやってるのに、そこからジミヘンばりにドカーンとやるようになったんです。
【 メンバー全員脱退、石橋英子の言葉 】
2008年
eastern youth主催のオムニバス「極東最前線2 V.A.」(VAP)に参加
2009年
7th作「A GIRL SUPERNOVA」の原盤がP-VINEに移り、リリースされる
2010年
石橋、保田、JASONが脱退した形で第4期編成が解散
1月渋谷o-nest、2月秋葉原GOODMAN、3月下北沢SHELTERと3ヶ月連続の自主企画にて〆
ーー2006年にパーフェクトミュージックに移籍して6th『BEST EDUCATION』をリリース。2008年には上京10周年記念として10円ライブ(※)を行なったりします。そして2009年に7th『A GIRL SUPERNOVA』をリリースして4期メンバーでの活動が一段落しますね。この頃バンドはどんな感じだったのでしょうか?
吉田 : 円満でしたよ。4人でやりきった感じではあります。実は『A GIRL SUPERNOVA』を作っているときに次の構想が頭に浮かんでいたんです。『MINIATURES』は石橋さんがドラム・ボーカルだった頃とやり方を変えて作ったので1stみたいな位置づけの作品で、その後『BEST EDUCATION』でいい感じのバランスをとれて、『A GIRL SUPERNOVA』で冒険ができたから、この3つをまとめた感じの作品を作りたいと思っていたんです。でも『A GIRL SUPERNOVA』の発売が1年伸びることになって、その間にジェイソンがアメリカに帰ることが決まって、石橋さんには「ソロで歌とピアノをちゃんとやりたい」って言われて。まずは『A GIRL SUPERNOVA』を出すことを優先させて動き出したんだけど、しばらくたって今度は3人揃って辞めるって言いはじめて。
ーー保田さん最初は関係なかったのに(笑)!
吉田 : そう、いきなり無理難題ふっかけられるみたいな(笑)。ジャムセッションで曲を創っているなかでも、皆それぞれストレスがあったみたいで。石橋はこういうリズムを叩きたいとか、ジェイソンはこういうリフを弾きたいっていうのがあって、それは俺もあったの。全体のセッションでリフが出来るんだけど、その次はこういきたいっていうアイデアが全員方向が違う、みたいな細かい食い違いがあって。
ーーそれで、それぞれストレスが溜まっていたと。
吉田 : 石橋さんは「吉田さん曲作るときいっつもストレス感じてたんじゃないの?」って言うんだけど、俺らの曲は事故的な要素で作られるものばかりだったから、俺はそのストレスが良い方向に出てたと思っていて。それを伝えたら「いや、いっぺん最初から最後まで自分の作曲で、自分発信のものを作ってみなよ。展開もエンディングも、全部自分の思い通りになるようにやってみたら? 」って言われたんですね。
ーーそれはソロをやってる石橋さんだからこその説得力がありますね。
吉田 : うん。すんなり納得しましたよ(笑)。それで特に悲しい気持ちはなくて、それは自分にとって挑戦だなとも思えたので、じゃあ具体的にこれからどうしようかって話をして、12月に『A GIRL SUPERNOVA』をリリースして1、2、3月で自主企画のレコ発をやって3月末でそのメンバーでの活動を終了しました。

【 現メンバーの招集 】
2010年
新メンバーとしてベース:DJ MISTAKE、ドラム:松石ゲルとセッション開始
保田がギターとして再加入
仙台にて初ライブを行う(70STATIONS名義にて)
ーー4期メンバーでの活動終了後、吉田さんはどのように動いていたのでしょうか?
吉田 : 3月で一旦ライブは止まるけど、作ることは止めたくないと思ってたから、その年の1月からメンバーを探して、地道にセッションをしてました。
ーー松石ゲルさんは、どんな経緯で加入することに?
吉田 : まぁ、従兄弟ですから(笑)付き合いも長くて。当時ヨルズインザスカイの制作をやっていて、愛知にあるゲルさんのスタジオで録音合宿をしたんですよ。いいところだなと思って、それから月1くらいのペースでギターを持って遊びに行ってはセッションをしつつ、「一緒にバンドやらない? 」って誘って。ザ・シロップとかギロとかやってる人なので、音が全然違うし「え、俺でいいの?! 」って言ってましたね。
ーーDJ ミステイクさんは?
吉田 : 俺スッパバンドが凄く好きで、秋葉原グッドマンでブッキングをやってるときに呼んでたんですけど、スッパバンドって、スッパさんが弾き語る曲の伴奏を、他のメンバーがぶっつけ本番で演奏するんです。岸田(佳也)君とかもっさんとか上手い人達ばかりが揃っている中に、ものすごいすっとぼけたベースを弾くDJ MISTAKEが居て、このベーシスト度胸あるな! と思ったんです。曲うろ覚えでよく当てずっぽうでそれだけ弾けるなと。それを思い出して電話しました。
ーーえっ?
吉田 : たまたま友達に勧められたか何かでフレットレス・ベースを弾いているけど、実は何故フレットが無いのか知らなくて(笑)。前の メンバーが抜けるときに周りの人には「今度はスタジオ・ミュージシャンばりの人を雇って吉田さんの思い通りにやったらどうですか」とか言われたりもしたんだけど、そうじゃなくて、初心者でもいいから面白い人を探そうと思って、今のメンバーが揃った感じですね。その途中でやっさんが「俺辞めるって言ったんす けど… やっぱり辞めれねえっス」って言ってきて。「何だこの野郎、もうベース決まっちゃったもんね! 」とか言ったら(笑)、「ギターでやらせてください」って。
【 グルーヴ強化練習、全曲ボツを経てアルバム完成 】
ーーメンバーが揃ってからは、順調に進みましたか?
吉田 : そこからも右往左往しましたね。俺はバカみたいに石橋さんに言われた宿題をやろうって気になってて、負けるかと思っていっぱい曲を作ったんだけど、駄目で。
ーーどんなところが?
吉田 : 面白くないの、曲が。音楽を始めた頃、弾き語りで曲を作っていた頃に戻っちゃう。ピクシーズとかあとPILみたいなニューウェーブ/ポストパンクバンドみたいになっちゃって、これは20年前に戻ってるぞと。いくらでも出来るけど、後退している感じしかなくて。
ーー自分の世界だけで完結してしまうんですね。
吉田 : あと、新しいメンバーだからセッションとかグルーヴに慣れていなくて、違和感だらけで。そりゃ10年一緒にやってきた4期のメンバーのほうが息が合うのは当たり前じゃないですか。だからまず慣れる為に「Love Me Do」から始めることにしたんです。ビートルズで言えば(笑)。
ーーおお!(笑)
吉田 : 変拍子一切無しの普通にロックンロールモードで、とにかくグルーヴを合わせていく練習をしました。最初から変拍子やポリリズムにしないで、びっちり8ビートでタイム感を刻もうと。内心「イマイチかも」と思いながら(笑)、最初の頃はずっとそういう曲を作ってやっていました。それと平行して変名の70STATIONs名義で現編成初ライブをしました。ライブもやらないと駄目だなと思ってるときに友達が仙台MACANAに呼んでくれて。
ーーそのときは8ビートの曲でライブをしたんですか?
吉田 : そうです。今作には1曲も入ってないですけど(笑)。
ーーですよね、そんな曲入ってないですよね。そこからはどう動いていったのでしょう?
吉田 : その後、“俺はこんなもんじゃない”主催のスーパーデラックスのイベントに出て、まだおっかなびっくりな状態だったけど、これからはスタジオだけじゃなくてライブでも鍛えていこうって話をして、ちょくちょく変名のまま20000vやグッドマンとかでやっていましたね。そのうち段々とグルーヴが合うようになってきて、もうすぐ20周年だし、2012年の間にアルバムを出したいと思うようになって。それからアルバムを意識した曲を作るようになりました。
ーーそれも松石さんのスタジオで合宿をしたんですか?
吉田 : そうです。ゲルスタでは全部録っておけたので、曲作ってる間も含めて全部レコーディングして、その都度何回も何回も確認しながら 進めるっていうやり方で曲をつくっていきました。それで20曲揃ったんですけど、気に入らなくて「すみません、どう聞いても何か違うので全部ボツにします!」ってメンバーに連絡して。「合宿いくら金かかると思ってんだ! 」って話ですよね(笑)。
ーー20曲全部ですか!
吉田 : そう。結局2012年にアルバムを出すことは出来なかったんですけど、演奏力は大分ついてきて。その年folk enoughの『DISCO TAPE』のレコ発を一緒にまわることになったときにPANICSMILEに名義を戻しました。
ーーもうPANICSMILEとして完成したと思えたんですか?
吉田 : いや、まだ暗中模索してた時期だけど、飯田君や井上(周一/folk enough)君に「いいじゃないですか、もうそろそろバンド名戻しましょうよ! 」ってはっぱかけられて(笑)。ちょうどその位から昔の曲もやってみるようになったんですけど、意外とポリリズムとかでややこしい曲のほうがすんなりやれたんですよ、今のメンバーも。
ーーへえ。何でなんでしょうね。
吉田 : わからないんですよね。8ビートでグルーヴ感を鍛えた成果が出たのかな? 石橋さんやジェイソンとやってた曲もすんなりやれたから、これだったら無茶振りの感じの曲もいけるかもと思って作りはじめたら今回の10曲がすっとできたので、「ああ、やっぱりこっちなんだな」と思いましたね。きっと8ビートの方がややこしいんです。ウチらには。
ーー吉田さんの趣向性なんでしょうね。今作はボーカルがはっきり聴こえてきたのが印象的でした。
吉田 : あ、本当に。バックの音がすっきりしてるからじゃないかな。今まではジェイソンのギターが被ってきてたりしたから。やっさんのテーマは「ジェイソンほど弾きまくらない」ことらしくて。なるべく減らしていく。
ーー好きですね、保田さんのギター。ジェイソンほど意味がわからなくない。
吉田 : ああ(笑)!
ーージェイソンのギターは、何のためにこの音を弾いているのかがわからないくらい凄かった(笑)。
吉田 : ギタリストらしい感想だね。ジェイソンは放っておくと手数が多くなってギャー! グワワワー! ってなってたから、俺らも「あー、やりよったなあ」とかいいながら見てたよ(笑)。
ーー今作を作り終えていかがですか?
2013年
3月吉田が福岡へ移住
8thアルバム『INFORMED CONSENT』を伊豆のスタジオで録音、エンジニアはAxSxE
吉田 : 難産でしたね。今までで一番時間がかかったアルバムだと思います。これまでのアルバムはライブでやってた曲を録って出してたけど、これは最初から狙って作ってたし、ボツも多かったので。
ーー吉田さんが福岡へ引っ越してからは東京・愛知・福岡の遠距離バンドになりましたが、活動に影響はないですか?
吉田 : うん、元々東京に居たときも愛知へ行ってスタジオ入ってたんだから、「俺一人が福岡から行けばいいじゃん」くらいにしか思わなくて。だから今は東京組は車で、俺は飛行機かバスで愛知へ行って合流してスタジオに入ってます。うまくいっているので距離感は気にしないですね。
本作に寄せられたコメント
吉野寿(eastern youth)
怒濤の変拍子。
乾いている。
パッサパサではないが湿度が感じられない。
湿度ではなく温度を感じる。
湿度は必要ない、
という事を決して曖昧にしていない。
1ミリも曖昧にしていない。
高い所から飛び降りるようにして屈折する感覚は、
むしろとても真っ直ぐなんだと思う。
だからとてもポップだ。
全然暗くない。全然難しくない。
そして全然やさしくない。
吉田くんは冷たい人ではない。
とてもやさしい。
何故だか俺のような者にもとても良く接してくれる。
やっさんも冷たい人ではない。
とてもやさしい。
そして歯を抜けっ放しにしている。
前回会った時にはそうだった。
抜けっ放しでニッコリする顔がとても輝いていた。
今はもう治っているのかもしれない。
湿度はない。
温度がある。
真っ直ぐに屈折していて、
暗くない。難しくない。
やさしくない。
一番大事なトコを1ミリも曖昧にしていない。
そして、
やさしくて、
歯が抜けっ放し。
今は治っているかもしれない。
長いキャリアによって生ずるある種の「重厚さ」を、
意図的に、頑固に、拒否しているように思える。
大事だよね、そーゆーの。
重くなったら負けだよね、吉田くん。
幾つになっても、何年やっても、
軽く世界を踏み外す。
道行きのステップは今日も変拍子だ。
変拍子だよ人生は。
中尾憲太郎(Crypt City、ex NUMBER GIRL)
1993年にパニックスマイルと出会ってから今や2014年。
1999年に世界は滅びるなんて誰が言った?滅亡の約束から15年後のニューアルバム。
93年頃のパニックスマイルは当時のアメリカのグランジムーブメントから影響をうけSonic YouthやDinosaur Jr.、Mudhoneyのようなサウンドにシニカルな日本語詞を絶妙な音程で歌う(Flaming Lipsのウェインの歌唱に近いかな?)スタイルでゴダイゴの「銀河鉄道999」や大滝詠一「君は天然色」のカヴァーも歪みまくったギターサウンドでマイクを長髪の前髪で挟むように歌っていた。当時まだそんな音楽を聴いたことのなかった私はショックを受けたと同時に「ナードが堂々とロックを爆音で演奏する」「ヤンキーじゃない僕らの手にしたディストーションという名の武器」というスタイルにとても共感できた。
それからというもの行ける限りのパニックスマイルのライブに足を運んだし機材車に同乗して地方のライブにもついていくようになり、ほぼ客のいないライブで私独りモッシしダイブし繰り返しフロアの背中を打ち付けたりもした。とうとう生活の拠点を地元北九州から福岡に移し益々パニックスマイルと行動を共にするようになり吉田さんの家に居候までさせてもらい私がナンバーガールに加入するきっかけも吉田さんの紹介であった。
しかしその後パニックスマイルが上京してからハードコアの要素が色濃く出るようになった代わりに好きだったポップさが薄くなり私はあまりパニックスマイルのライブに足を運ばなくなってしまった。しかしメンバーチェンジを経てパニックスマイルはまた違う新たなポップさを得て2007年の6枚目のアルバム「BEST EDUCATION」という素晴らしいアルバムになりそして7枚目のアルバム「A GIRL SUPERNOVA」と続いた。好きだったパニックスマイルが帰ってきたというものではなく「私の好きな新しいパニックスマイル」であった。
そして今回8枚目のアルバム「Informed Consent」からのメンバーチェンジ、そしてメンバーも福岡、愛知、東京と散らばる。
吉田さんがしっかりリーダーシップをとらざるを得ない状況がバンド内のパワーバランスを福岡時代に近いものに戻し、それが曲に反映されているのではないだろうか?なぜなら曲の印象は上京直前の音源「E.F.Y.L 1/72」に近い懐かしさを覚えたからだ。しかし「BEST EDUCATION」以降の風通しの良さは受け継がれ、吉田さんの「恥ずかしがり屋」感も隠すことなく前に出てきている(これは想像だが吉田さんは油断するとすぐそこを”隠そう”とするのでそこはエンジニアであるAxSxEのグッドジョブで”そこ”に対して吉田さんと戦ってくれたのではないだろうか)そしてさらに意外に思ったのは吉田さんの70'sや80'sの音楽ルーツをわかりやすく(といってもわかりにくいが)出してきているような気がする。ロック感が強い。メンバーチェンジと福岡という土地が狙わずともそうさせたのかもしれない。
「私の全てのはじまりだった初期パニックスマイル」と「私の好きな新しいパニックスマイル」が入り交じる、そして何故か吉田さんのアコギ1本弾き語りを聴きたいと思わせる素敵かつ不思議なアルバムである。
これは私の持論なのだが「歪んだ音を出す人は歪みの量に比例して恥ずかしがり屋」だと思っている。吉田さんこそ漏れなくその持論に当てはまる人物なのだが最近のパニックスマイルのアルバムからは歪みの量が減ってきており、今まで歪みによって”隠してきたもの”が前に出てきて。。。そのディストーションのオブラートに包んできたものが何かを具体的に説明できないのだがきっと前に出てきた”歌”にその答えがあるのだろう。
LIVE INFORMATION
日時 : 2014年7月12日(土)@名古屋DAY TRIBE
出演 : 原子力牧場 / 小さいテレーズ / デパートのかいじん / 加藤みきお(大道芸人)
日時 : 2014年7月19日(土)@黒崎 MARCUS
出演 : folk enough / The Camps / 他
日時 : 2014年7月20日(日)@大分 AT HALL
出演 : folk enough / CONVEX LEVEL / 他
日時 : 2014年7月21日(祝)@福岡 薬院UTERO
出演 : folk enough / CONVEX LEVEL / オオクボ-T / 石頭地蔵 / 他
日時 : 2014年8月17日(日)@四日市 SUBWAY bar
出演 : アントニオスリー / キングブラザーズ / 他
日時 : 2014年9月14日(日)@大阪 ハードレイン『キ・カ・ク・ガ・イ』
出演 : PANICSMILE / THE GUAYS / オクムラユウスケ / and Young / 他
17:30/18:00 ¥1800/¥2300+1d
日時 : 2014年10月13日(祝・月)@京都 メトロ「僕の京都を壊して」
出演 : PANICSMILE / YOLZ IN THE SKY / FLUID / 他
PROFILE
PANICSMILE
吉田肇(vocal/guitar)
保田憲一(guitar)
DJミステイク(bass)
松石ゲル(drums)
1992年結成。これまでに7枚のオリジナルアルバムを発表。
時期により編成や音楽スタイルに違いはあるが、一貫して貫き通されるPANICSMILEとしてのオリジナリティは他のバンドの追随を許さない。