連続企画「ROCK RUN」第2弾が到着!
ネモトラボルタの最新ライヴ音源を配信していくシリーズ企画「ROCK RUN」。ネモトラボルタと新宿Motionが主体となって企画されているイベント名でもある「Rock Run」は、コンスタントなペースで激ロックを聴かせる、今や超満員のイベント。普段満たされることのないロック魂を満たすべく、毎回オーディエンスが詰めかけています。OTOTOYでは、そんな熱い激ロック・バンドのネモトラボルタと「Rock Run」を激プッシュ! 第2弾は、8月に開催された「Rock Run vol. 11」のライヴから3曲をお届けします!
ネモトラ THE LIVE VOL.2(2010.08.06@新宿motion) (NEW!)
1. ENTAI
2. EASY LIFE
3. ALL I NEED IS LOVE
ネモトラ THE LIVE VOL.1(2010.07.17@新宿motion)
1. スキッパブルース
2. オレ!オレ!
3. 野良ボルター
>>Vol.1の特集ページはこちら
ネモトラボルタ×新宿Motion企画「Rock Run」イベント・スケジュールと配信開始日はこちら!
9/15(水) ROCK RUN vol.12 @新宿Motion → 9/29(水)配信開始
10/6(水) ROCK RUN vol.13 @新宿Motion → 10/29(金)配信開始
NEMO インタビュー
ライブは見たことなかったけれど、COOL DRIVEの素敵なメロディと無国籍なサウンドが好きで、新曲をいつも楽しみにしていた。改名したときも、渋谷AXにてファイナル ・ライブを行ったときも、やっぱりとても残念で、でも彼らの次の活動に期待した。で、3年ぶりに現れたCOOL DRIVEのボーカル、NEMO率いるネモトラボルタは、なんと激ロック・バンドだった! もちろん彼の美しいメロディは健在なんだけど、もうその爆発したかのようなライブ・パフォーマンスに驚きを隠せなかった。いったいCOOL DRIVE休止後、NEMOは何を思い、何を追求し続けた? このインタビューは、音楽に魂を奪われた男のリアルな生き様だ!
インタビュー&文 : 飯田仁一郎
最後の最後まで、このバンドで何とかならねぇかなって
——NEMOさんは、2005年10月にCOOL DRIVE(以下クール)で渋谷AXにてファイナル ・ライブを行った時、どんな気持ちだったのですか?
NEMO(以下、N) : 解散とは言わなかったのですけど、フィニッシュの気持ちでやっていましたね。
——NEMOさんの中では、永久的な活動休止だったのですか?
N : バンドの結成も解散も、どうなるか分からないじゃないですか? そんなに休止って大事なことじゃないと思ってて… 時期が来たら、自然の流れで成るようになるし。やり切るというか後悔しないようにやるだけでしたかね。
——解散って捉えていいんですか!?
N : メンバー各々どう思っているかは分からないんで、休止じゃないですかね。
——その決断をした理由はあったのですか?
N : … とことんやって売れなかったからかな。
——でもAXパンパンですよね?
N : それでも皆、所帯持って生活していかなきゃいけないっていうところで順風満帆では無かったし。もっと売れていたら解散しなかったかもしれないし。仲悪くても、売れているから続けているバンドだっているじゃないですか? ほとんどのバンドの解散の理由って、上手くいかなくなったからじゃないですかね? 4人でいっぱい話し合ったし、事務所側とも話したし、やりたいって奴とやめたいって奴に分かれたんですよね。で、やっぱり売る曲を作らなかった俺が悪かったなと今は思ってるんですよ。
——NEMOさんが?
N : 話してると、熱くなってくるじゃないですか。それこそ、大学生とかガキの頃から一緒なわけだから熱くなっちゃうんですよね。冷静になれなかったりして。でも今考えたら、皆がやりたいって思えるような、皆を潤す状況を作れなかった。つまり売れる曲を作れなかった。それが原因だろうなって思います。そうじゃなくてもバンド内であいつが、こいつが、事務所が、契約がどうだみたいな話も色々ありましたし、円滑に行かなかったのは、やっぱり俺が悪かったかなって。
——当時もそう思っていたのですか?
N : たぶん…。だってもし皆が経済的に潤うような曲があったとしたら、続いていたかもって思うし。
——NEMOさんが思うメンバーが潤う状態ってどういうことを言うんでしょうか?
N : ファイナルの頃って、今の時代の常識が出来始めた頃だったんです。バブルが終わって、ミュージシャンへのお金の回わり方とか、どういう数字でやっていけるのかってところの新しい常識が出来た時期だったんですよね。
——新しい常識って?
N : う〜ん。今中間がないじゃないですか? 若手で自力でやるか、可能性があればそこに投資して爆発的に売るかじゃないですか? 間が無いんですよね。昔だったらその間も「まぁこれからだ! 」ってことで大丈夫だったんですけどね。だからAXがパンパンになったって言っても… そんなになんですよ。そんなに甘くはないですよね。
——現在は、4人ともそれぞれバンドやサポートをしていますけれど、ファイナルの時って、その後のビジョンは見えていたんでしょうか?
N : 見えてる人もいたと思うし、見えてない人もいたでしょうね。俺は何も見えてなかった。あのバンドが全てだったから… 最後の最後まで、このバンドで何とかならねぇかなって思ってやってたんですけど、結局「時」は来てしまったから。どうしてもネモトラボルタをやるまでには時間がかかったすね。
昔より、一点を見つめたい
——ネモトラボルタは、いつ頃始まったのですか?
N : 2年半位前ですかね。
——クール休止からの3年っていうのは、基本的には何をされてたんですか?
N : 基本的には、ダラダラやってましたね。曲作ったり、遊びにいったりして、次何しよっかなって考えてましたね。
——モチベーションは?
N : どうしたらいいか分からない状況でした。何をどう始めていいか、全くわからなかったですから。
——そういう時の精神的な支えっていうのは?
N : 何にも無かったんでね。曲を作るってことと、レコードを買うとか音楽に触れることで何とか保ってましたね。
——その悶々とした時期に思うことはありましたか?
N : どうしようもない人間だなって思いましたね。クールでライヴをやってる20代の頃から失敗ばかりして来たし。
——クールの時の失敗って?
N : ガキだったんでね。やりたいことをどうやっていいかさえ分からず、それがわがままだってことの自覚もなくて、ただ一直線に進みたいから進むってだけでしたね。
——周りの人のことは考えてた?
N : 自分では考えてるつもりだったんですけどね。それがなかなか伝わりづらかったし、後だしジャンケンみたいになったりして、「実はこう思ってたんだよね」「先に言えよ」ってなっちゃったりしてたんですよね。全部がへたくそだったんです。賢くなんないといけないなって思いつつも、最近も出来てないです(笑)。変わってないですね。
——メンバーや事務所とよくもめていたってことですか?
N : 喧嘩する時はするし、仲いい時は良いし、極端に仲悪かったって状態ではなかったですね。どのバンドも言うと思うんですけど、本当に兄弟みたいな感覚でしたね。俺兄弟はいないですけど、わかるんです。一緒にいるのが当然だったんでね。
——急に一人になるのってすごいギャップだったと思うのですが、音楽を辞めなかった理由はなんだったんでしょうか?
N : 音楽は好きなんですね… そこはどうしようもなく好きなんです。ギターも好きだし。聞くことに関して言うと、レゲエとスカとパンク以外は大好きです。後は結構レコードとか買っちゃいますね。
——音楽が自分にとって大きな存在と気づいたのは?
N : 中学生ですかね。小学校の頃から音楽の授業は好きだったんです。リコーダーの練習を教室でした時に主メロを弾くじゃないですか? 一人だけハモってたんですよね(笑)。今でも譜面は読めないんですけど、感覚的なところで、耳だけで音楽をやって来ましたね。どうやったら美しく聞こえるのかなとか、どうしたら濁せるのかなっていうのは昔から意図せずにやっていたんです。
——中学生時代には何が?
N : ビートルズに出合ったんです。その時はボン・ジョヴィ等のハード・ロックが全盛期だったんですけど、「一人だけビートルズを聞いてる変な奴がいる」ってそんな状態でしたね(笑)。中学、高校の6年間はビートルズしか聞いていませんね。
——ギターを手にしたのは?
N : 中学生ですね。一人で家の中にラジカセを置いてギター・ソロを弾いてましたね。「有名ミュージシャンとセッションしてる」って言って(笑)。アンプに繋いでやっていたんで、近所迷惑ですよね。この前最上でやった時に近所の幼なじみに16年振りぐらいに会ったんですよ。そしたら「あの頃は心地いいメロディーを聞かせてくれてたよね」って大人なことを言ってくれたんですけど、絶対うるさかったはず(笑)。
——ネモトラボルタは、クールやビートルズよりも、もっとハードですよね?
N : 昔より、一点を見つめたいって気持ちがあるんですよね。ギターを弾いてないと死んじゃうっていうのがあるんですよ。肉体的じゃなくて、精神的に音楽をとったらやっていけない。クールの時って、ほのぼのしたりとかもっと優しい時間や日常が流れてたんですよね。今は「俺はとにかく音楽がしたくて、これでなんとかしなくちゃいけねぇんだ」っていう荒々しい気持ちを素直に音に出したいんです。
——それはネモトラボルタを始める前の3年間で溜まっていったんでしょうか?
N : そうでしょうね。その時は分かってなかったんですけど。でも3年は長かったですね。何もしてないでも歳を取っちゃうんだなって思いましたね(笑)。クールの時は呑んだりもしてなかったですからね。喉も強い方ではなかったんで、禁酒、禁煙でストイックにがむしゃらにやっていました。ただ崩壊しましたよね(笑)。酒は呑むは、タバコなんて1日2箱位吸ってましたもんね。
——自暴自棄になってた?
N : そういう時期もあったと思う。2面性があったと思うんですよね。「俺駄目だな」って時もあったし、「考える時間が出来たな」って時もありましたね。
俺がやりたいからやってるんだよ
——ネモトラボルタの結成のいきさつを教えてもらってもいいですか?
N : そのうだうだやっている時に、事務所の社長にそろそろやりなよって言われて。10曲位作って、社長と相談しながら、「この曲いいんじゃない? 」っていう作業をやっていくうちに、ネモトラボルタの原点が出来上がった感じですかね。
——NEMOさんのソロ・プロジェクトで始まったんですね?
N : あやふやだったんですけど、そんな感じです。クールの時は、チャリンコをひたすら全力で漕いでたんですけど、ある時チェーンがはずれてしまったんですよ。そこで崩壊するんですよね。で、「あー」ってなって3年たって、ネモトラボルタが始まって、「チェーン繋がなきゃ」って言ってどんどん漕いでる状態ですね。もう一回やろうって、燃えてる段階ですね。
——ニコラス・ケイさんは、ネモトラボルタを始動させるにあたって大きな存在でしたか?
N : ケイとは、クールの最初の方には出会ってたんですけど、でかいですね。3年間の放心状態の時に隣にいてくれたのがケイなんですよ。で、あいつも人生の放心状態なんで(笑)。それで一緒に曲でも作ろうかって言って作り出したんですよ。一緒にやろうぜっていうよりか、「手伝ってくれない」って言ってレコーディングも手伝ってもらったりしてたんですけど、気づいたら居なきゃまずいまでの存在になってたんですよね。
——ライブを見ると、ニコラス・ケイさんはとても奇抜と感じました。
N : そうですね。AB型なんで自由ですよね。でも、あいつは音楽の才能があるんです。そこは惚れてますね。実は、音大出てるんですよ(笑)。譜面も読めるし、俺には無い物を持って来てくれますね。俺は感覚でやっちゃうんでね。
——ネモトラボルタは、NEMOさんのソロなのか、ニコラス・ケイさんとのバンドなのか、どっちの意識が強いですか?
N : サポート・メンバーも含めて集合体ですよね。今はライブも重ねて、すごい楽しい状態ですね。もしソロでやろうって固執してやってたら、またニュアンスも変わっていたでしょうね。バンドで上手くいかないことがあって、バンドで痛い目にあってるのに、結局バンドが好きなんだなって思いますね。俺自身、変われないって好きじゃないんですけど、変われない部分ってあるんだなって思いましたね。
——ネモトラボルタのライブは、とても激しいですが、やっぱりロックだったということですか?
N : レコーディングが先にあって、ライヴをこなしていくうちに激しくなっていきましたね。「ここはこうした方がいいんじゃない? 」って映像を見ながら話しあって。どの時代でもそうだと思うんですけど、シュートを打ち込まないと駄目だなって! クールの時にあらゆることをやったから、1本打ち込むのが、今の俺のやるべきことなんじゃないのかなって。それがロックっていうジャンルになったんだって思いますね。ビートルズがデビュー前にドイツに巡業で回ってるときの音源があるんですけど、クラブとかで30曲ロックンロールしてるんです。それが、めちゃめちゃかっこ良くて高校の時は憧れてましたね。ビートルズが革ジャン着て、リーゼントでやってた時期。
——シュートを打ち込むって?
N : 気持ちを素直に込めたサウンドを作ることじゃないですかね。そこに何かを付け加えたら変化球になるし。
——クール時代は変化球だったんですかね?
N : あると思います。クールはクールのやり方があってやってたんです。
——ネモトラボルタ1本でいこうと思っていますか?
N : これしかない。なんとかしてやるって気持ちですね。AXパンパンとかじゃなくて、もっと上ですね。もうわがままですけど、夢だけはでかい。もちろん、そんなにあまくはないんで、最後はやりたいことをやりたいに終始すると思うんですよ。今は「仲間じゃねえか! 」っていうお客さんを増やしたいですし、今までにないくらい馬鹿騒ぎをしたいですね。「もう俺らアホなんですよ〜音楽しかなくて! 」って位ライヴ一体で楽しみたいんです。俺にはこれしかないし、勝負しますね。
——これからは、ライブが糧になっていくのでしょうか?
N : やっぱり生でしょ! 生が良い! (笑)。今はライブが全てかなって思いますね。クールの時よりも強く感じますね。楽曲もシングル、アルバムっていう当たり前の流れがあったし、配信なんて無かったわけだから。俺が言うことでもないけど、音楽が簡単に手に入っちゃうこの状況で、何に価値があるって、現場でどう繋がるかっていうのと、アホを見てもらって喜んでもらえるかだと思うんです。
——イベント『ROCK RUN』にはそういう思いが詰まってる?
N : お客さんのサラリーマンに「明日もがんばろうと思いました」って言われたんですけど、それかなって。誰が来てもいいんです。デパートの屋上で着ぐるみを着てやっても良いですし。誰にでも「俺がやりたいからやってるんだよ」っていうのを見せたいって思っています。
——『ROCK RUN』とはまさにその通りなんですね。
N : そのままの名前思いついちゃいましたね(笑)。クールの時とか、20代の時に色々失敗してるんでね。過去だからってチャラになるとは思ってないし、動かない事実としてあるわけだから、向き合いながら、抱えながら、真っすぐに走ろうって。
LIVE INFORMATION
9/15(水) ROCK RUN vol.12 @新宿Motion
open 18:30 / start 19:00
w / STRUT BERRY / THE SOS / VIVAROSSA
10/6(水) ROCK RUN vol.13 @新宿Motion
11/6(土) ROCK RUN vol.14 @新宿Motion
PROFILE
変態グルーヴ男Vocal&GuitarのNEMOと、正体不明、謎の変態ギタリスト、ニコラス・ケイが、突如NEMOのブログ上でNemotroubolter(ネモトラボルタ)としての活動を発表。初披露ライヴでは進化した破天荒なパフォーマンスで旧来のファンの度肝を抜いた。天性のJUMP・BLUES・ROCK! 独自なビートがガツンッ! と心を揺さぶる。2008年1stアルバム「ネモトラボルタ1」を発表後、TV音楽番組への出演、数度のワンマン、自身発イベント「ROCK RUN」を経て今まさに爆進中! 2010年にはイベントと同タイトルのライヴ音源盤「ROCK RUN」を完全生産限定で発表。ロックは衝動だ!! アクシデントだ!! パーティーだ!!! これがオレのEASY LIFE!!
全力で走り抜ける!
カーネーション / Velvet Velvet
HQDで先行リリースした「さみだれ」につづく、待望のニュー・アルバム。2009年4月発売のシングル「ジェイソン」のリリースで新生カーネーションとしてのスタートを切り、新たな展開をみせていくであろう彼らを象徴するかのような、非常に開けた作品。
銀杏BOYZ / ボーイズ・オン・ザ・ラン
2009年2月以降ライブ活動を行わず、バンドとしては表舞台に立つこともないまま沈黙を続けた銀杏BOYZだが、ついにシングル曲として、全くタイプの異なる2曲を完成させた。前作「17才」(オリコン初登場7位)から、約1年振りのリリースとなる今作は映画「ボーイズ・オン・ザ・ラン」の主題歌として起用されている。曲のタイトルは映画と同じく「ボーイズ・オン・ザ・ラン」。主題歌「ボーイズ・オン・ザ・ラン」は峯田、チン中村、安孫子、村井のメンバー4人によるむさ苦しいぐらいにストレートな感情が直球勝負で奏でられ、銀杏BOYZならではの中毒性の高い楽曲に仕上がっている。一方2曲目に収録されている「べろちゅー」は唯一無二な峯田の詩世界と、どこか懐かしくも優しいメロディー、そして残酷なまでに生々しい歌声と演奏がドラマチックに紡がれた楽曲だ。ライブ中に骨折、流血、公然猥褻行為が起きるような過剰すぎるバンドのイメージからは想像できないような、万人の心の琴線を震わせる美しいバラードが完成した。